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善は急げ、というほど『善』かはわからなかったが、ともかく、計画は週末に行われることになった。
平日に二人で髪を染めに行き、二・三日新しい髪色の僕を慧くんに見せた後、日曜に『この間の話の続きをしたい。外でするような話じゃないから部屋に来て欲しい、永くんは居ないから』と言って慧くんを部屋に呼び寄せ、けれどもそこで待っているのは実は僕のふりをした永くんである──というのが、この計画の概要だ。僕は近くのファミレスで待機し、永くんと繋ぎっぱなしにしたLINE通話経由でふたりの会話や状況を伺う。慧くんが入れ替わりに気付いたら僕らの負けで、慧くんが気づかなかったら、……気づかなかったら?
「そりゃ、気づかないようなやつに、僕の遠くんはあげられないかな」
「……なんで、『付き合う』ことを『あげる』って言うんだろ。別に恋人って所有物じゃなくない?」
「突然のマジレス。たしかに、なんでだろうね?」
永くんは少し考えて、それから、「でもさ」とぽつっと言った。
「所有物じゃないって、わかってるけど……所有したい、というか、独占したいとは思うかも」
僕は目を見開いたあと、「……ふーん……」とちょっと目を眇めた。
「……あ、いや、一般論だけどね?」
その言い訳は無理があるよ、と思ったけれど、僕はあえて指摘しなかった。『僕の遠くん』だなんて言いながら、永くんは、僕じゃない誰かを独占したがっている。もやもやした気持ちはもちろんゼロではなかったけれど、今までほどに嫌な気分にはならなかった。
もう、慣れてしまったのだろうか。受け入れなければならないとわかってきたのだろうか? ……僕は、そろそろ、受け入れなければならないのだろうか。永くんが、恋をしていること。
「でも、まあ、そうだね。……慧くんが、永くんが永くんだって気づかなかったら……」
「たら?」
別に、自分の恋人の条件に、双子モノ創作物のテンプレみたいに、『僕と永くんを見分けられること』なんてものを入れる気は全然ない。特に今回については、見分けられないほうが悪いのではなく、あえて見分けられないようなことをする僕らが圧倒的に悪いことはわかっている。詐欺は騙すほうが悪いのと同じだ。
でも。
『顔、かな』
慧くんの言葉が思い出される。でも──でも、慧くんが好きだと言った『僕』が、永くんでもいいのなら。
『永くんでもいい』ひととは、僕は絶対に、付き合えない。
……なんでだろう、僕は永くんのことが大好きで、セット扱いされることが嫌だったことなんてなくて、永くんに対して劣等感を抱いてるみたいなことも、少しもないはずなのに。
なのに、慧くんにだけは、僕のことが『好き』だという彼にだけは、絶対に一緒にされたくないと、そんな風に思ってしまうのだ。僕は眉を寄せたままスマホを取り出して──「じゃあ、髪、どんな色にする?」と、永くんに、計画を進めるための相談を持ちかけたのだった。
髪の毛はふたりとも同じ暗めの栗色にきれいに染まって、施術してくれた美容師さんは「そっくり! かわいい!」と太鼓判を押してくれた(写真は流石に遠慮させてもらった)。そして翌日、僕の髪が赤じゃなくなっているのを見た慧くんは「どういう心境の変化か聞くの怖いんだけど」とまた軽い調子で言った。
「赤、似合ってたのにな」
「……別に、そう言われたから赤のままにしてたわけじゃないし」
「わかってるよ」
わかってない。そう言われたから赤のままにしてたんだ──と言えなくて、僕は「べっ」と軽く舌を出した。慧くんの口調がやっぱり軽くて、全然残念がってるように見えない、と思ったからだ。
ともあれ、今の僕には『計画』がある。永くんと立てた計画。それがお守りみたいに存在してくれているおかげで、慧くんのからかうような態度にも心は穏やかだった。僕は言った。
「……はともかく。その話だけどさ。……ちゃんとしたいから、日曜、僕の部屋に来てもらってもいい?」
僕の提案に、慧くんは少し驚いたようだった。僕が積極的に向き合おうとしていることそのものに驚いた、みたいな顔だ。一度瞬いて、それからまたすぐにからかうみたいな笑顔に戻る。
「部屋? それ、期待していいってこと?」
「……」
「いや、じゃなかったら警戒したほうがいいって意味なんだけど」
「……寮の部屋、別に壁そんな厚くないから。薄くもないけど。大声出したら、普通に人とんでくるよ」
思わず半眼になっての僕の答えに、慧くんは特に残念がる様子もなく、「ちゃんと考えててくれて安心した」と頷いた。どこまでも余裕綽々な態度だ。慧くんのほうが僕を口説いてるんじゃなかったっけ? 僕はつんと顔をそらした。
今に見てろよ、という気分になり、そのせいで、罪悪感みたいなものは霧散していた。……少なくとも、そのときは。
そして、結構前夜は、あっという間にやってきた。明日の服を決め、話す内容を決め、『お互いっぽく』喋る方法の練習をする。
「遠くん、喋り方がちょっとぼんやりしてるんだよなあ……上手くできるかな」
「ぼんやりって何? 永くんこそ、ちょっと早口オタクすぎるとこない? 舌回らないよ」
「いや遠は僕の真似する必要ないじゃん」
「ないけどなんか……入れ替わりだから……?」
お互いのワードローブから一番「お互い」っぽい服を選んで、自分たちでもぱっと見鏡を見たんじゃないかと思うような完成度にびっくりしながら、僕は正直──大変不謹慎なことに──ちょっとだけ、わくわくしていた。僕はすっかり『僕』みたいに見える永くんを見てちょっと笑ってしまう。永くんのぴしっとしたシャツを着てくすくす笑う僕に、永くんがつられたみたいに苦笑する。
「いや、なにわろてんねん」
「いやなんか、……こうやって、二人でなんか計画するの、久しぶりだなあ、って」
子供の頃は、ふたりで悪戯ばかりしていた。
長じてからも、学校行事でもごく個人的なイベントでも、ふたりはいつも企む側だった。お互いの考えてることはだいたい分かるから、なにをやっても二人の間でだけ話が早くて、ふたりで顔を寄せ合って『それそれ』と笑って頷きあえば、世界はそれで完璧だった。
世界はずっと、完璧なままなのだと思っていた。
「……そうかもね。でも、じゃあ、大丈夫だよ」
『僕』の格好をした永くんは、『僕』じゃない顔でにやりと笑った。うっすらと唇の片方を吊り上げる、僕には出来ない、どこか余裕のある笑い方。
「僕らの計画、失敗したことある?」
「…………うーん、結構ある!」
「お前、そこは、嘘でも『ない』って言うとこだろ!」
台無し! と永くんは怒ったふりをして僕の頭をわしゃわしゃかき混ぜ、「ごめんごめん」と僕は笑った。
実際のところ、結構ある。結構あるけど、失敗さえも、ふたり一緒なら楽しかった。
でも、この計画は、失敗できない。永くんにわしゃわしゃされながら、僕は思った。
──でも。
この計画は、どうすれば『成功』で、何が起きたら『失敗』なのだろう?
……そして当然、浮かれた気持ちは長持ちしなかった。
というか、浮かれた気持ちそのものが、不安の反動というか、逃避というか、そういうものであることは最初から明らかだった。はっきり言えば虚勢だったのだ。ベッドに潜り込み、暗い中で目を閉じると、不安は一気に僕を覆い隠した。
いいのだろうか。
「……遠くん、まだ起きてる?」
「ん」
「そっち行っていい?」
「うん」
二段ベッドの下の段、僕のスペースに、永くんが潜り込んでくる。僕のためだということはすぐに分かった。溜息みたいに、永くんが言う。
「…………やめようって、思ってる?」
「思ってない」
「嘘。……遠くんは真面目だもんね。人を騙すとか、向いてない。すぐ顔に出るし」
「褒めるのか貶すのかどっちかにして?」
狭いベッドの上でふたり向き合うように寝転んで、少しの気恥ずかしさも息苦しさもない。母親のお腹の中にいたときから、この距離が自然だったからだ。永くんの手が僕の手を握る。ふたりの体の間で、祈るみたいに手を握り合う。
「こう考えたらいいんんじゃない」
そうして、ごく淡々と永くんは言った。
「明日は別に、浅霧くんを試すわけじゃない。今、僕と遠くんはたまたま同じ髪色で、たまたま同じ服が気に入って買ったばかりで、たまたま浅霧くんは僕らの部屋に来て、そしてたまたま僕らを間違えるんだ。この部屋は僕の部屋でもあるから、少しもおかしなことじゃない。……で、僕はそれを面白がって、ちょっと浅霧くんをからかってみる。僕らはたまたま通話中で、遠くんはそれを聞いてるだけ」
「……そういうの、詭弁って言わない?」
なにより最後に一番の無理がある。永くんは「そうかもね」と軽く頷いた。
「でもね、これだけは覚えておいて。……僕がやりたいからやるんだよ、これは」
永くんの目が、ひたと僕を見る。暗闇の中で、僕とそっくりの少し吊り上がった目の、僕とそっくりの少し大きめの黒目がきらきら光っている。
「慧くんを試したいのは、遠じゃなく、僕だ。僕の大事な遠くんを攫っていこうって言うんだ。これぐらいの試練は受けてもらわないと割に合わない。そうでしょ?」
どの口が、と言っても良かったけど、今日だけは、橘先輩のことを思い出さないでおきたかった。
少なくともこの一週間ずっと、永くんは一度もその名前を口にしなかったし、スマートフォンを気にする素振りも見せなかった。今週の永くんは、昔のような、僕だけの永くんだったのだ。僕はちょっと微笑んだ。
「……お兄ちゃん、なんか今日、すごく過保護じゃない?」
「今更? 僕は昔から、遠くん限定で過保護のつもりなんだけど」
永くんはそう言ってまたにやりと笑った。「……とりあえず、明日はその顔封印してね」と僕が言うと、「え、どの顔?」ときょとんとする。前途多難だったけれど、胸の中の不安はどうにか、眠れそうなぐらいには小さくなっていた。
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