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そしてそう、先の会話に出たとおり、僕の大学生活には、もうひとつの『大学生らしさ』が加わっていた。──アルバイトだ。
僕らは奨学金で学費と寮費を賄い、生活費の不足分を仕送りとして貰ったうえで、『遊ぶ金は自分で稼ぎなさい』と親から通達されていた。スタバをはじめとした『大学生らしい娯楽』を楽しむためにも、アルバイト探しは急務だった。
そして、僕がアルバイト先に選んだのは、大学近くの大型チェーン書店だった。
「小御門くん、ちょっとこの段ボール、バックヤードに運んでもらえる?」
昼間話したとおりに慧くんにスタバの新作を奢ってもらったのち(値段相応の美味しさとカロリーだった。甘党の僕にはたまらない味だったし、たしかにこれを飲んだらバイト中は空腹を覚えなくて済みそうだとも思った)出勤した僕は、初心者マークのついた名札を胸につけ、閉店時間である九時までのシフトに勤しんでいた。
「はい。全部ですか?」
「うん。重たくて悪いね」
「いえ、全然」
笑って答えて、言われたとおりに段ボール箱を裏の事務室に運ぶ──と、言葉でいうほど容易くはない。紙の詰まった段ボール箱というものは、見た目以上に重いものだからだ。黙々と三箱運び終えるともう腕が怠くて、運動不足というか筋力不足を痛感する。
同じ学部の先輩から紹介された、『代々うちの大学の学生が交代で支えている』書店であるという、面接もそこそこに即採用されたそこでの勤務は、まあまあ順調な滑り出しを見せていた。やはり、好きなものに囲まれているというのはそれだけでテンションが上がる。そして何より、バイトであっても社割が使える。電子書籍と違って安く買うことがほぼ不可能な紙書籍においては、二割引はかなり魅力的な条件だった。
「運びました」
「ありがと」
「小御門くん、こっち来て。ブックカバーの折り方教えるから」
書店員のメイン業務はもちろんレジ、と思いきや、ブックカバーを折ったり、売り出し中の本につけるポップを考えたり、万引き防止のため棚整理をかねて巡回をしたり、その業務範囲は多岐にわたる。レジに列がないところを見計らってそれらの業務を教わりながら、僕はむずむずとした違和感にひっそりと耐えていた。
(……『小御門くん』だって)
大学に入ってから、最も慣れることができないでいるのは、この『小御門くん』という呼ばれ方だった。名字で呼ばれる都度、僕は「この人たちは、僕が双子だって知らないんだな」という、なんだか心許ないような気持ちにさせられる。ここでは僕は双子ではない──ただの、小御門遠という個体なのだ。
それが不安になるということそのものが、僕が『双子であること』に、『永とセットで扱われる』ことにアイデンティティを依拠していたことを意味している。僕はほんのりと自己嫌悪に陥った。
(大学では……友達はみんな、僕が双子だって知ってるから、僕のことを『遠』って呼んでくれるから、あんまり感じたことなかったけど)
岬くんも佐々木くんも、入学式での赤白頭には見覚えがあったみたいで、「双子って楽しそうだよね」と、僕にとって一番うれしい言葉をくれた。
けれども、ここでは違う。もちろん雑談をしないわけじゃないし、そのうち話す機会もあるかもしれないけれど、別にそれは必須の情報じゃない。──必須の情報じゃなくなっていくのだと、僕はここで、はじめて知った。
学校で過ごす時間も、こうしてアルバイトをする時間も、僕はただの『小御門遠』だ。僕の中の、『愉快な双子の片割れ』である時間は、どんどん少なくなってしまっている。……僕はふと、バーベキューの帰り道、慧くんと交わした会話を思い出した。
『遠って、わりと言う方だったんだ』
と、からかうみたいに慧くんが言うから、僕はちょっと憤慨した。言い過ぎたかな、と自分でも思っていたからかもしれない。むっとして、僕は言った。
『いつもあんなきつくは言わないよ。ただ、……』
ただ、そう、僕はたまに攻撃的になる──たとえば、永くんが毀損されたときなんかは。今までは機会がなかったけれど、どうやらそれは永くんだけでなく、親しい友人が害されたときにも適用される判定だったらしい。僕が口ごもった内容などすっかりわかっている、という顔で、慧くんは目元を柔らかく緩めて笑った。そうして、軽く肩を竦めて、ちょっとした告白の口調で言う。
『……東大落ちたのはさ、まあ、事実だからいいんだけど』
『あ、そうなんだ。すごいな、僕とか東大とか受けようとか考えたことすらない……僕の学校だと、僕レベルでも神童なのに……』
『そうなんだ?』
『……いやごめん、ちょっと盛った』
もちろん成績上位のほうではあったが、ぜんぜん神童ではなかったし、むしろ悪童だったかもしれない。慧くんは『だよな流石に、これが神童はなあ』とからかうように笑うから、僕はわざと『これ? とか言う??』と軽くむくれてみせる。
『もしかして庇わないほうがよかった? これ』
『……いや、ごめん』
僕が軽く頬を膨らませて怒った顔を見せると、慧くんは軽く片手を挙げて、ちょっと気まずそうに視線を反らした。
『照れ隠しだ、これ。ごめん』
……照れ隠し? 僕がきょとんと目を瞬くと、慧くんの手が伸びてきて、わしゃわしゃ僕の頭を撫でる。
『わ、何!?』
『……浪人したくなかったし、入りたい研究室もあったし、だから、ここにしたんだけど』
そうなんだ。入りたい研究室なんてもちろん考えたこともなかった僕は、ここにもちゃんと将来を見据えている人がいる、とちょっと焦ったような気持ちになった。そんな僕に再び視線を向けて、慧くんはちょっと目を眇めて笑った。
『……悪くない選択だったと思ってる、今は』
『……なんで?』
『言わせる? それ』
慧くんはわしゃわしゃ僕の頭を撫でて、結局なにも言わなかった──いや、流石にわかるよ、言われなくても。顔が赤くなるのがわかって、撫でられているのをいいことに俯いて顔を隠した。
そんな、大したことをしたつもりじゃなかった。
けれども、慧くんがもし、少しでも嬉しかったなら、言いたいことを言ってよかった──あの時の僕はただ、そう思っただけだけれど。
(……『遠に』って、慧くんは言った。ただの『遠』)
永くんを知らない慧くんにとっては、僕は僕でしかない。そんなあたり前のことが、どうしてか奇妙に──居心地悪くさえ感じられるときがある。単純化してしまえば、おそらく僕はまだ、『双子』以外のものとして認識されていることに慣れていないのだ。
双子じゃない僕。ただの『僕』は、はたして、どんな人間なのだろう? ……そう考えてしまうのが、裏返しだということはわかっている。
双子じゃない、ただの僕は──ただの『小御門遠』は、すこしも特別ではない、面白みのない人間なんじゃないだろうか? 慧くんが僕を買いかぶるほど、僕はどうしても、そんな風に考えてしまうのだ。僕は小さくため息を吐いて、「小御門くん、ヘルプ頼める?」とやはり慣れない名字でこちらを呼ぶ先輩の声に、「はい!」とどうにか大きな声で返事をしたのだった。
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