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竜の番 -リュウノツガイ-  作者: 月乃詩
第三章 騎士団編
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題23話 犬と狩人

 23話 犬と狩人


『ガア!!!』


 グレイの鴉――ヤタが耳障りな声で試合の開始を告げる。ヴァンは目の前の大柄な騎士と黙って睨み合っていた。


 ――10人抜き?

 そんな大それた目標を立てられるほど自分に自信はない。


 しかしだからといって、公開処刑を甘んじて受けるというのも男が廃る。


 それにヴァンは、無策で立ち向かうほど愚かではなかった。相手も新人とはいえ、プロの戦闘員。普通なら田舎出身の学生など一太刀浴びせることすら叶わなくて当然なのだ。


 カラ、コロ、カラ、コロ、


 鴉が淡々と時を刻み始めた。


 ここ1週間の記憶は新鮮で鮮明だ。引き出すのに時間はかからない。


 1人目の対戦相手、どっしりと腰を据えて構えるこいつの名は『ローデン』。普段の隊長への熱視線から察するに、どうもバルガスに憧れているらしい。新人の中でも特に身体が大きく、普段は大剣や大斧を振るっているパワータイプだ。


 ヴァンはそんな大男と睨み合い、時折フェイントを入れて牽制しながら、頭をフル回転させていた。


 カラ、コロ、カラ、コロ、


 ――ああ。生き物の出す音はなんでも好きだ。この音は心地いい。


 睨み合いながらそれを聞くうちに、段々と周りの音が遠ざかっていくのを感じた。聞こえていないわけではない。聞く必要がないものは、意識から排除していくのだ。そうしなければ――


 獲物の息遣いも、足音も見つけられない。


 長い睨み合いの中で、次第にヴァンは狩る者の思考回路へと没入していた。


 今聞こえるのは、自分の浅い息遣いと心音、そしてローデンの荒い呼吸、踏みしめる土の音。


 ローデンは張り詰めた緊張感の中で、徐々に相対するヴァンの金色の瞳孔が鋭く収縮していくことに気付いていた。

 その眼は、視界すべての警戒を怠らずにいながら、最小限の動きで自分を観察している。最初こそ小柄で弱そうに見えていたヴァンから、今は肉食獣に睨まれているかのようなプレッシャーを感じていた。


 ヴァンはその間にゆっくりと重心を前に移動し、飛び掛る準備を済ませていた。耳も目も頭も研ぎ澄まされていく感覚が気持ちいい。


(力押しでいいはずなのにかかってこない――何度も唇を舐めている――瞳孔が開いている――木刀を握り直している――緊張している?…格下相手に)


 それはなぜか?そこが勝機だ。


 カラ、コロ、カラ、コロ。


 ヴァンは睨み合いのさなか、唐突に囁いた。


「バルガス隊長が見てるぞ」


 その瞬間、ローデンの瞳が揺らいだ。獲物が動揺し、遅れた一瞬を狩人は逃さない。


 相手の脚が地面から離れ、重心がもう片方に移る前にヴァンは木刀を振り抜き、不安定になった相手の軸足を薙ぎ払った。ローデンは大きくバランスを崩して軸足と反対側に倒れこむ。


「え?」


 間抜けな声と同時に大袈裟に上がった土煙が晴れると、まさかの光景に訓練場はどよめいた。


 演武台の上に一人立っているのはヴァンだ。ローデンは訳も分からず尻餅をつき、呆けていた。


 ヴァンは達成感よりも、なんとか修羅場の一つ目を乗越えたという安堵に満たされていた。


 そもそも今の動作は自分で考えたものでもない。グレイ小隊長が、組手のときに何度もこの男を転がしているのをヴァンは『見て』いたので、真似したのだ。

 本来ならグレイのように、片足で軽々と転がせればよかったが――ヴァンでは間合いも技術も足りなかった。だから木刀を使ったのだ。


 ヴァンは真っ赤になったローデンの脚を横目に、いたたまれない気持ちになった。

 ああ、足首を狙ったのに脛に当たってしまった。心底申し訳ない。


『ガア!』

 「そこまで。やるね」


 このところ、散々いたぶられ続けていた強い上官からの何気ない一言に、胸の奥がじんわり熱くなる。

 いや、あれだけ虐められていた相手に対し、一言の賛辞だけで喜ぶというのもここに染まりすぎではないだろうか。

 ヴァンは自問自答しながら、ニヤけるのを誤魔化すように頭をかいた。


 「ローデン」


 尻餅をついたままのローデンに手を差し伸べたのは、バルガスだ。ローデンはその手は取らずに怯えた顔つきで後ずさり、痛むはずの足も庇わずビシッと立ち上がった。


 「も、申し訳ありません!!!!!面目!!ありません!!!」


 ローデンがあまりにボロボロと泣くので、ヴァンは悪いことをしてしまったような気になった。


 「じ、じ、自分はァ!!まだ!!やれます!!!」


 大男が泣きながら叫ぶさまというのもいたたまれない。彼はどうやら、バルガスに怯えているというよりは、敬愛する上官に見限られることに怯えているようだった。


 バルガスは厳しい顔でローデンを見ていたが、やがて真っ白な歯を光らせ、笑顔で答えた。


 「鍛え方が足りん!!!!」

 「ハイ!!!」

 「外周!!!!!40周!!!!」

 「ハイ!!!!!」


 罰を言い渡されたはずのローデンは、なぜか嬉しそうに訓練場を走って出ていった。


 「い、犬じゃあるまいし……」


 その背中を見送りながら、ヴァンは呟いた。


『犬だろう。国家の』


 レックスのもっともな指摘に、ヴァンは唸った。


 「ハイ、おつかれ」


 パンと手を叩いて注目を集めたグレイは、ニッコリヴァンに笑いかけた。


 「じゃあ、次ね」


 その後ろから進み出たのは、嫋やかな紫色の髪の女だ。訓練場では皆使い古したボロ布を着ているのだが女性の布面積までこう少ないと目のやり場に困る。

 女はたじろぐヴァンの態度を見て、挑発的に眉を吊り上げた。


 こんな踊り子のように綺麗な女性を木刀で殴れと言われても、無理かもしれない。


 「し、小隊長。俺にも騎士道ってもんが――」

『ガア!!』


 間髪入れずに鴉が鳴き、同時に踊るように女が飛び掛ってきた。


 「竜の番って言うからごついと思ってたのに」


 至近距離まで迫ってきて木刀を打ちつけるその上腕に、しなやかで無駄のない筋肉が見える。


 「思ったよりいい男、じゃない?」


 緊張のきの字も見せない女は、舌舐りして一度退き、またすぐに襲いかかってきた。さっきとはうってかわってスピードで攻めるタイプだ――鋭く的確に急所を突いてくる。


 「そりゃ、どー、もっ」


 呼吸が違いすぎる。さっきまで獣狩りをしていたのに、急に野鳥狩りになってしまった。ヴァンは木刀で何とか受け流し、場外に押されないよう間合いを測った。


 これは困った――女が動く度、薄い布がたなびいて肌色が見える。雑念が集中の邪魔をしている――思春期の男子には随分と残酷な対戦相手だ。


 見え隠れする下乳にヴァンはクラクラしてきた。


 「男ってほんとバカ」


 その隙に鋭い蹴り――脳天に当たるすんでで回避したが、ギリギリだった。ヴァンは慌てて距離をとった。


 「おいおい!逃げるなよ」

 「なんだ童貞か?」


 この戦いを面白がったオーディエンスは心ないブーイングを投げかけてくる。


 本当に、なんて日なんだ。


 「何よ、情けない」


 女が踏み出した刹那、ヴァンは砂を蹴り上げた。


 ――大抵の人間は踏み出す瞬間息を吸う。


 「げほっ」


 女が咳き込んだ隙に、ヴァンはその腕を掴んでぐるんと投げた。


 「げほっげほっ!…もう…!」


 怒った声すら艶やかに聞こえるのは、思春期だからだろうか。ヴァンは不安になった。

 女はまだ膝をついてはいなかった。すぐに立て直そうと立ち上がりかけたが、自分の足元に目をやるとため息をついて座り直した。


 「はあ…やるじゃない」


 そう、投げた先は――場外。


『ガア!!!』


 わっと訓練場が盛り上がり、第二試合目も無事、ヴァンは勝利を収めた。


 「立てますかね、レディ」


 ヴァンは恭しく手を差し伸べたが、ピシャリとその手をはたかれた。


 「気安く触らないで」


 女はきっとこちらを睨んでくるが、可愛い。


 「思うに、口を閉じた方がいいと思うな。戦闘中も普段も」


 ヴァンの軽口に、女騎士はフンと鼻を鳴らした。


 「うるさい童貞」


 そしてそのまま。名も名乗らずにツンと去っていってしまった。


 「振られた」

 「振られてるな」

 「そりゃそうだろう、ありゃ先行部隊の…」

 「ディアナか!」


 ディアナ――なぜ戦った相手の名を噂で知らねばならんのか。試合に勝って、勝負に負けた――そういうことか?


 何らかの救いを求めてグレイの方を見たが、その後ろでレオが下を向いて笑いを堪えているのに気付いた。


 ――やはり絶対に後で殴ろう。

 まあ、あと8戦。

 全部終わっても俺が息、してたらだけど。


 しかしこのくだらない決意に対し、本人が全く望まない形ですぐに、チャンスは訪れた。


 「演武台に戻れ、アドベント。次!」


 ――そう、その「次」に立っていたのは、レオだったのだ。

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