「ありがとうございます、いつか必ず」
21
迎えの車に乗った瞬間、わたあめは私に肩を預けて、眠りについてしまった。
流石にそのままだと体勢が辛いので、少し横にずれると、身体にすがるようにずるずると下っていって、結果的に膝枕の形になってしまう。
……大丈夫かな、私、ふともも結構太いし、硬いんだけど……。
「ご迷惑をおかけします。お嬢様は、いつもこの時間には就寝してしまいますので」
窓越しに、上江洲さんの声。端々からにじみ出る申し訳無さが、ありがたい。
「ああ、いえ、大丈夫です、重たくもないし」
私は昼寝を挟んだから今もそこそこ目が冴えているけど、わたあめは少し仮眠してから、ずっと絵を書いていたわけで、ただでさえ昼間はあれだけ動いたし、さもありなん。
「お嬢様が、こうまで誰かに心を許している姿を、始めて見ました」
不意に、上江洲さんがそう言った。
「そう……なんですか? なんだか、スーパーメイドさんが居る、って聞きましたけど」
「間違ってはおりませんが……語弊もございます。久住呂はわたあめお嬢様の、お姉様の側仕えなので」
「……えっと、かすてらさん?」
「ご存知でしたか」
「名前だけは、話の流れで」
……このままご両親の名前を聞けるか? いけるか? ……いや、やめとこう。絶対に興味本位だと思われちゃう。
「はてちゃん様」
「は、はい」
「また、お嬢様と遊びに行っていただけますか。この上江洲、何処まででもお連れしますので」
「えっと、それは……もちろん」
それはまあ、願ったりかなったりと言うか、ありがたい話だけれど……でも、交通費とか、一日過ごした別荘で使った材料や食費だって、今回は泡沫潟家持ちなわけで、それはちょっと申し訳なくなってしまうところもあり……。
「ご両親の許可が出れば……ですけど。でも、その…………」
「過保護、ですか?」
友達のお世話係の雇い主にそういうことを言うのはどうかな、と思って言葉を濁してしまったけれど、まあ、わかるか。
「ええ、その……そりゃ、わたあめって、ふわふわしてるし、隙も多いけど、もう高校生じゃないですか。学園じゃ、好き勝手してるのに」
いや、放課後以外のわたあめの様子を見たことはないんだけど。
「送り迎えつきはわかるとして、外出禁止は厳しくないですか? その割に、私がお願いしたら、別荘を貸してくれるし」
それだけ過保護だと、直接話してない友達の事なんか信用できないと思うのだけど。
「………………お嬢様は」
少し長めの間をおいて、上江洲さんは、窓の向こうで小さな息を吐いた。
「お嬢様は、幼い頃、誘拐されたことがございます」
「……………………ゆ、誘拐?」
すやすやと眠るわたあめの顔を、思わず見る。
安心しきった――――穏やかな表情。起きる気配は、ない。
「愛犬と散歩中のお嬢様を、背後から車で跳ね飛ばし、そのまま車中へ拐い――計画的な、身代金目当ての誘拐だったと、思われています」
ぞく、と背筋が凍る感覚があった。
小さい頃、大怪我をして、入院する羽目になって。
退院した時、愛犬のつぶあんが、入れ替わっていた。
……じゃあ、元のつぶあんは、いつ死んだんだろう?
わたあめは、何で、大怪我をした?
死んだ愛犬を入れ替える、なんて常軌を逸した真似だと思ったけれど。
知らない大人に誘拐されて、大怪我をして、つらい思いをして、やっと家に帰ってきたら、愛犬はその時に亡くなってた、なんて、残酷すぎる。
ショックを受けるに……決まってるから。
「驚くべき事に、お嬢様は自力で犯人の元から逃げ出し、戻ってこられましたが……全身に酷い傷を負っておられました。すぐに入院し……数ヶ月の治療を終えて、退院して戻ってきた、その翌日から」
上江洲さんは、そこで一度、言葉を区切った。
「定期的に、自害を試みるようになりました」
「――――――――は?」
敬語も何も無い、心底からの疑問が、声になって喉の奥から絞り出される。聞き間違いではないらしく、上江洲さんはそのまま話を続けた。
「ふらりと車道に出たり、高所に登って、飛び降りようとしたり。いずれも未遂に終わりましたが、骨折は一度や二度ではありません。冗談や遊びでは済まない怪我も、いくつか」
「なん――――で」
「理由はわかりかねます。お嬢様を問い詰めても、いつも通りなのです。髪の毛で自らの首を縛りながら、風呂に沈んでいた時などは…………皆、言葉を失いました」
……何だ、それ。
知らない話が、一気に出てきて、頭がグチャグチャになりそうだ。
海に落ちていくのは、苦しいから嫌だ、とわたあめは言った。
……実体験が、伴っていたなんて、知るはずないじゃないか。
「誘拐事件が何かしらのショックを与えたのだと、旦那様方は考えておられるようですが……結果として、現在まで、私めがこうして送り迎えをさせていただいています」
目を離したら、何時、何処で死んでしまうかわからない娘。
そりゃ、登下校でも目を離せないし、遊びに行かせるなんてもってのほか、か。
「……そんな日々を変えたのが、はてちゃん様なのですよ」
「……え、私、ですか」
「はい、入学式から少し経ったある日、お嬢様は旦那様方に、こうおっしゃったのです。『大事な友達ができたから、もう自分を傷つけるようなことはしない』と」
私が…………わたあめにとっての、大事な、友達。
「突然の事で、旦那様も、奥様も、かすてらお嬢様も、もちろん私めも目を丸くしたものです。ですが、それから時折、楽しそうに〝はてちゃん〟のお話をしてくださるようになったのですよ」
「…………だから、今日のお出かけも、許可してくれた、んですか?」
「はい、本当は旦那様自ら感謝の言葉をお伝えしたいとのことでしたが、お嬢様がそれはやめてほしいというので、せめて別の形でと、本日はこのような形に」
どくん、どくん、と胸が高鳴る。
今、私の膝の上で眠っているわたあめに、どうか聞こえないで欲しいと願う。
もし上江洲さんが言ってる事が正しいなら……万事、解決だ。
わたあめは私を大事に思ってくれていて、それはとても嬉しいことで。
今日は少し、すれ違ってしまったけど、それすらも、お互いを理解するために必要なことで。
私たちはこれからも毎日、あの屋上で、他愛ない日常を積み重ねながら、卒業までの時間を積み重ねていく――――そんな未来だったら、どんなに良いだろう。
これは多分、私にしか気付けない。
「……上江洲さん」
「はい、なんでしょう」
「わたあめが、〝特待生特権〟で何をもらったか、知ってますか?」
私の問いに、上江洲さんはああ、と答えた。
「風光学園の制度でございますね。教室を一つ自分のものにしたと伺っております。そこで、はてちゃん様とお話していると」
わたあめは、家族や、それに連なる人に、自分が何を手に入れたかを隠している。
だって許すわけがない、自殺衝動を持つ娘が、一人だけ学校の屋上に出入りする権利を持っているなんて。
わたあめが私と出会ったのは、特待生特権を行使した後なのだから。
「はてちゃん様、どうか今後も、わたあめお嬢様のことをよろしくお願いします。どうか是非、当家にも遊びに来て下さいませ、皆、歓迎いたします」
……泡沫潟わたあめは、死にたがっている。
それが、現在進行系であることを、私は、知っている。
「ありがとうございます、いつか必ず」
わたあめの髪を撫でながら、私はそう答えた。




