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竜の番 -リュウノツガイ-  作者: 月乃詩
第二章 特別試験編
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第13話 先生


ヴァンは汗びっしょりになって目覚めた。

恐る恐る身体を起こそうとしてみたが、やはり背中の痛みは引いておらず、うまくいかない。


仕方ないので首だけで辺りを見回してみた。倒れた時は医務室にいたはずだが、どうやら寮の自室に運び直されているようだ。窓の外はすっかり暗くなっていた。


ベッド脇のテーブルには、小さなメモ用紙が置かれている。背中を気遣いながらにじり寄ってそれを手に取ると、そこには流麗な書体、赤いインクでこう書かれていた。


『起きたな?』


――ニャアアーン…


どこからか猫の声が――いや、すぐそこからしていた。赤毛の猫がヴァンの足元にちょこんと座っていたのだ。襲撃のあった日、巨大な獣だったはずの赤毛の猫は、子猫のサイズになっていた。

まるでヴァンに微笑みかけるかのように瞬きを見せると、猫は部屋の中央に移動して床に口づけをした。


すると驚くべきことに、その場所に赤い魔法陣が展開した。術式からして召喚魔法陣に見える――それはいくつかの小さな魔法陣を展開していき、終わると一転、眩く光った。


「ん………」


光が止むとそこには、丸眼鏡を掛け、やたらと薄いネグリジェ姿のベリーが現れた。


思わず小声で「げっ!?」と口にしてしまったヴァンだが、ベリーは意に介さず猫のように伸びをしてから、懐――ヴァンは見ないようにしていたが、おそらく谷間――から杖を取り出し、魔法で呼び出したローブを羽織って立ち上がった。


「ヴァン・アドベント。書置きはうまく機能したようですね。見張りを置いていたが――クリム。変わりはなかったな?」


ナーオ!


赤毛の猫は甘えた声でそれに応え、ベリーの肩に跳び乗った。


「さて。気分はどうです?」

「…っ、」


ヴァンは突然のことに声を詰まらせた。

――なんと言えばいいのか分からない。先程の無防備な姿への動揺、命の恩人への謝意、反発心、古文書の件――何から話したらいいんだ。


「思春期だな、ヴァン・アドベント。命の恩人に感謝が先に出てこないとは」


ベリーは先生口調をやめ、呆れ返ったように言った。反論の余地もなければ起き上がれもしないヴァンは、口をパクパクさせることしかできない。


「別に怒ってはいないよ。ボロ雑巾のように踏みにじられて散々惨めさを味わったお前に、さらに制裁を与える趣味はない」


ベリーは杖でぺちぺちとヴァンの頬を叩き、続けた。


「しかし疑問だ。お前はいつまでも寝汚く、このベッドで何をしている?番はとっくに目覚めているぞ」

「レックスが!?――ぐっ、」


咄嗟に反応したものの、やはり背中の痛みで起き上がれはしなかった。ベリーはそんなヴァンの様子を見て眉を吊り上げ、ヴァンを頭の先からつま先までぐるりと見た。


「番の無事も感じられんのか。心を閉ざして、部屋にこもって被害者気取りか?いいご身分だ――レックスはお前のように情けなくはなかったぞ。翼を砕かれるなど、飛竜にとって最も屈辱的なことだろうに」

「くっ……」


ベリーの煽りを聞いてもなお、ヴァンは起き上がれない。無様に暴れてみたものの、ひっくり返ってうつ伏せになっただけだった。

その拍子に、かけられていた布団がずり落ち、背中の魔法陣が顕になった――いつの間にか上半身の服を脱がされていたことに、ヴァンはここで初めて気付いた。


ベリーはヴァンの背中を興味深そうに覗き込み、しばらく黙った。


「成程、そうか。奇妙だとは思った。ヴァン、背中が痛むか?」

「…ッ、ああ」

「そうかそうか」


ベリーはヴァンの背中に杖を向けた。


「光よ。絶えることなき痛みに耐えるこの者に、ひと時の安らぎを与えたまえ」


ベリーの回復魔法は杖の先からヴェールのように広がりヴァンの背中を包もうとしたが、肌に触れる正にその時、パキンと音を立てて割れ、瓦解して消えてしまった。


「ふん。これは何だ?ヴァン・アドベント。副校長――あの狸め、またこの私に隠し事をしたな」

「これは――」


ヴァンは、出生の秘密をベリーに話そうとしたが、躊躇った。ラスの信頼を損ねることになるかもしれないからだ。

しかしベリーは杖を振って「必要ない」といった仕草をした。


「見ればわかる。これは一種のまじないだ――そうだな?呪いと言ってもいい」


ベリーは近くにあったロッキングチェアに腰掛け、机の水差しから勝手に水を飲みながら話を続けた。


「私はお前を買い被っていたようだ。ヴァン―お前はもっと賢く強いと思っていた」


相手は嫌っていたベリーだというのに、ヴァンの心は大きく揺れた。悔しかった。胸を踏みつけられたような気分だった。しかしベリーの次の言葉は、ヴァンの予想したものとは違っていた。


「齢十六の若造が、鍛え抜かれた大人相手に勝負になるなどと。本気でそう考えるほど馬鹿だったのか?」


赤毛の魔女は、自らの番の猫を膝に乗せて撫でながら続けた。


「あまつさえ、自分の面倒も見きれぬ分際で他人を救えると思うなど――勘違いも甚だしい」


赤毛の猫は同意するかのように、ごろにゃんと鳴いた。同じ口で人の足を噛みちぎったとは到底思えない愛らしさだ。


「今のお前は、自信を喪い、視野が狭まって何も見えなくなっている。おお、実にくだらない――時間の無駄だ。いいか」


ベリーはヴァンの背中を杖で指し、言った。


「その背中の痛みはお前の番の翼とは無関係だ。あの竜の翼はとっくに治癒している」

「―――え―――あ、」


それは、ヴァンが今まで考えもしなかったことだった。冷静に考えればわかる事だ――


「番は生物であるので負傷するが、人間と異なりその体は番主の魔力で造られている」


ヴァンは頭の引き出しから、番にまつわる教材の一文を引っ張り出して口に出した。


「番と番主は、強い感情や痛みのおよそ半分を共有してしまうが、番主の魔力が回復すれば番の傷は半日以内に癒える」


――そうだ。森狼の試験は日没までだった。目覚めた時、医務室の外は昼。今は夜。どう考えても半日以上経過している。


「まったく、タライを落としてやってもいいんだぞ。少しは目が覚めたか?私はナヨナヨした男がこの世の生き物でいちばん嫌いなんだ。シャキッとしな」


ベリーの笑顔を見て、それまでの全ての言葉が激励だったのだとヴァンは気づいた。このチビで老獪な魔女は、わざわざ目が覚めたらすぐに様子を見に来れるよう魔術を仕込んでまでヴァンを気遣っていたのだ。


「それのことだが」


背中の魔法陣の外側をツツっと杖でなぞられ、ヴァンは怖気が走って飛び退いた。飛び退く動作ができたことにヴァンは驚いた。


「大袈裟な」


ベリーは悪戯っぽく笑った。少女のような見た目に漂う色香は、まさに魔女である。


「推察だが――」


彼女の話によると、魔法陣に書いてある術式から、そこに封じられている魔法に鍵がかかっていることはわかったらしい。そしてその鍵は、ヴァン自身の中にあるという。


「一連の事件で精神が乱れて、お前が力を欲したから、鍵が開きかけていた」


ベリーは先ほど杖でなぞったとき、それを閉じてくれたらしい。実際、ヴァンは急に体が軽くなっていたし、背中の痛みもかき消えていた。


「その背中の魔法の鍵は、感情ではなく理性で開けねばならん。術式からして、未知の知識や未知の力が封じられている可能性もある」


ベリーの言葉に、ヴァンは大人しく頷いた。


「お前が素直だと気色が悪いな」


赤毛女は顔を顰めた。ヴァンは言い返そうとしたが、やめた。まだ聞くべきことがある。


「未知の力って?すんごい強くなれるとか?」

「そんな魔法はない。どんなものかはわからんが、少なくともこの私でも知らない魔法だろうな」


ベリーは顎に手を当て、少し考え込むように言った。


「なにせ…その魔法陣そのものが、私の知らない術式で描かれている」


――何も分からないことがわかったってわけだ。


ヴァンはげんなりしたが、ふと顔を上げた。


「あのさ、レオのお見舞いに行きたいんだけど」

「ああ、随分仲良くなったものだな」


ベリーは二人の関係を面白がっているようだ。


「あれの帰省の時に用意してやった魔法陣が私の部屋にある。必要なら使え」


他にも聞きたいことは山ほどあったが、口を開きかけたヴァンは躊躇った。彼女が見るからに眠そうに欠伸をしていたからだ。


「では、お前も問題なさそうだし――私は寝る。夜が明けたら番に会いに行ってやれ。面白い目に遭っている――笑えるぞ」


それだけ言うとベリーは大きく伸びをして、立ち上がった。


「あ、その、待ってくれ」

「ん?」


ヴァンの頭には最初と同じく、いくつもの疑問が乱立していた。


――あの時現れた敵は何者なんだ?

――脚をやられた女は生きているのか?

――フルネームはアマリエル・ベイリーか?

――救国の魔女の伝説に関係があるのか?


どの疑問も、好奇心とともに強くヴァンを急き立てていた。しかし――


「ありがとうございました」


それが一番、伝えたいことだった。

ベリーはヴァンの頭にポンと杖を置き(背が低くて手が届かないらしい)、赤毛の猫の背を杖で軽く撫でた。


ナアーーーーン。


猫はあっという間に巨大化し、ズシンと部屋に着地した。パラパラと天井から埃が落ちる。床が抜けはしないかと心配するヴァンをよそに、化け猫はベリーを背に乗せ、窓をぶち破って出ていった。窓が割れ、枠が壊れ、けたたましい音が響く。


「ぶち破ることないだろ…」


無惨にも壊れた窓は、ぶち破られた勢いで何度も壁に跳ね返り、バッタンバッタンと暴れていた。


本調子でないヴァンは窓を直す魔力が残っておらず、その夜は騒音に悩まされながら眠りにつく羽目になったのだった。

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