第3話 黒き竜
パキッ。
黒く、巨大な卵にヒビが走る。教室の全員が息を呑んでそれを見ていた。頂点に空いた小さな穴から鋭い爪が覗く。一瞬の後、殻は完全に砕け散った。
「ドラゴン!」
「ドラゴンだ」
「飛竜?」
「やば」
クラスメイトの声が飛び交う中、ヴァンは立っていられず壁にもたれかかっていた。視界も霞んで、卵から生まれた何かが見えない。
黒い――黒いことは分かる。瞬きする度に頭痛はひどくなった。今や頭が鉛のように重く感じる。魔力切れ――いやこれは――
「貧血だな。軟弱者め」
呆れたような赤毛の声。ヴァンは言い返したかったが、ぐるんと視界が回転し、鈍い衝撃を感じながら意識を手放すしかなかった。
――どれぐらい時間が経ったのかわからない。
意識を取り戻したヴァンの目に飛び込んできたのは、小さな妖精の不機嫌そうな顔だった。ヴァンの顔を覗き込んでいた妖精は、すぐにひょいと引っ込んだ。その向こうには――全く見覚えのない、知らない天井が見えた。
まだ身体は随分重く感じていた。
だが、知らない場所への警戒心の方が強く、ヴァンは無理やり身体を起こした。
起き上がって気付いたが、今まで横になっていたのはソファベッドの上だったようだ。安いベッドとは比較にならないほどふかふかな素材で、赤と金の豪華な装飾が施されている。壁には金縁の絵画、天井には蝋燭のシャンデリア。目に映るもの全て、埃ひとつない。どこからかお香のような香りもしていた。
お城にでも誘拐されたのか?と半ば本気で思ったが、所々にある紋章を見るに、かろうじて学園内なのだと理解した。
ソファの傍らには手のひら程の大きさの妖精が座っていた。薄緑色のワンピースを着て、長い髪を櫛で梳いている。
――なんだか、細部まで精巧に造られたおもちゃみたいだ。
ヴァンはいつも通り好奇心が顔を出すのを感じたが、こんなに小さくても女の子だ。ガン見するのは抵抗がある。傍らには氷枕やタオルもあり、彼女はどうやら看病してくれていたらしいが、あんなに小さな手で持てるのだろうか?
妖精はヴァンと目が合うと、礼を言う間もなくツンとした態度でそっぽを向き、部屋の奥にあるドアのほうへと飛んで行った。
『ラス!ラスフォーチュン!起きたわよ!』
そう叫びながら、妖精は小さな身体をドアにめいっぱいぶつける。するとすぐにドアの向こうから慌ただしい音がして、卵に足が生えたような体型の初老の男が現れた。
「おお、おお、すまないね、いやはや。ヴァン・アドべントくん!目が覚めてなによりだ」
そうまくしたてながら、杖を振って全てのカーテンを閉める。一連の動作があまりに素早いので、ヴァンには素手で虫でも払ったかのように見えた。
「さあ、君にはたんと聞くことがある。まったく。今年は色々と忙しい。違うかね?」
その問いかけは特に答えを求めているわけではないようで、ヴァンが口を開く前にラスが二の句を継いだ。
「貧血だったか。気分はどうだ?ちょうど効能のいい茶葉がある、待っていたまえ」
「はあ…」
やはり、ヴァンの返事はあまり聞いていないようだ。男はこちらを見もせずに、せかせかとお茶を用意し始めた。
――正直ガブガブ水が飲みたいんだけど。
なんて言えない雰囲気だ。
繊細な意匠のティーカップに入った紅茶と、あからさまに高そうなケーキを差し出すと、男はヴァンの正面にどっかりと座った。その勢いと重量に、ソファは少々哀れな音で軋んだ。
「さて。食べたまえ。美味なものを口にすると人間口が軽くなるものだ。もっとも?君に隠し事などないだろうが」
男は意味ありげに片眉を上げる。ヴァンは状況が全く分からず、曖昧に笑った。
「ウン、美味い!やはり紅茶はこうでなくては。失礼、名乗り遅れたな。私の名前はラス・フォーチュン。この魔法学校の副校長だ」
「ふ、副校長」
忙しすぎて誰もその姿を見たことがないという噂の人物だ。あまりに珍しいので、副校長を見かけたら幸運が訪れるなんて噂すらある。ヴァンも会ったことはおろか、目にしたのも今日が初めてだった。
「あ、いや、その…ヴァン・アドベントといいます」
「フッフ、わかっておる!困惑も理解している。順を追って説明しよう」
副校長は、ヴァンが教室で倒れたこと、また医務室の教師が不在だったため回復魔法に長けた自分が対処していたと話した。
「そうですか――ありがとうございました」
「なに!気にすることはない」
礼を述べたが、ヴァンの頭の中には警鐘が鳴り響いた。なぜ、副校長が自らイチ生徒の看病をする?ベリー教諭はどうした?――不自然極まりない。
「さて、君の番のことだが」
その言葉に、ハッとしてヴァンは当たりを見回した。そういえば、さきほど召喚したばかりの自分の番らしき姿がない。召喚後は常に行動を共にするはずだ。
「いやいや!安心してくれ、別の場所にいる。少々――珍しい個体だったのでね。確認のためだ。なに、今頃は研究室でおやつでも食べているだろう」
『珍しい個体』――段々と緊張感が高まっていくのを感じていた。
「ぜひ、君のご家族について聞きたいね。ご職業だとか…番のことも。普通の生まれではあるまい」
ヴァンはこの言葉を聞いて確信した。
―やはり、俺は竜族の番を召喚してしまったのだ。
恐らく、故に出自を疑われている。不自然なもてなしも、貴族の息子であることを警戒してのことだろう。
これは面倒なことになった――入学にあたっては、いくつか経歴に『誤魔化した』ところがある。ここまで来て、退学や停学を食らってはたまらない。
―真実を正直に話すか?
まあまあ暗い話だ。もしかしたら同情して、理解を示してくれるかもしれない。
―それとも適当にぼかそうか。
多くを語らない、という手もある。
…しかし、目の前の有能そうな眼差しにヴァンは怯んでいた。誤魔化しは見透かされる気がしてならない。
「どうした?大した質問じゃなかろう」
「あー…いや、すみません。まだ頭がボーッとしていて…お話はゆっくりと後日、とはいきませんか」
引き伸ばして対策を、と謀ったヴァンだが、それは呆気なくラスに一蹴されてしまった。
「おや、これは気が利かず申し訳ない。しかし、私も予定が詰まっていてね。改めるのが難しいんだ」
ひょうきんな態度だが、譲る気はない様子だ。
「はは、あまり気構えないでくれ。血筋など、実力とは関係ない瑣末なものだ。ただわが校としては、貴き家系であればそれなりの対応が必要になるのでね」
王族や貴族の『お忍び』は珍しくない。だが学校としては水面下で必ず把握している。周辺警護や対応の手続きも怠れない―当然だ。
しかし、万に一つ、副校長が出張ってきた理由――それが他国のスパイや、名のある犯罪者なんかのよくない疑義であったなら――ヴァンは非常にまずい状況だった。
ラスは柔和な微笑みを浮かべ、ヴァンの言葉を待っている。一先ず当たり障りない所から答えようとしたが、喉がカラカラだった。
ヴァンが先に紅茶に手を伸ばした、そのとき――
『それを飲むのは、やめたほうがいい』
応接室にラスでもヴァンでもない誰かの声が響いた。
「え」
机の上に突然煙が巻き上がり、その奥で月色の眼光が光る。
眼光の主の体が徐々に見えてくるにつれ、現れたものがなんであるかを察したヴァンは息を呑んだ。
――その体は、黒曜石のように黒々としていた。鱗の全てが呼吸に合わせて光を虹色に乱反射し、動く宝石のような妖しさをたたえている。
小さいながら芸術的なまでに美しい――
机の上に、小さな竜がいた。




