第6話 知的好奇心の化け物
「一度見たものは――絶対に忘れないんです」
ラスはその言葉に一瞬、怯んだ。そう言ったヴァンの金色の目が、燃えるように揺れて見えたのだ。
「そして絶対に、諦めるつもりもない」
同時に、彼の青みがかった黒髪は、漆黒ではないことに気づいた。ドラゴンと同じ色――偏光色。光が当たると虹色の光沢を返している。彼にその目で見つめられると、まるで巨大な竜に睨まれたかのような威圧感すら感じられた。
「一度知りたいと思ったら、自分でも止められないんです。自分のこともわからないまま死ぬなんて――気が狂いそうで」
ああ、竜の番持ちは皆こうだ――
その姿には既視感があった。騎士団や王族でたまに出会うことがあった、竜の番たち。彼らはみな、どこか常軌を逸していた。
――子供でも対峙するだけでこんなに疲れるのか。軽い聞き取り調査のはずだったんだが…
狼狽しつつも、ラスは膝を叩いて座り直した。
――彼は自分の生徒だ。向き合わねばならない。
「しかし――しかしだ。ヴァンくん、君は捨てられた当時のことを覚えていないと言ったろう」
ヴァンは目を見開き、副校長を見た。笑い飛ばされるか、疑われるか、信じても気持ち悪がられるだろうと――話など聞いて貰えないと思っていた。
「そうは言ったんですが…実際は、覚えていないのではなく、記憶を消されたのではないかと思ってます」
「記憶を?」
実はヴァンには、胎内記憶がある。目を閉じれば昨日の事のように、母親の胎の中で聞いた歌――優しい声が思い出せる。子守唄のような、童歌のような――
"ビュービュー風吹く大地にはー♪
大きな大きなドラゴンが…"
しかし、そこから四歳頃――太古の森に捨てられるまでの期間、ぽっかりと記憶に穴が空いているのだ。
「養父も驚いていたように、当時の僕の頭には、記憶ではなく知識のみが残っていました。
今も、当時の知識がどの本の、どのページに記載されていたかまでわかる。でもその本をなぜ読んだのか、どうやって手に入れたのかは思い出せない」
ラスは紅茶を飲む手を止め、厳しい顔で言った。
「では君は、親のことも、なぜ自分が森にいるのかもわかっていないのに、ただその森で生きていたと?」
その声色にはこれまでにない、非難めいた響きがあった。ヴァンを捨てた両親へ憤ってくれているのか――荒唐無稽な話に呆れているのか。
「そうですね――言われてみれば。そんなこと、考えもしませんでした」
「そんなこと?」
素っ頓狂な声が響いて、ヴァンは笑ってしまった。
「目の前に、これまで目にしたことのない植物や生き物が沢山ありました。美しかったし、楽しくて…」
太古の森は、本当に美しい場所だった。空気は澄み渡りひんやりとして、凶暴な魔物の気配もなく、生き物たちの声は和やかで静かだ。
奥地では、頂点が見えない家屋のような太さの巨木が立ち並び、ありふれた花々さえもが、本来の姿の何倍も強く巨大に育っていた。季節が巡るたび、その雄大さに圧倒されたものだった。
活き活きとそれを話していたヴァンだったが、ふと自分の熱量に気付いて恥ずかしくなり、咳払いをして話を戻した。
「森に捨てられた途中からの記憶は完全です。この力を活かして、ここに入学する方法を調べました」
「調べると言っても――どうやったんだね?記憶力があるからといって潜入はできんだろう。それとも、我が国の城下町には潜入のススメが書いてあるマニュアルでも売っているのか?」
――実に、上流階級らしい質問だ。ラス副校長は、生活に窮したことなどないのだろう。
「学のない平民にとって知識や情報は金ですよ、先生」
街をよく知る貧しい子供には食べ物の見分け方を教え、街の情報をもらった。商人には、宝石の見分け方を教える代わりにお金をもらった。お金が手に入ってからは楽だった――この世の中、大抵のものはお金で買える。
「記憶力については、証明は簡単です。読んだことのある本なら諳んじて見せますよ」
ラスは半信半疑といった様子でいくつかの叙事詩をリクエストしたが、ヴァンは目の前にある原稿を読むかのように澱みなくそれを諳んじて見せた。
「全く…、わかった、納得した。とんでもない人材が隠れていたものだな」
「まあ、便利なようで――前期試験はボロボロでしたけどね」
ラスが不思議そうな顔をしたので、ヴァンは言葉を選びながら説明した。
「読み書きがまだ普通にはできないんです。故郷の言葉は古代語だったので」
一度見たものを忘れないとはいえ、初めて見る文字を発音、意味と一緒にすぐに使いこなすのは難しい。言葉を話し、読み書きをするには、幾万とある記憶の引き出しから都度正解を見つけるのでは遅すぎる。自分の知識として染み付かせる必要があるのだ。
「だから結局勉強は必要っていうか。後期試験は善処します」
「いやいや、そうしてもらわねば」
ハッハッハと、和やかな雰囲気でその日は終わる――かと思われた。
「これは、独り言だがね」
話を終え、席を立とうとしたヴァンに、ラスが声をかけた。
「ヴァン・アドベントの経歴は書面通りだったと。そういうことにしようと思う」
天気の話でもするかのような調子でラスは続けた。
「君は血統破りの天才で、才能の卵だ!学園のいい宣伝になる」
口調は朗らかだが、どこか空々しい。真意は言外にあると暗に伝えているようだ。
「そうでなくては――それだけの能力。大人は飛びつくだろう。王族の愛人の嫡子だなんだと捏造されかねない」
―『お前は、他人にとって利用価値があると言っているのだ』
頭の中に声が響いた。気付けばヴァンの肩に黒竜が鎮座し、こちらを見ていた。困惑していたヴァンにラスの真意を伝えるつもりらしい。
「用心することだ、ヴァン。国家に目をつけられたなら、私も味方でいられるとは限らん。目立ちすぎず…かといって、竜を従える以上は凡庸でもいかん。君を…君の野望を、私個人は応援しているよ」
ラスは、今度はヴァンを真っ直ぐに見てニッコリと微笑んだ。
『食えぬ男だ――信じすぎるなよ、ヴァン』
黒竜は警告を残し、ふっと燃えて消えてしまった。
ヴァンは、先程のラスの言葉を思い出していた。
親のことも、なぜ森にいるのかもわからずに、ただ生きていたのか――?
太古の森ではしゃいでいたあの頃の自分は、あえて考えないようにしていたのだろうか。親に捨てられたという事実を。
――だって俺の好奇心は、生まれつきだ。疑問に思わないはずはない。
高い高い木々の間から夜空を見上げ、小立で眠りについたあの日。
なかぬか寝付けなかったのは、疲れからではなく、悲しみや寂しさからだったのかもしれない。
夢中でこの背中の謎を解こうとしていたのも、知的好奇心だけではなく、両親のことを――。
そこまで考えて、ヴァンは首を振った。
今更、出自や生みの親に思いを馳せるなんて。いじらしいにもほどがある。養父という立派な親がいるのだから、子どもを捨てるような人間のことで悩むなど馬鹿らしいことだ。
1人、応接室を後にするヴァンの背中を見送ってから、ラスは悲しげに呟いた。
「難儀なものだ――若いとは素晴らしい」
ドサッ。
そんなラスの頭上に突然、大量の紙束が落下した。
「シルフ――ぐわっ」
ラスが妖精の名を呼び切る前に、さらに次の紙束が。ようやくそれをかき分けた顔に、また紙束が。それらは言うまでもなく、ぷりぷり怒った妖精が持ってきた仕事の山である。
『いつまで話してんのよ!あの黒トカゲ使いの報告書は10分で書いてよね!あと二十件は処理してもらうわよ』
「…難儀なものだ」




