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バイトを終えて寮の部屋に戻ると、永くんはラグの上に座ってスマホを眺めていた。
この部屋に永くんがいるのを見ると、世界が『いつもの形』を取り戻したような気がしてなんだかほっとする。扉を開けて一瞬立ち尽くした僕に視線を向けて、「おかえり、遠くん」と永くんは笑った。
「バイト順調? ……あ、なんか食べる?」
「ただいま。……バイトはまあ、ぼちぼちかな。ご飯は食べてきたから大丈夫」
答えながら鞄を机に置いて、そのまま、永くんの隣にちょこんと座る。永くんは見ていた動画──たぶん、ゲームのプレイ動画──を止め、労わるように僕の頭を撫でてくれた。慣れた手つきだ。僕は永くんに寄りかかってありがたくそれを享受しながら、「永くんは?」と軽く尋ねる。
「バイト決めた?」
「……あー、それなんだけど」
永くんは僕から手を離し、膝の上のスマホへと視線を落とした。なにやら検索画面に打ち込みながら言う。
「橘先輩が塾講師やってて、紹介してくれるって言いうから、そこにしようかなって。……こういう、小中学生相手の集団塾なんだけど」
橘先輩。
永くんは、最近本当によくその名前を口にする。入学式の日に僕らに声をかけてくれた先輩、橘宗一。ちょっとびっくりするぐらいにきれいな顔をした彼は、なんと、永くんと同じ経済学部の三年生だったのだ。
結局学部であまり友だちができなかったらしい永くんは、空き時間のほとんどをボードゲームサークルに入り浸るようになった。同じ学部の同期も数人いたらしく、そちらで大学生活の基盤を築くことにしたということらしい。ある意味合理的な選択である。
(……それにしても、また、橘先輩かあ)
なんだかもやもやする、と思いながら、僕は「塾講師?」と首を傾げた。塾講師や家庭教師は、大学生バイトのテンプレではあるし、書店員よりよほど高時給だが、事前準備など大変さもその比ではないと聞く。てか、そもそも永くん、人に勉強教えるの得意だったっけ? 不信感が声に出たのだろう、言い訳のように永くんは言った。
「最近さ、サークルでTRPG教えてもらったんだけど」
「TRPG? あ、クトゥルフのやつだっけ?」
「クトゥルフ以外もあるけど、今回はそうだね」
「え、あれ、僕もやってみたかったんだよな。やるなら言ってよ~」
「言ってよっていうか、遠くん最近バイトばっかじゃん」
「言えば誰かしら回してくれると思うよ」と軽く言うその口調から、サークルが永くんにとってすっかり気安い場所であることが伺える。僕の知らない永くんがどんどん増えているみたいな感じがして、もやもやはどんどん大きくなっていく。そんな僕に気づかず永くんは続ける。
「それ教えてもらってやってたら、『声がハキハキしてて喋りも情報の整理も上手いし、向いてるかも。バイト探してるんだよね?』って言って、橘先輩が誘ってくれて。まあ面白そうかもと思って」
「面白い……かなあ?」
「反対?」
「反対じゃないけど」
バイト先まで一緒になったら、永くん、橘先輩一色じゃんか。という、とっさに出そうになった本音は既のところで隠して、僕は「入れ込みそうという気がする、バイトに」と二番目の懸念点を口にした。永くんが頷く。
「あー……それは気をつけてねって橘先輩にも言われた。ハマりはじめるときりがないからって」
双子間に兄弟の概念はないけれど、一応定義上兄の永くんは、定義上兄であるからか、『面倒見がいい』と言われることが多い。
「でもまあ、何かははじめないとじゃん? 懐も心もとなくなってきたし」
「それはそう。あ、でも、髪は? 流石にその色はダメでしょ」
「あー……うん、それはそう。だから、染め直そっかなって。正直この色、維持するのキツイし」
「あー……」
わかる、と、僕はついつい頷いた。永くんの白髪は僕の赤髪よりさらに生え際が目立ち、今の永くんは完全にプリン状態だ。
「まあもうインパクトも十分でしょ、ってことで、暗めの色にしようかなって。……遠は?」
「僕は……まあ、もう一回は同じ色にしようかな……」
僕のバイト先は服装や髪型に厳しくなくて、そういう理由でバイト先に選んでいる人がいるせいか、派手髪派手ピアスが結構多い。僕自身この色を気に入っているし、慧くんにも似合うって言われたし、変える理由が逆にないのだ。僕の答えに「そっか」とあっさり頷いて、「まあとにかく」と永くんは話を戻した。
「塾講なら時給もいいから、シフトそんな入れなくても稼げるし」
「それは……そうかなあ……?」
僕はわりとさくっとシフトを断れる方だけれど、永くんの性格上、人手不足とか言われたら断れないような気がひしひしとする。自分でも自覚はあるのだろう、「扶養超えないように調整しないとだから、どうせそんな働けないよ」と永くんは苦笑した。
「それに、僕が無理めなシフト組んだら入るでしょ、遠くんストップが」
「そりゃもちろん入れさせていただきますけど。永くん、すぐにキャパ超えるもん」
「人のことキャパ不足みたいに言わないで欲しい」
「違うよ。高スペだからこそ、過信して詰め込みすぎるの、永くんは」
僕も永くんもまあまあ要領はいいほうだけど、永くんは人から頼られるタイプで、僕みたいに面倒ごとからさらっと逃げることができないのだ。……とはいえ永くんがバイトをはじめることそのものは仕方がない。僕はちいさく溜息を吐いた。
「……あーあ。こんなふうに二人でいる時間、もっと減っちゃうんだろうなあ……」
「なんだ、それが一番の理由だったんだ」
永くんが、僕の頭をまたよしよしと撫でる。
「慧くんだバイトだって、先に部屋に寄り付かなくなったのは遠くんのほうなのに。勝手だなあ」
そんなこと……もあるかもしれないけれど、それとこれとは別なんです。双子だけど弟、の特権を振りかざしてむくれる僕に、永くんは、安心させるみたいに軽く笑った。
「大丈夫だよ。一緒にいる時間がちょっと減ったって、なんにも変わらないって。……現にほら、今だって、変わってないでしょ?」
……変わって、ない?
はっきり言って、即座に疑義を唱えたくなる言説だった。
変わってない? 橘先輩のことばかり口にする、ここより部室のほうが居心地が良さそうに見える永くんと、永くんとではなく慧くんと遊びに行く日が増えて、日々本に埋もれている僕とは、変わってないと言えるのだろうか。本当に?
本当は──僕たちはもう、『僕たち』じゃなくなっているんじゃないの?
……そう思ったけれど、僕はそれを口に出すことはしなかった。言霊とか引き寄せとか、そういうことを信じているわけじゃないけれど、口に出した瞬間に意識されてしまうものは確かに存在する。
永くんが『そう』思っているうちは、僕たちは今までどおり、『何も変わらない双子』でいられる。
僕はそう信じたから、何も言わずにただ「うん」と頷いて、思い切り永くんに甘えることに集中し、その肩にぐりぐり頭を押し付けたのだった。
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