第35話 ゴミ捨て場の野良猫
「――それで、帰ってきたのか?」
「ああ」
「はーあ、お前ってやつは…じゃあ結局、昨日はタダ働きか?人のこと言えないぞ」
明くる日、食堂で昼食を詰め込みながらレオに昨日の話をしたが、案の定バカにされてしまった。
「タダじゃないし。薬草もらったし」
「……物々交換て、お前」
酔っぱらいと別れたあと、ヴァンは一度学生寮に戻ることにした。
そのまま寝ずに火鼠を追ってもよかったが、真夜中にあの場所をうろつくのは得策ではない――戦略的撤退というやつだ。
「俺は5枚稼いだぞ」
ジャラっと見せられた銀鱗貨に、ヴァンは呻いた。
「どんな依頼やったのさ」
「屋根裏の鎌鼬の討伐。鎌もいい値段で売れてさ」
「くそ、いいなあ...」
「まあ、赤札ならこんなもんだろ。なるべく多めには稼ぐから、魔法薬の方は頼むぞ」
「ああ」
レオとグータッチして別れると、ヴァンは急いで城下町へと向かった。『ゴミ捨て場』を歩くなら――とにかく、明るいうちに捜索を終えなければならない。
西側の裏路地に近づくにつれ、人の数は徐々にまばらになっていった。時々見かける町人も、顰め面で荷物を大事そうに抱えて歩くようになっていく。
「盗みが多いからなあ...このあたりは特に」
『昨日の二の舞にはなるなよ』
レックスの忠告に、ヴァンは頷いた。
「見張りは頼むよ」
通りをひとつ、またひとつと進むと、さらに衛生環境は悪くなっていく。生ゴミがそこら中に散らかり、排泄物の匂いすら漂う。この先は正に、不浄の掃き溜めのような場所だ。
「『ゴミ捨て場』なんて、ひどい呼び方だよな」
ヴァンは悲しげにぽつりと呟いた。生活に困った家庭の子供は、決まってこのエリアに捨てられる。多くは娼婦の子供や、貴族の愛人の子などだ。不用意に細い路地に入れば、やせ細って肋の浮いた子供たちが物乞いに襲ってくるだろう。
レックスも不穏な雰囲気を感じ取ったのか、空から降りてきて近くに着地した。土埃が舞い、ヴァンは軽く咳込んだ。
――頭に着地してくれた時期が懐かしいな……今やられたら、竜に連れ去られる獲物みたいな構図になるだろうな。
苦笑いしながら、相棒に声をかけた。
「あんまり長居したい場所じゃない。サッと回ろう」
『ああ、澱んだ場所だ――いつでも呼べ』
レックスは鼻を引くつかせながら、黒い炎とともに姿を消した。
ヴァンがこの場所に来たのは、入学前――故郷の村を出たばかりのころ以来だった。あの頃はこのあたりが危険であるということもよくわからずうろついていたが、お金も食べ物も大して持っていなかったので、奇異の目で見られる以上の被害は特に受けなかった。偶然路地の出口付近で倒れていた孤児に木の実を分けたことで少し仲良くなり、近くの森に生えている食べられる野草について教える代わりに、城下町の情報をもらったことを覚えている。
今思えば、あれはとても幸運だった。もし倒れていたのがもっとひどい飢餓に襲われている孤児であったなら、持っているものをなにからなにまで奪われていてもおかしくない。
――あの時の子供、元気にしてるかな。
名前を聞かずに別れてしまったことがひどく悔やまれる。ほんの数か月前の話だが、流行り病の蔓延もあったのなら万が一ということもあるだろう。ヴァンはひどく陰鬱とした気持ちで、路地を進んだ。嫌な匂い以上に、不自然なくらいの静けさが気味の悪さを醸し出している。
「こんなところに、本当に火鼠が逃げ込んだのかな――」
そんな独り言を口にしたとき、膝裏に衝撃を受けてヴァンは転びそうになった。騎士団での修行の成果かなんとか踏ん張ることはできたが、膝をついたところで首筋に錆びたナイフが当てられていた。
「動くな」
黙ってその声に従っていると、近くの路地裏から3~4人ほど子供が飛び出してきた。齢は10歳よりは下といったところだろうか。痩せているが、『ゴミ捨て場』育ちにしては健康そうだ。子供たちは慣れた手つきでヴァンの身体検査を始めた。幼い手つきながら迷いはなく、ポケットの位置をよく把握しているようだ。
「この男、お金を何も持っていません」
「これ鱗貨?」
「バカ、それはお菓子だ」
子供たちが見つけたのはレオからもらった鱗貨クッキーだけだった。子供相手に暴れるわけにもいかず、ヴァンは降参の意味で両手を上げながら言った。
「このあたりで大金を持ち歩くバカはいないよ。取引しないか?何もしないから、一旦放して――」
「喋るな!信用できない」
ナイフを突きつけている子供が強い口調で言うと、ほかの子供たちも警戒心に満ちた目でヴァンを見つめてきた。
――どうやら、俺を拘束している子供がリーダーらしい。
「学生だけど、少しなら森の知識がある。それを教えるからさ」
「森の知識?」
身体検査をしてきた女児が、好奇心をくすぐられたようで聞き返してきた。
「魔物の生息域とか、安全な採取場所とか。食べられる草の場所――」
そこまで口にしたところで、リーダーの怒りに満ちた声がヴァンの話を遮った。
「うるさい、だまれと言っただろ!森の知識。食べられる草の場所。さっきから、アイツと同じようなことを言いやがって」
リーダーは強い力でヴァンの髪を掴むと、そのままぐんと後ろに引いた。怒りに満ちた顔が視界に飛び込んでくると、ヴァンは目を丸くした。
「君は――」
「昔、同じようなことを言って野草について教えてくれたやつがいた。でもそいつは、薬草のことを毒草だと説明した――嘘をついて、隠したんだ。貴重だから!」
そう話す孤児の顔を、ヴァンはしっかりと覚えていた。猫のように鋭い目つきと、大きな傷跡の残る頬。間違いない。昔ここで出会った、行き倒れていた子供だ。相手はヴァンの顔を覚えてはいないようで、怒りに任せてそのまま話し続けた。
「子供たちはすぐ熱を出すし、ケガもする。どうしたらいいかわからないのに、おれたちはたずねる相手もいない。極つけに、流行り病ときた」
流行り病――西風病のことだろうか。西方の国から持ち込まれた、高熱と咳症状が特徴の病だ。特に子供が罹患すると非常に危険だといわれている。
「ムリして鱗貨を用意しても、薬屋はおれたちを店に入れてもくれねえ。何人死んだと思う?なあ!」
鬼気迫る孤児の様子に、ヴァンは気圧されて何も言えずにいた。西風病の薬は調合難易度が高く、国の認可を受けている薬屋でなければ売っていない。そう、例えば薬屋『シャイロック』のような――
「もう、あんな思いはごめんだ。二度とよそ者のことなんて信用しねえ」
悲しみが転じた怒りであるだろうに、孤児は涙を見せはしなかった。ヴァンは言葉が見つからず、黙って唇を噛みしめた。
(なぜ、薬草の知識を与えなかったのだ?)
脳内でレックスが尋ねてきた。ヴァンは俯き、その質問に答えるように口を開いた。
「薬草は使い方によっては毒になる。その人は――君が間違えて、傷つくのが怖かったんだと思う」
孤児は黙ってヴァンを睨みつけている。首筋の刃先が僅かに揺れた。
「少しでも扱いを間違えたら死んでしまう薬草もある。採取さえ危ない。数も多いし、覚えられるものじゃないんだ…せめて文字の読み書きができないと」
最後の言葉を聞くと、孤児のナイフを持つ手の力が一瞬緩んだ。その隙にヴァンはその手を掴み、捻った。
「うっ」
たまらず孤児が落としたナイフを、ヴァンはすかさず遠くへ蹴り飛ばした。ナイフを落とした孤児は、口を噤んだままヴァンを睨んだ。怒りの奥に、戸惑いの色が滲んでいた。
「こんなところで野垂れ死ぬくらいなら、俺の話を聞いてよ」
ヴァンはいたずらっぽく笑った。これは彼と出会ったときに言ったセリフだ。孤児は目を見開いてヴァンを見た。
「…おまえ…もしかして、あの時の」
「あのときは名乗る余裕もなくて、ごめん。俺はヴァン・アドベント。君は?」
孤児は眉を寄せしばらく考えているようだったが、やがて大きく息をついた。
「……教えるもんかよ」
――まずは、この強情そうな野良猫の心を開くところから、だな。
ヴァンは苦笑した。




