第36話 野良猫の隠し事
「とりあえず、落ち着いて話をしないか」
ヴァンがそう持ち掛けると、リーダーは仏頂面のまま路地の奥を指差した。
「この先に、おれたちのアジトがある。話したいならついてこい」
ヴァンは出てこようとするレックスを宥めながら、リーダーの孤児の後を追って薄暗くジメジメとした裏路地を進んだ。路地の途中には、今にも死んでしまいそうな子供が何人かぐったりと横たわっていた。土気色の肌、あばらの浮いた身体。栄養失調だろうか――ヴァンは胸が苦しくなるのを感じた。
『救えないのか』
レックスが苦しげに尋ねてきた。
(一時的に助けることができても、彼らをずっと養うことはできないから……この場で何をしても、自己満足になる)
だからこそあの孤児に出会ったとき、ヴァンは食べ物を見分ける知識を与えたのだ。自力で生きていけるように。
孤児がその知識を周りに共有することを、どこかで期待してもいた。この『ゴミ捨て場』の子供たちの生活が少しでもマシになればと。
――彼は、そうしなかったんだろうか?
ヴァンは、先を行くリーダーの背中をじっと見つめた。小さな背中だ。
『背負える命は、多くはないだろう』
レックスの言葉に、ヴァンは黙って頷いた。一人にちょっとものを教えたくらいで、路地の全員を救えるはずがない。他力本願で、傲慢もいいところだ。
ヴァンが一人そう自省を重ねるうち、孤児のリーダーは突き当りで立ち止まった。
「この家の人間は、このまえ全員が流行り病にかかって死んだんだ。それからはおれたちが使ってる」
本来住人のいなくなった家は自動的に競売にかけられる決まりだが、おそらくこの家の住人は死亡届を出せなかったのだろう。
空き家を利用している、といえば聞こえはいいが、実質乗っ取りだ。しかし極限状態の子供たちに何を言えるはずもなく、ヴァンはリーダーについてその家の戸をくぐった。
空き家の中は荒れ果てており、家具はほとんどなかった。脚が折れた椅子が2脚倒れているほかは、床にマットレスがそのまま置かれているだけだ。表面には茶色いシミがいくつも滲んでおり清潔そうではないが、子供たちは一目散にそのマットレスに走っていき、座った。
よそ者の分際でそこに座るというのも不自然なので、ヴァンはその近くの壁に寄り掛かるだけにした。
「それで、話ってのはなんだ。おれたちには用はないぞ」
「これも、かえさないもん!」
取り巻きの孤児が、鱗貨クッキーを守るように抱きしめながら同調した。
「えーと……ここには、探し物があって来たんだ。そのクッキーはあげるし、俺にわかることなら教えるから、話を聞かせてくれないか」
「クッキーひとつで情報交換?いやだね」
リーダーはつれない態度でフンと鼻を鳴らした。
「薬草について知りたいんだろ?それに、薬が必要なら力になる」
ヴァンの言葉に、リーダーは唸った。不満げな表情が、ケット・シーのクリムを思い出させる。この子、本当に猫みたいだ。
「ヴァン・アドベントっていったか。危ないから教えないんじゃないのか」
「ああ、そうだ」
「はあ!?」
今にも食ってかかってきそうな少年を、ヴァンは手で宥めながら続けた。
「待って、ちゃんと話を聞いてくれよ。まず、中途半端に教えることはできない。危ないからだ」
リーダーは眉を寄せてヴァンを睨んだ。
「さっきも言ったけど、ちゃんと教えるには文字の読み書きができないと。……でも読み書きはすぐに覚えられるもんじゃない。ここまではいい?」
「わかってる!バカにするな」
リーダーの強い眼差しから、見栄や虚栄ではないことがわかる。やはりこの少年は地頭がいいようだ。
ヴァンは笑顔で頷き、続けた。
「だから、扱いの難しくない薬草と、触ると危ない薬草のことだけを教える。俺が絵を描くから、君が覚えるんだ」
「……おれが?こいつらは?」
「いや、君だけだ。言っただろ、危ない知識なんだ。慎重になるべきだ」
「しんちょう」
「十分気を付けるべきだってこと」
リーダーはどうするかを考えているようだ。取り巻きの子供たちは、不安そうにリーダーとヴァンを交互に見ていた。
「薬の問題は……今の俺にはどうにもしてやれない。でも、本当に困ったらエルドリア魔法学校に来てくれ。代わりに薬を買って、届けるから」
孤児は鋭くヴァンを睨んだが、やがてため息をついた。
「薬のことは、へいきだ。おれたちに仕事をくれる大人がいて、薬も売ってくれる。少し高いけど……信用できる」
「……仕事をくれる、大人?」
「ああ」
なんだか怪しい話だが、彼らが信用しているのなら、今は触れるべきじゃないかもしれない。気になりはしたが、ヴァンは何も言わなかった。
「野草のことを教えてくれたのは、助かった」
リーダーは、小さな声でボソッと言った。
「この『ゴミ捨て場』で盗まなくても食べていけるのは、おれたちだけだ」
そう言って、彼は入り口とは反対側の窓辺を指差した。そこには秋のうちに集めたであろう、食用の木の実が積まれていた。
「……すごい。保存食か?ちゃんと洗って乾燥させてある……近くに紫泉花を置いてあるのも、えらい。これで虫がつきにくくなる。ちゃんと覚えてくれてたんだな」
「バカにするな」
二度目の台詞だが、今度は少し照れが混ざっていた。
「薬草の話がほんとなら、協力してやってもいい」
「マジか!?ありがとう」
ヴァンはぱあっと顔を輝かせて、孤児の手を握った。孤児は焦ったようにそれを振りほどこうとしたが、勢い余ってバランスを崩し、そのままひっくり返ってしまった。
「おい、大丈夫……か……」
助け起こそうとして、ヴァンは硬直した。リーダーの孤児の頭に、獣の耳が生えていたからだ。それだけではない。細い身体に大きすぎるシャツの隙間から、長く黒い尻尾も生えている。
「わぁーっ!」
取り巻きの孤児も駆け寄って慌てふためいてそれらを隠そうとしたが、時すでに遅しである。
「き、きみ……獣人?」
「う……」
半泣きのリーダーは、諦めたように頷いた。
「……おれは、半獣人なんだ。気が動転すると……こうなる」
「どうりで……猫っぽいと……」
「種族は豹だ!バカにするなあ!」
そう叫んで振り上げた孤児の両手の、爪は鋭く尖っている。半獣人が興奮すると爪や牙も変化するらしい。
(やばい、思ったより鋭い!)
引っかかれたらひとたまりもないので、ヴァンは狭い部屋を必死で逃げ回った。
「悪かった、悪かったって!気安く触ったからびっくりしたんだろ?」
「おんなのこに、きやすくさわるからよ!」
取り巻きの女児の言葉に、ヴァンは再度硬直した。
「おんなのこ?」
「ネロはおんなのこだよ!」
「バカ、言うなって!」
ネロと呼ばれた孤児のリーダーは女児に駆け寄って口を塞いだが、やはり時すでに遅しである。
「半獣人の、女の子かよ……」
髪が短く、一人称が「おれ」。華奢なのは栄養不足のせいかと思っていたが、どうも違ったようだ。
『女児なのは匂いで気付いていたぞ』
レックスがなぜか自慢げにそう言ってきたのを、ヴァンはため息で流した。もっと早く言ってほしい。
「じゃあその……ネロ。改めてよろしく」
「フシャー!」
気が動転しすぎたのか、ネロは威嚇で返事をしてきた。
事態を落ち着かせるのにかなり時間がかかったのだが、ヴァンはどうにか一同を宥めすかしてマットレスに座らせた。
「えと……本題に入ってもいいかな……」
「はやくしろ!」
「はいッ」
耳をしまったネロに、ヴァンは火鼠の捜索中であることを説明した。土埃の重なる床に指で火鼠の絵を描いてみせると、取り巻きの男児の一人があっと声をあげた。
「こいつ、この前のネロのじっけんのときに飛び込んできたやつだ!」
「ああ、あの時の」
ネロは合点したように頷いた。
「じっけん?」
「お前は怒るかもしれないけど...なんとか自力で薬を作りたくて、適当に草を焼いたり煮込んだりしてみてたんだ」
「おいおい」
ネロに案内され、ヴァンは隣の部屋を覗いた。
その部屋は最初の部屋と比べ、ものが多くごちゃごちゃとしていた。ものが多いといっても、脚が折れた椅子や頭の取れた人形など、ガラクタばかりで役に立つものはなさそうだ。
そしてその部屋の中央には、確かに鉄鍋と焚火の跡があった。ヴァンはすぐに駆け寄って付近に転がっている花や草を見分した。
「『じっけん』に使ったのはこのへんの草だけだよな?」
「うん...」
ネロは不安そうに頷いた。しっぽが出ていたらしゅんと垂らしていただろう。
「じゃあ大丈夫だ。危険な薬草はない」
「ど...毒が出たりとか、してないのか?」
「ああ、平気だよ」
そう言ってもネロは不安そうにしていたので、ヴァンは視線を合わせるために屈み、ネロの頭にぽんと手を置いた。
「平気だって。でも、もうするなよ?危ないから」
ネロはしおらしく頷いた。薬草が毒にもなると聞いて、ずっと不安だったのかもしれない。ヴァンはネロの頭を撫でてから立ち上がり、その部屋をもう一度よく見回してみた。
さきほどのリビングもそうだが、この地区の家の窓はなぜか当たり前のように割れている。壁沿いには割れた家族写真が今にも落ちそうにぶらさがっており、亡くなった家族を思うと少し悲しい気持ちになった。しかし今気にすべきなのは、その家族写真の上を通っている黒い焦げ跡のほうだろう。
「ここでビンゴだったかも」
――火鼠の燃える尻尾が、壁紙を焼いた跡。ようやく見つけた、決定的な手掛かりだ。




