親の敷いたレール
読みにくい点も多々ありますが、お読みくだされば幸いです。
「食欲無いみたいだが、どうかしたのか?」
父が自分の心配をしてくれる。ありがとう、本当にありがとう。でも、伝えなければならないことがあるから食が進まないんだよ。
「具合悪いの?」
食卓にお椀を運ぶ母も心配してくれている。
「大丈夫、食欲もあるし、元気だよ」
「そう、せっかく作ったんだから冷めない内に食べなさいね」
「そうだぞ、母さんも一生懸命作ったんだ。一番上手い時に食べるのが礼儀ってもんだぞ。」とコップにビールを注ぐ父が言う。
「父さん、母さん。実は……、話があるんだ」
二人に向けて自分の気持ちを伝える。そう決めたんだと口を動かす。
「改まって、いきなりどうした?」
「悩みがあるの?」と顔に心配ですと書かれた母が聞く。
「いや、悩みとかじゃ無いんだけど、言っておきたいことがあるんだ」
「そ、そうなのか。なんだ言ってみろ?」
「落ち着いて聞いて欲しい」と自分でも勿体ぶっているとわかるほど引き延ばす。多分、それほどに言うことを躊躇っているからだろう。
「もう勿体ぶっちゃて」と母は今から言うことを良いことだと思っているかのように笑う。
「い、言うよ……。俺、もうこれ要らないんだ」と手に持ってみせたそれを食卓に置き、前に差し出した。
「お、お前、それどういう意味だ……」と父が動揺している。父はまだ想像通りの反応だった。しかし、母は想像以上のことに目に涙を浮かべていた。
「でも、もう決めたことなんだ。」
そうだ、自分は決めたんだと箸を進めようとした、
「待て、お前に今食べる権利は無い。まず話からだ。」と父が制止した。
「そ、そうよ。ちゃんと説明して」と母もティッシュで涙を拭きながら、話の真意を聞いてくる。
「そのままの意味だよ。俺にそれは必要ないんだ」
「バカなことを言うな。それが無ければお前の生活はどうするんだ?」
「もう必要ないよ。それが無くても生きていける」
「なんてことなの……。いつからそんな子になっちゃったの?」
「もう嫌なんだよ。母さんたちの敷いたレールの上で走るってのはね」
わざと強く出る。それほどに自分の心に決めたことだからだ。
「その心を止めることはしない。とても立派なことだ。」と父が認めてくれた
「認めてくれるんだね」
「だが、すき焼きに卵を入れないというのは認めない!」
「そ、そんな……、止めないと言ってくれたじゃないか!?」
「心は止めることは出来ない、でもすき焼きは別だ!」
「そうよ!卵を入れないすき焼きなんてすき焼きじゃないわよ!」と母は泣き叫んだ。
「それは違うよ!実は友達の家で食べたんだよ。卵抜きで」
「なんてことなの!?あなたって子は……」
「あのしっかりした味を知ってしまったら、もう卵を入れないよ。一人ではいつも卵抜きさ。」
「話はわかった。でも、その考えは一時的なものだ。父さんにはわかる」
「父さんにわかりっこないよ!」
「わかるさ……。父さんだってお前と同じ年があったんだぞ?」
「え?」
「俺もお前の頃にな、すき焼きに卵を入れなかったことがある。すき焼きの味を直接舌で感じることが至福の喜びだと感じていたんだ」
「と、父さんもそんな時があったの?」
「もちろんさ。若い時はマイルドよりもしっかりした味の方を好むもんだ。酒も割らずに飲んだ方が美味いんじゃないかと飲んではべろべろになったもんさ」
「だったら……」
「でもな、また卵入りのすき焼きを食べた時に考えが変わったんだ。卵を入れることでマイルドになるだけという考えが浅はかだったことにな」
「え?」
「卵を入れることで、確かに味が舌に伝わりにくい。でもなそこですぐ飲み込むのが悪かったんだ。その時はあんまり給料も高くなかったから、安くて固い肉しか食えなかったんだ。卵なんて入れたら味が薄くなって固い肉がさらに不味くなる。そう思っていたんだが、違っていた。最初は薄いと思っていたが味がみるみる内に広がっていくんだ。あれ? 味が薄くない。なんでだと箸が進んだもんだ。そのすき焼きを作ったのが母さんだったな」と父は母の顔を見た。
「ふふふ」と泣き止んだ母は照れていた。
「そして、その美味さの正体がわかったんだよ。卵を入れることにより、舌とすき焼きの間に卵の層が出来て、直接味が舌に伝わずに味が薄く感じてしまう。それはお前も思っていることだろうし、その考えは間違ってない。でも凄いのはその先なんだ。卵の層ってのは、一気に無くなったりしないんだよ。唾液やすき焼きの熱、肉の油によって徐々に層が消えていく。すると味が舌に感じ始め、すき焼き本来の味が出てくるんだ。お前はダイレクトな味だけがすればいいと思っているようだが、それは違うんだ。卵がギュッとすき焼きを包んでいるのをちょっとずつ離していく。マイルドだったのが、直接味が舌に染み込む。まさに子育てのようなものだ。この母親のような卵を捨てるというのはお前が反抗期なだけなんだよ。わかるか? まぁ、お前も働くようになって家から出て固い肉を食ってみたらわかるさ」と最後は笑っていた。
「あ、ああ」と俺は涙を流す。自分の浅はかさと父の凄さに涙腺が緩んでいたのだった。
「泣くな。お前の気持ちはよくわかっているつもりさ。わかってくれたなら気を取り直して食べようじゃないか」と父は卵を割った。
「そうね。ちょっと冷めちゃったけど食べましょ」と母も割る。
「いただきます」と涙を拭きながら自分も卵を割った。
その卵の割り方を失敗して殻が入ってしまい、2時間卵の割り方指導されたのは言うまでもない。
すき焼きとはこれほど深いものだったんですね。子育てのようなすき焼き。一人で安い肉を食べて知るすき焼き。や~深いww