デートインザロッジ
いつものまえがき。初めての方は「デートインザドリーム」または「デートインザトラベルプラン」からご覧ください。
スキー旅行二日目。
朝食を終え、加藤有子達はスキーウェアに着替えると、ホテルフロント前の広場に集合した。
相変わらずの銀世界。すこし曇り気味の空が太陽の光を遮り、淡い光が雪の色を鈍らせる。
時刻は午前八時。すでに何人かのスキー客はゲレンデでスキーを楽しんでいた。
「へぇ、こんな朝から滑ってる人もいるんだね」
「好きな人は一日中滑ってるわよ。私も朝から滑ろうと思ったけど、さすがに昨日遅くまで滑ってたからね」
有子がゲレンデを見上げていると、後ろから青いウェアに身を包んだ栗畑千香の声がした。
「あ、そういえば千香、昨日はいつまで滑ってたの? 姿見なかったけど」
「えっと、ナイトスキーが終わる直前くらいだから、九時ぐらいまでかな。その後お風呂入ったら眠くなって寝ちゃった」
有子たちも、昨晩は卓球大会が終わった後、新名太志がピンポン玉をのどに詰まらせた事件もあって、そのまま部屋に戻って眠ってしまった。本当なら旅行の夜をもっと楽しみたいところだったのだが、スキーの疲れでベッドに横になった瞬間に一気に眠気が襲ってきたのだ。
「せっかくみんなで旅行来たのに、もう少し起きてればよかったかな」
「あんまり夜更かしすると、次の日がつらくなるから、それくらいでいいのよ。そういえば成美と有斗君は?」
千香は、三堂成美と佐藤有斗がその場にいないことに気が付き、有子に尋ねた。
「有斗君は部屋に出るときすれ違って、ちょっと遅れるって。成美は……あれ、着替えるところまではいたんだけどな」
広場には成美と有斗以外は揃っている。ホテルの入り口を見ていると、やがて有斗がやってきた。
「すみません、ちょっと準備に手間取っちゃって」
若干息を切らしながら、有斗は千香の元に駆け寄った。
「ううん、大丈夫よ。まだ成美が着てないから。それより、足は大丈夫?」
千香は、昨日捻挫した有斗の足を気にかけた。
「あ、はい。足はもう一日休んだので大丈夫です」
「そう、それならよかったけど」
昨日の夜までは足を引きずっていたが、今はいつも通り歩いているのを見て、千香はほっと胸をなでおろした。
「……にしても成美、遅いわね。何してるのかしら」
「あ、僕さっき三堂先輩見ましたよ。走りながらお菓子食べてました」
やっぱりか、と千香は頭を抱えながら入り口を見ていた。
「ユウ、たしかに成美には八時集合って伝えたんだよね?」
「うん、七時半頃に先に出るからって、部屋から出た時に見たのが最後なんだけど」
「まあでも、走って来てたんならもう来るかしら」
しばらく有子と千香が入り口を見ていると、成美が何事もなかったようにやってきた。
「あ、千香ちゃん、おはよう」
「成美、あんた遅刻よ。何してるのよ」
「ごめんごめん、着替えてたらお腹空いちゃって、それで一回部屋に戻って」
「またお菓子食べてたの? まったく、朝食あんだけ食べたばかりじゃない」
「千香ちゃんが持ってきたカップラーメン作って食べてた」
「……」
こいつは何をやってるんだ、と思いながら千香はため息をついた。
「じゃあみんなそろったところで、今日の予定を言うわ」
全員の前に立ち、千香は声を上げた。
「基本的には今日一日はフリーだから、一日中スキーしててもいいし、疲れたらホテルで休んでてもいいわよ。夕食は午後六時だから、ロビーに五時四十五分に集合ね。それから、昼食だけど」
そこまで言うと、千香は手荷物からいくつか封筒を取り出した。そして、中から黄色い紙を取り出す。
「これ、リフトで上ったところにあるロッジと、ホテルの中で使えるクーポン券。百円券が十五枚つづりになってるから、これで各自昼食をとってね」
そういうと、千香は一人ひとりに封筒を手渡した。
有子が渡された封筒を開くと、千香が見せたものと同じ、「100円」と書かれたクーポン券が入っていた。
一枚の紙に五枚のクーポンがつづられ、それが三枚セットになっている。切り取り線で切り取れば、すぐに使える仕組みだ。
「千香ちゃんひどい! そんなのあるんだったら先に渡してくれればよかったのに!」
千香が成美に封筒を渡した瞬間、成美が千香に食って掛かる。
「あんたの場合は渡した瞬間に全部お菓子に使っちゃうでしょうが。それとも、今日の昼食は自腹がよかったの?」
「うぅ、それはないよぉ」
成美がしょぼくれる中、千香は淡々と封筒を全員に配った。
封筒を受け取ると、メンバーのほとんどはリフトに向かった。滑る気がなかった成美は、「自由時間ならホテルに戻る!」と引き返そうとしたところを、「あんたはもっと練習しなさい!」と千香に止められてしまった。
リフトを一回分上ると、そこから初級コースを滑ることができる。さらに奥に向かうと、学校にある校庭ほどの広場にでて、そこから中級コース、上級コースに向かうリフトが走っている。
千香はそのリフトのそばにあるロッジを指さすと、
「ちなみに、昼食会場はあそこのロッジね。スキー場の中腹だから、あまり種類ないし高いけど、まあたまにはこういうのもいいんじゃない?」
と説明した。
ロッジは木造の一軒家で、入り口の近くにはスキー板とスティックがいくつか雪に突き刺されていた。
「じゃあ、私は小塚先輩と上級コース行ってくるから、後は適当に滑っておいて」
千香はそういうと、一つ上の先輩小塚進とともに、上級コース行きのリフトに乗って行ってしまった。
「ユウちゃんはどうする? しばらく初級コース?」
リフトに乗る千香を有子が見ていると、近くにいた三波彩花が声をかけてきた。
「そうね、もう少し練習したいし、彩花たちと一緒に滑りたいし」
「うちも、あれくらいは滑れるようにならんとな」
彩花の視線の先を有子が見ると、一年生の新名太志と、一緒にいた中学生の佐藤達真が、きれいなフォームで初級コースのゲレンデを滑っている姿があった。
「彩花も、あれくらい、すぐに滑れるようになるよ。私でよかったら、教えてあげるから」
「おお、ユウちゃんが教えてくれたらすぐに上達できるな!」
「あの、私も昨日が初めてなんだけど……」
急にやる気になった彩花を見ながら、有子は苦笑いをした。
「あ、有子ちゃんと彩花ちゃんは今から滑るの? 私、ちょっと向こうで休憩してくるから」
「成美、あんたは何をしにここまで来たのよ」
ロッジに向かおうとする成美のウェアを、有子はつかんで引き戻した。
「あんまりスピード出さない方がいいよ。ブレーキかけながら、止まれなかったら自分からこけるくらいの感じで」
有子は彩花と成美にアドバイスをしながら、先に見本を見せるように途中まで滑る。そして、ゲレンデの端で停まると手を振って合図をした。
先に彩花が滑り降りてくるが、うまくコントロールが効かないせいか、有子とは反対側の端でこけてしまった。
慌てて有子が彩花の元に滑りよる。
「大丈夫?」
有子が声をかけると、彩花はなんとか自分で立ち上がった。
「いやあ、ユウちゃんみたいにうまいこといかんもんやなぁ」
「大丈夫だよ、何回もやってればそのうち滑れるようになるから」
そういってウェアについた雪を払うと、彩花はゆっくりと斜面を下り始める。
滑っている客がいない場所を滑っていくが、やはりブレーキが上手くかけられないせいか、反対側の端で転んでいた。
大丈夫だろうか、と彩花を心配しながら、そういえば成美はどうしたのだろうかと斜面の上を見た。
その瞬間、一人の少女が勢いよく降りてきた。かと思えば、下で滑っていた男性に激突した。
「え、だ、大丈夫かなあ」
心配して有子はその激突現場まで向かう。
近くまで駆け寄ると、激突してきた犯人は成美で、被害者は高野達人だということがわかった。
「達人君、大丈夫?」
有子は達人に手を貸して引っ張り上げた。
「うん、なんとか。一瞬死ぬかと思ったけど」
激しくぶつかったように見えたが、特にけがなどは無いらしく、達人はすぐに立ち上がった。
一方、成美は倒れたままなかなか立ち上がろうとしない。
「ほら、成美、早く起きないと邪魔だから」
そういって有子は成美を引っ張り上げるが、なかなか起きようとしない。
怪我でもしたのだろうか、と心配していると、成美がもごもごと口を動かした。
「ゆ、有子ちゃん、お腹がすいて力が出ない」
有子はその場で成美を埋めてやろうかと思ったが、邪魔になるので無理やり引っ張り起こした。
何度か滑っていくうちに、彩花の方はある程度ブレーキのコントロールが効くようになり、こける回数は少なくなった。
一方で、成美はなかなかうまくいかず、何故か毎回のように達人にぶつかっていた。
「成美は小塚先輩にもう少し教えてもらった方がいいかもね」
とアドバイスを送っても、「お腹がすいてちからがでない」としか言わないので放置することにした。
午前十時。さすがに滑りっぱなしは疲れたため、有子は中腹のロッジに向かって休憩をとることにした。
スキー板を外し、入り口の近くの雪に刺し立て、ロッジの扉を開ける。
エアコンの熱、というよりも置いてあるストーブの火のぬくもりが頬に伝わる。しかし、全体的にはそれほど暖かくないせいか、入り口には客が払ったと思われる雪がまだ残っていた。
自動販売機でカップのコーヒーを買い、適当な席に着く。まだ朝早いためか、客はあまり多くない。それでいて席数は多いので、かなり広く感じる。
ストーブに体を当て、コーヒーを一口飲む。缶コーヒーに近い味が口に広がるが、それでも紙コップから漂うコーヒーの香りが、スキーで疲れた体を癒していく。
「あれ、加藤さん、休憩?」
不意に男の声が聞こえた。有子が振り返ると、小塚進がカップコーヒーを持ってこちらに近寄ってきた。
「あれ、小塚先輩、千香と一緒じゃなかったんですか?」
「ああ、栗畑さんはもう少し滑るからって。僕だけ休憩に来たんだよ」
進はそういって、有子の隣に座った。
「それにしても、加藤さんはどうしてこの旅行に?」
飲みかけの紙コップを木製のテーブルに置き、進は少し視線を落として有子に言った。
「千香に誘われたんです。ちょうど落ち込んでた時に、スキー旅行に行かないかって」
「栗畑さんに、か。僕もそうだよ。演劇部にやってきて、旅行に誘ってきてくれたんだ」
「そういえば、参加者を集めるためにいろんな部を回ってるって言ってました」
両手を暖かいコーヒーの紙コップで温めながら、有子はストーブの方をじっと見て言った。
「なんでも千香は、元気のない人を集めてるんだとか」
「あの事件関連、かな、やっぱり」
進はテーブルに置いてあった紙コップを手に取ると、中のコーヒーを一気に飲み干した。
「やっぱり、先輩も分かっていましたか」
「もちろんだよ。佐藤さんと田上君の事件があってから、演劇部内もかなり暗くなったからね。特に」
空になった紙コップを持つと、席から立ち上がり、自動販売機の近くにあるゴミ箱に向かった。
「佐藤さんは、演劇部でも優秀な子だったからね。もうすぐ、舞台にあげようと思ってたのに」
「え、あのユッコが?」
「うん」
紙コップを捨てると、進は座っていた席に戻る。
「佐藤有子さん、最初はおとなしすぎて大丈夫かなって思ったよ。ほとんど人と話さないし、あまり活動にも積極的じゃなかったから。でも、いつからだったかな。少しずつ部員と話す機会も増えて、だんだん明るくなってきたんだ。それに」
進は両手をストーブに当て、温まり切れない体を乗り出す。
「声がきれいだった。発声練習を初めて聞いたときはびっくりしたよ。なんていうか、透き通るような、体を通り抜けていくような、そんな感じの」
「そうだったんですか」
佐藤有子は、どちらかといえばおとなしくて、あまりはっきりと話をしない子だった。声に関しては、加藤有子が知る限りでは、他の女生徒とあまり大差がないといった印象を持っていた。
「そういえば加藤さんは、佐藤さんと同じクラスだったんだよね」
「はい。私とユッコ、佐藤有子は、二年生の四月からの親友でした。いつも教室では一緒にいろんな話をしていました。私はほかにもたくさん話し相手がいたので、つきっきりっていうわけにはいかなかったんですけど、ユッコは私がいないときはいつも一人だったんです」
「去年の四月、か。そういえばその頃からだったかな。佐藤さんが変わっていったのは」
もう一杯どう、と進は有子に勧めたが、まだ残っているからと有子は断った。進は席を立って自動販売機に向かうと、同じコーヒーを買った。
「特にゴールデンウィークが明けてからは、後輩にもいろいろ話すようになったね。そうか、加藤さんの影響だったのかな」
「有斗君も同じことを言ってました。友達がいるだけで、そんなに変わるものなんですかね」
「結構変わると思うよ」
買ってきたカップのコーヒーをテーブルの上に置くと、進は足を組んで座った。
「人生の中で、良いか悪いかにかかわらず、人っていうのは必ず影響を受ける人に出会うものだよ。多分、高校を卒業するくらいまでには、気が付かなくても誰かに会ってる。それは親かもしれないし友達かもしれなしい、芸能人や、はたまた現実には存在しない人かもしれない。そういうところで、人の人生って変わるからね」
コーヒーを手に取り、進は続ける。
「きっと、佐藤さんにとってそれは、加藤さんだったんだよ」
「え、私、そんな大そうな人に見えますか?」
思わず有子は、紙コップを手放しそうになる。
「別に、特別な才能があったり、有名だったりする必要はないんだよ。むしろ、そういう人は身近にいる人の場合が多いんだから」
「そんなもんですか?」
そういうと、有子は両手で持った紙コップを口につけ、残ったコーヒーを全て飲み干した。
「そんなもんだよ。しかし、彼女は本当に惜しかったな。……本当に」
進は急に立ち上がり、紙コップを持ったまま、ロッジの窓の外をみた。
「あの、小塚先輩は、ユッコのこと……」
有子が言いかけた瞬間、勢いよくロッジの扉が開いた
「あ、ユウちゃん、よかった」
開いた扉から彩花が顔をだした。
「あれ、彩花、休憩?」
「いや、なるみんがリフト降りた後急に倒れて……」
と、彩花がロッジの中に入ると、成美が彩花の肩を貸されたまま入ってきた。
彩花はそのまま一番近い椅子に、成美を座らせる。
「え、ちょっと、成美、大丈夫?」
ぐったりとなっている成美に声をかけると、かろうじて成美は目を開いた。
「あ、ゆ、有子ちゃん、私、おなかが空いて、力が……」
成美の声を聴いた瞬間、有子の体の力が一気に抜けた。
「成美、あんたの燃費どんだけ悪いのよ」
カタン、とロッジの扉が閉まった瞬間、進と彩花の笑い声が響いた。