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3.

「えっと……この辺りのはずなんだけど……」


 少し道に迷いながらも、小犬の住所まで近付いてきた。

 家の塀や電信柱に付けられた街区表示板を丁寧に見ながら、目的の住所を探していく。

 大地に抱かれた小犬も何だか(せわ)しない様子で、モゾモゾと動き出す。

 そう思っていると一声、鳴き声を上げた。


「あっ! ソラ!」


 その甲高い鳴き声に返事をするかのように、二人のすぐ近くから少年の声が飛んできた。

 住宅地に並ぶ家々の内の一軒。その塀の向こうから、学生服姿の少年が出てきたところだった。


「何だ、木下君の犬だったのか!」


「岡部君……!」


 大地と同じ制服を着た少年――小犬の飼い主と思われる木下は、安堵(あんど)の表情を浮かべながら近付こうとしたところで足を止めた。

 その理由が、大地の隣に立つ転校生の存在に気付いたためだと、当の凪咲(なぎさ)も思い当たった。

 木下が自分の顔を見て表情を変えたことに、凪咲もまた後ずさりしそうになった。

 戸惑うような素振りを見せる凪咲に、大地は「クラスメイトの木下君だよ」と、そっと声を掛ける。


「なーんだ、お前、ご主人様に会いに学校まで来てたのかー」


 自身の顔の近くまで持ち上げた小犬に向かって、大地が白い歯を見せて笑う。

 小犬も、そんな大地の顔を親しげにペロッと舐めた。


「はい、木下君。連れ回しちゃったりして悪かったね」


「う、ううん。連れてきてくれて、ありがとう……ほら、ソラ! お家に入るよ!」


 恐らく小犬のソラは、飼い主の木下が帰ってくるのが待ち切れなかったのだろう。

 家を飛び出し、木下の匂いを追って学校まで辿り着いたところだったのだと、凪咲も大地も合点した。

 木下の方も、帰宅してみたら愛犬の姿が消えていることに気が付いたに違いない。

 捜しに外へと出たところで、ちょうど二人に出くわしたのだろう。


「ありがとね……じゃあ」


 礼を述べるのもそこそこに、ソラを抱えて家の中へと引っ込んでいく木下。

 大地と一緒に愛犬を連れてきた凪咲に、口をきくことも無く。

 それでも凪咲は、木下の態度に冷たい人だとか避けられているだとかいった印象は持たなかった。

 塀をくぐる直前、チラリと凪咲を窺った木下の頬が紅くなっているのに気が付いたからだ。

 大地と同じ反応。木下もまた、凪咲のことが気になりつつも、気恥ずかしさから言葉を掛けられないでいるだけ。

 大地の言った通りだと、凪咲は胸の奥をほんのり温かくした。


「あの小犬は……大切な人のところに帰りたかったんだな。だから、学校まで追い掛けてきて……」


 木下の家を見上げながら、大地がつぶやく。

 その目は建物ではなく、そこに暮らす住人を見つめているようだった。

 あの小犬にとって“家”という言葉が意味するものは、この建物ではない。

 自分の飼い主――すなわち、大切な人がいる場所が帰るべき家だと思っている。そう言いたそうに。


「私の、帰るところは……」


 大地の独り言に対して、凪咲は無意識の内に頭の中に思い描く。

 自分にとっての大切な場所――それは、故郷である沖縄の青い海。

 どんなに離れていても忘れることのない、いつでも帰りたい思い出の土地。


「……名波(なは)さんが思い描く、大切な場所……そこに、俺たちが映ってると嬉しいな」


 凪咲の途切れたつぶやきを聞き逃さず、大地が自らの想いを付け足す。

 それを受け止めた凪咲の胸をツン、と突く痛みの元は何であろうか。


「皆、そうなる日を夢見てるよ。名波さんが信じてくれれば、それは実現することが出来る」


 凪咲の目をまっすぐに見つめながら、大地は語る。

 夕焼けには、まだ少し早い時刻。大地の頬は、自らの熱で紅く染まっていた。

 それでも視線は凪咲の瞳から外れることなく、凪咲もまた自分を見つめる少年の眼差しと向き合った。


「うん……岡部君が、そう言ってくれるなら……私も信じてみる。私も、もっとたくさんの友達が欲しいから……自分からクラスに溶け込めるよう、頑張ってみるね」


 転校生の自分を温かく迎え入れようとしてくれる、大地の真摯(しんし)な気持ち。

 それに応えたいという想いが、凪咲の中に芽生えていた。

 自分のためだけじゃない。

 孤立していた自分に声を掛け、クラスメイトの思いを伝えてくれた大地に報いるためにも、凪咲は変わりたいと決心した。


「俺も協力するよ! そうだ……名波さん、沖縄では友達から何て呼ばれてた?」


「えっと……なっきー、なーちゃん、ナギちゃん……とか?」


「じゃあさ……俺も“ナギちゃん”って呼んでいい? あだ名で呼ばれてるところを見れば、クラスの皆ももっと親近感を持って話し掛けてくれると思うんだ」


 照れくさそうにしながらも自分の考えを隠さず述べ、心から凪咲に協力したいという意思を伝える大地。

 凪咲は、自分の頬も熱を帯びていくのを感じた。


「う、うん……いいよ。あの、それじゃ……私、も……」


「大ちゃん、じゃ馴れ馴れしいか……“大地”でいいかな?」


 大地からの提案に、凪咲はうつむくようにして頷いた。

 沖縄にいた時だって、クラスメイトの男子を下の名前で呼んだことはなかった。

 呼び方を変えるだけで、より親しい間柄になったように感じられる。凪咲は、初めてそのことを知った。

 転校してきたばかりの自分でも、まるで昔から仲の良い友達と話しているように思える方法があるのだと。

 その友達の一人目が、来た道を振り返りながら言う。


「道、分かんないだろ? 送ってくよ……ナギちゃん」


「う、うん……大地君」


 二人、並んで歩く帰り道。

 呼びなれない呼び名を練習しながら交わす会話は、どこかぎこちない。

 それでも二人とも、最初に言葉を交わした時の何倍も相手との距離が縮まったと感じている。

 互いにもう、見知らぬ仲ではないのだから。

 大地にとって凪咲は、転校生ではなくクラスメイト――友達になっていた。

 そして明日からは、その交友の輪がどんどん広がっていくことだろう。

 凪咲の存在が、クラスの誰にとっても転校生でなくなる日も遠くないのだろう。

 その時が来れば、あの教室でたくさんの友人と笑い合う光景を凪咲も思い描くことが出来るはず。

 そこへと導いてくれた、凪咲にとって大切な人。大切にしたい関係。

 いつか凪咲が故郷の海を思い浮かべた時、そこにその人の笑顔があることを凪咲は秘かに願う。

 自分と一緒に、大切な場所へと帰ってくれる日が来ることを。


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