転生したらうんこでした~スライムより弱くてすいません~
目が覚めた。
空が見えた。青い。腹が立つくらい青い。
風が木の葉を揺らしている。鳥らしきものが鳴いている。遠くで水の流れる音もする。
異世界だ。そこまでは理解した。
俺は会社帰りにトラックにはねられた。夜道だった。コンビニの袋を下げていた。中身は唐揚げ弁当と発泡酒。
横断歩道に入ったところで、やけに白いライトが近づいてきた。
そこから先はない。だからこれは転生だろう。問題はそこではない。
「……手がない」
声は出た。なのに口がない。足もない。首もない。
寝返りすら打てない。視界だけが妙にはっきりしている。地面すれすれの高さから、草の根元と土の粒が見えた。嫌な予感がした。かなり嫌な予感だった。
目の前に半透明の板が浮かんだ。
名前:なし
種族:排泄物
レベル:一
スキル:肥沃化 臭気 発酵
「……排泄物」
俺は地面に落ちていた。
丸く。茶色く。まだ少し温かく。
見たくないのに分かる。
俺はうんこだった。
「ふざけんな」
誰に言えばいいのか分からないので空に言った。空は青かった。返事はなかった。勇者ではない。
魔王でもない。スライムですらない。うんこ。異世界転生で最初に引く種族としては、底の底だと思う。
しばらく固まっていると、草むらが揺れた。透明な丸いものが出てくる。スライムだった。ぷるんと跳ねる。濡れたゼリーみたいな体で、俺の前に止まった。
俺は息を呑む。息をする器官がないので気分だけだ。
「おい」
スライムは何も言わない。ぷるん。俺の前で一回跳ねた。そのまま横を通り過ぎていく。
避けた。確実に避けた。
「待て。今、汚いものを見る感じで避けただろ」
ぷるん。スライムは森の奥へ消えた。
俺は負けた。スライムに負けた。
戦ってもいないのに負けた。俺がスライムだったら、うんこには近づきたくない。そこは分かる。分かるから余計に腹が立った。腹もないのに。
昼が過ぎた。
何も起きない。夜が来た。まだ何も起きない。虫が来た時は本気で終わったと思った。丸い小さな甲虫が俺の横をうろうろしていた。
「やめろ。俺はまだ意識がある。食物連鎖に組み込むな」
甲虫は聞いていない。前足で土を掻き、俺の近くを一周して去った。助かった。尊厳はもうないが、追い打ちを食らわずに済んだ。
翌朝。俺の横に小さな芽が出ていた。細い緑の芽だ。昨日はなかった。
風に揺れている。
「……お前、俺から生えたのか?」
ステータス欄のスキルが光る。肥沃化。名前がそのまますぎる。俺の周囲の土だけ黒く柔らかくなっていた。小さな芽はそこから三本。よく見るとさらに小さい芽もある。
うんこらしい仕事だった。認めたくない。けれど否定もできない。三日経つと、俺の周囲は草むらになった。
五日目には白い花が咲いた。虫が寄ってくる。小鳥も来る。例のスライムも通った。今度は俺を避けず、花の横で止まる。
「どうだ。見たか」
ぷるん。
「俺の実力だぞ」
ぷるん。
「何か言え」
スライムは花の蜜に寄ってきた虫を取り込み、満足そうに跳ねて行った。
「俺の花を餌場にするな」
声は届かない。森は平和だった。俺だけがやや納得していなかった。
その日の夕方から雨が降った。最初は細い雨だった。それがだんだん強くなる。地面を水が流れ、俺の体の端を削っていった。
「おい。これまずいだろ」
茶色いものが土に染みる。体が崩れていく感覚がある。痛みはない。痛みがないのに怖い。俺は死ぬのか。人間として死んで、うんことして目覚めて、雨で流れて終わるのか。
せめてスライムに一矢報いたかった。そんな小さすぎる未練が頭をよぎった時、雨の向こうから足音が聞こえた。ばしゃばしゃと泥を踏む音。小さな女の子が森に飛び込んできた。
十歳を少し過ぎたくらいか。茶色い髪を布で結び、肩に籠を提げている。服は泥だらけ。頬に雨が流れていた。
「銀露草……どこ……」
少女は地面を探していた。泣きそうな声だった。俺の横に、葉の縁が銀色に光る草がある。昨日まではなかったやつだ。
半透明の板が勝手に出た。
銀露草
熱下げの薬草
栄養の多い湿った土に生える
「ここだ。こっち」
少女は気づかない。当たり前だ。うんこの声が聞こえる少女などいてたまるか。
「右。いや左か? 俺から見て右。お前から見てどっちだ」
少女は別の茂みに手を伸ばした。そこには棘のある草しかない。
「違う違う。こっちだって」
どうにかしようと意識を向けた瞬間、俺の体から臭いが広がった。自分でも分かる。きつい。少女がぴたりと止まった。
「くさっ」
「すまん」
少女は鼻を押さえた。それでもこちらへ近づいてくる。臭いの元を探す顔だ。かなり嫌そうだった。その目が、俺の横で止まる。
「あった!」
少女は膝をつき、銀露草を摘んだ。籠の中へ大事そうに入れる。
「これでお母さんが……」
その声だけで、雨の音が少し遠くなった。少女は走って森を出ていった。俺は半分ほど土に染み込んでいた。
「まあ……役に立ったならいいか」
言ってから変な気分になった。いいか、で済む状況ではない。俺はうんこである。しかも流れかけである。
だが少女の顔は、さっきより少しだけましになっていた。それでいいと思ってしまった。雨は夜明け前に止んだ。俺は消えていなかった。
地面の中に広がっていた。体がなくなったのではない。土の中へ混ざり、根のように伸びている。草の根。虫の通り道。湿った土の冷たさ。全部がぼんやり分かる。ステータスが変わっていた。
名前:なし
種族:肥沃な土
レベル:二
スキル:肥沃化 臭気 発酵 微生物操作
「出世した……のか?」
排泄物よりはいい。いいはずだ。土ならまだ村にも置ける。うんこは置けない。
翌日、少女がまた来た。今度は晴れている。手には小さな包み。俺がいた場所の前にしゃがみ、包みを開いた。固そうな黒パンが一切れ入っている。
「昨日はありがとうございました」
「聞こえてるのか?」
少女は首を傾げた。
「声は聞こえないけど、ここに何かいる気がします」
やめた方がいい。その何かは元うんこだ。少女は黒パンを土の上に置いた。
「お礼です。私はミナっていいます」
「俺は……」
名前。前世の名前は佐伯修一。呼ばれていたのはサエキか、たまにシュウ。どちらもこの黒い土にはしっくりこない。
迷っている間に、黒パンがじわじわ柔らかくなった。土に混ざる。微生物が分解する。俺の中へ温かさが広がった。
「食えるのか。いや、食うって言うのかこれ」
ミナは土に向かって話し続けた。母親の熱が下がったこと。村の畑が不作なこと。領主に納める麦が足りないこと。
薬草も減って、村の大人たちが困っていること。俺は聞いていた。返事はできない。正確には声は出せるが、彼女には届かない。
それでもミナは時々うなずく。土の湿りや匂いの揺れで、何か伝わっているのかもしれない。
「村の畑も、ここみたいだったらいいのに」
ミナがぽつりと言った。その言い方が妙に残った。願いというより、こぼれた音だった。俺は土の中へ意識を向ける。
森の落ち葉。枯れ枝。虫の抜け殻。獣の糞。腐った果実。そういうものを分解する。黒い土へ変える。試しに近くの枯れ枝を一本崩してみた。
ぽろりと割れ、柔らかい土に混ざる。できた。
「ミナ。畑の土を持ってこい」
声は届かない。言葉ではない。土の湿りが、かすかにミナの指先へ伝わった。ミナの指先がぴくりと動いた。
「土?」
「そう。畑の土」
ミナはしばらく目を瞬かせたあと、村へ戻った。昼過ぎに小さな布袋を持って帰ってくる。中には灰色っぽい土が入っていた。乾いている。
硬い。手で握れば固まり、そのまま崩れない。栄養が足りない土だと何となく分かった。俺は布袋の土に意識を入れた。
森の黒土を少し混ぜる。微生物を増やす。乾いた土の中に細い隙間を作る。色が変わった。灰色から黒へ。ミナが息を止めた。
「すごい」
「まあな」
届かない声で得意げに言う。ミナは黒くなった土を大事そうに布袋へ戻した。その日から、ミナは毎日森へ来るようになった。最初は布袋。
次に籠。その次は小さな荷車。畑の土を持ってきて、俺が直す。直すという言い方でいいのかは知らない。
乾いて固まった土を柔らかくする。枯れた葉を分解する。水を抱えやすい土にする。根が呼吸できる隙間を作る。やっていることは地味だ。剣を振るでもない。魔法で山を砕くでもない。
泥をいじっているだけ。けれどミナは毎回嬉しそうだった。
「芽が出ました」
「早いな」
「麦の葉が前より太いです」
「それはいい」
「お母さんが、畑を見て笑ってました」
そこで俺は少し黙った。何か返そうとしたが、土の中で言葉がほどけた。森の端に白い花がまた増えていた。村の人間も、やがて森へ来るようになった。
最初は遠巻きに見ていた。ミナが土へ話しかけるのを、大人たちは困った顔で見ていた。だが畑が変わると態度も変わる。村長が来た。
白い髭の老人だ。腰は曲がっているが、目は濁っていない。
「森の恵みをくださる方よ」
「やめろ。そういうのは本当にやめろ」
村長は膝をついた。後ろの村人も頭を下げる。ミナだけが少し困った顔をしていた。
「今年を越せぬと思っておりました。どうか、この村をお助けください」
大げさだ。そう思った。だが村人たちの服は薄く、手は荒れていた。子供たちは痩せている。
俺は前世で、スーパーの総菜に半額シールが貼られる時間を気にしていた。それだって切実だった。けれどこの村の切実さは、土の乾きに似ていた。少し崩せば、すぐ下から飢えが出てくる。
「分かったよ」
声は届かない。俺は森の落ち葉を黒い土へ変えた。村の畑は少しずつ持ち直した。麦が伸びる。
豆が実る。薬草が増える。ミナの母親は森へ焼き菓子を持ってくるようになった。俺は食べられない。
いや、分解はできる。食べるという言葉を使うと自分が嫌になるだけだ。
問題が来たのは収穫前だった。銀色の飾りがついた馬車が村に入ってきた。代官だ。領主の代理人。
腹の出た男で、靴だけやたら立派だった。畑の畦を歩くたび、村人が慌てて頭を下げる。代官は麦の穂をつまみ、鼻で笑った。
「不作と聞いていたが、ずいぶん育っているではないか」
村長が腰を折る。
「森の恵みに助けられまして」
「なら納税量を増やせるな」
村人たちの背中がこわばった。ミナが母親の袖を握る。村長の喉が動いた。
「お待ちください。ようやく冬を越せる見込みが立ったばかりで」
「畑は領主様のものだ。お前たちは使わせていただいている」
代官の靴が麦の根元を踏んだ。黒い土が潰れる。俺は畑の土の中でそれを感じていた。嫌な音だった。
「それに、森に特別な肥料があるそうだな」
代官の声が少し変わる。村人たちは誰も答えない。
「隠すな。領主様へ差し出せ。村人ごときが持っていてよいものではない」
ミナの袖を握る指が白くなった。代官は兵士を連れ、森へ向かった。案内役にミナが選ばれた。村人たちは止められない。
止めれば罰が来る。そういう沈黙だった。森に入った兵士たちは、草を踏み荒らした。薬草が折れる。
白い花が潰れる。例のスライムが草むらから顔を出し、すぐ引っ込んだ。
「この辺りです」
ミナの声は小さかった。代官は黒土を見下ろした。欲の色は、土の中からでも分かる。
「掘れ。全部だ」
兵士が鍬を振り上げた。その時、俺は臭気を放った。遠慮はしなかった。森の空気が一変する。
兵士の動きが止まる。代官の顔がみるみる歪んだ。
「ぐっ……何だこれは!」
「臭いです!」
「誰だ! 誰がやった!」
「俺です」
もちろん聞こえない。俺はさらに発酵を走らせた。落ち葉が熱を持つ。白い湯気が土から立ち上る。
微生物を一気に増やし、足元の黒土をぶくぶく泡立たせた。兵士の一人が後ずさる。
「土が……土が生きてます!」
「馬鹿を言うな! 掘れ!」
代官が怒鳴る。だが声が裏返っていた。ミナが一歩前に出た。膝は震えている。
それでも下がらない。
「この森の土は、無理に取ると怒ります」
「小娘が」
代官が手を上げた。その靴の下で土を盛り上げる。ついでにミミズも出した。甲虫も出した。
スライムも出てきた。スライムはなぜか代官の靴に張り付いた。
「ぎゃあああああ!」
代官は尻もちをついた。立派な上着が黒土まみれになる。兵士たちはもう掘る気をなくしていた。鼻を押さえ、目を潤ませ、じりじり後ろへ下がっている。ミナは代官を見下ろしていた。
何も言わなかった。それが一番効いた。代官は叫びながら逃げた。
「覚えていろ! 呪われた森め!」
馬車は来た時よりずっと早く村を出ていった。後に残ったのは踏み荒らされた草と、黒土に残る靴跡だけだった。ミナはしばらく立っていた。それからその場に座り込む。
両手で顔を覆った。泣いてはいない。肩だけが揺れていた。
「怖かったな」
声は届かない。森の風が彼女の髪を揺らした。俺は踏み荒らされた薬草を、少しずつ土に戻した。
代官は領主に、森が呪われていると報告したらしい。臭い魔気を吐き、地面を泡立て、虫とスライムを操る危険な場所。なかなかひどい。だが効果はあった。
領主は森に近づかなくなり、納税量を増やす話も消えた。村人たちは森の入り口に小さな柵を作った。誰でも勝手に土を取らないように。必要な分だけ持っていくように。
ミナがそう決めた。
村は変わっていった。痩せていた畑は黒くなった。新しい井戸が掘られた。薬草を売る小さな店ができた。
子供たちが森の手前で遊ぶようになった。俺の周りには白い花が増えた。例のスライムも住みついた。毎日、俺の上をぽよんぽよん跳ねる。
「お前な。最初に俺を避けたよな」
ぷるん。
「忘れてないからな」
ぷるん。
「返事になってない」
スライムは花の横で丸くなった。腹立たしいほど自由だった。
ある夕方、ミナがひとりで森へ来た。最初に会った時より背が伸びていた。髪を結ぶ布も新しくなっている。彼女は俺の前に座り、膝の上で手を重ねた。
「村長さんが、この森に名前をつけようって言ってました」
「名前?」
「肥沃の森、だそうです」
「そのままだな」
「私もそう思いました」
ミナは少し笑った。それから、土に触れた。
「それで、あなたにも名前をつけたいんです」
俺は何も言わなかった。佐伯修一。前世の名前が頭をよぎる。上司に呼ばれ、同僚に呼ばれ、役所の書類に書いた名前。
嫌いではなかった。でも今の俺はもう、あの名前だけでは収まらない。人間だった。うんこだった。
土になった。花を咲かせ、畑を育て、代官を臭いで追い払った。こう並べると本当に何だこれ。
「クロツチ様、なんてどうでしょう」
「様はいらない」
ミナは首を傾げた。
「今、ちょっと嫌そうな気がしました」
「様だけな」
「クロツチ、なら?」
ステータスが光った。
名前:クロツチ
種族:肥沃な土
レベル:七
職業:森の守り手
スキル:肥沃化 臭気 発酵 微生物操作 土壌再生
森の守り手。ずいぶんまともな職業になった。最初の種族欄を思い出すと涙が出そうだ。涙は出ない。
土だから。
「これからもよろしくお願いします。クロツチ」
ミナが頭を下げた。様が抜けた。よし。
夕日が森の奥を赤く染めている。畑の麦が風に揺れる音がした。遠くで子供が笑っている。
俺は勇者ではない。魔王でもない。スライムですらない。転生したらうんこだった。
そこはもう変わらない。けれど今、俺の上には花が咲いている。根が伸びる。虫が土を耕す。
村の明日の飯が、ここで育っている。悪くない。
そう思ったところで、スライムが俺の黒土の上に乗った。ぽよん。
「おい。そこは寝床じゃない」
ぽよん。スライムは聞いていない。ミナが笑った。森は今日も息をしていた。




