第2話 番召喚の儀
儀式が始まる前に、黒いヴェールが全員に配られた。召喚者以外は顔を隠すというのが古来からの決まりになっている。ヴァンはこのヴェールがいつも埃臭くて嫌いだった。
「では、始めなさい」
赤毛に促され、生徒の一人が進み出る。いかにも気が弱そうな、明るい緑の髪を揺らす少女だ。
「い…出でよ、わが分身…番となりてわが力となれ」
少女は消え入りそうな声で唱え、魔法陣に血液をかけた。ナイフを使わず、懐に忍ばせていたフラスコの血液を使ったようだ。魔法陣はウンともスンとも反応しなかった。
「…あなたいつの血を使ったの?」
名前を呼ばれただけで子猫のような驚きようだ。少女は小さく縮こまってしまった。
「…き、昨日…だって、その場でう、腕を切るなんて…」
「やり直しなさい」
「ひっ」
彼女は震える手でナイフを腕に当てるも、ひやりとした感覚に怖気づいたのかすぐに静止してしまった。そのうちナイフを当てた場所から血液が滲み出したのに気づくと、今度は泣き出した。
「ぅ、ぅ、無理ですぅ~!!だってこんな…怖い!!痛いじゃないですか!!切り損ねたら何回も…だし…切りすぎたらもっと大変で…それに、それに、…あぁ」
ドタリと音を立て、彼女はそのまま失神してしまった。残念なことに1人目も、その次の生徒もうまく腕を切れず、もしくは痛みで口上を唱えられずに、しばらく魔法陣は反応しなかった。
まあそうだろうな――とヴァンは思った。あの赤毛のチビはさらりと言っていたが、そもそもそんなに思い切りよくナイフで体を切りつけて大量の血液を出すこと自体、相当難しいのだ。
ベリーはこの状況も予想できていたようで特に呆れている様子はなく、なんなら優雅に紅茶を飲んでいた。
「今年の生徒は度胸がありませんね。次、スミス」
輝く金髪の好青年が進み出た。このクラスの優等生である。あの野郎――今日もいけ好かない笑顔を振りまいている。なんだ、あの高そうなローブにブローチは。ヴァンは顔を顰めた。学校でも真剣な顔と笑顔以外を見たことがない。ああいう正義ぶったおりこうさんはどうも苦手だ。本心が見えない。
ヴァンはうっすらと彼の失敗を期待していたが、彼は躊躇いなく自分の腕を切った。切りすぎなくらいだ。ダバダバと落ちる血液に生徒たちは悲鳴をあげたが、優等生は顔色ひとつ変えなかった。
「番となりてわが力となれ!」
魔法陣はこの日初めて光り輝いた。光がおさまって魔法陣が燃え尽きると、そこには手のひらサイズの白銀の卵が転がっていた。ワッと教室が湧いた。クソチビ教師も満足げに拍手をしていた。今日こそビビる顔の一つでも見られると思ったヴァンは、わざと音が出ないように拍手をした。
「切りすぎています。いらっしゃい」
まだ出血の止まらないスミスを、ベリーは呼び寄せた。腕の傷を杖がなぞると、傷はあっという間に塞がり消えていった。 治癒魔法の発動時はかなり痒みがあるはずだが、それにも優等生は顔色を変えなかった。
「ありがとうございます!」
気持ちのいい挨拶、45度の礼までするスミスに対しヴァンは吐き真似までしたが、ベリーはすっかり気を良くしたようでにっこりと笑っていた。しかし急に一転、ギョロっとヴァンを見たかと思うと、鋭く杖を振ってきた。
「ってぇ!!!!」
先程よりも巨大なタライを受け、ヴァンは悶絶した。
「見えていないとでも?いい加減その醜い顔芸はおやめなさい」
「ヴェールがあっただろ!」
「そんなもの。私には無意味です。はい次」
ヴァンが憎々しげにベリーを睨みつけるなか儀式は進んだが、20人程度のクラスで成功したのはスミスを含め五名のみだった。
「最後。ヴァン」
何か、何かスミスよりもすごいことが出来ないだろうか――魔法陣の前に来るまで悶々と考えていたヴァンだが、ビビっていると思われそうな方が嫌だと気付き、結局普通に腕を切った。もっとも最初の傷ではコップ半分には満たなそうだったので、両腕を切る羽目になった。 両腕を差し出すポーズはなんだか情けなくて、ヴァンは少し早口になった。
「番となりて、我が力となれ」
ボタボタと落ちる血液は次々魔法陣に吸収されていった。こんな羊皮紙のどこに吸収されていくのか、ヴァンは奇妙な気持ちでそれを眺めていた。やがてスミスの時と同じように魔法陣が光り輝きだし――そして――
「あれ?」
なにも起こらなかった。魔法陣は光り輝き続けているが、それだけだ。失敗なら光は消え、成功ならやがておさまって番が生まれるはずだが、その気配はない。
「え?え?なんすかこれ」
思わずベリーに助けを求めるが、赤毛の教師は眉をひそめてこちらを凝視していた。
「知らん」
「は!?」
「初めて見る反応だ」
――じゃあどうしろっていうんだ?
魔法陣に向き直ってみるが、魔法陣は爛々と輝くだけで変化はない。何が足りないっていうんだ。血液は十分だったはずだ。ヴァンは必死に頭を回転させたが、そもそもここまでシンプルな儀式でこれ以上何をすればいいのかさっぱりわからない。
ふとまだ血が滲んでいる両腕が視界に映る。
――まさか、まだよこせってのか?
「クソ、どうにでもなれ!」
ヴァンは両腕を再度魔法陣の上にかざし、さらに二、三度切りつけて血液を落とした。魔法陣はまるで竜巻のようにそれを吸い上げ、吸収していく。あまりの出血量にクラスメイトたちはまた悲鳴をあげたが、ヴァンには聞こえていなかった。彼は魔法陣の反応を凝視して硬直していたが、唐突に叫んだ。
「え!?キモ!!!」
「なんだ、どうした?」
ベリーはヴァンに駆け寄ってきて魔法陣を見た。魔法陣の中で、流れ落ちた血液の一部が――青いのだ。しかもそれは火花のようにパチパチと跳ね、まるで意志を持った生き物のように魔法陣の上を走り回っていた。
「燃えている」
ベリーが呟いた。珍しくヴァンも同感だった。魔法陣が燃えているのか、血が燃えているのかはわからないが、とにかく強い熱波を顔に感じていた。跳ね回っていた血液は次々に魔法陣に飛び込んで消えていき、すべて飲み込まれた瞬間、ドンと大きな音がした。
黒煙に教室中が咳き込む。ヴァンは懐から杖を抜き、必死に煙を払った。徐々に視界が晴れて――焦げ付いた魔法陣の上に、ゴロンと真っ黒な卵が転がっているのが見えた。かなり大きい。赤子ほどはあるだろう。その表面は磨かれた宝石のように滑らかで、驚くべきことに――脈打っていた。
「いま…動かなかった?」
誰かが呟いたのを合図にするかのように、卵が大きく揺れた。ヴァンはもはやドン引きして後ずさっていた。卵の表面が陽光に透けて、中の影が動くのが見えてしまったからだ。
パキッ。
――ありふれた一日、ちょっとしたトラブル。そう思えていたのはこの瞬間までだった。




