8、
「大丈夫? リアきゅ……リアム」
泣いていた俺の背中を、ノエルがぽんぽんと軽く叩きながら、心配そうに顔を覗き込んでくる。
レジナルドは、ノエルに「あちらで皆さんが呼んでますから‼︎」とだけ言われて、すんなり引き下がった。
ああ、俺にはああいう風には言えないんだよな……。その毅然とした物言いに、ちょっと惚れそうだった。……同性じゃなかったらの話だけど。
本来ならノエルとの一対一なんて避けねばならない場面だが──
「……別に、リアきゅんでもいいけど……」
涙の残りをぬぐいながら、俺はノエルと視線を合わせた。
ノエルは、えっ、と小さく声を上げた後、妙に間をあけて口を開いた。
「…………ソンンコトイッテナイヨ?」
ロボットみたいなイントネーションで否定された。
明らかに焦っていて、俺の背中を叩く手のテンポが速まってる。
いや、どう見ても言ってただろ。
「言ってたけど……しっかりと」
そう言って俺がじっと見ると、ノエルは視線を逸らしながらきょろきょろとあたりを見回し、口笛を吹いた。
……そのメロディ某・青い猫型ロボットのやつじゃねえか。
そう心の中でツッコみながらも、俺は黙って様子を見守る。
放課後の“鬼ごっこ”の相手は、いつもノエルだ。レジナルドもたまに加わるけど、どちらかといえばあれは俺が目撃した時点で回避してるだけで、積極的に探されている感じはない。
それに比べてノエルは、明らかに俺を見つけては追ってくる。
なのに、実際の言動は俺を虐げるどころか、どこか親しみすら感じさせるものだった。
そして今、この場で俺を助けてくれている。
……偶然? それとも、意図的に?
考えあぐねた俺は、少しだけ踏み込んでみることにした。
「なあ、ノエル。“ニホン”って言葉、知ってる?」
ノエルはぴたりと手を止め、目を丸くして固まる。
「え、え……」
口をパクパクさせてる様子は、まるで金魚だ。この反応よ。
「アクタガワリュウノスケ、とか……」
俺が試すように続けると、
「芥川龍之介⁈ リアきゅん、芥川ファンなの⁈ えーーー‼︎ 何が好き⁈ 僕はね、羅生門だよ‼︎ 授業でハマって、それから全部読んだ‼︎ あのね、あのね! 文豪を主役にしたアニメがあってね‼︎ その芥川が…………ンンンンン‼︎」
まくしたてるように早口で語りだすノエル。
──はい、オタク確定。
推しへの熱量がすごい。まごうことなきガチ勢だ。
……って、やっと我に返って口元を押えてるけど、遅いわ。
※
「うわ〜……リアきゅんも転生者かぁ……いや、ちょっと様子違うよね〜って思ってたけど」
ぽつりとノエルが呟く。
その後はお互いに軽く情報交換をした。俺が日本から来たこと、ノエルも同じ世界の住人だったこと。
ゲームの世界だということは、今のところ俺からは伏せている。内容が内容なだけに、軽く話すには重すぎる。
ただ、ノエルの反応を見る限り、俺の心配は──
「ねえ、リアきゅん」
「……ん?」
「“ノエル”っていうゲーム、知ってる?」
「…………」
……お前が言うんかい‼︎
「え、あ、ちょっと待って‼︎ 頭おかしいとか思わないで‼︎ 本当にそういう名前のゲームがあって‼︎ この世界がね、なんか……その中みたいな……」
ノエルが必死に言い訳し始める。
わかった。確信した。
この子、天然だ。
「大丈夫。僕も知ってるよ。その感じなら……僕の“悲惨な結末”も、知ってるよね?」
「知ってるよ‼︎ モブレでしょ? 苗床でしょ? えっとそれから──」
「言わなくていい‼︎」
無慈悲に続くエンドの羅列を遮って、俺は身を乗り出す。
「とにかく!僕はそこを避けたいし、平穏に暮らしたいだけなんだ。……ノエルは? 放課後、僕のこと追いかけてたよね?」
単刀直入に訊くと、ノエルはあっさりと、
「ナイジェルとお近づきになりたくて‼︎」
……は?
「……うちの執事の?」
「うん‼︎」
ぐっと俺の肩を掴んでくるノエルの目が、やたら真剣だ。
ヤバい、これまでの言動は全部演技だったんじゃ──
「ナイジェルはね……‼︎ 私の‼︎」
「……君の?」
「最推しなの‼︎」
………………。
「この世界に来たからには、なんとしてでも話したいの‼︎ 触れたいの‼︎ できれば一緒に暮らしたいの‼︎ あっ、違うよ⁈ 下心がないってわけじゃないけど、あるけど‼︎ ほら、お友達から始めようっていうか‼︎」
杞憂だった。
やっぱこいつ、天然だわ。
「わかった。……でも、それならゲーム通りに動いてれば、自然と出会えるんじゃないの?」
「え、やだよ」
ノエルは即答で首を振った。
「私の二番目の推しはリアきゅんだもん‼︎」
「……僕?」
「うん‼︎ リアきゅん、可愛いもん‼︎ あの高慢ちきなとことか最高だった‼︎ でもエンドがあんまりにも酷すぎて、なんとかして助けたいなって思ってたんだ‼︎ ちなみに私の推しカプはナイリアだよ‼︎」
「ノエル……」
どこか乾いていた俺の胸に、ふわりと温かな何かが灯る。
言葉にしなければならない理由もなかったけれど、
誰かが俺の結末を否定してくれる、それだけで……救われる。
余計な一言が混じってたけど、まあ、そこは聞かなかったことにしてやる。
「……王太子妃とか、宰相の妻とかにならなくていいの?」
ノエルは肩をすくめて、手を振った。
「ないない。かっこいいけどさ、あの人たち裏がアレでしょ? 私の本命はナイジェル‼︎ あ、でもリアきゅんもナイジェル好きだったら……うっ、そこは苦渋の選択で……目の前でリアルなナイリア見せてくれるなら‼︎」
「…………それはないから、安心してくれ」
俺は深いため息をついて、そっとそう言った。
ノエルはにこっと笑う。その笑顔はやっぱり、悪意のないものだった。
一人称が「私」だったり、感性の方向から見ても、ノエルの前世は女子の可能性が高い。
……まあ、断定はできないけど。
お互いについて知ってしまった、今。
きちんと情報を整理し合う必要があるのかもしれない。
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