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ほんのりしんみり。
姉とクラマさんを締め出し、渾身の力を振り絞った俺の腕はプルプルと震えている。(成人男性?と、成人女性を片手ずつに持って投げてみろよ…次の日は筋肉痛で動けねーよ、普通は…)フラつきそうになるのを、意地と気合いで持ち直し、ソファーに深く腰掛けた。
「お、おまたせしました」
口から、ため息と共に魂まで出て行きそうになるのを机に置かれていた冷めた紅茶と一緒に飲み込んだ。ギリギリと雑巾絞りされている俺の胃ちゃん…これしきの事で胃痛になぞ、ヤられてたまるか…!こんな事でギブアップしてたら、俺の胃は既に爆発してるわ‼︎
「…改めて、話をさせてもらう前に…レオンハルトさんに聞きたいことがあります」
「はい」
「…ほんっっっとうにアイツでいいんすか⁉︎やることなす事、何かしろ問題起こし、それも飄々と乗り越え…いや、踏みつけて!唯我独尊、ワガママ極まりない大惨事を巻き起こす生き物っすよ⁉︎」
「まぁ、たしかにちょっと問題を起こすこともありますが、基本的には穏やかですよ」
「…そっすか」
苦笑して、頬を描く獅子顔にもなれたな…(慣れってこわい)それはまぁ、置いといて、姉が穏やか……いやぁぁ、どーかなぁぁあ…?
ストーカーにあってた時、ストーカーをしていた奴が警察に保護された様なもんだし…そんな事する奴が穏やかかなぁぁあ?(あの時はマジで一瞬心臓止まったわ…現場行ったの何の偶然か俺と先輩だったし…現場では、姉の前に電気ケーブルでグルグル巻きにされた男見た時はついにヤッた…とか、思って俺の警察人生終わったかと思った)
「それに、本当に、心からヒトを傷つける事はしない人ですよ」
「…まぁ、そうっすね」
電気ケーブルでグルグル巻きの簀巻き状態の男は、必要最低限の怪我しかしていなかった…怪我はしてなかったけど、心の中はバッキバキ、つか粉砕だったんだけどね‼︎横たわってるのは気絶してるからだと思ってたのに、意識あって目かっ開いて、鼻水と涙を垂らしながら言葉にならない言葉を言い続けてて正直近づきたくなかった。おまけに、警察署に着くまでずっっっとなんか言ってたし‼︎(超ホラー映画みたいだった…ヤダ、思い出すの恐い)
「…怒りやすいのも、手が早いのも、よっっく知ってます」
「そ、そっすか」
一部力を込めて言っているのに、目を細めてどこか遠くを見つめる虚ろなその様子に俺は口が引き攣った。(あれ、もしかしてレオンハルトさん餌食になった事があるんじゃ…聞けねぇよ)
「…本当は、すごく臆病な事も」
「……そっすか」
ふっ、と、困ったように笑われて、俺も思わず苦笑した。
爆裂破天荒で破壊神な姉、極悪極まりない悪戯しかけたり、とんでもない事に巻き込まれても飄々として見せるのも、本当は怖いから。
何もかもが怖いから、外を歩く事も、人と関わる事も、生きていくことさえ、怖い。最初から無ければ、傷つく必要がない、だから引き離そう。
そんな姉のソレに気づいたのは、姉が唯一気を許し言うことを聞いていた祖母が亡くなって暫くしてからだった。大人になって、少し離れた位置から客観的になれたから理解できた。でも、それはもう遅くて、どうやって近づいてやったらいいか分からなくて、まごついている間に、姉は姿を消した。
取り返しがつかなくなってしまった。そう思っていた。
「これから先、きっと何度もぶつかって、何度も怒ったり泣いたり笑ったりを繰り返していきます」
思わず意識が遠くに行きかけていたが、静かに語り始めたレオンハルトの言葉に、耳を傾けた。
「理解できないこともある、納得出来ない部分もある。姿形も、世界さえも違った。それでも、一緒に生きていきたい。全部を含めて、彼女が彼女…豊城紫乃だから、俺は彼女と、一生一緒に生きていきたい。あなた方の大切な家族を、どうか俺に下さい」
俺とレオンハルトさんしかいないリビングは時計の針が動く音と、床に転がる3人が微かに身動きした音がやけに大きく聞こえた。娘なんていねぇのに、俺が姉ちゃんの親父代わり役って可笑しいよなぁ。でも、まぁ…
「…本っっっ当、暴虐武人で、唯我独尊、馬耳東風で人の話も中々聞かない、ジャジャ馬通り越して核弾頭みたいな姉ですが」
ソファーの横で、鼻をすする音がした。…レオンハルトさんのあなた方、って言葉を思い出して思わず笑いそうになった。さすが獣人…耳がいい。起きてたのに狸寝入りしていやがった家族に気づいていたらしい。おい、本当はアンタが言わなきゃいけねー事だぞコラ……でも、まぁ仕方ねー不器用家族だからな、俺が言ってやるよ。
「…人一倍、怖がりで、憎まれたがりで、愛されたがりのめんどくさいヤマアラシな姉ですが…」
何だか俺まで泣きそうだわ。祖母が亡くなってから、姉は一切心からの会話をしなくなった。どうにかしたかったけど、どうにもできなくて…俺達の手はもう届かないけれど。目の前のこのヒトがいる。姉が全てをぶつけても大丈夫だったヒト、受け止めてくれたヒト…心からの感謝と敬愛を…そして、ほんの少しの嫉妬を贈る。
「俺たちの、大切な家族を、どうか、幸せにしてやって下さいっ…」
深く頭を下げた俺に、目の前から動く気配と横のフローリングに正座したのが見えた。ハッと顔を上げると、牙を見せず目を細め口端を僅かに上げたレオンハルトが滲んで見えた。
「約束します、そして、大切にします」
ありがとう、そう言って、土下座してくれたそのヒトに、狸寝入りしながら嗚咽と鼻水をすする音を洩らす家族をバックに…俺も人のこと言えないような鼻水と涙できったねぇ顔で笑って、ソファーを降りてレオンハルトさんと同じように膝を畳んで、もう一度深く深く頭を下げた。
心から、本当にあなたに、あなた方に幸福あれ。八百万の神ではなく、姉にとって神だった祖母に祈った。
***
お茶を淹れなおし、今度は湯呑みで緑茶にした。未だしつこく…いや、粘り強く狸寝入りしてる親父達への腹いせに秘蔵の羊羹も食ったる。赤みがかった黒からごろりごろりと出てくる大きく丸い栗は優しい黄色がなんとも涎を誘う。レオンハルトさんもお菓子は好きらしく、目が光っている。(肉食獣だから、あんま甘いの好きじゃねぇと思ったてたわ…いや、そういやウチの猫スイートポテトとか甘栗好きだったわ)
お袋が見たら叫びそうなくらい、分厚く(3センチ強)切った栗羊羹をレオンハルトさんと俺の前に置いた。(あ、お袋の肩揺れたわ。俺1人に任せっからじゃ‼︎ザマァ‼︎)
「えっと、すっかり話折ってて申し訳なかったんすけど、結局俺は何を協力するといいんすかね?」
あ、どうぞどうぞ栗羊羹食べて下さい。ジェスチャーしながら俺もばっくり羊羹に食らいつく。あぁ、この季節しか味わえないこの栗のほのかな甘み…
「いただきます…捕まえるのはこちらがしますので、問題はないんですが、この世界の出来事、人物には、俺たちはあまり関わってはいけない事になってるんです。未来軸を歪めてしまう事になり兼ねない」
「未来軸って、簡単に言うと未来ってことっすか?」
「未来になるはずの道筋も含まれる。つまり、パラレルワールドの世界さえも壊しかねない。」
「な、なんか重大かつ壮大な話っすね…」
哲学的な話に頭がギリギリついてく…(頑張れ、俺の脳細胞‼︎)
「ええ、逃げ出した彼等はその未来軸に手を出してます」
「なんで⁉︎」
「出してるつもりはないんでしょうが、例えば…その雑誌の表紙に写ってる人物」
「あ、はい」
「ソイツです」
「は?」
「まず、ソイツが俺たちが追ってる1匹です」
TV番組表の表紙…今回の表紙って……
「…え、総理大臣?」
「本来なら、この世界の人間がなるはずだったんです。別世界の人間の出現によりそれが狂ってしまうので、シノさんとジュンくんに表立って動いてもらいたいんです。」
「そりゃ、協力できることならしますよ…だけど、総理大臣って、一介のお巡りさんがどうこう出来るレベルじゃないっすよ…」
こんな大物が敵とか…もう話のスケールでかすぎで突っ込めねぇよ。
「協力してもらえるのが有難いんです。ありがとうございます。まぁ、コイツはすぐには捕らえられませんが、他にもこの人間社会に混ざって問題を起こしてるんです。今回は…」
レオンハルトさんが、スーツの内ポケットから取り出した黒革の手帳に挟まれた写真には見覚えがあった。
「これ…」
ド派手な金髪に、目立つリング状の唇ピアスが連続で2本。そして、首にはヘッドフォンを掛けた男…こんな姿してんのに、両耳にはピアスが何もないのが、不思議な奴だな、なんて思ってたから覚えていた。(いやだって、唇とかコアな所にする奴なら耳のが先にしてる気がする)
俺のいる派出所にも通達が来ていた麻薬売人だった。マトリが捜査しているから下手に首突っ込むな、って、釘刺されたんだよなぁ…(あの姉の所為で…つか、姉を関わらせるな、って…出来たら苦労しねぇよ‼︎)
「コイツは、ヤモリ系の爬虫類人なんですが、中々姿を変えるのが上手く、こっちが見つけるとすぐに勘付いて顔を変えて」
「納得‼︎」
「はい?」
爬虫類なら耳ねぇもんな!そりゃピアス出来ねぇわ‼︎いやぁ、スッキリした。
「えっと、何か?」
「や、爬虫類は耳ないからピアス出来なかったんだなぁーって、こんだけ目立つ口ピしてるのに、両耳にはピアスが一切ないのがなーんか気になってて、擬態っつーことは、そういう風に見せるだけなんですから、生態が変わるわけじゃないってことっすねー」
「そうか、そうだった……!なんで気づかなかったんだ!」
呆然と俺の話を聞いていたレオンハルトが破顔し、俺の両手を握りブンブンと上下に振った。
「専門職に就くと、どうしても単純な事から目を背けて難しく考えてしまう事が多くて困ります!本当にありがとう!」
「え、えーと?どういたしまして?」
なんか非常に感謝されたが、何で感謝されたかもわからず、首を捻った。
ある程度、理由もわかったし、お茶を飲みつつ姉の話題になった。
「…にしても、姉のあの試し行動的な悪戯も、もう少しどうにかなんないかと…」
「試し…最初はそうだったかもしれませんが、今は純粋に楽しんでいる気もしますが」
「そんなバカな…」
顔が引き攣ると、レオンハルトさんの顔も微妙に黄昏ている…あぁ、もう被害にあってるんすね。ため息を吐いた瞬間、悪夢は突然訪れた。
「さすがレオ。私は自分が楽しいと思うことをするだけだよ」
突如後ろから聞こえた楽しそうな声と、嫌な悪寒。
「…はい?」
錆びついたネジのようにギリギリと首を後ろに向けると掌サイズの箱を片手に不敵に笑う姉…(なんだ、このとてつもない悪寒は)
「と、言う訳で釣りが好きなジュンに、プレゼントふぉーゆー」
「え、ちょ、待っ、いつの間に来て…いや、なに、その箱、土?土が見え……」
え、なんか持ってる箱、動いてるんだけど、ケータイのバイブレーション並みにゴトゴト動いてんだけど、きっしょく悪いピギィィィとか甲高い声だか音が聞こえんだけど、ナマモノ?それナマモノなの?思考が混沌に落ちかけた時、この姉はあろう事か中身を俺の膝に落とした。
「ピギィィィィィ‼︎‼︎」
「うぉぎぃやぁぁぁあぁぁあ⁉︎」
どすん、と、小型犬が膝に飛び乗ってきたような衝撃と共に、プロレスラーの腕くらい太く長いミミズが俺の膝とソファーの上でのたうち回った。どこから連れてきたとか、どこ産とか突っ込みどころは満載だけど、まず突っ込ませて。
「その掌サイズの箱の中にどうやって入れたこのミミズと言う名のクリーチャー‼︎」
ビチビチと動き回るミミズ…ヒィィイィィ‼︎床に落としたい‼︎床に落としたいが、ヌメるこいつを落とすと床がえらい事になる‼︎(あれ、ソファーやばくね?)
「頑張った」
「頑張るだけで質量を無視出来るかぁぁぁ‼︎」
「シノさん…治療用ワーム、連れて来てたんですか」
これで治療されるとか絶対嫌だ。治療って嘘だろ。これで治療って、拷問以外の何物でない。(そして、ソファーの隣に転がってはずの3人はいつのまにか遠く離れていやがる…自分らだけ逃げやがった‼︎)
「これで、無茶してもオッケー」
「…まず、今が無茶苦茶になってますよ」
「お姫さんはお茶目さんだなぁ」
にこにこと初孫に甘いじじぃの顔で姉は頭を撫でてるクラマさん…いや、これは…
「お茶目ですむかぁぁ‼︎」
「ピキュシャァァア‼︎」
「あぁあぁ⁉︎ごめんなさいごめんなさい‼︎汁が、汁が飛んでっ‼︎」
じたばた、びっちんびっちんと激しく動き回る巨大ミミズの所為でソファーやら床やら俺にぬめる体液掛かって果てしなく気持ち悪い。スライムにナメクジぶっ込んでそれを頭から掛けられているような不快感。
「大丈夫、身体には害はない」
「精神的に害あるわぁぁぁ‼︎」
心が粉砕機にかけられて粉末になってくわ‼︎
「ピギャァァア‼︎」
「あ"ぁ"ぁぁぁ⁉︎」
視界一杯に巨大ミミズの口らしき部分が広がり、ぬめりと微妙な土臭さとレオンハルトさんの俺を呼ぶ声を最後に意識がブラックアウトした。
次に目覚めた時、このクリーチャーが俺の視界から居なくなっている事を祈る。そして、俺に全て押し付けたアイツらは祟ってやる。
一言:このクリーチャーがぁぁ‼︎