10話 『この小説に井上ワープは使いません』
見渡す限りのターコイズブルーの壁が張り巡らされ、白濁色のタイルが敷き詰められた空間の中で、浮き出て目立つ漆黒色が一人。マスクド・シャイニングが殺風景な空間の中で直立不動で存在していた。
強化外骨格に搭載された内部通信が脳内に直接伝わっていく。
「準備はいいかい?」
「まだと言っても待ってくれないんでしょう?」
通信相手の男声が、笑いながら正解、と答える。その数秒後に、紅白の二色の的を持ったスパイシアが四方八方、突撃するタイミングをずらしながらマスクド・シャイニングに襲いかかってきた。
まずは北方の目標を一発の右ストレートで決める。次に西方の攻撃をいなし、肘鉄砲を打ち込ませて吹き飛ばす。東方からの奇襲は高く跳躍しながら、跳び上段蹴りを右耳に蹴り込む。
そして最後の南方はかなり硬く、ちょっとやそっとでは倒した事にならないのだ。マスクドシャイニングは振り上げてきた敵の腕より速く懐に入り込み、右脚を軸にして左脚の連続キックをお見舞いする。怯んだ隙に一回転しながら強烈な右回し蹴りを一発。転がりながら、どんどんと吹き飛ばされ、再起不能に。
ピリピリと張り詰めた空気を抜く様に、マスクド・シャイニングは大きく息を吐いて地面に座り込んだ。乾いた拍手と共に、壁と床に張り巡らされた色彩が徐々に抜け、一気に寂しく地味な灰色の空間へと成り下がる。
そのシチュエーションと共に参上してきた、オシャレな眼鏡に整えられた茶髪にパリッとしているさり気ないチェック柄の黒スーツに純白の白衣を着こなす気障らしい男が登場する。外見的な年齢は二十代半ば位と若い。けれど、実年齢は三十後半と四十路手前で、肩が上がらない事に悩んでいる程に歳食っているらしい。
「素ン晴らしい。どんどんと戦闘技術が上がって来ているじゃないか。これじゃあスパイシアも一か月足らずで殲滅なんじゃないのかなぁ?」
褒め過ぎですよ。マスクド・シャイニングは、仮面越しでも丸分かりな動きで照れ隠しをして謙遜をする。そんな彼を面白がってなのか、本気なのかは定かでは無いが、からかう様に褒めて褒めて褒めちぎっていく。
「全く、最近の高校生と言うのは謙虚だねぇ。慢心しないのは感心するけど、自信無くして戦闘の勝利は有り得ないよ?」
さて。と男が延々と鳴らしていた拍手を止め、一息吐いて今日の戦闘記録を壁のモニターに映像として再生し始めた。顎に手を置き、考え始める。別タイプのスパイシアの事では無く、この訳も分からずに現れてくる魔法少女に関して、である。
「所で、君はこのカスタイドなんちゃらって子に協力したんだが――。……コイツは敵か? 我々とは別でスパイシアを倒している様だが――。君を攻撃してきた例もある」
さっきまでの微笑ましい表情が一変。目付きが鋭くなり、声のトーンも低くなり、威圧感を出す。雑魚クラスのスパイシアは勿論、人間なら瞬殺出来るスーツを着ていても、この男のこの時だけは、蛇に睨まれた蛙になってしまう。
「コイツは敵じゃない!! 俺達の味方です!! 意思疎通も取れたし、連携も取れた!! 何より分かり合えるんです!!」
「……ふふふ、冗談だよ。敵じゃないのは僕も分かっている。敵の敵は大体味方だ、ってね。必死になってた様だけど、もしかして気になるのかな? まぁ、君もスーツを脱いだら高校生だし分からなくもないな。データを見る限り、可愛い顔をしているじゃないか」
違いますって!! 陽輔はさっきまでの圧迫から解放され一気に脱力させ、男のからかいに冗談交じりに否定する。
「こちらに無害なのは確定として。スパイシアとまともに殺り合う魔法少女とやら、実に興味深いなぁ。あのコスプレ衣装を引っぺがして丸裸にさせてから脳から子宮まで解剖して隅々まで調べてやりたいねぇ」
「樫原さんッ!!!」
冗談に決まってるだろう。本気で声を荒げるマスクド・シャイニングに思わず退きながら制止させようとする樫原。この人は天才だから、さっき言っていた常軌を逸した犯罪もやりかねないのが怖い所だと、少年は語る。
「まぁまぁ、僕は戦闘データを分析するから君はスーツを外して隣のリラクゼーションコーナーで身体をほぐして貰いなよ、」
春日陽輔君。
左腕のボタンを押して、全身のスーツのパーツが腕時計に密集する様に収縮させる。マスクド・シャイニングの居た座標に、翠逸覇帝嗣慧のブレザーを着たサッカー部期待の星、春日陽輔の姿がそこにあったのであった。
※
時は割と遡る。陽輔は部活を終えて、友人の植田蓮と一緒に学校から帰っていく。今日は練習きつかった事やJリーグの選手の事など、サッカーに関連した話で盛り上がっていると、陽輔達は壁際に集まる人混みを見つけた。
興味本位でその群の中に突っ込み掻き分けていくと、例の胡散臭い張り紙が張っていたのであった。
「おい、よーすけ!! 10分で1万だってよ!! 行こうぜ!!」
「いや、よく考えてみろよ。そんな短時間で1万円って怪しくないか?」
「ヤバくなったら逃げりゃあいーんだよ! いやぁ、今月使い過ぎて財布が寒くなってたんだよなー」
逃げられない様に仕向けられてるだろ。冷静に考えてみて、入って来たらこっちのモノだと言わんばかりのあからさまな罠だと気付く筈なのだが、蓮は金に目が眩んでマトモに取り合ってくれない。此処で自分が放っておく事も出来たのだが、最悪の結末を考えるとなると後味が悪くなりそうなので、渋々陽輔も一緒に張り紙に記載されたビルへと入っていく事にした。
思った以上に、まんまと釣られた人間が多いらしく、案内された待合室には男女や年齢やらがバラバラな人達がごった返していた。
蓮と言い、コイツらといい、馬鹿ばっかりか。と陽輔は溜息を吐く他無かった。安全に逃げられる様にどうするか、と企てていると、噂話があちこちから聞こえてくる。
「マジで1万円貰えンのかよ?」
「まじまじ! さっき俺のダチが入って行ってて貰っていたぜ。無事に帰れたみてぇだし」
どうやら張り紙の内容に間違いは無いらしく、きちんと金額を渡して穏便に帰されている様である。とんだ杞憂だったか、と思ったが飽く迄も自分と友人は高校生であるから、まだまだ油断できないと気を引き締めて待機していた。
着々と人が連れ込まれ、蓮の出番となって約十分経過。待合室にウキウキとにやついた笑みを見せて、彼はこれ見よがしに一万円札を見せつけて来た。
「ホントに大丈夫なのかよ?」
「へーきへーき! ミョーな質問されただけで何ともなかったって! お前も行って来いよ! うっひょー! 遊ぶぞー!」
大金を手に入れ、浮かれまくりの蓮は陽輔を置いてビルを後にしていた。無事なら無事でいいか、と少し安堵すると同時に呆れていた。
18の番号をお持ちの方、と呼ぶ声。丁度自分の出番となり、白衣を羽織った女性に隣の部屋に連れていかれる。奇妙な形状の椅子、そして遠くでパソコンを開けながら頬杖を突くスカした格好の研究員らしき男が此方を見て微笑んだ。
「えーっと、お名前は?」
「えっ? 春日、陽輔です……」
「春日陽輔君ね。年齢と職業は?」
「年齢は15、学生です」
「覇帝嗣慧の高校生だね。あ、大丈夫大丈夫。別に学校に連絡するとかじゃないから。まぁ、そう硬くならないで。僕の質問に答えるだけでいいから」
明らかに胡散臭い。陽輔は優しく声を掛ける男に対して不審に思っていた。学校に連絡してはいけない事をする気なのか、質問内容はどのような物か、等と表情には出してはいなかったが、気持ちだけでも身構えた。
「スポーツは何かやってる?」
「一応、サッカー部に所属しています」
「サッカーか! ミッドショールダーっていうの? あの、インテルの長友がやってるポジション。君は其処なのかな?」
「ミッドフィールダーです。自分は一応フォワードを……」
「あー、ハイハイハイ。フォワードね。僕知ってるよ? 岡田圭佑がやってる所でしょ?」
何処の閉店ガラガラの人だ。陽輔は知ったかぶりをする男に若干苛立ちを覚えた。顔に出ていたのか、咳払いをして誤魔化していた。
「――気を取り直して。君は、ヒーローとかの特撮番組って好きかい?」
「それ、質問する意味有るんですか?」
「いいからいいから」
「……ぶっちゃけて言いますと、其処まで好きじゃないですね。どれもこれも、大方は正義と言っておきながら暴力で片付けて、聞く耳持たない独裁って感じがしてて、疑問に思いますね」
「ほー、成る程。そう言う捉え方をするって事だね。……まぁ、明らかに敵の怪物と正義のヒーローがすっごく仲良くしてたらテレビの前のチビッ子達は困惑するだろ? そうなりゃお母さん方のクレーム殺到だよ。『悪い奴を野放しにするなんて~』とか『戦わないで解決とか片腹痛いわ』とかさ。最近しょうもない事でクレームしてくる人も居るから、脚本家の人達も表現を大方縛られてしまったで、ぬるま湯に浸かったみたいな話しか書けないからね。あ、ちなみに僕が好きな仮面ラ●ダーは555だよ」
凄い生々しい事聞いちゃったよ。サラッと一方的に毒舌を吐きながら笑い声を上げる男を見て陽輔は苦笑いを一つ。もうあれこれと話している内に八分程経過していた。男はポケットから懐中時計を出して時間を確認した。
「おっと、もうこんな時間か。じゃあ最後に一つだけ。君は町に潜伏している、噂の怪物はどう思っているのかな?」
その瞬間、陽輔の目の色が変わる。彼の、一番触れられて欲しくなかった物であったからだ。握り拳に力を込めた。爪が肉に食い込んで皮膚が裂けそうな程に。
「――殺してやりたい位ですよ。一匹残らず全部。あんな奴等が何食わぬ顔で人を殺しているって考えてるだけでもムカつくんだ」
「……何か、有ったのかい? ――ああ、いや、言わなくても結構。大体察しついたから」
すみません気にしないで下さい。適当な事ばっかり言っている男にまで気を遣われ、怒りを込み上げらせていた陽輔は我に返り、思わず謝罪する。
十分経過し、男は助手らしき女性から一枚の紙を受け取る。それを上から下まで読み上げる。全て見た所で、真剣な眼差しで此方を見つめて来たのである。
「……君、さっき殺してやりたい位って言ったよね? もし殺せるとしたらどうする?」
「急にどうしたんです?」
「まさか君が、『対異能生命体駆逐スーツ』の適合者なんてね。正直僕も驚いている」
「勝手に驚かれても困るんだよ!! 何だよその何ちゃらスーツって!?」
まぁまぁ落ち着いて、と男は両手を出して陽輔を宥める。少し考える素振りを見せていたが、ようやく決心がついたのか、一枚の紙を小脇に抱えながら扉を開けて別の部屋へ移る様にと催促した。
何がなんだかわからないまま、ほったらかしにされ、陽輔の猜疑心を強くする事となった。後ろから黒スーツの体格のいい男達が後ろからついて来ていて、逃げられそうになかったが、何とか隙を見て逃げようと考えていると、目的地にあっさりと早く到着し、拍子抜けしてしまった。
「これが我々人類の最後の光だ」
壁に貼り付けられて設置されているのは、頭から爪先まで、ほぼ真っ黒の鎧の様な何か。マスクは禍々しく尖り天を穿つ様な金色の角が。
陽輔はこれを見て、最初に感じたのは畏怖であった。異形の人の様に感じ取れた為である。思わず生唾を飲み込むと、男は振り返りながら近づき、愛でる様にそっと撫で始める。
「僕が最初に考案したんだ。謎の怪物を倒す為に、試行錯誤を重ね、全てのデータを汲み取り、形にした集大成と言ってもいい」
「一体、どうやって?」
「消えてしまった死体の解剖データをコッソリ盗んだ事があってね、体内に特殊なエネルギーの残留が微妙に残っていたんだ。敵がそのエネルギーを打ち込んで殺しているというのなら、逆に正反対のエネルギーを打ち込めば倒せると理論を立ててみた。エネルギーの研究から始まり、それを大量に打ち込ませる注射器として、このスーツも考えた。結果としては理論は正しく、敵もエネルギーに耐え切れず爆発四散。僕の研究は成功に終わった」
「じゃあ、何で俺でないと駄目なんですか?」
「死ぬんだよ。選ばれていない奴は、このスーツに脈打つ『コロナストリーム』の毒に侵されて死んでしまう」
この作り出されたエネルギーは敵にも人体にも影響を及ぼす猛毒なのである。リミッター解除と同時に内側から放出するコロナストリームを浴びると、人は十分も持たずに卒倒する。そして数分後に脳死する。こんな恐ろしいエネルギーを作り出してしまったのである。
「最近の研究で、このエネルギーに抗体を持つ人間も居る事が判明したんだ。軽度でも一日は昏睡してしまうけどね。その一定数値をクリアしたのが君だけって事」
だからなのか。陽輔が最初に恐怖した理由に納得していた。怪物も人間も殺しかねない、死神の様なスーツであった為であるからだ。
「……さて、話が長くなったね。どうかな? このスーツの装着主として、人類の救世主として君に託したいんだ。勿論、無理強いはさせないよ。いくら適応者でも君はまだ中学から上がったばっかりの高校生だからね。時間をかけてでも次をまた探せばいいだけだから」
陽輔は考える。このスーツを着る以上、戦うしかないのだと。テレビのニュースでよく目撃される謎の怪物と戦う事。それは負け=死を意味する。勝ち続ける保障なんて何処にもない。
普通の人は降りるだろう。けれど、陽輔は覚悟を決める。正義のヒーローなんて柄じゃなかったが、今ここで尻尾を巻いて逃げるのは今まで許せないと考えていた怪物からも逃げ出すみたいだからだと考えたからだ。何より、復讐の手段を得た以上使わずにいられないのである。
「……俺、やります。絶対、怪物を倒してみせます」
「――樫原民人だ。有難う。君のその勇気を無駄にしない為に、僕達も全力でサポートすると誓おう」
お願いします、樫原さん。陽輔は差し出された民人の手を握り返した。こうして陽輔の『マスクド・シャイニング』としての第一歩を踏み始めたのであった
 




