第26話 化け物共の帰還
――エルドリア魔法学校、『赤い塔』
ヴァンがレオの見舞いに行って、およそ2週間が過ぎた。
その間ベリーは、自室に戻っては騎士団と通じる魔法陣をチラチラと気にする毎日を過ごしていた。
あちら側で魔法陣が活性化されればすぐに魔法陣は光り出すはずだが、とんと反応はない。
――騎士団本部からここまでの距離は徒歩で1週間、かなりの悪路だ。レオナード・スミスほど地位がある騎士なら、本部の魔法陣を使わせてもらえるはずだ。
そうであるなら、帰りが遅すぎる。
『そんなに心配しなくても、ヴァンは元気そうにやってたよ』
彼女の番である、ケットシーのクリムは言った。
「心配などしていない」
ベリーはぴしゃりと答えたが、クリムはあまり聞いていなかった。獣の手で四苦八苦しながら書類仕事をしていたからだ。文字は魔法で書けても、羊皮紙の扱いがうまくいかない。
「しかし、得体の知れない連中に襲撃されたばかりなのだ。そう長々と外出しては危険だろう」
『んにゃ~』
時間を稼ぐためか空返事をしたクリムは、手元の書類をまとめてから答えた。
『騎士団本部が危険なら、どこだって危険でしょ?騎士団は国家権力そのものだ』
「…味方とは限らんだろうが」
そんな話の最中、クリムは突然はっと顔を上げて耳をピコピコと揺らした。
『噂をすれば、ヴァンたちだ』
「は!?」
『いや、だと思うんだけど…うん、匂いはそうだ』
「…なんだそれは。どういうことだ」
――話は、ヴァンたちの出発前に遡る。
騎士団本部からの帰りを、徒歩にしようと言い出したのは、もちろんヴァンではない。王家生まれ脳筋育ちの友人のほうだ。
「何事も訓練!そう思わないか?」
「正気か?レオ」
――未だ医務室のベッドにいる友人に対して言うことが、それか?
ヴァンはベッドと腫れ上がった自分の顔を交互に指さしながら、無言で抗議した。
「なんだよ、怪我は顔だけだろ?」
「お前は頭に怪我でもしたのか?冷静になってくれ。そもそも俺たち、よくわかんない敵に襲撃されたばっかりだろ。それに――」
言い争いを、扉を開く音が遮った。驚いて二人がそちらを見ると、不機嫌そうなグレイが医務室に入ってきた。
「小隊長!」
「グレイ小隊長」
騎士団の隊律が染み付いている二人はすぐに腰を上げかけたが、グレイはそれを手で制した。そのまま壁に背を預け、こめかみを押さえて特大のため息をつく。何やらいつにも増して疲れた顔をしているようだ。
二人は顔を見合せ、上官が用事を話すのを待った。
「ヴァン・アドベント、模擬戦はご苦労だったね。訓練終了の餞に隊員共でぶちのめしてやろうと思ったんだけど、そこのに邪魔されたな」
グレイは顎でレオを示す。ヴァンはなんと言ったらいいか分からず苦笑しようとして、顔の腫れに悶絶した。
その隙に、レオは謎に照れながら言った。
「恐縮です」
グレイが眉を顰める。
「褒めてないよ」
「えっ」
「そんなことはどうでもいいんだけどさ。君たち、これから魔法学校に戻るんだろう?」
ヴァンは氷嚢片手に頷いた。グレイは満足気に続けた。
「ちょうどそっちに野暮用ができたところなんだ。さっきの話が聞こえたんだけど、護衛が欲しいんじゃない?僕がついていってあげるよ」
レオは渡りに船とばかりに目を輝かせたが、脳筋が口を開く前にヴァンが答えた。
「しかし、徒歩では時間がかかります。お忙しいのではないですか?魔法陣での移動の方が…」
グレイは大きなため息をついた。
「いいかい、若造。仕事ってのは、早く終わらせたらそれだけ増えていくもんなんだ」
そう言いながら上官は紙煙草を取り出し、火をつける。ここは医務室なので普通は厳禁のはずだが、騎士団においては上官がルールである。彼が煙草に火をつけたのなら、ここは喫煙室なのだ。
「お前らの護衛は、俺にとっては休憩時間。理解した?わかったらお前らの帰路は徒歩。準備ができたら呼んで」
――そんなわけで。
上官命令により、二人は徒歩帰還どころかグレイの警護もとい監督付きでの悪路行進となったのだった。
騎士団本部から学校までは、山を一つ越える必要がある。舗装はされているがアップダウンが激しく、中腹から山頂にかけては魔獣や魔物の出現も多い。
「お前、さっき魔蜂にやられたろ!」
その中でも特に厄介なのが、魔蜂――ボギービーだ。何故か執拗に顔を狙う習性があり、その名の通り刺されるとボギー(化け物)のように顔が腫れあがってしまう。
身体が小さいため初撃に気づくのは難しいのだが、その餌食となったのはレオだった。
ヴァンはレオの腫れ上がった顔を見て小一時間笑い転げた。
「これでおそろいだな!!」
元気よくレオの背中を叩いて煽ったヴァンは、仕返しに背負い投げでひっくり返されたのだった。
そうして数々の戦闘、時には逃走、ゲリラ訓練などをさせられながら、三人は6日ほどで学校に着いた。
着いたころにはもうとっぷりと日は沈んでおり、ヴァンはもう一週間訓練を受けたような気分だった。
グレイは副校長に用事があるということで、敷地内に入ってすぐ煙のように姿を消してしまった。その気配の消え方といったら、その場で溶けたんじゃないかと思うほどだとレックスが感心していた。
残された二人は、微妙な表情で顔を見合せた。早く着いたせいもあって、ヴァンもレオもボコボコに腫れ上がった顔のままなのだ。
話し合いの結果、寮に戻る前に、まずは医務室のあるベリーの塔へ向かうことになった。
「この顔じゃ、寮監に気絶されちまう」
「僕のここでの優等生設定も台無しだ」
「お前のは自業自得だろ」
いつものじゃれ合いにもあまり覇気がない。レオもヴァン、顔面を人前に晒すのは大変に憂鬱だった。
塔に着き外扉をノックしようとしたヴァンだが、その拳は奇妙なことに、扉に届かなかった。ピリッとした痛みとともに、布をノックしたような感覚で跳ね返されてしまったのだ。
『クリムの結界が、我々を警戒しているな』
レックスが言った。レオと顔を見合わせて戸惑っていると、頭上からガチャンという音がした。
二人して反射的に音のする方向を見上げれば、最上階の窓が開いていた。
そこから飛び出した赤い影は――クリムだ。その背にはベリーの三角帽子も見え隠れしている。
俺の部屋の窓はぶち破ったのに、自分の部屋の窓はちゃんと開けるんだな…などとヴァンは思った。
『ほら、言ったとおりでしょう』
自慢げな声がして、ずしん、という大きな音とともにクリムが着地した。その背で足組みしているベリーは、訝しげな顔で二人をじっと見つめている。
「…ヴァン・アドベントか?なんだその顔は」
「そうだよ!見たらわかるだろ」
悪路行進の間は姿を見せずにサボっていたレックス――曰くヴァンの訓練のためだそうだが――は、ヴァンであることを証明するかのように頭の上に顕現した。
しかしベリーの表情は晴れず、黙ってレオの方を見やった。
「そっちは…茶髪に隊服。レオナード・スミスだな?なんなんだお前ら、揃いも揃ってボコボコに殴り合いでもしたのか」
「違います、ボギービーです」
レオの返事に、ベリーは合点したというようにため息をついた。
「しかし…隊服のスミスはともかく、ヴァン、お前の方は信用ならんな」
「えっ」
ヴァンはレックスを指差して焦る。
「竜の番連れはお前だけじゃない。なんなら、騎士団にもいるぞ」
――そうなの!?という表情でレオを見るが、レオの顔は腫れ上がっているので何も読み取れない。
「黒竜ではないがな。まあ、色や姿を魔法でいじるくらい誰にでもできる。スパイをここに入れるわけにはいかん――そうだ」
ベリーは怪訝な顔を緩め、愉快そうに杖を取り出して振った。
ガラアン!!!
ここで久々のタライがヴァンを襲った。しかも不幸なことに、騎士団での訓練の成果か反射的に見上げてしまったため顔で受け止めてしまった。
「ぶおっ…おおっ…」
苦悶の声と共にうずくまる姿を見て、ベリーは満足気だった。
「ふむ、この叩き心地はヴァンに違いない。二人ともご苦労だった、入りたまえよ」
「な…なんで…」
ベリーは答えなかったが、ケットシーは彼女の背中が扉の向こうに行くのを待ってからこっそり言った。
『君たち、あっちでの出発前に手紙も出さなかったでしょう?魔法陣で帰ると思ってたから、遅いってベリーは心配してたんだよ』
ヴァンはレオと顔を見合わせた。
心配?あの高飛車で高慢なベリーが?
……いや、だからって俺だけタライを落とされるのはおかしいな。
「なにをしている!早く入れ、化け物ども」
ヴァンは複雑な気持ちになりながら、今度こそベリーの塔へ足を踏み入れた。
医務室は暖かく、薬草の香りに満ちている。
夜風に晒され続けていた二人は、差し出された薬湯を見つめながら心底ほっとしていた。
――帰ってきたんだ。




