第10話 死の匂い
作戦決行直後、レオが剣だけでなく弓の名手でもあったことをヴァンは知った。
「よいしょっ」
高台から放たれたレオの光の矢は、美しい弧を描いて森狼の群れの真上へと飛び、放射状に拡散したかと思うと、凄まじい勢いで眼下の森狼たちへと降り注いだ。
ヴァンはビスケットを食べながら、それを少し離れた樹上で見ていた。
――まさか今の『よいしょ』が詠唱か?
詠唱は慣れれば短縮できるが、さすがに「よいしょ」は適当すぎやしないだろうか。
(後でいじってやろうっと)
今は、移動しなければ。ヴァンはビスケットをくわえたまま滑るように樹上から降り、持ち場へ駆け出した。
その一方、森狼の群れは各々軽傷を負って痛みに暴れまわり、わざと風上の高台で待ち構えているレオに襲い掛からんとした。
―――しかし、エリアスがけたたましく鳴いた途端、狼たちは痺れたようにその場で硬直した。レオはその隙に、脱兎のごとく駆け出した。
ある程度距離があったヴァンにもその声は届いたが、思わず竦んで立ち止まってしまった。それは索敵の発声とは全く異なる、殺気を孕んで空気を切り裂くような響きを持った鳴き声だった。
子供のグリフォンでこの威力では、大人のグリフォンの威嚇なら数頭気絶してもおかしくない。ヴァンはグリフォンの新たな生態にワクワクしながら、待機場所に身を隠した。
作戦はこうだ――
レオが風上から遠距離で先制攻撃を仕掛け、川を下りながら滝の近くまで群れを誘い出す。滝の近くには丸太の橋が設置してあるので、レオはそれを渡ってヴァンの待機場所に合流――丸太を蹴り落とし、渡ろうとしてくる狼たちを狙って魔法で倒す。
しかし、この作戦はレオがいかに上手く群れを惹きつけられるかにかかっている。立案者であるヴァンは待つしかないのがもどかしかった。
しかし、レオの逃走経路はレックスが先導している――今は相棒を信じるしかない。
山の川沿いの悪道を、レオは切り株を飛び越え倒木を切り捨てながら走った。ヴァンほど山や森に慣れていないレオは、レックスを信じてひたすらその背を追うしかない。しかし幼竜の示すルートは正に最善で、気持ちよく足場を見つけ飛ぶように走ることができていた。
余裕ができると、木片を後ろに投げたりして狼を煽った。思惑通り狼たちは今や怒り狂って、傷が開くのも構わず真っ直ぐにレオを追ってきてくれている。
あと少し――あの木立を抜ければ。
待ち受けるヴァンはレオが飛び出してくるはずの対岸の木立に手の平を向け、詠唱に備えていた。
『来たぞ!』
目の前の木立からまず、レックスが飛び出してきた。一呼吸おいてすぐにレオが木立から飛び出した。木立の出口は小さな崖のようになっているが、レオは事前に渡してあった丸太の上に器用に着地すると、渡ってすぐに丸太を蹴飛ばして川に落とした。
「ギリギリだ、すぐ来るぞ!」
レオはそう叫び、息も絶え絶えにヴァンの横の茂みに飛び込んだ。
言葉通りその直後、向こう岸の木立から狼たちが飛び出してきた。最初の数頭は哀れな悲鳴をあげて川に落ちたが、それを見た後続は川を越えるために大きく跳躍してくる。
「炎よ!」
それを撃ち落とすのがヴァンの仕事だ。これにはレックスも協力した。かなり大きな群れだったらしく、飛び出してくる狼はかなりの数だった。終わりが見えず疲弊して膝をついた頃、撃ち漏らしをレオが着地を狙ってたたき切った。
そうして、終わってみれば――あっという間の事だった。
二人と二匹は残党を警戒しつつ、安全な獣道から川を下って滝壺へ向かった。
「こりゃまた、ひどいな」
動物たちの清らかな水飲み場であっただろう滝壺は、森狼たちの血と死骸によっておぞましい様相と化していた。腐敗臭こそまだしないが、辺りは鉄臭く澱んでいる。ザアザアと降り注ぐ滝もまた、上流で散った狼の血を含んで濁っていた。
事前に確認してわかっていたことだが、滝壺はあまり大きくないし、水位もない。いちばん深いところでもなんとか足がつく程度だ。滝の上から落ちれば水面、水底に叩きつけられ、まず助からない。
「数は足りそうだな。…嬉しくはないけど」
「?」
言葉の意味がわからず、レオはヴァンを見た。ヴァンはまだ息のあった狼に静かにとどめを刺し、手を合わせていた。レックスも地面にわざわざ降りてまで身を伏せ、狼に祈っているようだ。
ヴァンは試験達成の喜びよりも、目の前の惨状に対する申し訳なさで胸がいっぱいになっていた。
「…元の森に帰してやれなくてごめんな」
そっと狼の眼を閉じてやり、その逞しい身体を撫でる。
森狼は、本来森の守護神だ。草木を食べ尽くす草食獣を喰らい、時には群れで自分より大きな魔物も倒す。強大な魔物は数が増えると森の空気を乱すので、それを正してくれる森狼の住まう森は美しく清浄だと言われている。
そんな森狼を人間のエゴで討伐するのはひどく心苦しかった。
レオはそんなヴァンたちを見て、かつて騎士団の任務で見た研究者たちの姿を思い出していた。
――そういえば、前にもこんな光景を見たような。
騎士団では、フィールドワークを行う研究者の護衛任務もよくある。彼らは採取の度に森に感謝し、道端の動物の死骸にも手を合わせていたっけ。
「ま――悪いことじゃないよな」
レオは研究者たちのことを偽善ぶったヤツらだと思っていたが、ヴァンの真剣な眼差しを見てばつが悪くなった。
形だけでも、と手を合わせてみると、エリアスも真似して頭を垂れた。それに気付いたヴァンはその光景がなんだか可愛らしく見えたのだが、野暮はよして友人の背中を叩くだけにした。
「じゃあ、犬歯回収して――帰るか」
そのセリフとともに、その場に轟音が鳴り響いた。
雷でも落ちたかのような凄まじい音だ。土煙に、まるで前が見えない。
次に、絹を裂くような悲鳴。聴き覚えがある、ホイッスルのような響き――
ヴァンは血の気が引くのを感じた。
エリアスの声だ!!
煙がようやく晴れた時、目の前には知らない大人が2人立っていた。人二人分はあろうかという巨大な体躯の男と、悲しげな顔で佇む女。男の手には、エリアスが握られていた。
「竜よりはマシかと思ったが、さすがに硬いな」
男はそのままエリアスを握り潰そうと手に力をこめる。痛ましい悲鳴が再度森に響いた。レオは大男に向かって吠え、怒り狂って飛び出した――しかし、一歩踏み出した女に攻撃をいなされ、利き手を蹴り上げられてしまった。レオの右手から剣が弾き飛ばされ、ぬかるんだ地面に突き刺さる。
レオはひるまずに女に蹴りを返そうとしたが、女はその脚を両脚で絡めとるようにしてひねり落とした。人間離れした体術だ――そのままレオは、大男の眼前でいとも簡単に組み伏せられてしまった。
「放せ!!!エリィを放せよ!!!」
「ねえ…厭だわ、わたし。こんな仕事…汚いし」
「ワガママ言うな、上に殺されるぞ」
エリアスは既にぐったりとしている。番は魂の分身――片割れだ。エリアスが傷つけば、レオの魂も傷つく。レオはもう動けないだろう。大男は今にももう一度、その手に力を込めんとしている――まずい!
ヴァンは必死に頭をフル回転させ、次に取るべき行動を考えようとした。
今自分にできること――
攻撃。レオが適わない相手に何かできるとは思えない。武器もない――魔力もほとんど残っていない。だめだ。
逃亡。自分だけなら逃げられるかもしれないでもみんなを見捨てることなんてできない。
なら助けを呼ぶ――?間に合うわけがない!
いくら記憶の倉庫をひっくり返しても無駄だった。知識は、それを活かすための能力があって初めて役に立つのだから。
ああ、何一つ、できることが思い浮かばない。
自分には、なにもない!
「レックス!!!!!!!」
ヴァンは泣きながら叫んだ。咄嗟に身を隠していたレックスはヴァンの声に応えて姿を現し、大男の手に向かって熱線を放った。
ヴァンも呪文を叫び手の平を女に向け、火の玉を放ちながら女にタックルしたが――魔法はいとも簡単に弾かれ、タックルは最小限の動きでいなされてしまった。
バランスを崩して倒れこむ視界の端で、エリアスが投げ出され代わりにレックスが捕まるのが見えた。
男はレックスの翼を潰した――見えないが、ヴァンにはわかる。背骨が砕かれたような痛みを感じたからだ。
目の前がチカチカした。大事な人間が、番たちが為す術もなく蹂躙されていく。
万事休す――なのか?
まだ、なにも――
何もできていないのに――
この後の絶望に抗うかのように、全てがゆっくりと遅く見えた。耳鳴りがひどく、視界が歪む。これがおさまったらきっと、レックスは――
「遅くなって、すまなかった」
意識を失いかけた次の瞬間。ヴァンはバシャっと冷たい液体をかけられて意識を取り戻した。
訳が分からず顔を上げると、視界に映ったのは燃えるような赤――
怒りに満ちた顔で杖を構える、ベリーが立っていた。




