裏野ドリームランド調査報告書‐ミラーハウス‐
赤茶けたベンチや、倒れたゴミ箱の中を縫うように進むと、我々は遂にミラーハウスにたどり着いた。園の中心にある城からいくらか離れたところにあり、一層荒廃しているように思えた。
「雰囲気ありますねー」
宮島は私に密着したまま呟く。確かに、正しく雰囲気は廃墟そのものであった。蔦巻きの外壁には崩れた所があり、白色の塗料の隙間から打ちっ放しのコンクリートが見える部分もあった。何よりも、扉が傾いており、その前に立つ兎が緑色と茶色に変色しているところなどは、いかにも廃墟らしい演出だった。
天井で踊る二人の男女は、立派な衣装もくすんで、剝きだした歯には海苔がこびりついていた。あるいは虫歯かもしれない。歯磨きの大切さを教えてくれているのだろうか。
「入ろう」
私が言うと、宮島が唾を飲んだ。
遂に本番が始まる。入れ替わり事案というものの性質も関わって、我々の緊張感はそれまでの比ではなかった。
「……ここ、いるわね。いっぱいいるわ」
常花が呟く。私は意を決して先頭に立ち、傾いた扉をこじ開けた。
ギィギィと鈍い音がすると、真っ先に目に飛び込んできた人影があった。一瞬足を竦ませるが、その反応を見てそれが自分であることを知った。
ゆっくりと足を踏み込むと、腐りかけた床の軋む音が響く。足元が抜けないように慎重に中に入ると、左右あちこちに自分の姿が映った。割れたり欠けた鏡に映ると、しきりに自分の顔が歪み、万華鏡の中に閉じ込められたような錯覚に陥る。
狭い入り口の通路を抜け、大広間に辿り着く。ヴェルサイユ宮殿さながらな美しい装飾がくすみ、シャンデリアが不気味に揺れている。往復する様に何かのミュージカルを彷彿とさせるが、何よりも気がかりなのは落ちてこないかどうかだった。
床の軋みは相変わらずだが、カサカサと動くものが這い回っていることに気づき、咄嗟に灯を向けた。そこには、触覚をくねらせた黒くて巨大なゴキブリがいた。
「うぇ……」
宮島が声を漏らす。私は安心して視線を起こし、ふと鏡の中を照らした。
「え……?」
子供が通り過ぎたように思い、後ろを見る。常花が眩しそうに目を細めた。私の唐突な奇行に宮島は怒りを込めて言う。
「ちょっと、先輩、やめてくださいよ……!」
「待って、いる。いるわ、これ」
宮島の顔が怒りから恐怖に変わる。一同で周囲を見回すが、どこにもそれらしい影は存在しない。私は安堵のため息を着く。宮島が後ずさりして鏡にもたれたその時だった。
鏡の中から細い腕が伸び、宮島の口元を塞いで鏡の中に引きずり込もうとしたのである。腕はそれほど強いわけではなく、宮島を引っ張っては引っ張られるのを繰り返す。私たちは宮島を引き戻そうと強引に引っ張った。腕を掴んで引き剥がそうとするが、不思議なことに腕を掴むことができない。鏡に引き込もうとする腕は相当な力を込めたが、我々の力に諦めたのか、唐突に手を離した。
「ぅわぁ!」
宮島がバランスを崩し、3人で尻餅をつく。手はすでに鏡の中に消えていた。
「……よかったぁ……。」
息を切らせた私と宮島が立ち上がる。常花は一足先に立ち上がっており、周囲を見回していた。
「妙に外装が綺麗だな……?」
私も周囲を見回した。確かに装飾や鏡の位置は同じだが、何かがおかしい。
「作戦成功!おーい、せんせー」
実に威勢のいい子供の声が聞こえ、向かいの扉に目を凝らす。その影は少しずつ鮮明になった。
「ほらほら引っ張らないで……。あぁ、これはこれは。集団自殺ですか、珍しい」
群青のローブを見にまとった、猫背の骸骨ーちょうど死神のようなーを、少年少女が引っ張ってくる。彼らは引率の先生に宝物を自慢するような無邪気さで、私たちを指差した。
「じ、自殺!?いや、違いますごめんなさい許してください!」
こういった逆境に極端に弱い宮島は、涙ぐみながら縮れた頭髪を何度も彼らに向けた。死神はキョトンとして、私たちの顔を見定める。
「……あぁ、廃墟探訪か何かでしたか。ほら、君たち、誰でも呼びつけてはいけないといったでしょう」
「だってそのお兄ちゃん死にそうな顔してたもん!」
少女が宮島を指差す。確かに、と思ってしまい、ちょっと笑ってしまった。死神は丁寧に頭を下げて、穏やかな口調で言う。
「この子たちが大変失礼いたしました。無邪気で可愛い子たちなのですが、どうも、やんちゃが過ぎまして……。あ、自殺志願者出ないならばここに長居される必要もありませんよね?どうぞ、鏡の向こう側に渡れば元の世界に戻れますからね」
子供達はさっさと大広間に散らばって各々好きな遊びを始めた。動き回るのが好きな者、鏡の破片でパズルを楽しむ者など、実に様々で微笑ましかった。そして私は、これこそが入れ替わりの真相であると、直感したのである。
「待ってください。せっかくこの場所へ来たのですから、少し見て回ってはいけませんか?」
死神は少し意味を理解しかねたようだが、すぐに笑顔を見せてくれた。
「どうぞ、ご案内いたしましょう」




