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竜の番 -リュウノツガイ-  作者: 月乃詩
第四章 課外授業編
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第33話 良薬は口に甘し


 薬屋のお使いはヴァンにとって、露店で買い物をする程度の難易度だった。城下町周辺の森は入学前に探索を終えており、植生をほとんど把握していたからだ。


「お金がなかった頃は、このあたりの木のうろで寝てたっけ」


 ありふれた野山の大木も、ヴァンにとっては思い出の宿だ。元々住み着いていた木隠狐との縄張り争いの日々。長い引っかき合いのあと、にわかに生まれた友情。


 ――あの狐は元気だろうか?


 しみじみ振り返るヴァンだったが、あまりゆっくりしてもいられない。

 日が沈んでしまえば、森は捕食者のテリトリーだ。当時のヴァンは知らなかったが、ここには森狼も生息しているのだ。


 頭上ではレックスが大自然におおはしゃぎしていた。はしゃぐのはいいが、小鳥を追いかけ回すのはやめてやってほしい。


 ヴァンは苦笑しながらも指笛を吹いて呼び戻し、夕刻、町に戻った。


「随分早いのね!助かるわ」

「もう終わったのか。ありがとう」


 いくつか受けた依頼の納品を終え、最後に薬屋シャイロックへと向かう。


 外のガラス窓から中を覗くと、店主はなにやら薬の調合をしている最中のようだった。立派な木製の扉を遠慮がちにノックすると、店主はすぐに出てきてくれた。


「おお!おかえりなさい。ご苦労だったね」

「作業中に申し訳ありません」

「なに、大したことではない」


 扉の隙間から、ふわりと様々な薬草の香りが漂った。足元に伏していたレックスは、その香りに気付くと猫のようにぱっと上体を持ち上げた。慣れない香りに触れると時折こういう仕草をする。今もヒクヒクと鼻を効かせているようだ。


「ご依頼の薬草です。入手しにくいものは多めに採ってきました」

「どうもありがとう。…おや、これは花の色が違うが…別の場所で採取したのか?」


 店主が指摘したのは、指先ほどの小花を沢山つける薬草、月見草の束だ。土の状態によって花の色が変わる特徴がある。ヴァンが渡したのは、淡い赤と鮮やかな紫の2束だった。


「ええ。一箇所から根こそぎとると、そこからはもう生えなくなってしまいますから」

「ほう…素晴らしい心がけだ。報酬にも色をつけてやらんとな」


 店主はそう言って一度店に引っ込むと、報酬が入っているらしい巾着と、いくつかの薬草を持って戻ってきた。


「流行病には気を付けるんだよ」


 好々爺に見送られながら、帰路につく。道すがら巾着を確認すると、なんとそこには倍近い報酬がみっちりと収まっていた。


『太っ腹なことだ』

「ああ、材料も今日一日でずいぶん集まった!この調子なら早いうちに俺も赤札やれるかもな」


 バザールの中央通りに差しかかると、ぐっと人通りが増える。


 道が見えないほどの混雑に巻き込まれても、報酬に浮き足立ったヴァンの顔は緩んだままだった。


「大安売りだよー!」


 そんな声に気を取られ、ヴァンがそちらに目をやった瞬間のことだ。ドンと何かがぶつかってきて、面食らったヴァンは立ち止まった。


「なんだよ今の?わざとぶつかってきたよな」

『む…黒いフードの人間だったが』


 意識に引っ込んでいたレックスは、かろうじて後ろ姿を目撃したようだ。ヴァンは一言言ってやろうと当たりを見回したが、見つからない。とにかく人が多すぎるのだ。


 ひとまず人波を抜けてから一息ついた時、ヴァンはふと、懐が軽くなっていることに気づいた。


「まずい…あの巾着をスられた!」


 踵を返して人波に飛び込み、話し声に耳を澄ませ、不自然な人物を探すが、当然見つからない。


「レックス!匂いで追えないか?」

『無理だ。どの匂いが犯人のものかわからん』


 レックスも心なしか悔しそうだ。


「…え、待って、タダ働きってことか!?今日報酬なし!?」

『………』

「おい、レックス!逃げるなって、おい!」


 自分がいながらスられたことが屈辱らしく、レックスは意識の中に引っ込んでしまった。気持ちの置き場を失ったヴァンは、呆然として道端に立ち尽くした。


「なんだ、どうした兄ちゃん!女にふられたのか?いいことあるって!」


 通りすがりの冒険者からの激励が、ヴァンの心を抉ったのだった。


 ◇◆


 その日、そのまま帰る気にはどうしてもなれず、ヴァンは再び掲示板の前に来ていた。


「なにか…すぐ終わる…高報酬の…なにかないか…」


 血眼で探すが、既に夕刻。目ぼしい依頼は残っていない。諦めかけたそのとき、背後から一人の男性がヴァンに声をかけた。


「そこの君。依頼を貼りたいから、少しどいてくれないか」

「あっ、すみません」


 すぐに退いて振り返ると、そこにはロマンスグレーの老紳士が立っていた。見るからに裕福そうだが、その出で立ちには隙がない。


 ――なんだっけ、この感覚。


 どんな人物にもあるはずの、隙が全く見えない振る舞いの違和感。


 ――そうだ、グレイと同じだ。


『元傭兵か騎士団、或いは魔法隊員か。珍しいな』

「うん」


 ヴァンは小声で同意した。退役軍人は田舎にひっこむことが多いので、城下町ではあまり見かけないのだ。


 そんな老紳士の依頼が気になって覗いてみると、そこには『火鼠の捕獲依頼』と書かれていた。リボンは黄色――黄札。赤札ほどではないが、多少のリスクがある依頼の色だ。


 報酬は――銀鱗貨5枚。5枚!?


「あっ、ま、待ってください!」


 ヴァンは黄札をもぎ取って老紳士を追いかけた。


「おや…さっきの子だね。依頼を受けてくれるのかい?」


 紳士はヴァンに気付くと立ち止まり、柔らかく微笑んだ。初老ながら、男でもドキッとするほどの色男だ。


「ぜひ、詳細をうかがいたいです!」


 立ち話もなんだからと、紳士は自身の暮らす家に招き、お茶を出してくれた。

 ヴァンはそれを恐縮しながらいただこうとして、ふと手を止めた。背後から強いプレッシャーを感じたのだ。


「レックス?」


 振り返ると、姿を隠していたはずのレックスがそこにいた。レックスは不機嫌そうに鼻を鳴らして、ヴァンの手元の紅茶を目で示した。


『学ばんやつだな。それにはヒプノテイアが入っているぞ』

「ヒプノテイア!?」


 副校長に尋問で出されたのと同じ、催眠効果を持つあの薬草だ。


「おや、なんと…竜の番か」


 茶器を片付けに席を外していた紳士は、部屋に戻ってくるなり感心の声をあげた。ヴァンの声も聞こえていたはずだが、焦っている様子はない。


「ヒプノテイアが入った紅茶は嫌いだったかい?なんだか随分疲れていたようだから、リラックスできるものを用意したんだが…好みを尋ねず失礼した」


 本当に悪気が無さそうな様子だ。

 ヴァンは身体の緊張を解かずに言った。


「あ、いえ、そういうわけでは…学校では、ヒプノテイアの効能は『催眠』で、自白剤に使うと習っていたので驚いて」


 その言葉に、紳士は大きく口を開けて笑った。


「確かにそれは事実だが、ヒプノテイアで自白剤を作るには1000束も必要になるって、知っているかい?」

「えっ」


 紳士は戸棚からひと房のヒプノテイアを取り出し、ヴァンに見せた。


「これでひと束だ。自白させるほどの催眠作用を出すには、1000束を乾燥させて成分を慎重に抽出しなくてはならない。それこそ、国家規模でなきゃそうそう作れない薬だよ」


 確かに、ヴァンはヒプノテイアを図鑑でしか知らず、自白剤の作り方など調べたこともなかった。

 何も言えずにいると、紳士は静かに座ってその場で紅茶を飲み、にっこりと笑った。


「ヒプノテイアの甘い香りは紅茶にピッタリだ。茶葉に混ぜたくらいなら害はないし、むしろ薬になるものだから、そう怯えず飲んでみるといい」


 ラス・プーチンの部屋でも同じようなことがあった。あの時副校長は、


『――その昔、催眠草はこうして紅茶に使われていた。リラックス効果が望めるし、依存性もない』


 そう言っていた。


 …あれは嘘じゃなかったということだろうか。しかし、それなら指摘されてあんなに狼狽していたことに違和感が残る。


『この者から敵意は感じないが…』


 レックスの知識もまた、ヴァンの記憶からできている。ヴァンと同じように動揺しているようだった。


「昔は、紅茶に使われることがあったというのは聞いたことがあります。でも最近はあまり聞かない――なぜ、親しまれなくなったんでしょうか」


 ヴァンは思い切って、拭えずにいる不安を素直にぶつけることにした。

 紳士は気を悪くした様子もなく、感心したように頷いた。


「もっともな疑問だ、伸びしろがある。理由がふたつあってね」


 紳士が言うには、気候の変化でヒプノテイアの採取量が減って高価になったこと、尋問に使われたことがあるという事実が平民の間で大げさに広まり、悪評となったことが大きな理由らしい。


「現王の妃が捕虜に使ったことが噂の始まりと聞くが…真偽は定かではない」


 少し難しかったかな、と紳士は苦笑したが、その話はヴァンの不安を拭うには十分だった。


 村を出てすぐの頃と比較してヒプノテイアの値段が倍になっているのを、先ほどのバザールで目にしていたからだ。あれでは平民はなかなか手を出せないだろう。


「…勉強になりました、ありがとうございます。失礼しました。高価なものをありがとうございます。ぜひ、いただきます」


 ヴァンは厚意に対するお詫びを伝えたくて、その場で立って深く礼をした。

 紳士はまた大口を開けて笑い、「気にしていないよ。冷める前に飲みたまえ」と茶菓子を渡してくれたのだった。


 そのあと勇気を出して口をつけた紅茶は、ちょうどいい温度でとても美味だった。ヒプノテイアの香りは、茶葉の香りと複雑に絡み合って上品な甘みを生み出している。


 まるで体の内側から温めてくれるような――この老紳士の振る舞いそのものに似た、暖かな味わいだった。


 ラス・プーチンの狼狽については疑問が残るが――ひとまずそれは脇において、ヴァンは依頼の話を切り出した。


「ああ、実はね――」


 端正な顔立ちの眉を八の字にして、紳士は話し始めた。


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