第22話 模擬戦
「死ぬ…いや、もう死んでる」
訓練が始まってからというもの、指折り数えた7日目。最終日の昼過ぎ、ヴァンは息も絶え絶えに訓練場でへばっていた。
騎士団の訓練とは、己を鍛えるものではない。己の常識や限界を知り、そしてそれを叩き割る作業だった。
「1週間程度で何かが大きく変わることはないだろう。ここでお前が学ぶべきなのは自分の身体の限界と、正しい追い込み方だ」
グレイはヴァンにそう告げ、容赦のないメニューを毎日渡してきた。訓練中姿は見かけないのだが、彼は常にどこかでチェックをしているらしい。なにせ、メニューをこなしきれなかった日の夜にだけ宿舎に訪ねてくるのだ。
「しっ小隊長!?」
ノックの音に最初は縮み上がったものだが、特段肉体的な制裁はなく、毎回、無表情で特製ドリンクを渡してくるだけだった。
そのたびにヴァンはほっとした――しかし、無論、それはただの栄養ドリンクではない。
それは、騎士団では【禊汁】と呼ばれる制裁と回復のための特別ドリンクだ。
飲んでみると、その辺の草をなんの処理もせずにすり潰し、傷んだ動物の乳に混ぜたような味がする。飲みきるまでグレイが無言で見守ってくるため、残したり捨てることも許されないというおまけつきだ。
ただ不思議なことに、飲んだ直後は吐き気を催すにも関わらず、翌朝はスッキリと目覚めることができる効能があった。
「これに何が入っていて、なぜ効くのかについては、さっぱりわからない。わかりたくもない」
と、レオは言っていた。これには知りたがりのヴァンですら同意した。一度でも口にすれば、おそらくロクな材料が使われていないことがわかるからだ。
好奇心の化け物すら閉口させる禊汁。結局、訓練期間中にヴァンはこれを3回も飲む羽目になった。
コンコン。
「ヒィッ!!来た…!!」
結局、グレイが部屋のドアをノックする音はヴァンの盛大なトラウマとなってしまったのだった。
◇◆
「ヴァン、大丈夫か?死んだか?」
「死んでるし、忙しい」
レオが声をかけてくる時は大抵、訓練再開の呼びかけだ。ヴァンは無駄だとわかっていながらも拒否の姿勢を示した。
「必殺!疲労回復薬~」
腑抜けた掛け声とともに、バシャっと何かの液体が頭にかけられた。ヴァンは顔に飛んできた飛沫をぺろりと舐め、顔を顰めた。
「甘い…なにこれ…」
「エピネントとヒプノテイアの混合薬」
「麻薬じゃねーか!!!」
ヴァンは跳ね起きたが、自分の身体の軽さに驚いて固まった。
「なんか他にも入ってるらしいけど。安心しろよ、一時的に痛みと疲労を忘れるだけでしっかり後で死ぬから」
「お前……さては上官命令だな?親友より上官を選んだんだな?」
恨みがましく見つめるヴァンだったが、レオは眉を少し上げておちゃらけるだけでそれを流した。
「そんなことより、小隊長に呼ばれてんだよ。行くぞ」
嫌な予感しかしなかったが、歩けるようになってしまったヴァンは渋々後に続いた。
◇◆
「遅い!」
2人は着くなりグレイにぴしゃりと怒られてしまったが、進行優先なようでペナルティはつけられなかった。
訓練所には若手の騎士が集められているようだ。最後尾から前方を窺うと、訓練場の中央に少し盛り上がった長方形の土が盛られているのが見える――昨日まではなかったものだ。その真ん中に、グレイが立っていた。
「えー…訓練に飛び入り参加しているヴァン・アドベントだが、彼の参加は本日が最終日となっている」
グレイが告げると、若手騎士たちの視線が次々とヴァンに刺さった。
その視線のひとつひとつが、この地獄からの脱出に対する嫉妬や八つ当たりな殺気、あるいはこの素晴らしい訓練をもう受けられなんてという脳筋野郎共からの哀れみなど、様々な感情を孕んでいた。
「さしあたって、まあー…餞として?模擬戦を行おうと思う。彼は鍛えてたかだか1週間。遅れをとったら…わかるよね」
グレイの淡々とした脅しを受け、騎士たちの間に一斉に緊張感が走った。ヴァンの顔はどんどん真っ青になったが、グレイは演武台から下りてきてヴァンの襟首を掴み、一言「3人くらいには勝てるかもね」と囁いてから台ににヴァンを投げ入れた。
「さん…にん…?」
投げられるままに演武台の上から騎士たちを見返す。目の前にいるのは10人近い騎士だ。まさかこれを全て相手にしろとでも言うのだろうか。頭がどうかしている。
呆然とする中、ふとグレイの後ろに控えていたレオと目が合った。ヤツはこちらに向かって爽やかなウインクをかまし、口パクをしてくる。
(が、ん、ば、れ)
アイツめ、面白がっているのが丸わかりだ。いや、隠す気がない。クソ、このぶりっ子脳筋お貴族め――なんという爽やかな笑顔。殴りたい。地下室で殴られたときに殴り返しておけばよかった。
「ではこれより、模擬戦を始める。ヴァン・アドベントとお前ら。1対1を10本の勝負ね」
やはり全部と勝負しなければいけないらしい。こんなヒョロガリで脳筋共に適うはずはないのに――何が餞だ、体のいいイジメじゃないか。
「わっはっは!!見物に来てやったぞ!ヴァンなんたらかんたら!!」
バルガスまでやってきて、演武台の脇で腕組み仁王立ちときた。見せ物。見せ物じゃないか。しかも未だに名前を覚えてくれていない。
「いーい勝負を期待している!」
陽気な笑い声が訓練場に響く。
「じゃあ、準備するから」
そう告げたグレイの頭の上には、いつの間にか鴉がとまっている。
「え――なんかいる。いつから居た?」
『……わからん。あの鴉、匂いがしない』
レックスでも気配すら感じなかったらしい。グレイの番だろうか?
ヴァンはまじまじとの鴉を見つめた。見たところ一般的な鴉よりも大きく、真っ黒な身体には不気味な迫力がある。図鑑を読み漁ったヴァンでも見たことがない種の鴉だ。
ヴァンはさらに詳しく観察しようとしたが、その鴉は煙のように輪郭が曖昧で、目を凝らせば凝らすほどよく見えなくなっていく。これはかなり奇妙な感覚だった。そこに存在していることを上手く認識できないような違和感――煙を掴もうとしているような。
『何か音がする―――あの鴉からだ』
レックスの言葉で耳を澄ますと、木の実を転がすような音が聞こえた。
カラ、コロ、カラ、コロ。
音は鴉の嘴の奥から響いてきていた。正確に、一定のリズムを繰り返している――まるで時計のようだ。
「よく聞け新人ども。コイツは時を刻むのが仕事の番、ヤタ。こいつが90回時を刻むまでを1試合とする。ヤタ、いいな」
グレイが指示をすると、鴉は途端に鳴くのを止めて首を傾げた。それは肯定を表すらしく、グレイは頷いた。
「試合開始も終了もコイツが知らせる。時間は守れ。それ以外の時間に攻撃したら失格」
『ガア!ガアガア!』
鴉は同意するかのようにさわいだ。かなり耳障りな鳴き声だが、それはグレイも同じらしい。小隊長は耳を塞ぎながら続けた。
「うるさ…なんだっけ。えーと、敗北条件は膝か尻をつくこと。もしくは土俵から出されるのどちらかだから。じゃあ――君からね。前に出て」
指示された騎士は、精々可愛がってやろうとでも言いたげな態度でヴァンの前に進み出た。
「魔法は禁止。武器は木刀ね。不正したら殺す。
――始め」




