第27話 妖精
【同日、応接室】
本と書類の山に囲まれて、魔法学校の副校長 ラス・プーチンは憂鬱な表情をしていた。
『ちょっとお、ラス!サボらないでさっさと済ませてよ、仕事はまだあるのよ!』
番の妖精がブンブン飛び回って叫ぶのも、あまり頭に入ってこない。
『特別試験中に発生した生徒襲撃事件についての調査報告書』――それを手に、仏頂面を続けるばかりだった。
「…襲撃者の身元は不明。特別試験の管理にあたっていた教官アマリエル・ベイリーによって事態は鎮圧。生徒2名は軽傷――」
――軽傷、か。
ラスはその記述に眉をひそめた。
生徒の一人――レオナード・スミスの番には、能力の欠損という被害が出ている。いくらなんでも、それを軽傷と呼ぶのは横暴ではないだろうか。
「シルフ、特別試験の監視に回した偵察員はどいつだ」
『知らないわよ、【使い捨て】だもの』
「ぬう…」
ラスの手足となる人間は、基本的に日雇いだ。数人の手練れを除き、決まった人員をほとんど持たない。使い捨て――つまり、あの偵察任務の後に「処分」済みということだろう。
「失礼」
考え事の最中、まるで天井から滑り落ちてきたかような声が、つかの間の静寂を破った。
顔を上げると――目の前、部屋の中央に騎士団幹部のグレイ・アッシュが立っていた。
シルフは「きゃあ!」と悲鳴をあげてラスの後ろに隠れたが、ラスは特に反応しなかった。
「まったくだな、グレイ・アッシュ」
「驚かせて申し訳ありません。様式美なので」
グレイは小さな妖精に恭しく礼をしたが、ラスはふんと鼻を鳴らした。
「別に構わん、こいつもカマトトぶっているだけだ」
『なによ!』
妖精は膨れ顔でラスから離れ、近くのランプの上に座った。
グレイは苦笑していたが、改めてラスにも一礼し、話を続けた。
「ラス・プーチン殿、ご無沙汰しています。少々、お願いがあってまいりました」
「ほう。貴様が“お願い”とは」
グレイは頷いた。
「この、エルドリア魔法学校の副校長に用かね?」
ラス・プーチンは尋ねた。
「それとも、『妖精』に用かね」
その言葉に、グレイは赤い双眸を細めて微笑んだ。
「――当然、後者にございます」
この国には、とある言い伝えがある。
――どこかに置いておいた食べ物や飲み物が突然なくなっても、それは許してやれ。それは、この国に棲まう『妖精』の仕業だから――
もっとも、それは事実とは異なる。妖精は本来人間のいない、森の奥深くに棲む種族だからだ。
元々は、貧しい子供たちが盗みを働いても、大人は多少見逃してやるべきだと――そんな慈愛に満ちた考えから生まれた話だと言われている。
しかし、この『妖精』の言い伝えは、近年奇妙に歪んで伝えられるようになった。
――悪事を働くと、『妖精』がやってくるぞ――
「相次ぐ、悪徳地方貴族の不審死。巨大化した盗賊組織の頭の失踪。……第二王子派のお抱えの傭兵団も、最近不審者の襲撃を受け弱っているとか?」
グレイは資料を捲りながら続けた。
「現場近くでは、妖精の目撃情報が出ていますよ」
その言葉を聞くと、妖精シルフは黙ってランプから離れた。その身体は次の瞬間竜巻に包まれ、大きく膨らむ。
風の渦が花の香りを伴って吹き荒れ、空気の密度が変わるのをグレイは感じ取った。
「――そのお姿にお目にかかれるとは、光栄です」
手のひらほどの大きさだった妖精シルフは、今や非現実的な美しさを称える大人の女性としてそこに佇んでいた。
巨大な花冠を目深にかぶっているために瞳は見えない。床まで伸びたブロンドは緩やかにカールしており、花嫁のヴェールのようだ。
『控えなさいよ、人間。何が言いたいの?邪魔しに来たわけ?』
ラス・プーチンの番、シルフは妖精の中でも上位種だと噂されている。シルフの纏う風には花弁が織り交ぜられており、時折グレイの頬に切り傷を与えた。
「現場には足跡ひとつ残っておりませんよ。見事なものです。しかし、それが証拠とも言える」
痕跡を残さず、任務をこなすこと。
ラス・プーチンがかつて人殺しの傭兵だった頃、汚れ仕事で身につけた能力だ。特に痕跡を残さないことに関しては、騎士団暗部にも勝る徹底ぶりであるとラスは自負している。
「これまで、貴方の正体は私の胸に留めておりましたが――陛下は気付いておいでです」
シラフは纏う風に怒りを滲ませ、グレイを威嚇した。
『忌々しい。私たちの邪魔をするというのなら――』
風は唸り、周囲の空気がまた一段重くなった。刃のような気配がグレイの服を数箇所裂いた。
「落ち着きたまえ、シルフ」
ラスが宥めるが、シルフは警戒を解かない。しかしグレイも怯まなかった。
「相変わらず、志の高い『妖精さん』だ。我々騎士団の暗部はしがらみが多い――目障りなものを先回りして消していただけるのは有難いのです。まったく、足を向けて寝られませんよ」
背後にゆらりと、闇が見える。闇としか形容できないほど、深い黒のもやだ。それは徐々に翼を形作っていき、まるで夜そのものが羽ばたくかのように、大きく広がった。
「…大げさな」
ラスが呟いた。
グレイの広げた翼はラスとシルフを親鳥のように包み込み、三人の四方は闇に包まれた。
ラスはこの能力について何度か目にしたことがある。グレイの番である八咫烏は、こうしてその体で包むことで異空間を作る力があるらしい。
魔法による防音は突破されるリスクもある――あえてこの能力を使うということは、万が一にも外に話を漏らしたくないということなのだろう。
「では、ここからは『青い瞳』として申し上げます」
その言葉に、ラスは一瞬息を呑んだ。
――実質、陛下の勅命ではないか。
少しでも世直しになればと、自分なりに裏社会で活動を始めて20年。王の機嫌は損ねないよう、うまくやってきたつもりだった。
しかし――王に正体がバレてしまっては、利用しようと接触してくるのも当然だろう。今潰されていないだけマシというものだ。
「最近、第一王子派と第二王子派の争いが水面下で激化しています」
「知っている。夜会でも一悶着あったらしいな?」
「さすがに耳が早い」
グレイはその先を口にするのを、少し躊躇ったように見えた。ラスは眉を上げて次の言葉を待った。
「第一王子には跡継ぎがいない――これは王位継承者争いにおいて不利になります」
「ほう」
「ですから、陛下は…第一王子の家系と同じく、竜を番に持つヴァン・アドベントに強く関心を持っておられる」
――やはり、ろくな話ではない。
ラスは大きなため息をついた。
「何が言いたい?隠し子として発表でもする気か?」
「おや、さすが、察しが良い」
グレイはわざとらしく拍手をしてみせた。そのさまにシルフがまた殺気立ったのを、 ラスは目で制した。
「彼の父について、あなたは接触したと報告していましたね」
「ああ。気のいいじいさんだ」
「しかし、生みの親であれば――邪魔になる」
ラスは再び、重いため息をついてグレイを睨んだ。グレイはそんなラスに冷たい微笑みを返し、一言続けた。
「――誘拐を」




