アポカリプティックサウンド
ーー世界が歪み始めたのは二日前だと聞く。
目が覚めた。いやまだ覚めてないのかもしれない。
起き上がるとそこは、自分の部屋ではなく、最寄り駅のホームだった。それも粘土細工で作られたように駅全体が柔らかく、奇妙に曲がっている。
「やっと起きた」
「琴音?」
後ろを振り向くと、見知った顔がそこにあった。ふんわりとした栗色のショートボブに、たれ目が特徴的な整った顔。150cmも満たない身長と柔らかそうなほっぺたも相まって幼いイメージを持たれることが多いが、俺と同じ高校二年生。
間違いなく、そこにいるのは、幼稚園からの幼馴染である天日琴音だった。
琴音がなぜここにいるのか、今はどういう状況なのか、聞きたいことは山ほどあったが、意識が朦朧として口を上手く動かすことができない。
とにかくここから出るため、琴音に肩を借りて改札口を目指した。その間に今の状況をある程度説明してもらったが、何一つ理解できなかった。
最寄り駅の改札を抜けると、高熱が出たときに見る悪い夢のような光景が広がっていた。乱立したマンションはソフトクリームのように捻り曲がり、空は油絵具で描きなぐったように赤黒く渦巻き、はるか上空では何人もの小さな天使が輪になって回っている。きれいに紅葉していた木々はすべて枯れ木となっていた。まるで近代画家が描いたような光景で、自分の視界の方が歪んでいるのではないかと何度も疑ってしまう。
「本当に現実なのか......」
「辰......。残念だけど、これは現実だよ」
いつもは天真爛漫な彼女も、どことなく暗い表情をしている。
「みんな自分から出てきた黒い液体に呑まれて消えて、一部の人だけは化け物になっちゃった」
「そうか」
とても受け入れ難いことだが、受け入れざるをえない。
現に、鬼の容姿に似た化け物が至る所に散在している。真っ黒の目玉に、逆立った白髪、獲物を一発でしとめきれるぐらい鋭い牙を持っている。あばら骨がはっきり見えるほどやせ細った体躯は、目玉同様真っ黒に染まっていた。そんな奴らが何体もいるこの状態は、まさに地獄絵図だった。
脳が混乱して驚くことすらできない。
いったいこの二日間で何が起きたのか。
なぜか駅のホームで気絶していた俺は、二日前からの記憶がない。記憶を失った理由も、どこから記憶がないのかも曖昧だ。目が覚めたらこうなっていた。
琴音から聞いたところによると、なんの前触れもなく鐘の音が鳴り響くと、物理法則を無視して、世界が崩壊していったという。人々は、この鐘の音を、世界の終焉をもたらすアポカリプティックサウンドだと騒ぎ立て、パニック状態になっていたらしい。やがて全ての電気が消え、世界は闇に包まれてしまった。
全く信じられない話だ。
逆にこの状況でまだ生きているのは奇跡と言ってもよいが、長くは続かないだろう。俺は童貞のまま死ぬのか。
「この間まで普通に高校通って普通に遊んでたのが嘘みたいだな」
ほんと、嘘みたいだ。
「これから俺たちどうしよっか?」
半ば生きることを諦めている俺は、琴音にどうしようもないことを投げかける。
「もしかしたら安全な場所があるかもしれないから探してみようよ」
「そんなのねえだろ」
「でたっ、辰の悪い癖。すぐネガティブになるんだから」
「建物は崩れて、周りは化け物だらけの危機的状況に誰も救助に来ないんだぞ。それどころか人っ子一人いない」
「じゃあまず人をさがそー!」
「すごいなおまえは。こんな状況でも前向きだからな」
正直、こうなった世界で助かるビジョンが一つも見えない。
琴音はすっと立ち上がり、地べたに胡座をかいている俺に手を差しのべる。
「ほらっ」
俺は地面に手を突いて自ら立ち上がる。
琴音は軽く眉間にしわを寄せ頬を膨らます。
「探すってどこ探すつもりだよ?」
「まずは近くの商店街に行こう。まだ私たちみたいな人がいるかもしれないよ」
「ばかか。人が多かった場所ってことは化け物が多いってことだろ」
「大丈夫だよ。まだ化け物が人を襲うって決まったわけじゃないし」
「可能性がある時点で危険だろ」
「もおー。とにかく行くよ!」
琴音は強引に俺の腕を引っ張り、商店街がある方に引っ張ってきた。
まあ琴音の言う通り、まだ希望はあるのかもしれない。もしかしたら、ただの悪い夢なのかもしれない。どうせ死ぬなら、少しだけ足掻いてみるか。
俺たちは、この絶望的な世界で希望を探しに歩き出した。凄惨な結末が待っていることも知らずに......。