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4.
試験期間が終わり、はじめての、長い夏休みが訪れて──僕の不安は、これ以上ない形で的中したと言って良かった。僕たちは僕たちじゃなくなっていた──それも、この夏休みの間中、ずっとである。
そして、今はもう九月である。僕の夏休みは、なんと、永くんなしで終わってしまったのだ! 珍しく大学構内で鉢合わせ、二人揃ってボードゲームサークルの部室へと足を向けながら、むすっとした顔で僕は言った。
「免許合宿、一緒に行こうって言ってたじゃん……」
とっくに終わった話なのに、まだむくれた声が出る。そんな僕を横目に、永くんは「悪かったって」と繰り返した。
「知らなかったんだよ、塾講バイトは夏休みが一番忙しいなんて……。夏期講習に合宿にでもう」
「もう?」
「めっちゃ稼いだ……」
「も~~~~! なんか奢れ~~~~!!」
なんだそのドヤ顔、めっちゃムカつく~~~~! 永くんの肩を掴んで揺さぶると、「いくらでも」と鷹揚に頷かれて更にムカついた。クソ高い焼き肉とか奢らせようかな? 悪い画策をする僕に、「でもさあ」と永くんが少し呆れた顔になる。
「結局、浅霧くんと行ったんでしょ? 免許合宿」
「あー……まあ……それはそうなんですが……」
永くんにフラれた、ひとりで合宿とかつまんなそうすぎ、と盛大に愚痴っていたら、「じゃあ俺も行こうかな」と手を挙げてくれたのが慧くんだった。元々免許は取る予定だったらしく、慧くんはバイトもしていない(代わりに、国際ボランティア関係のインカレサークルに入って忙しくしているけれど)からと、僕に付き合ってくれたのだ。
とはいえ、僕は最初、その申し出に少々の不安も抱いていた。免許取得費用は親が出してくれることになっていたが(これは地元に帰ってきてくれるなら車が必須だから……という、下心込みの温情措置である。なお今のところ卒業後地元に戻る予定はない)、もちろん予算は無尽蔵ではない。元々は費用を抑えるために二人部屋のプランにしようと思っていたが、永くん以外の誰かと長期間寝起きをともにするなんてはじめての経験だ。……ましてや何もかもスマートな慧くんとなんて、一方的に失態を見せまくって呆れられる羽目になりはしないだろうか? 一度は断ろうかと思った僕は、けれども、慧くんのほうが「海が近いとこにしよう。楽しみだな」とすっかり乗り気になっているのを見てしまって何も言い出せず、半ば自棄気味に三週間に渡る合宿へ向かった。
その結果。
「で、めっちゃ満喫したんでしょ? 夏を。海水浴にバーベキューに、『ホテルだと高いから自炊プランにした~』とか言うからマジで心配してたのに、二人で毎日美味しそうなもの作って食べてさあ? こっちは毎日夏期講習でへろへろのコンビニ飯続きだったっていうのに?」
「……うう……はい……しましたね……満喫……」
とにかく海に近い、という理由で選んだ静岡の教習所は当然というべきか大人気で、値段もかなりのものだった。なので、少しでも出費を抑えるためにと、二人部屋食事なしの自炊プランにしたのだ(それでも教習所のサービスで近隣の食堂のチケットはついてきたし、僕も浅霧くんも朝食は食べない派だったので、作って食べたのは実質夜だけだったが)。僕も浅霧くんも自炊経験などほぼないのに無茶をしたものだ、と今でも思うが。
「なんか……好きな料理漫画のレシピ再現とかしてたら普通に終わってた、三週間が」
「……まあ、遠くん、器用だもんね……」
「てか部屋のキッチン用品が普通に充実してたからなんかお菓子とか焼いちゃったし」
「暇だったの?」
「いやめっちゃ忙しかったよ、詰め込みプランだもん。でもなんか……テンション上がってて……」
結果として自炊費用も高くついたような気がするのだが、そこはなんか『遠のほうがたくさん料理してくれてるから』という理由で浅霧くんがスポンサーになってくれたので、最終的にあまり気にせず好きなものを作って食べていた。いや浅霧くんもかなり色々作ってくれたんだけど。というわけで免許合宿自体は問題ないを超えて大成功といって良かったのだが(もちろんちゃんと免許も取れた)、それとこれとはやっぱり別なのだ。僕は唇を尖らせて言った。
「永くんがいたら、もっと楽しかったと思う。三人部屋ならもっと安かったし」
「はいダウト~~~~」
「えっなんで??」
「僕、浅霧くんと上手くやれる気がしないから。三人で行くっていう選択肢がまずないよ」
「えっそうなの!?」
「そもそも会ったこともないしね?」
「えっそうだっけ!?」
ごく初期の頃に『会ってみたいな』と言われたような気がするのだが……言われてみれば別に用事もなく、その対面は実現していなかった。
「……そうだわ。わー、え、ほんとに? セッティングする?」
「しなくていいよ。会ったら喧嘩になりそうだもん」
「えっなんで!?」
てか僕、さっきから「えっ」ってばっかり言ってるな。それぐらい、永くんの台詞の全部が想定外だった。『喧嘩になる』? なんで?? きょとんと首を傾げる僕に、永くんは「だってさ」と苦笑した。
「『まだ会ったことない』っていうのが、浅霧くんの側も別に僕に会いたくないっていう証拠っていうか……同じ大学で、会おうと思ったらいつでも会えるのに、ねえ?」
「そう……かなあ? いやでも、だからって喧嘩にはならなくない?」
「……まあ、遠くんはそう思ってればいいんじゃない」
永くんは匙を投げるみたいに言って、僕はきょとんと目を瞬く。けれども、そこでちょうどサークルの部室について、会話は強制的に終了になった。部室のドアを開けると、賑やかな声とボードゲームの駒の音が混ざり合って僕らを迎える。最初に声をかけてくれたのは、奥のテーブルを囲む集団の中心にいた橘先輩だった。
「あ、永! ……と、遠のほうは久しぶり。無事免許取れた?」
僕はピースサインを作ってそれに答えた。
「いえーい。ばっちりでーす」
「いいね。やっぱ合宿で取ると楽だよなあ」
「先輩は免許持ってるんですか?」
「一応ね、二年のときに通いでとったけど、大変だったよ~。永は?」
「永くんも一緒に合宿行く予定だったんですよ! だけど、先輩のせいで……」
「えっ俺のせい??」
「いやいやいや遠くん、それは言いがかりだから」
冗談半分の恨み言に、永くんが慌てた声を出す。そうして、橘先輩に向かってとりなすみたいに笑った。
「別に約束してたわけじゃないですし、バイト優先したのは僕なんで」
「……あー、そういうこと。いや、それは確かに俺も悪いわ。ごめんな~、でも永めっちゃ戦力になったからありがと~!」
「うーん、ならよし!」
「待って、なんで遠くんが偉そうなの?」
偉そうにしているつもりは特になかったけれど、永くんの使用許可を出したつもりはあったので、「だって僕の永くんだから……?」と言っておく。橘先輩は「小御門兄弟は揃うとより愉快だな~」とにこにこ笑って、それから、「あ、永、これ」と机の上を指した。
「夏休みに言ってた新作。お前もやる?」
「あ、はい」
永くんの視線がぱっと僕から橘先輩に移って、そのままいそいそと机の方に向かっていく。あれ、僕は? おーい、『僕の永くん』、今は使用許可出した覚えないけどな……? 突然手持ち無沙汰にさせられた僕に、「遠、CoCやりたいって言ってたっけ?」と、永くんと同じ学部の同期である皆川くんが声をかけてくれた。
「あ、うん、やってみたい。原作は読んだことあるんだけど」
「原作? ……あー、原作!? 逆にレアな可能性あるなそれ」
「そうなの!?」
僕は結構怪奇小説が好きなので、クトゥルフ神話ネタが流行ったときに原作を少しだけ齧ったのだ。
「まあ、知ってたほうがもちろん楽しめはするかも。今日時間ある? 二時間ぐらい」
「あるある」
今は四時過ぎだから、二時間遊んだらちょうど夕食時だ。どうやらちょうど別の初心者と初めてのセッションをやる予定だったらしく、そこに混ぜてくれるということらしい。「リプレイ動画は見たことある」と申告した僕に、「じゃあ基本はわかってるってことでいいか」と頷いて、皆川くんはさくさくキャラメイクの説明をはじめた。僕はそれを真剣に聞きながら──ちらりと、永くんのほうを見る。
永くんはいつの間にか橘先輩の隣に座って、真剣な顔で橘先輩がルールの説明をするのを聞いている。僕がどうしているのかなんて、意識の端にすら上っていなそうだ。……別に、気にしてほしいわけじゃないんだけど。
でも。
さっきの、橘先輩に呼ばれたときの永くんの顔、明らかに橘先輩の声に反応したその顔は、なんだか、見たことがないもののような気がした。なんだかとっても嬉しそうで。
(……本人に言ったら、すごい嫌な顔されそうだけど)
はっきり言えば、犬みたいだった。散歩に行くよ、って呼んでもらった犬。飼ったことはないから、ステレオタイプなイメージだけど。
夏休みの間中、バイト先で、夏期講習という『苦楽をともにした』結果なのかもしれないけれど──それにしたって、どうしてこんなに仲良くなったんだろう? 僕は永くんから視線を引き剥がし、手元のキャラクターシートに視線を落として、それでも暫くは、あんなに興味があったクトゥルフの世界に集中できなかった。
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