【第三回・文章×絵企画】おやすみ、宇宙人
牧田紗矢乃さま主催【第三回・文章×絵企画】参加作品です。陽一様(http://10819.mitemin.net/)のイラスト『【第三回・文章×絵企画】2』に文章をつけさせていただきました。
わたしはいわゆるオタサーの姫というもので超常現象研究会という、部室でゲームをするのが主な活動内容の人数が解散ギリギリのサークルに所属にしています。唯一の女子です。大学生たるもの恋に遊びにうつつを抜かすのも本分の一部ではありますがわたしはちやほやされたかったので、ちやほやしてもらえるオタサーで心地の良いフカフカのちやほやに浸って「自分はそんなに劣悪物件ではない」と自己暗示をかけています。結局のところわたしも恋に遊びにうつつを抜かしたくて大学生のうちにやっておかなきゃいけない、焦燥感に追われているところもあるのです。それはセックスです。14歳の時の初恋とそのあまりよいとは言えない顛末が現在も最新の恋の記憶ですが、それ過去のものにできるようなメガトン級の身を焦がすような情熱的で狂おしい恋がしたいと思っていたのは17歳の時まででした。18歳になって大学生になったら、他人からの評価の目はイマイチでもわたしにとっては彼が一番だとピッタリくるような男性と出会って、多少は不純でも、バイトも講義もない夏休みのある一日は、冷房もまともに効かない部屋で自分たちの情事の声や音をごまかすように高校野球をテレビかラジオで流しながらひたすら互いの体を求めあうような、そんなアナーキーで大人には許されない大学生故の愚行をすることが、最も期待したことでした。
初体験の相手を見つけたいのです。その相手が楽に見つかるかもしれないとオタサーに籍を置いてみましたが初体験という言葉の重みとまだ18歳の処女はそこそこに尊重される大事なものだと温存しているうちにオタサーの面々には申し訳ないですがわたしの初体験は渡せないという結論に至りました。
わたしの夢ははかなくも潰えました。わたしは特別美人でもなければ特別醜悪、ブサイクでもなくオタサーでちやほやされる程度にはよいです。中の上か上の下ではあるだろうけど、大学という大きな社会には上の中や上の上もいて、よくて上の下では、よほど人間性に美しさがなければ上の中や上の上の補欠にしかなりません。卑屈になるわけでも自信過剰になるわけでもなく十人並の容姿で共学の高校を出て一度も恋人が、いや、好きな人、気になる人すらできなかったのは、中学時代の初恋のインパクトがあまりにも大きかったせいでしょう。14歳と遅めの初恋を経験したわたしはどこへ行ってもどの男性を見ても結局彼と見比べてしまう悪癖がついて回るようになっていました。そして初恋の人が忘れられないだけで、自分は決してモテない訳ではないのだと思うことにしました。ある種呪いにも似た初恋で高校時代を棒に振ったわたしは大学受験を控えいよいよ未だ健在である純潔に焦りを感じ始めました。そして大学に入りそして多少は妥協しようと女子が一人もいないサークル「超常現象研究会」に入ったのです。知人や年の近い親戚がどんどんと大人の階段を駆け上がる中、オタサーの姫で良いからとりあえずは純潔に別れを告げたかったのです。「超常現象研究会」のメンツは集まれば悪い人たちではなく、むしろ共に過ごす時間は愉快でもあったし、個々でも面白くて愛着すらわくほどでした。そして彼らはわたしの望むとおりに、わたしを姫としてサークルの宝と扱ってくれたし、「超常現象研究会」で過ごした日々はとても充実していて自分の女性としての魅力は決して特別低いものではないと自尊心と自信を満たすには十分でした。しかし自分がもったいなかった。活動内容にもさして不満はありませんでした。しかし彼らはわたしを求めてくるほど積極的ではなく、わたしが求めるほど魅力的でもありませんでした。だからこそ、わたしはただチヤホヤされるだけでいい存在で、なおかつ彼らと良好な関係でいられました。
しかし衣替えの頃、衣替えをした自分の普段の服装のあまりにも冴えなさと「超常現象研究会」ウケのための服装の迷いから何かの糸がふと切れてしまいました。
大学の帰りにビレッジヴァンガードに寄り道をして恋愛小説の棚を眺めながら、妥協をするか、それとも誰も初恋のあの人の思い出を不滅としてそれに殉ずるかの二択を迫られた、わたしはそもそも「恋人」という概念は本当に実在するのかと妙なことを考えるようになりました。分相応な人でも何かが違い、全てが悪くない人でも何かが違い、運命の人でなければ恋愛は成立しない。そして運命の人と出会ったうえで更にその人物と両想いでなければならない。その天文学的な確率に思案を巡らせると妥協なき混じりっ気なしの本当の恋の存在そのものに懐疑的になってしまったのです。所謂末期です。
コンビニに寄り、到底酔えないほどの甘いサワーを飲みながら帰りの自転車で恋愛など存在しないという新説に心をいぶされ、最早所属する意味がなくなってしまったサークルをどうやってやめようか考えながら「超常現象研究会」で聞いたUFOを呼び出す呪文をなんとなしに唱えていていました。
2年生になりました。わたしは依然「初体験の相手を見つける」という最終目標は持ったままですがそれはあんなこといいなできたらいいなです。最近理解したことはわたしは物理的純潔を捨てたいのではないということでした。春休みに時間を持て余したわたしは一人で上野に花見に行き、動物園にも行きました。友人がいない訳ではありません。「超常現象研究会」の面々も良い友人です。でも友達はその情緒を伝えたり、共に花見に行くような仲ではなく、大学や喫煙所で下世話な話をしたり愚痴を言ったりする仲で、彼らとの話題にセンチメンタルやロマンスは必要なく、そういうものをわたしは友人に求めていません。咲く桜の美しさや、せわしなく動き回る、あるいは微動だにしない動物を見て趣があるねと、この感情をたった二人で同期できる仲ではないのです。どんなにつまらない場所でもいいから一緒にどこかへでかけ、感動を共にしてくれる異性ではないのです。そこに性欲もセンチメンタルもロマンスもなくていい。ただ共感してくれる異性、自分が愛し、自分を愛してくれる人。それも、安心して。わたしのことを十分理解してくれる内面のよい人でも、見た目が悪ければやっぱり人の目が気になるし、見た目がよすぎて気も遣えるような王子様だと、いつどこの誰に取られるかわからないので気を惹かねばと息をつく間もありませんので、例えるなら付き合い始めて2年の、お互いに気を使わないいたって普通の彼氏がほしい。誰かが狙うような美貌も持っている訳でもなくて、でもわたしのことも理解していて、これを言ったら彼の機嫌を損ねるのでは、と手さぐりで気の抜けない時間を過ごすのではなく、そういう期間を乗り越えて安定期に入った許容し合える2年目の彼氏。セックスするかは二の次で、まずは安定した愛と環境があるか。それから、もしわたしが先に彼よりも死んだら泣いてくれるか。
そんな関係や感情やシチュエーションがあれは必然的に物理的純潔も失われているでしょう。でも、そんな理想の男性や理想の関係は実在するのでしょうか。少なくとも中の上もしくは上の下のわたしでは、発見の難易度はとても高いものでしょう。上の上とは選択肢の数が違います。わたしではダメだった時の次、がない可能性が高いです。最初は体目的でも、後々馬が合ってわたしの思い描くような関係になることもあるかもしれないでしょうがでもそれは上の上に限った話で、体が目的ならばわたしは妥協された段階でしか求められないでしょうし、そんな妥協で選ぶような相手に神聖な初体験はさすがにわたしにも拒否権があるでしょう。
しかしわたしに生じた変化はこれだけではありませんでした。候補の存在です。
「神奈川で女子高生にプロレス技をかけてもらえる店が摘発されたそうですよ」
「かけるんじゃなくて?」
「客が食らう側です」
「SMの一種でしょうか」
「いや、フツウにプロレス技はエロ技多いだろ」
「ロメロとかキン肉バスターとか普通に精神ダメージ多い晒し技ですからね」
「でもその店は客が食らう側なんだろ?」
「そんな店に行くようなのは男でしょうから」
「当たり前だバカかお前。同性愛でプロレスフェチとか設定盛りすぎだ」
「男にロメロやキンバス行ける女子高生はいないですから食らう側でしょうね」
「一番人気の技とかわかるのか?」
「いや、ここはゆきくんにあてさせよう」
「男色ドライバーか男色ナイトメアがあればそれなんでしょうけどねぇ。メジャーどころだとクロスアームブリカーかSTFみたいなグラウンドで使う関節でしょう」
「あ、三角締めだってよ」
「三角締め! そいつがあったか!」
「女子高生にかけてもいい店だったらどうする?」
「アルゼンチンチンバックブリカーでしょうね。ロビンマスクのタワーブリッジです。あれなら掴むポイント次第で胸と股間の一石二鳥」
「でもいくら考えたところでプラチナ童貞のお前はシミュレーションだけだろうな」
「ゆきくんには妹と弟がいるから幼少期のトラウマで男女のプロレスが怖いんだろうね。そういう理由があるだけだから」
「さすがよくわかってますねぇ~先生。学部長の椅子はすぐそこですよ」
「いや、学部長になっても僕は何もおいしくないよ」
喫煙所は学内に三か所ありますがコンピューター室や各種研究室が主を占めるこの棟の脇にあるこの喫煙所を大学院生のほとんどがここを使います。日中は学部生も多く見られますが日が暮れる時間帯となるとぞろぞろと院生たちがやってきて計器と数値でギチギチに凝った頭と心と体を癒すために二つの意味で目を覆いたくなるような量のタバコを吸います。大学院生は卒業してもなお大学に残るような人たちなのでベテラン学生と呼ぶにふさわしい風貌をしておりみなさんファッションにブレがなく堂に入っており学内に天敵もなく、1~2年生の大学生にありがちな浮ついた足取りもなく、3~4年の権力を手にして醜く驕った年長者にもなりません。あくまで彼らは学の追求のために学校に来ているのです。
ケイさんと呼ばれる院生はいつもダボッとしたパーカーに黒縁メガネと無精ヒゲ、口が悪くて少し太っていてさながらラッパーです。銘柄はラッキーストライクです。
シムさんは革ジャンやバンドTシャツやダメージジーンズを着こむ洋楽マニアですが飴細工の様な繊細な心と顔つきをしておりたびたび研究に行き詰まっては病んで籠るそうです。後に、「超常現象研究会」を設立したのは学部生時代のシムさんだということが明らかになりました。喫煙所にいられる理由になるのでサークルを辞めなくてよかったです。銘柄はメビウスです。
フクさんは黒髪ショートに切れ長の目でまつ毛の長い美人さんですが所謂現在の女優やアイドルではなく昭和の大女優の若い頃の様な大人っぽい色気漂う美人さん世が世なら東宝ニューフェイスでしょうです。全身雪の様に真っ白な服で現れたこともあります。滅多にしゃべらず「オトコってバカね」と大人な笑みで話を聞いています。発言はしなくともそこにいるということは彼女もここが好きなようです。銘柄はアメリカンスピリットです。
この3人はティーチングアシスタントとしていくつかの授業でお会いしたことがあります。そして3人とも院生のため三人三様の独特ファッションはやはり迷いがなく学部生のような珍プレーではない彼らの完成ファッションです。
先生は学部の先生でイケメン独身貴族ですがオン/オフの切り替えがハッキリしており、荒れる授業では授業中に教室でモンスターハンターのローカル通信を立ち上げたらハンターが10人もいるような学校ですが、先生の授業では先生が序盤に「私語する子は外行ってね」と言うと水を打ったように静まり返ります。オフの先生は学生の延長線上の様な無邪気なお方です。銘柄はメビウスです。
ゆきさんは学部生ですが先生のゼミ生で先生のお気に入りということでいつもここにいます。細いアンダーリムのフレームのメガネをかけており童貞を公言し「プラチナ童貞」「働かざることこと山の如し」「実家は金持ち」「先生への媚び」で話題の起点を作ります。映画と漫画と深夜バラエティと散歩と野球とプロレスをこよなく愛しています。寝坊とさぼり癖で成績も低空飛行らしく将来が危ぶまれていますが、先生からのお気に入りの理由は先生と同じく『北斗の拳』愛好家でゼミの時は優等生だからだそうです。高齢童貞でもう諦めてしまっているようで急いだり女子攻略のために思案を巡らせることはないようです。タバコの銘柄はメビウスプレミアムメンソール。いろいろとヤバいので焦らなきゃいけないはずなのに常にリラックスしている姿にざわつきます。
イッコクさんはゆきさんの親友ですが非喫煙者です。バイトに恋愛に忙しいレアキャラです。
ケイさん、シムさん、フクさん、先生、ゆきさん、イッコクさんが揃う月火水の18時以降の研前喫煙所では会話のラリーが途切れることがなく彼らは学校を「執行猶予」と呼びます。話題は他愛のないものです。所謂内輪ネタで当然お笑い番組のひな壇トークには及びませんが彼らの談笑は長い日は夜の9時ごろまで続きます。月火水は酷暑だろうと豪雨だろうと極寒だろうと必ず会話は始まります。タバコも吸わないわたしがいつもここに来てしまうのはわたしが彼らの、主にゆきさんをいつまでも見ていたく声を聞いていたいからです。もしわたしがここで初体験を強行するのなら、わたしの初体験の相手候補その1です。しかしゆきさんと話したいのに彼らの会話にわたしが割って入ることはありません。彼らの会話のラリーはラリーというよりも中学校の体育の授業でサッカー部が非サッカー部を弄ぶためにやっていた鳥籠に近く、割って入るのは至難の業です。ただし2年生になり先生のゼミ生となったわたしは時折、先生やゆきさんから話を振ってもらえることがありますが面白いことは言えません。
高校時代にオープンキャンパスでゆきさんを見たときは何も思いませんでしたが、後で一緒にオープンキャンパスに行った友達が「あの人変なメガネだったね」と言っていたのを思い出し、喫煙所で再会したゆきさんのことばかり考えるようになってしまいました。そしてゆきさんと同じ先生のゼミに入り、ゆきさん直属の後輩になったのですが、わたしの喫煙所における肩書は「先生のお供」「シムラが昔作ったヘンなサークルの会員」です。ゆきさんの目にわたしが入ることはほとんどありません。それどころかわたしはゆきさんの本名すら知らないのです。ひろゆきなのかたかゆきなのかまさゆきなのかゆきおなのかもしらず、行なのか之なのか幸なのかも知りません。きっとゆきさんはこのまま、わたしの初恋の人以下だけど少し気になる人として思い出になっていくのでしょう。それでも普段はてんでダメな話しかしないゆきさんと先生が、昼休みごろに二人で喫煙所で「質的調査」「量的調査」「統計学」「参与観察」「先行研究」等まだわたしの知らない言葉で一切の笑顔を見せず真剣に言葉を交わしているのを見たり、先生がわたしのことを「なえちゃん」と呼ぶのを、わたしのフルネームを知らないゆきさんが真似て「なえちゃん」と呼んでくれたりするとざわつきます。
しかしわたしには一度限り、絶対に主役になれる経験があります。それはかつて宇宙人に拉致されたことがあり、未だにその宇宙人と交流がある、ということです。
ゴールデンウィークを間近に控えたある日、それをくわえたわたしは歯を立てないことと強く吸いすぎないことを気を付けました。緊張と一種の恐怖で胸が早鐘を打ちましたが一大決心し、家の外でライターのトリガーを引きました。その瞬間、目の前が何も見えないほどのまばゆい光に包まれました。しかし不思議と目に刺激は感じませんでした。何故か思い出したのは、心が荒んでふとUFOを呼び出す呪文を唱えてからちょうど1年経った頃だ、ということでした。
気が付くとわたしは大学の近くの草むらに仰向けに倒れていました。都心から少し離れたこの場所はとても星がきれいなのですが、上を向いて星を見るのではなく、仰向けに寝て星を観るのは初めてでした。5月の郊外はいつも以上に肌寒く感じましたが、その理由はすぐにわかりました。わたしを中心に草が外向きになぎ倒され、幾何学的な模様を描いていたため夜風の遮蔽物がなかったのです。ただ家族の目を盗んで、はじめてタバコを吸ってみようと思っていただけのわたしにはとても寒かったのです。そして目が慣れてくるにつれてわたしの様子をうかがう若い男性の姿が見えてきました。
「……誰? 何をしたの!?」
「待て、警察を呼ぶな。触れていない。触れてはいない」
「じゃあ何をしたの」
「その……拉致だ。だが警察を呼ぶなというのは僕のためでもあるが君のためでもあるぞ。なぜなら僕が今から君に何をしたか全部話すからだ。それをそのまま警察に訴えれば君も精神の不安定で入院の上に未成年の喫煙は……未遂か、どっちにせよこの場で話をつけよう。僕は君たちの言葉で言うところの宇宙人だ」
「……宇宙人?」
「1年ほど前に調査に応募しただろう。えー、僕はいずみだ。ここで見たこと聞いたことのすべてを口外してはなりません。また、君の個人情報は本調査以外で使用することは決してない。また、本調査に協力する場合、毎日その日の出来事を報告する義務が生じるが拒否することもできる」
「拉致をしといてッ……触れてないとかッ」
しかし着衣は乱れていませんでした。
「それは僕が紳士だからだ。だが、コイツはダメだ。被験体としてではなく一人の女性の健康とスレを案じる個人的な感情だがね」
宇宙人はわたしの買ったばかりのメビウスプレミアムメンソールをポイと暗闇の草むらに投げ捨ててしまいました。
それが宇宙人いずみとのその出会いでした。
初めての喫煙(未遂)で妙なトリップをして見た幻覚の得体の知れない自称宇宙人でしたが、帰りの交通費をきちんと円でくれた上に、スマホにはきちんと連絡先が「いずみ」と登録されており、遭遇時の約束「その日の出来事を報告」はこちらがいずみに電話をかけないと向こうからかかってくるようになりました。しかしその物腰は紳士を標榜しながらもまだ幼さが残り少し可愛らしいと感じるのです。
しかし宇宙人に拉致されたことがあり未だに毎晩電話をしているとなればこれはゆきさんも食いつく話題となるでしょう。もしかしたらクールなマドンナ、フクさんまでも食い気味にわたしに詳細を迫るかもしれません。しかしそれはいずみとの契約違反となりいずみとの関係は悪化するか消滅するでしょう。ゆきさんか、いずみか。そして今日も「先生のお供」として喫煙所に行き、タバコも吸えず、いずみの話をするか迷い、矢のように過ぎる楽しい会話を傍聴を終え帰路に就くのです。
「もしもし、わたしです」
「はいこちら僕」
「そっちはどう?」
「これがなかなかどうもよくないんだな。アンドユー?」
「これがなかなかどうもよくないんだな」
とわたしはいずみの口調を真似る。そのわたしの口調がくすぐったかのか電話越しに彼のへへと気の抜けた吐息が伝わってきて、彼が電話を持ちながら微笑んでいるのが容易に想像できました。
「全く困ったもんだよ。人がいればそこはやっぱり世界だ」
「同意見だ。結局、世界はどこへ行っても世界なんだよ。果てなんてない。人間でいる限り」
「でもフロンティアスピリットこそが人間の性でもある訳よ」
「せいぜい頑張ってくれたまえ」
「ねぇいずみ。見つかんないね、愛の実像は」
「愛の実像とは君たち地球人が結局たどり着けないアキレスの亀でもある真理の一つであるんじゃないのか」
「わたしごときが真理に到達するのは無理っての?」
「道なき道の先を切り開くフロンティアスピリットが人間の性ではないのかね? というか、その真理に到達した時、人々は愛への関心を失ってしまうのではないだろうか」
「フロンティアスピリットってのは勇敢なカウボーイのスローガンで平和な日本に暮らす女子大生なんていう取り立ててなにもない存在とは実は無縁なのよ。同じ人間だけど」
「でも君は現在も何かを探している」
「それは地球の大学生が誰しもが通る自分探しってもので、それは独学で身に着ける必須科目なのよ。フロンティアスピリットは人類のため。自分探しは自分のため」
「君が教養を身に着ける向上心を持っているのならば僕はそれを応援しよう。人間は理解出来やしないことも理屈で知りたがる」
「何?」
「理解できないから何故何故と理解のための理屈を他人に求めまくった幼少期のエジソンは教師に君の脳ミソは腐っていると学校を追い出された。凡人はまずは理解できないことを理解するのを諦めることでスタートラインに立つ」
「ヘンなこと知ってるね。先生だって相手がゆきさんでもそんなこと言わないよ」
「エジソンは偉い人だからな。凡人は理解を諦めてそこで身の丈に合った人生を送るが天才は諦めない。天才までとは言わないが、周りより少し賢い人間はまた何度か理解できないことを理解することに挑む。君は見つかりそうか? 自分も、そして愛も」
「まだ見つかんないや」
「健闘を祈る。そういえば今日は僕にもあることが起きたので、ぜひ聞いてほしい」
「いいよ」
と、あくび混じりに返事をしてその後少しの間たわいもない会話を交わし、わたしは足元に転がっていた紙風船を少し蹴り、足首で挟んだ。
「良い時間だな。おやすみ」
「うん、おやすみ」
おやすみ、宇宙人。
夏になって毎年恒例だという2年ゼミの調査実習というものが行われることになり城東部は暇だったゆきさんが引率し、神奈川との県境を先生が引率で、夕方合流して水上バスに乗ってから打ち上げ、というスケジュールだったので城東の調査に行きましたがゆきさんと二人で話すことはありませんでした。先生と合流してからは、秋には他校との合同ゼミと学祭があり研究でヘコんだシムさんは他にヒマそうな人がいないので今年は「超常現象研究会」の白玉団子売りの店番(モンハンながら店番も可)はゆきさんに頼むこと、冬には先生(秋田出身)とゆきさん(新潟出身)とシムさん(山形出身)が日帰りスキー同行者募集中だそうなので日帰りスキーには滑り込みたいところ。ゲレンデ3割増しです。その日他に得た情報はそろそろゆきさんの誕生日だということ、先生は統計学を用いた量的調査派ですがゆきさんは先生を裏切りインタビューを用いる質的調査で卒論を書き始めたので近々質的調査の欠陥を叩き込むために映画『羅生門』を観続ける罰を与えられること、質的調査にはテオリアという何かが必要だということ、『北斗の拳』で一番死んでほしくなかったのはシュウであること、ぽっちゃり系などという逃げの言葉があるが黒船襲来の際は力士が強さの象徴になったぐらいなのでぽっちゃりに癒しはないこと、ゆきさんがモテないのは屈強な宮大工が組んだように頑強に組まれた非モテの宮殿のせいだということです。先生とゆきさんはいつもと変わらぬおしゃべりでわたしを笑わせてくれましたが、わたしがほしいのはそういう「ご自由にお取りください」の笑いではなくゆきさんがわたしのために用意してくれた楽しいお話なのです。やはりゆきさんと一対一で話すことはありませんでした。凄腕の宮大工が組んだように頑強に組まれているのは先生とゆきさんの会話です。
何もなく一夜明け、分母の多さ故に軽くなった反省をしながらぐうたれます。さまざまなセミの声、風が撫ぜた風鈴の音。時折騒ぎ出すテレビは高校野球を映し出しているがもうどことどこが何点差で争っているのかもわかりません。ひたすらに暑く、けだるく、扇風機の前で昨日も何もできなかったとモヤモヤしていたら具合が悪くなってきました。さっきまでわたしの膝の上でのんきに眠っていた猫はわたしの体温に耐えかねて逃げていきました。停滞しきった夏のパーソナルスペースに嚆矢のようにチャイムが鳴ったので、短パンにTシャツで化粧も髪も整えないでシャチハタを持って玄関に向かうと、わたしと違ってその酷暑の中で肉体労働をしてシャツに汗をにじませたお兄さんが平べったい箱を持って笑顔で立っていた。
「望月鼎さんですね。ハンコかサインを」
「じゃ、ハンコで」
角度に気を付けて捺印し、配達員に背を向けて、自分あてに何かを送った誰かの名前を目でなぞるといずみの名前と住所とお中元とありました。
要冷蔵とあったので開封しないまま冷蔵庫に押し込み、縁側に戻って反省しようと通りかかったテレビの前で、炎天下の下汗を迸らせながら花火のように踊るチアガールが見えました。そしてグラウンドで額の汗を袖で拭う球児。きっとこの試合に出ている何人かと、チアガールの何人かは恋人同士なのでしょう。この試合に勝とうが負けようが、きっとこの中にいる球児とチアガールのカップルは、負ければ慰め、勝てば祝勝でめちゃくちゃセックスするでしょう。
一心不乱に応援し、健康的な汗を流すチアガールを見て、わたしは財布とスマホだけをポケットに突っこんで、弟が引越センターのバイトで稼いだ原付に跨りました。
「もしもし、わたしです」
「いずみだ。お中元は喜んでもらえたかな?」
「開けてない」
「それは残念だ。やたらと声が疲れているな」
「弟の原付パクった」
「なぜそのようなことを」
「チアガールを見てね、こりゃあ敵わんと思ったら、自分の最も求めていることは自分の心を癒せる空間を、異性にあてはめることだと理解し、そのためにはまず己を知るべきだと思いたち、質的観察を以って調べることにした。テオリアが、テオリアが必要で……」
「疲れているんだね」
「恋も愛も形は一つじゃない。じゃあわたしに適合した恋や愛はなんなのか。それ解明するためにはまず己を知らなきゃいけないんだよ。だから、一方通行でただ憧れるだけのあの人はやっぱり違うのかなぁ」
「僕の知ることではない」
「そう、だからわたしも混乱してるんだ。じゃあ、ねぇ。違う話するよ。いずみ、今日はね、こんなことがあったんだ」
おやすみ、宇宙人。
寝るスペースしかないような安宿で一人、落着けないまま眠りにつきました。そしてコンビニで五目の鶏おにぎりとペットボトルのお茶を胃袋に放り込んで空腹に邪魔されることを牽制。
いずみの住まいは静岡県の大きな町の小さなマンションでした。チャイムを鳴らし、名乗らずに眼前の齧歯目類の瞳のよう漆黒の球体を見つめて来客がわたしだと無言でいずみに伝えると、玄関のオートロックが開きました。決して歓迎をしているようではなかったけれど。いずみの住んでいる部屋の前に立ち、チャイムを鳴らすとセミが息継ぎをするほどの間の後いずみがドアを開けました。SFで馴染みのある機材やディスプレイはなく、ソファやテレビと言ったただの生活空間でした。誰も招き入れたことがないであろうその家具たちもやはり、わたしを歓迎してくれているようではありませんでした。いずみはわたしをソファに座らせ、キッチンで「紅茶緑茶それとも麦茶か」と鬱陶しそうな声で言った。ソファから覗けるいずみの背中からもわたしの急な訪問が彼にとって不都合だったことを理解するには十分でした。炎天下と照り返しで体中がほてっていたわたしは「麦茶」と答え、いずみは紅茶と緑茶を淹れるために沸かしていたやかんを止め、冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを引っ張り出して、食器棚から小さな不揃いのグラスを出しお盆に乗せました。そのことからも彼の部屋は来客を想定されていないようでした。空調のよく効いた部屋で、服にじんだ汗がどんどん体温を奪っていくのを体で感じます。「原付でここまで?」と言う彼の問いに「そう」と答えるといずみは困ったようにため息をつきました。「わざわざそこまでして何用で?」。わたしが直接、唐突にいずみを訪れたのは重要な用事があったからです。冷房で奪われたはずの体温が再び熱を帯びます。わたしがいずみに言いたいことはただ一つだった。「単刀直入に言うと恋人がほしいからどうにかしてほしいの」。いずみはひどく困った顔をして、麦茶を口に含むことすぐに答えることから逃れました。自分を拉致した宇宙人に恋愛相談なんて荒唐無稽に決まっている。しかし、生涯を全うできるとすれば、この先に広がる茫漠とした時間の中で一度や二度の失恋があったっていい、とはもう思えません。初恋の呪縛は、ただ初めての失恋だからより大きな痛手になってしまっただけでこれは例外であると思い込むことはできません。重要なのは19年連続色恋沙汰0ということです。YESかNOかの問いにいずみは「なぜ?」と劣等生の回答に根拠を求める教師のような表情でわたしの顔に真っ向から向き合いました。なぜ、なぜなのか。いずみの言葉は尤もです。しかしわたしが最も求める気遣いがいらず、取るに足らない今日の出来事を聞いて、それをつまらないと一刀両断したりオチを求めるのではなく、わたしの話を聞いてくれる存在。いずみでもよいと思ったのです。見た目も悪くないし、この数ヶ月、一日で最も楽しみにしていたことは眠りにつく前にかけるいずみへの電話だったことにあの律儀なお中元で気づいたのです。わたしのどうでもいい日常にちゃんと向き合ったレスポンスをくれて、そんな生活を毎日続けても関係にひずみも生じない。わたしの追求する異性は意外と身近にいたのです。
「セックスなんてしないでいいし、今まで通りの会えないんだけど毎晩電話をするだけの生活でいいから、わたしのことを考えるときにもっとわたし情を挟んでもっとわたしのその日の報告でわたしが良い思いをしたときによかったねと少しでも思ってほしい。わたしに良かったことが起こった日、それを聞いたいずみが喜べる関係になりたい」
要求を受けたいずみはまた麦茶を飲んですぐに返事を出さず、「昨日の電話の時」と置いたグラスには、彼の手に触れなかった部分に結露が浮かび、それが垂れてコースターに染みを作っていました。そしてわたしは彼がこれから連ねるいくつかの言葉の冒頭に過ぎない短い言葉から、わたしからの持ちかけに肯定的でないことがもうわかってしまいました。彼は「君が精神的にも肉体的にも疲れていたのはわかる。しかし、地球でもどこでも理屈っぽい女というものはあまり好かれたもんじゃない」と明言を避けながらも断りました。それでもわたしはそれほど激しい落胆しませんでした。ダメ元だったことも、疲れていたこともあっただろうし、初恋で失恋に免疫ができたこともあったのだろう。そもそも今回の失恋は便宜上であり、わたしがいずみに求めたことはわたしはあなたが好きだと伝えたかったことだけであって、いずみが拒否をしたらそれまでの生活がただ続いていくだけで、受け入れてくれたら幸運だった程度のものです。そうして拒否された現実の事後処理を進めながら麦茶をすすっているといずみは「それでも僕は君に関心を持っているよ」とにっこりとほほ笑みました。それが落胆しているように見えるわたしへの励ましだったのか、それとも本心だったのか、その真意はわかりません。なぜならわたしたちは毎日電話をかけあう仲でありながら実際に会ったのはこれがまだ二度目で、わたしは彼がどのように表情を使うのかまだ知らない。彼は続けました。「理屈っぽいのはやはり君が昨日言った通りに自分のこともわからないからだ。その答えを手にしたとき、きっと君は僕にとってインテレスティングを超えた存在になってくれる。僕はそうなる日を一日を早く待っている」よと。不意の転がり込んだいずみからの肯定的な言葉に心が躍りました。
「うん。だから、早く見つけてくれよ、自分自身を」
「あぁ、あれは疲れてて、チアガール見て自暴自棄から言っちゃっただけで、本当は言葉の半分もわかってないんだよ」
「そんなことはわかっていたさ。君がただただ何かにものすごく悩んでいたのは」
「うん、何もかもがごちゃごちゃだった。でも、開き直れたことで今日こうやっていずみに言えた」
「ケガの功名で、君のこじらせた人間関係と欲求と疎外感に光明が差したんだね。さてと、君はこれからどうやって自分とはなんなのかの答えを出すつもりなんだい? 本当は、僕ではない人が好きなんだろう? なら僕はその次でいいさ」
「……うん」
さすが宇宙の調査員です。
「弟の原付を盗んじゃったし、大学生らしく自分探しの旅でもしてみるよ。ひたすら原付に跨って、何者の干渉も受けずに自分と向き合う」
「長い旅になるかもしれないな。今日は泊っていくといい。僕はソファで眠る」
「いいの?」
「客人がベッドと相場が決まっている。話してくれよ、君のことや、君が好きな人のことを」
「そうだね。わたしが好きな人は、面白い話し方をする人だよ」
「たまに話に出てくる先輩か。僕は好きではない。その人の言葉は余所行きの言葉だ。生身ではない。陽気な化けの皮は不気味なだけだ」
「聞いといてそれ?」
「察しが悪いな。嫉妬しているんだよ」
「……ねぇ、いずみ。そうしたいってわけじゃないけど、地球人と宇宙人ってセックスできるの?」
「僕たちは君たちと違う星に住む同じホモサピエンスだ。可能だろう。だがその気はない」
「どうなのか気になっただけ」
「好奇心を持つことは良いことだが、まずは己を知ることが急務ではないのかね?」
「好奇心が強いこともわたしだってことよ」
「そうか。一歩進んだな」
「それにゆきさんも言ってたよ。メガネは雑に拭くとダメになるって」
「どういう意味だ?」
「雑に拭くとレンズに細かい傷が残ったりフレームが歪んだりするから大切なことは丁寧にやれって」
「僕はやはりその男が嫌いだな。癇に障る。じゃあ、今日は早く寝て明日からの長い旅路の英気を養うといい」
「そうだね。ありがとう。外でタバコを吸ってくるよ」
「体をいとえよ、鼎」
「何?」
「『北斗の拳』さ。本棚に揃ってる。読むだろう?」
おやすみ、宇宙人。