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……以来、何故か僕に一目置いてくれたらしい岬くんと佐々木くん、そしてあの日から更に距離が近くなった気がする慧くんと四人でつるむようになり、またこの懇親会で学部のみんなにゆるっと顔が知られたことにより、大学生活は一気に楽になった(ちなみに、瑞希ちゃんはインカレサークルに入り、元気に他校の学生と交流しているらしい。ブレなくて強い)。講義がかぶる者同士で一緒に講義を受け、ランチを食べ、軽く駄弁り……というサイクルが完成し、そのうえ、サークルや他の授業を通しての知り合いも増え、いくつかのライングループに加入してからは、講義やサークル、大学周りの美味しい飲食店についてなど、いろいろな情報も入ってくるようになった。
かつて夢見ていたそのままの楽しい大学生活が、ここにある。そんな日常の一幕──僕は僕と慧くんの言い合いともつかない会話を明らかに面白がっている岬くんに視線を向けて、「痴話喧嘩じゃない、というか、そもそも喧嘩してないから」と訂正した。
「僕が勝手に落ち込んでるだけ」
「だからさ、それが、俺の不注意だろ?」
「違うって」
「うーん……ここだけ聞くとなんか浮気疑惑に謝る彼氏と落ち込んでるのを隠す彼女みたいな会話に聞こえなくもないんだよな……」
「それはもうそう聞きたいだけでしょ、岬くんが」
僕が冷静にツッコむと、岬くんは「バレたか」と肩をすくめた。もしかして腐男子なんだろうか……。肯定されたところでサービスも出来ないので聞かずにいる疑問が頭に浮かび、僕は苦笑してネタばらし(というほどの真相でもない)をした。
「借りた本が趣味に合わなかったってだけ。イヤミス苦手って伝えるの忘れててさ」
「あ、なるほど」
『イヤミス』というのはミステリのジャンルの一つで、後味がスッキリしないというか、謎が解けてもじっとりとしたイヤさが残るような内容のものを指す。僕はミステリもホラーもサスペンスも好きなのだけど、ことミステリに関しては、できればスッキリ爽快に、後味良く終わって欲しい派閥に属しているのだ。
とはいえジャンルが『ミステリ』である以上、内容、こと『読後感』という『オチ』を明かすことはネタバレに当たるわけで、僕の嗜好をまだそこまで知らない慧くんが、おすすめミステリとしてイヤミスを渡してくることは、ちっとも悪いことではなかった。僕に合わなかったというだけで、その本が傑作であることに変わりはないし。僕は──実はまだその本の余韻が頭に残っていて胸のあたりがもやもやしているのだけど──なんでもない顔を作って笑う。
「ラストに落ち込みすぎて、一晩ラインに付き合わせちゃって。むしろ申し訳なかったぐらい」
ほんとは通話をしたいくらいだったのだけど、永くんも寝ている部屋でそれはできない。明かりを落とした部屋で、二段ベッドの下の段に潜り込み、ひたすら慧くん相手に『どうしてあんなことに……』みたいな話を送りまくっていたのだ。今思い返すと『むしろ』どころか普通に大迷惑だっただろう。どう考えてもこっちが謝るべきだ、と反省する僕の前で、「なるほど?」と岬くんは首をひねった。
「それはそれでなんか……まあ、結果オーライなのか……?」
岬くんはちらりと慧くんを見て、僕のとなりの慧くんが「そういうのも読書の醍醐味だもんな」と爽やかに頷く。
「だから、迷惑じゃなかったよ、全然」
僕に付き合って寝不足のはずなのに、その顔はいつもどおり、輝くみたいなイケメンだ。あらゆる意味で人間が出来すぎている。申し訳無さでその顔を直視できずにカレーに視線を落とし、「ならいいんだけど」ともごもご言った僕に、「でも」と慧くんはなぜか顔を寄せてきた。
「それと、俺の『嫌な読書体験をさせてほんとごめん』って気持ちは別。……ってことで、スタバ行かない? 今日」
「え?」
スタバ。僕の地元には存在しなかった、超有名コーヒーショップだ。突然の話題転換に目を瞬く僕に、慧くんは言った。
「飲んでみたいって言ってたじゃん、フラペチーノ。最近出た新作、俺も飲んでみたかったからさ。奢るよ」
「え、ええ……?」
……たしかに『一回飲んでみたいんだよね』とは言った、気がする。慧くんは根っから都会っ子のタワマン育ちで、僕の田舎者トークを過剰に馬鹿にすることなく楽しんでくれるので、ついついあけすけな『都会への憧れ』を口にしてしまうのだ。
そしてそのとき、たしかにこうも言ったのだ──『でも、貧乏学生がドリンク一杯に払える値段じゃないよあれは』と。
慧くんはもしかして、そんな僕の嘆きまでコミで覚えてくれていたのだろうか? いやでも、奢られる理由には全然足りない。流石に遠慮しなきゃ──と断り文句を探す僕の前で、佐々木くんが「なるほど」とボソリと言った。
「狙ってたわけだ、浅霧は。虎視眈々と」
「……え?」
「だよなー。遠、奢られとけって。どうせこいつ坊っちゃんなんだから、スタバの一杯ぐらい誤差だよ誤差」
慧くんより更に大きい佐々木くんは、無口で無表情ながら、時折挟んでくる一言が妙に核心を突いてくる男だ。それにしても、……狙ってた? 慧くんが? 何を? 僕に奢るタイミングを?
……なんで?
というように、僕の頭上にはおそらくたくさんのはてなマークが浮かんでいただろうに、三人の中の誰ひとりとして、それ以上の説明はしてくれなかった。慧くんはただ、僕を説得するみたいに岬くんの言葉に頷く。
「そうそう、奢られてくれていいからさ。……ほら、遠、バイト中に腹減って困るっても言ってただろ。カロリー入れていきなって」
スタバの話といい、僕のちょっとした愚痴も覚えている慧くんは、イケメンなだけじゃなく頭もハイスペックだ。「なんでも覚えてるね、慧くんは」と、僕は思わず笑ってしまった。
「うーん……じゃあ、奢られとこっかな、今回は。……あ、あと、貸してって言ってた本持ってきたから、それもそのとき渡すね」
「了解」
僕の同意を勝ち取った慧くんが、なんだかとっても嬉しそうな顔でにこにこ笑う。……なんで慧くんのほうが嬉しそうなんだろう? 不思議になりながらも、僕もなんだか嬉しくなってにこにこ笑う。すると「平和な世界……」と岬くんが突然僕らを拝みだし、「流石にそれは奇行すぎる」と佐々木くんが岬くんを嗜める。岬くんの様子がおかしいのにもだいぶ慣れてきていた僕は、新作フラペチーノなんだったっけかな……と検索しながら、カレーの残りをもそもそ口に押し込んだのだった。
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