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だから、私たちは空に落ちていくフリをする。  作者: 天都ダム∈(・ω・)∋
第二章 海の欠片を拾い集めて

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18/22

「わたしの■■は、はてちゃんがいい」


 20


 日が落ちかけているからか、バルコニーに出ると、海風が若干肌寒い。上着の一つでも持ってくればよかったかも、と思ったけれど、後の祭りだ。


 景色を楽しむ為か、椅子とテーブルが設置してあったので、向かい合って座る。


「わたあめ、その……」


 なんと言えばよいのだろう。

白黒の空と、水彩のシーグラス。あの二枚の絵に、私は確かに心打たれた。素敵だと思った。感動……したと思う。


 けど、私が〝理想の空〟を見て感じたのは、恐怖、に近い感情だった。


 吸い込まれたら戻ってこれないような、明るいだけの奈落のような。

 けど、それを伝えたところで何になるだろう。何を話せばいいのだろう。


 表情からそんな葛藤を読み取ったのか、先に口を開いたのは、わたあめだった。


「わたしね、不思議なんだ」


 太陽が水平線の際に差し掛かり、もうほとんど、暗くなりかけた空を見ながら。


「なんでみんな、わたしの絵が好きなんだろうって」


 私立風光学園、美術科の特待生、泡沫潟わたあめは、そう言った。


「だって、全部本物よりも、劣ってるんだよ。キラキラしてない、ピカピカじゃないし、ツヤツヤじゃ、ないし」

「そんなこと……」


 無い、と思う。だって、シーグラスの水彩と本物を、私は、確かに見比べて。


「そっか」


 わたあめは、ふんわり微笑んだ。


「はてちゃんには、そう見えるんだね」


 ズキ、と胸が痛んだ。錯覚かも知れないけれど。

 ああ、そうだ。

 泡沫潟わたあめは、見て、聞いただけで、何でも見透かして、何でも見通してしまう、この娘は。


 ()()()()()()()()()()()のだ。

 わたあめは、現実を超えた世界を描き出しているのではなくて。

 わたあめから見た世界を、ただ描いているだけ――だったんだ。


『はてちゃん、絵はしょせん、絵だよ。本物じゃないよ』


 白黒の空をぐしゃぐしゃにして、わたあめは言った。あれは、紛れもない本心だった。


「昔から、そうだった。わたしが描くものはね、全部偽物なの。でも、みんなは綺麗っていうの、凄いっていうの、素敵だねって言ってくれるの。わたしには、なんでそれが凄いことなのか、わからないの」


 私にとって、大事なのは祖父との繋がりであって――柔道そのものは、アイデンティティにならなかったように。


 泡沫潟わたあめにとって、絵は、ただ描けるから描くだけのものであって――その才能を、嫌っていた。


 だって、世界はこんなに綺麗なのに、完成するのは紛い物ばかりで、だけどそれを、周りの人は褒め称える。才能を称賛する、天才と呼んで、特別な権利まで、与えられてしまう。


「でもね、わかったんだ。つぶあんが、つぶあんじゃなくなった時」


 つぶあん、大怪我をして入院している間に死んでしまって、入れ替えられた、わたあめの飼い犬。


「パパとママは、これで、ごまかせると思ったんだ。つぶあんじゃないのに、ぜんぜん違うのに、一目でわかるのに」


 入れ替わった時、ちょっとやだったなぁ、とわたあめは言った。


「皆は、わからないと本気で思ったんだ。そんなふうに見えてるんだって」


 ――――この人たちとわたしは、見ているものが違うんだって。


「〝理想の空〟はね、二〇歳以下のコンクールで、一番すごい賞を取ったんだって。名前は忘れちゃったけど」


 私はそれを、納得してしまう。青と白だけで描かれたこの空は、それだけのものがあると思った。


「偽物の、落ちていけない空なのに」


 絵というのが感性を外に吐き出す手段なら……泡沫潟わたあめは、本物に届かない。

 周りがどう捉えても、描いた本人が一番自覚していること。


「だから、絵を描くのは、わたし、好きじゃないんだ」


 描くたびに、世界を切り取るたびに、人との違いを見せつけられる、自傷行為。

 わたあめの見ている世界は……誰とも、共有できないんだ。


「……――――――」


 私は、このおでかけを、屋上で過ごすあの日々の延長だと思っていた。

 いつも通りの時間を、少し違う場所で過ごす……ちょっとしたイベントの一つ。

だけど、私とわたあめでは、その時間に対する想いが、違った。


 わたあめは、私が思っているよりずっとずっと、あの時間を大事にしていた。

 わたあめは、私が感じているよりずっとずっと、あの時間を想っていた。

 特待生特権で手に入れた学園の屋上、一番空に近い場所。


 あの縄張りに居る時だけ、泡沫潟わたあめは、自由でいられる。

 私が屋上を訪れたのは、偶然だ。


 けれど、境界を乗り越えて、足を踏み入れて、わたあめは私を受け入れた。

わたあめにとって、私は――()()()()()()()()()()()()()()()だった。


 同じ物を見ているわけではないけれど、通じ合える、友達として。

 その私が、言ったのだ。


 二人で、どこかに出かけてもいいんじゃない? って。

 一人では外出も許されないわたあめにとって、その言葉は、世界を広げるのと同じ意味を持っていたのに。


『私は…………違うと思うな』


 その私が、わたあめ自身が絶望した才能に、縛り付けようとした。

 だけどわたあめは、何も言わなかった。

 それが、私の善意だと、見抜いて、見透かしていたから。

 私と過ごす時間を、損なわずに居る為に、()()()()()()、しようとした。

 なんて、傲慢だったんだろう。



『わたし、少し、がんばってみる』



 私は、わたあめを励ませたんじゃない。

 落ち込んでいたり、失った自信を、取り戻させたわけじゃない。

 わたあめにとって、興味を失った行為を、価値を失った徒労を、意味を失った努力を。


 もう一度することを、頑張る、って言ったんだ。

 私がそれを望んだから……()()()()()()()()()()()


「…………ごめん」


 無神経にもほどがある。そんな事にも気づかずに、よかったよかった、なんて、どのツラ下げて。羞恥が体温と連動していたら、多分、私は燃え尽きている。


「ごめん、わたあめ、私、何も考えてなかった」


 わたあめの顔が、見れない。消えてしまいたい。


「はてちゃん」


 わたあめと、その周りの人しか呼ばない、私のあだ名。

 たっぷり十秒待って、顔を上げると……いつも通り。

 にやにやと、によによと、からかうような、うれしそうな、そんな笑顔で。


「わたしね、誰かのために絵を描いたの、はじめてだったの」


 白いワンピースのポケットから取り出したのは、青い欠片、シーグラス。


「わたしが見てるこれと、はてちゃんが見てるこれは、きっと違うから。ちょっと怖かったよ。はてちゃんに、がっかりされたらどうしようって」

「……そっか、だから」


 わたあめは、私が絵を褒めた時、安心して、息を吐いたのか。

 わたあめが、初めて人の評価を気にした……絵だったから。


「絵を描くのは、好きじゃないけど……はてちゃんのためなら、楽しかった」


 椅子を降りて、て、て、て、と近寄ってきて。

 わたあめは、私を後ろから、抱きしめた。


「だから、そんな顔しないで。わたし、はてちゃんのこと、大好きだよ」

「………………うん」


 太陽が、ゆっくりゆっくり沈んでいく。後悔を塗りつぶすように、体温を求め合うように、赤らんだ色が消えて、暗い暗い夜が来る。


 しばらく、そうしていたけれど、やがて、私を抱きしめたまま、わたあめが小さく呟いた。


「やっぱりわたし、はてちゃんがいいな」

「……え?」


 わたあめは、淡く淡く微笑みながら、ゆっくり腕を解くと、ふふ、と笑って。


()()()()()()()()()()()()()()()


 ――――――聞き間違えかと思った。

 もう一度、聞き返そうと思った。

 だけど、その前に、首をこてんとかしげて。


「ね、ご飯、頼もうよ。わたし、お腹すいちゃった」


 そう言った。


「う、うん」


 それ以上、問い詰められずに、部屋に戻るわたあめを、追いかけた。

 テーブルの上に、シーグラスが置かれたままであることに、私は、気付けなかった。



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