「青空と宇宙の境目で、燃え尽きて、塵になるの」
4
「ルカちゃん……少し、時間をもらっていい?」
当然といえば当然だけど、わたあめの天空観察は、雨の日、もしくはほとんど空が見えない曇りの日には行われない。
だから私とわたあめが屋上で顔をつきあわせるのは、自然と空が見える日、ということになる。
もちろん、忙しい高校生活が始まったわけで、毎日お喋りすることもあれば、週一日しか顔を合わせないこともある。テスト期間中はさすがに勉強に集中せざるを得なかったし……今年の梅雨はあまり雨が降らないかも、と予測されているけれど、実際はどうなんだろうね、なんて会話をしたのは、昨日だったか、おとといだったか。
私がクラスメートの蘭鈴恋からそう話を切り出されたのは、六月二週目のことだった。
今日の空は、少し雲がかかっているけれど概ね快晴といってよい天気で、わたあめは先んじて屋上でゴロゴロしている頃合いだ。
ただ、いつも具体的に何時、と待ち合わせをしているわけでもないし、事前に今日は行く、行かないの連絡を取っているわけでもない――連絡先は交換したけれど、こちらから送ったメッセージに既読がついた試しがない――ので、この場合。
「いいけど、どうしたの? 部活は?」
と返すのは、普通の事だと思う。
「少し遅れていくって伝えてある……」
「ここで話しても大丈夫なこと? 場所を変えた方がいい?」
放課後になれば、部活やバイトがある生徒はめいめい教室を出始めるけれど、残ってお喋りしている娘たちもそれなりにいる、密談するなら校内に適した場所はいくつかあるのだけど……。
「ううん、大丈夫。そんなに大したことじゃなくて、申し訳ないんだけど……」
恋はさすがにわたあめ程じゃないけれど、小さくて可愛い、という言葉が似合う……一言で言うなら、守ってあげたくなるような娘、つまり私と正反対。
そもそもこの風光学園が、それなりに裕福な家庭か、一芸に秀でた生徒を求める傾向にあるので、通う生徒も育ちも性格もよい、という子が大半なのだけれど、恋はまさにその典型的なタイプだった。
人当たりがよくて、親しみやすい。仲良くなったきっかけも、あちらから積極的に話しかけてきてくれたからだし。
緩いウェーブのロングヘアを左右に分けて、低めの位置で結んでいるのだけれど、どの先端を指でくるくると弄るのが、悩んでいる時の彼女の癖だった。
ふぅ、と息を吐いて、私は席を立った。
「ルカちゃん?」
「飲み物買ってくるから、待ってて」
「や、わ、私が買ってくるよ、そんな」
「いいから。ミルクティーでいいでしょ?」
「う、うん……」
知り合ってまだ二ヶ月だけれど……傍から見ていて、恋は非常に努力家だ。
授業で躓くところがあっても、答えを直接知るより、解法のヒントを求め、独力で正解にたどり着くことをよしとするような娘で、テスト期間中はそれがより顕著だった。
それに……恋は吹奏楽部所属で、今は六月末の定期演奏会に向けて最後の追い込み中だとか言っていた。全体練習を欠かすなんてのは、この娘の性格上、相当な決断だったと思う。
そんな諸々の中で、私に対して相談事、というのは。
気になる……という気持ちを差し置いても、クラスメートとして心配になる。
廊下に自販機がぽん、と設置してあるのは私立校のとてもよい所だ、しかも安い。百円玉を二枚入れて、ミルクティーと、少し悩んでゼロカロリーの炭酸飲料を購入。
教室に戻ると、申し訳なさそうに肩をすくめた恋の他に、別グループの娘たちが、次の休みにどこに行くかみたいな事を話していた。
机に飲み物を置いて、席に戻ると、私は今一度、大きく深呼吸をして、尋ねた。
「で…………私は誰を投げ飛ばせばいいのかしら」
「何の話!?」
「何って…………暴力じゃないと解決できないことが、あるんじゃないの?」
「ルカちゃん、ごめん、何言ってるかわかんない……」
「だって私に相談されて出来ることなんてそれぐらいしか……」
ちなみにルカちゃんというのは恋が使い始めたことでクラス全体に広まってしまった私のあだ名で、少なくとも『はてちゃん』よりは本名に近い。
「ち、違うよっ、ルカちゃんって、その……困りごとを、ずばっと解決してくれるじゃない?」
「…………そうなの?」
「そうだよ、花宮さんの手帳がなくなった時も、味倣さんのワンちゃんがいなくなった時も、ルカちゃんが見つけてくれたんじゃない」
「あー…………」
体育の授業が終わって教室に戻ってきたら机の中に入れてあった手帳がなくなっていたのを見つけたり、飼い犬が脱走して意気消沈しているクラスメートに一言添えたりはした……のだけれど。
あれは、こう、クラスで起こった出来事を、雑談がてらわたあめにかいつまんで話したら、『それってこうなんじゃない?』と言われたのを教えただけで、別に私が解決したわけではない。
二つの事件(?)に関しては、あくまで日常会話の延長線上で話していたら、たまたま答えが出てきた、というだけで……恋の場合は明確に問題解決を求めている。
であれば、それをわたあめに伝えるのは、不義理だし、不誠実じゃないだろうか。そりゃあ内容次第だろうけれど、赤の他人に知られたくない事だってあるだろうし。
「あれは……私の力じゃないわ」
なので、事実を伝えざるを得なかった。
「雑談がてら話してみた友達の意見が、たまたま的を射ていただけなの。期待させたら申し訳ないんだけど」
「そ、そうなんだ……」
しゅん、と肩を落とし、見るからに落ち込む恋。
普段、ムードメーカーなだけに、こうして弱った姿を見せられると胸がじわじわ痛んでしまう。一縷の望みをかけてきた、という感じだったし……。
「……だから、力になれないかも知れないけど、聞くだけなら聞かせてちょうだい」
言ってしまった、強がってしまった。しまった、と思ったが手遅れだった。
「ルカちゃん……!」
期待に満ちあふれた視線が、私の体を貫く。うう、心が痛い。
正直、私に出来ることなんて何もないと思うけれども……。
「あのね、ルカちゃん、私の――――」
5
「はてちゃん、悩み事?」
どうでもいいような会話の最中、わたあめは突然そう切り出した。
マットレスの上で寝そべって、ぼーっと空を見上げているわたあめの傍ら、私は腰を軽く沈めて座っていた。
午前中に雨が降るとマットレスを敷けない、という物理的問題を解決するため、どこからか持ってきたすのこが実装されたのが二週間ほど前。結果、座高が高くなったマットレスは大分腰掛けやすくなったのだ……いや、並んで横になるとやっぱり近いし。
なんなら屋上前の踊り場には椅子とかも置いてあって、座ったりしたこともあったのだけど、わたあめが寝ていて、私が椅子に座っていると、頭部の位置に高低差と距離が開いて話し辛かったという言うのもあり。
……何にもなかった様な顔をしていたつもりだけど、顔に出てしまったか……いや、そもそもわたあめに隠し事をしよう、という前提条件が間違っているんだった。
「……クラスメートに相談事をされてね」
「おお、はてちゃん、頼られてる」
誰のせいだと思ってるんだ、と思ったが、わたあめは別にただ雑談をしていただけなんだから、さすがにこれを責めるのは理不尽だ。悪いのは全部私。
「で、どんなお話なの?」
「…………少し説明しづらいわ」
「なんで?」
なんで、と来たか。
「……個人情報とか、プライバシーとか、あるでしょ、そういうの」
「わたし、顔も名前も知らない人の事なんか、いちいち覚えてないよ」
「…………いや、私を信用して話してくれた人の相談ごとだから……」
「でも、一人で考えてもわからなかったから、ヒントがほしいんでしょ?」
「……………………」
「はてちゃんが本当に自分だけでなんとかするつもりなら、『相談された』なんて言わないよ」
だから、隠し事が出来ないんだってば……。
一言、許可を取っておけばよかったのかな……ただ、相談の内容があまりに突拍子もなくて、思わずその場で考え込んでいる内に時間が来ちゃったんだよね……。
「それに、はてちゃんは」
わたあめの視線を、背中越しに強く感じる。
「気になってるもん。我慢できないよね?」
そう。
恋の相談事は、私一人じゃ解決出来ないぐらいに、変なことだった。
何でそんな事になったのか……気になる。
「はてちゃん、いいこと教えてあげる」
「…………何よ」
「バレなきゃ、いいんだよ」
「……………………」
これは恋に対する裏切りだろうか。
……いや、一番大事なのは、彼女の悩みを取り除く事だ。あの子は今、誰かにその解決を委ねないといけないぐらい、困っているのだから。
そう、ヒントだけでいいのだ。細部をぼやかして、個人情報に極力触れず、わたあめのひらめきだけを借りる形で、解決に持っていければ……いいはずだ。
「…………他言無用ね」
「うんうん、わたし、口は堅いよ」
「…………」
むにっ。
「ほっひょ、はへひゃん、ほーひはほ」
こんなに柔らかいほっぺをしているくせに……。
わたあめのぷにっぷにした頬から手を離すと、上半身をむくりと起こし、抗議の目線を向けてきたので、私は見なかったことにして、そのまま続けた。
「ペットのヨウムが、教えた記憶のない言葉を喋るんですって」
むにむにと頬を揉みながら、わたあめはゆら、と小さく首を揺らした。
「よーむ? オウムじゃなくて?」
わたあめの疑問はもっとも……というか、私も同じ質問をしたので、これに関しては恋から解答をもらっている。
「ヨウムであってるわ。どっちかというとインコの仲間らしいけど……要するに、お喋りする鳥の一種ね」
「オハヨー、オハヨー、っていうやつ?」
「そう。ただ、ヨウムはそういう鳥の中でも飛び抜けて賢いんですって。ちゃんと教えれば単語の意味も理解できるし、会話も成立するらしいし」
「へー。頭いいんだ、鳥頭っていうのにね」
「どちらかというと、鳥って頭がいいイメージだけど。カラスとか」
「あ、そっか。頭悪いのは、鶏だけ?」
「そういうわけでもないと思うけど……」
ペットとして飼われた鶏はちゃんと主人や家族を認識するというし……。
「わたし、鳥ってあんまり好きじゃないから」
「そうなの?」
「空を見るのに邪魔だもの」
空と鳥は、体感的にセットという感じがするのだけど、わたあめにとっては、どうも大空鑑賞を妨げる不純物に該当するらしい。
「雲はいいのに?」
「雲は空の構成要素だよ。鳥は空で生きてるだけ」
それもかなりの暴論だと思うのだけど……。
「それに、もし空に落ちていけても、鳥に食べられちゃうのは嫌だもんね」
「鳥の事を自分の捕食者だと思ってる……?」
「空に落ちて、落ちて、落ちて、落ちて……そしたら、いつか宇宙にいくでしょ?」
体を起こしてもなお、手を空に伸ばし、わたあめはどこかうっとりとした表情をした。
「青空と宇宙の境目で、燃え尽きて、塵になるの」
「物騒なことを言わない」
空に落ちていきたい、がわたあめの口癖で、私はそれを比喩かなにかだと思って、深く気にしては居なかったのだけど……。
最近、なんだか、割と本気なんじゃないか? と言う気がちょっとしてきていて、どうなんだろう。
でも、芸術家って大なり小なり変なところがあるイメージなんだよね……それこそわたあめはドンピシャだ。
「それで、ヨウムさんがどうしたの?」
「え、ええ」
そうだった、まずは、そっちだ。
「子供の頃に買ってもらったヨウムで、今は八歳くらい。毎日世話をしてて、どんなに忙しくても必ず一時間は部屋で放して遊んでるらしいんだけど……」