「ぴょん」
27
二学期になって、少し風が涼しくなってくると、わたあめの調子は絶好調になった。
「涼しいねえ、はてちゃん」
放課後にもなれば、気温も炎天下というほどではなくなった……のはいいのだけど。
「あ、はてちゃん、それじゃないよ、右のやつ、蓋が赤いのを少し頂戴」
「はいはい」
イーゼルに立てたキャンバスに、わたあめは筆を走らせる。
私はその横で、剥がして使える紙のパレットを持って、指示された絵の具をべたべたと絞り出す作業をしていた。
なにせ、肩を脱臼した上に、尺骨を亀裂骨折したわたあめの右腕は、今も三角巾に吊るされている。
「んー…………なんか、変……」
「そうなの? 上手に見えるけど」
「ぜんぜん違うよ。ここはこんなにキラキラじゃないし、ピカピカも違うし、はてちゃん、センスないね」
「………………」
「あー、あ、まって、髪の毛、引っ張らないで、はてちゃんってば」
「もう、両手が塞がっていることを加味して発言しなさい」
「両手が塞がってるから、口で言うしかないのに」
わたあめいわく、左手でも描けないことはないが、両利きというほど万能でもないので、右手ほど繊細には行かないらしい。
素人目には大きな違いはわからないのだけど、当人が感じるならそうなんだろう。
「あー、わかんなくなってきちゃった。はてちゃん、持ってて」
「何よ、もう」
頬を膨らませたわたあめが、筆を押し付けてきたので受け取ると、んー、と体を伸ばしながら立ち上がり、おもむろに。
「ぴょん」
と、軽くその場で、飛び跳ねた。
当然、滞空時間なんて零に等しくて、すぐに床に着いてしまうのだけど。
「…………まだまだ、空には落ちていけないねえ」
不満げな表情のまま、そんな事を言うのだ。
「懲りないわね、あなた……」
「だって、やっぱりわたし、空は好きだもの」
あんな事があったあとでも、結局、わたあめの空への憧憬は変わらなかった。
「だったら、今度は気球にでも乗ってみる? ジャンプよりは近くなるかもよ」
思いつきで言ってみたのだが、くる、とこちらを振り向いたわたあめは、私の顔をじぃ、と見つめて――――満面の笑みを浮かべた。
「はてちゃん、それだよ。いいじゃない! 決めた、今度のお休み、気球に乗ろうよ!」
「簡単に言わないでよ……何処で乗れるの、気球って」
「上江洲に調べてもらおうよ、それで、二人で空に落ちよ?」
「連れ戻すわよ、悪いけど」
「ふんだ、はてちゃん、いじわるだ」
隣にいる人が誰より大事。隣にいる人が誰より憎い。
隣にいる人が誰より好き。隣にいる人が誰より嫌い。
心が飛ばされないように、人間関係という重力で、大地に縛り付けられている。
だから、私たちは今日も空に落ちていくフリをする。
泡沫潟わたあめは、いつだって死にたがっている。
そして私は、絶対にそれを許さない。
―――――――So, we pretend to fall into the sky
お付き合いいただきありがとうございました。
来年の文学フリマまでに余裕があったら続きを出したいなという気持ちです。




