通りすがりの天使様!
良いことをすれば天国に、わるいことをすれば地獄に行く。それは下界に住む者にとっても天界に住む者にとっても周知の事実だ。
しかし、天国に行くことは幸福なのだろうか?
天国という永遠もまた、ただ少し待遇が良いだけで、地獄のような牢獄ではないのか?
そう思う者が天国にも居た。
もう一度下界に戻りたい。そして戻った後――。
しかし、大きな難題があった。そして、それは目の前に存在している。
天使。
監視されているのだ。この世界は。
姿形は周囲とさほど変わらない少女たちに。今の場合はこの蒼髪の少女に、青年は監視されている。言い換えれば、ただ通りすがってしまっただけでもあるが。
ふと視線が交錯する。相手が自分の意図――この世界から抜け出すこと――に気付いているなら、戦わなくてはいけない。でも果たして自分は勝てるのだろうか。いずれは回避できない問題になるだろう、と思っていたが、こんなに早くこの時が来るとは……。
ああ、どうすればいいのか。
彼は異様なほど人通りのない歩行者専用道路で遠く――ともいえない、言うならば、姿は見えるけども顔の各部分がはっきり見えるほどではない距離……にいる彼女と、刻一刻と迫るその時を、通りすがってしまうその時に、仕掛けるべきか否か迷っていた。
その瞬間は、十分に思考を巡らせる時間もなく近づいてくる。
あと、一歩。
彼が踏み出さずとも、少女がその一歩を詰めれば、出会ってしまう。
そしてその時は――
「あなたは誰ですか?」
蒼髪の天使は迷っている彼に尋ねかけた。それは、彼が迷っていることを知っての行動……いや、彼女はそんな小悪魔みたいな行動などしないだろう。彼女は天使なのだから。
「さぁ。誰だろうな。……そうだな。言うならば俺は君の敵だ」
彼は自らのなかの迷いを断ち切るように、好戦的に、戦いの火蓋を切って落とすような言葉を告げた。
「そうですか。ならば私は貴方を削除しなければなりません。なぜなら、私は天使だからです」
「削除……ねえ……」
戦わないと、だめなのか。できれば避けて通りたい道だな。と、考えながらも彼は戦いに身構えた。敵は自分を削除すると言っている。簡単に消されてやるわけにもいかない。
敵は天使。
平凡すぎるといって良いほど基準通りの形。顔だけは際だって端整だが――だからこそあまり傷つけたくない、と、手加減などできるはずがない敵であるのに、絶対的な力の裏にこの上ない優しさを持つ……そんなどこまでも完璧な主人公気取りのような考えを自嘲した。
そして基準通りとはいかない、その力。殺害せずに捕縛できるほどの戦闘能力。戦って勝てるかどうか、いや、勝てる気がしない。何せ神に創られた生物の中で最も神に近いのだから、人間風情が太刀打ちするなど馬鹿げている。
こうやって脱獄を企てる彼にとってその力は大きな障害だ。
今の彼には記憶を忘却の闇に引きずり込まれないようにするだけで精一杯だった。
彼には神のように絶対的な力があるわけではない。他の人間と変わらない不完全な生き物だ。
逆に人間は完成した生き物なのかもしれない。神の歯車にしっかりとかみ合い、ゆえに神の思い通りに運命の支配を受ける。
その支配を受けない。そして、世界を書き換えることができる。
でも、それは大きなようで小さな力。
神と同じ場所に立てているわけではない。
だが、その力のおかげで、相手が天使だということを感じてしまった。そして、気付いてしまった。
出会ってしまった。
蒼髪の天使は黙って、作業を始める。
書き換え――「一人の人間を削除」
天使はある一定の範囲の情報を書き換える事ができる。その力によって彼は消されようとしていたのである。
「そのくらいのことなら」
彼も思考を巡らせ、それを実現するだけの力で対抗する。
書き換え――「此処に蒼真 千は二人存在する」
彼はすでに天使のそれを理解していた。二つに分身した彼の身体の一方が、はじけ飛んだようで――跡形もなく消えた。
「本当にいたのですね。天使と同じ力を持つ人間が」
「そうみたいだな。でも、俺は天使みたいに、神に忠誠を誓う気なんてねぇぞ」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
「は? さっきから何言ってんだ?」
ずっと探してましたよ、的な急激な展開をふくませたような、冗談でも言ったのかと思ったから、それに応えるようにして、冗談を重ねたのだが、天使の二言目はおかしい。
仮にも神に仕える身であるだろうに。
「いえ、こちらの話です。……では天使として、不確定要素であるあなたを、拘束します」
「できればやりあいたくはないんだけどな」
これからは暴力で優れる者が勝利する。
単純な方程式だ。より強いものが勝つ。もっとも簡単で、原始的で、そして明快。
どちらも武器を持っているわけではない。今のデータ上では。
同時に書き換える。
天使は……書き換え――「右手に弓、左手には何もかもを貫く矢を」
彼も……書き換え――「前方、右手の位置に、全てを切り裂く軽い短刀を」
彼は思考から抜けた瞬間に走り出した。一歩踏み出すと同時に刀が現れ、逆手で握ってその勢いのまま天使の懐に飛び込んだ。
案の定天使は避けた。
「だよな……」
予想はしていたが……。やはり天使は異常だった。
「やはりその力は私と同じなのですね」
「ああ、自分でも不思議だよ」
「では、次は私の番ですね」
世界を書き換えるという大きな力。それを天使も発動させた。
一方は短刀一方は弓。
互いに距離を取る。長距離となると弓を持つ天使にとって好都合な間合い。
「装填。発射」
天使は矢を放つ。的は黒髪の不思議な青年。自分と同じような能力を持っているのだから……。天使は予想着弾点より前の地点での激突と力の発動を確認した。弾道に何らかの障害物を置いたのだろう。
「効かねぇよ」
天使の予測通り、彼は書き換えを行うことで矢を粉砕した。そして、二丁の拳銃の銃口から火花が散った。
書き換え――弾道を補足し正確な位置に盾を配置。……それと二丁の拳銃を両手に」――それが、彼が行った改変だった。
しかしそれも天使の想定内。天使は空間を歪ませ、銃弾を無効化する。間髪あけず、一本で駄目なら三本ならどうだと言わんばかりに、三本同時に矢を放ち、彼に距離を詰められないよう車両用道路に逃げ込んだ。牽制だ。隙も無駄もない動作で次弾装填、放たれる。
「くそ……」
書き換えで消し去られるのも分かっていながら、天使は続けて弓を引いた。
対する彼は無数のナイフを空中に顕現させ、天使に向かって飛ばした。
「きりがありませんね」
そう呟いた天使が跳ぶ。そして華麗に二回転ほど、さらに捻りも加えて着地。
十点、十点、十点! 金メダルでも何でも総なめにするしてしまうに違いない華麗さ。
渾身の一撃を躱された事は残念であったが、元から備わった綺麗な身体にそのしなやかさ、美しさが加算された演技を見れて感動物だ。敵でなければ求婚したいほどである。(これは主人公の意思であって決して作者の意思では……あわわわ)
「ありゃあ、躱されちゃった」
「このくらいでは死ねません」
死にません、ではなく死ねません。まるで死を望んでいるかのような口ぶりだ。
(でも、天使だもんな。ないよな)
自らの考えを否定する。
天使にとって彼は敵なのだ。削除対象にすぎないのだ。
「そうだよね」
人間であれば……求――自重するしかなさそうだ。とても残念な事だと彼は思った。
着地した瞬間に、地を思い切り蹴る――二丁拳銃を長刀に変換し――爪先にまで伝わったその力が地表にぶつかり、反発する。刀はすでに抜いてある。右手に握った刀を振りかぶり――
斬る。
相手を確実に絶命させられるだけの力を乗せ……。
「貴方はこの世界をかえられますか?」
(こいつ……避けようとしない……!)
寸前のところで刀を止め――しかし、刀はいつでも相手を殺せる位置に置いたままである。
「ど、どういうつもりなんだよ?」
「貴方はこの世界を変えられるのかと聞いているのです」
データの書き換えならもう既に、やったはずじゃ? 否、そうではない。なにか別の事なのか?
世界を変える……?
「さぁ、どうかな」
確かではないことは言わない。だけど……。
「貴方は……。いえ。失礼しました。蒼真 千、貴方は、この世界をかえられますか?」
機械のように繰り返し問い続ける。
「できない」
未来は不確定だ。だから確証のないことは言いたくない。不用意な言葉は、相手に希望を持たせてしまう。自分が期待されてしまう。
(期待なんかされちゃいけねぇ。俺は期待なんかされちゃいけない人間なんだ)
「誘導尋問とやらじゃねぇのか?」
そうやって笑って誤魔化す。
相手が天使であろうと人間であろうと悪魔であろうと、神であろうと、期待されるわけにはいかなかった。この世界の住民には気付かれてはいけない。決して悟られてはならない。
「誘導尋問ではありません。私は嘘を言う機能なんてありませんから」
「そっか。でもな、これは復讐なんだよ。だから、他人は巻き込めない」
できれば戦わずしてここから出たかった。誰にも期待されず、気付かれず、ここを抜け出して……そして復讐が叶ったら、消えるように失くなりたかった。
「ではやはり私と戦いますか?」
「まぁ、それはあまり望まな――ぁ……カハッッッ」
形勢逆転。
しゃがんで、横に刃を向けた長刀の攻撃範囲から逃れたかと思えば、小さい手、細い腕からは考えられないような力で千のみぞおちを殴り、嗚咽した千が落とした刀を拾い、首筋に突き付けた。
書き換えなど使わず、ただの暴力で覆されてしまった。
「世界を変える気はありませんか?」
勧誘。否、命令、強要だ。この目……嘘を吐いているようには見えない。それに、復讐する前に、ここで死ぬ気はない。
「天使を殺すために天使の力を借りる……ね」
(おかしな話だな。……でも、どうせ協力するなら……。そろそろ……かな)
「はい?」
発動。
条件付き書き換え――他人が施術主への攻撃意思を持って刀を握ると消失――が、千が動き出したと同時に発動した。
「な……!」
刀が溶けて消えていく。さっきまでの柄の感触が突然なくなった天使は一瞬動きを止めた。
「負けてしぶしぶってのもあれだろ?」
天使の後ろを取り、左手できつく抱き寄せ身動きを封じて、書き換えで呼び出した銃を突き付ける。
「まぁ変えられるモノなら変えてみたいね」
そうやってへへへと笑いながら、心の中では冷静だった。
(俺たちを殺したあいつを探すために協力しよう。何か見つかるかもしれない)
それに、こんな運命、断ち切らないといけない。天使が人を殺す。そんなことあってはならない。変えないといけない。
死んでから再び目覚めて、天使に対して、神に対して、殺しても消えることがないくらいの憎悪を、一時も忘れたことはない。
ただ抑えこんできた。自分には力がない、と。
あの日。神の改変が起きたとき。
自らの無力さを痛感した。神の顕現時、その神による世界の忘却という書き換えを止めようとした。でも、変えられなかった。小さな波は所詮大きな波に飲まれるだけ。
それからようやく決心した。空気のようにこの世界を通り抜けようと思った。そして、あの天使をこの手で……そんな夢物語を描いた。神が見過ごすはずもないのに。
神に怯え、神から逃げ。
でも、彼女は言う。
「貴方はかえられるかもしれない」
銃を突き付けられているのに、信じられないほどの冷静さで、天使は言う。千にその力があると。
だが、データの書き換えは天使のそれとさほど変わらない。本当に世界を変えられる力があるのか。
(過去さえぬぐえない俺が……ね)
変えられるのかどうか、分からない。自分にあるのは憎しみだけだ。激しい憎しみから生まれるのは破壊であって、創造ではない。
でも、その破壊が変化をもたらすならそれもよしとしよう。
誰に対しての笑みか。何に対しての笑みか。
千は小さな笑みを洩らして天を見た。
空は青い。その先には――
「未来が欲しいのでしょう?」
未来。……未来?
千は過去を引きずっているだけだ。次の生もまた過去――死の真相のために必要なだけだ。
未来を創っていくわけではない。
そこが神との違いだろうか。千が神を越えられないゆえんだろうか。
「俺にできると思うのか?」
家族を守りきれず、期待を許されていない青年だからこそ、少女の思いに嬉しささえ覚えた。
「私は貴方に可能性があるという答えを見出しました」
神に近い、天使の言うことならば、それは本当なのかもしれない。だからといって、自分は何をすればいいのか。
「世界をかえる……か」
復讐なんかより、もっと偉大なことだろう。神を超えることになるのかもしれない。だとすれば彼女は何に期待しているのか。そんな芽は早く摘んだ方が良いのではないのだろうか。
千は反逆者であるというのに。
「私は貴方に一時休戦を申し入れます」
「右に同じく」
青年の中にはいつしか憎悪以外の感情が芽生えていた。天使に憎悪以外の感情を抱くのは初めてのことだ。
希望? 期待?
(他人に期待を転嫁してんのか? 俺ってどこまでクソ野郎なんだよ)
ずっと天使の頭に当てていた銃を消し、左手で縛っていた身体を解放する。
「わかったよ。かえてやる」
確証が無いことを言った。前代未聞の大嘘だ。でも、未来では……真実になっているだろうか。
「期待しています」
「期待……? やめてくれよ」
ただの脱獄犯は闇に葬られる所であったのだが……、今、その脱獄未遂犯は神の反逆者予備群となっていた。
まずは、こんな駄作を読んでくださりありがとうございます!
初投稿なので、温かく見守っていただけると幸いです。
間違って短編の方に投稿してしまいました(泣)
連載の方で続けますのでよろしければ見てやってくださいませm(__)m