48、
翌朝。
キースはベッドの上で静かにまぶたを開けた。
窓から射す柔らかな朝日が彼の頬を照らし、その表情には、いつもの穏やかさが戻っているように見えた。
「……リアム?」
掠れた声で、確かに俺の名前を呼んだ。
俺は椅子から立ち上がり、すぐにキースの枕元へ寄る。
「兄様! ……気がついたんですね!」
──いや、ほんとうに気を失っていたのかは少し怪しいが。
侯爵邸に戻ってから、彼は眠っていた……ようには、見える。
キースはわずかに微笑み、そっと俺の手を握った。
「……もう少し、近くに……」
滑らかな手の動きに引き寄せられ、俺はバランスを崩してキースの胸元へと倒れ込む。
そのまま優しく、けれどしっかりと抱きしめられた。
……うん。いつものキースだな……。
「兄様、えっと……」
「君と、ノエル君が……僕を助けてくれたんだね。ありがとう」
そう言いながら、器用に俺の身体を扱って、ベッドの上に引き上げる。
そして、抱擁を深めるようにもう一度腕をまわされた。
その声音はやわらかく、感謝の言葉にも作為は感じられない。
けれど──。
「兄様……あの……」
「ん?」
「……兄様、ですよね……? 今までと……同じ、ですよね?」
自分で問いかけておいて、何を聞いてるんだ俺は、とも思う。
でも──確かめずにはいられなかった。
キースは俺の顔を覗きこみ、ふっと微笑む。
「どうだろうね? でもまあ……僕は、僕でしかないと思うよ」
その声はやさしく響いた。けれど、そのやさしさの裏に何かが潜んでいる気がして、胸がざわつく。
言葉を継ごうとした俺の唇は──キースのそれに塞がれた。
静かで、けれど否応ないキス。
──黙らされたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
これ以上、聞いてもきっと彼は答えない。
胸の奥に残る違和感を抱えたまま、それでも俺はそっと目を伏せた。
今は、これでいい。暁の刻が、どうか訪れないことを祈りながら。
※
その翌日の午後、俺はレジナルドに呼ばれ、王城の一室を訪れた。
今回は事前にキースにも伝えてあったし、渋々ではあるが許可をもらっている。帰りは父同伴、という条件つきで。
部屋の扉を開けると、そこにいたのは──
「……ディマス、様?」
彼は椅子に座り、どこか憔悴したような表情でこちらを見ていた。以前のような高慢な態度は消え失せ、その瞳には、何かを悟ったような光が宿っている。
「久しぶりだな、リアム」
「え……」
思わず、声が漏れた。
あの厭味たっぷりだった声とは違っていて、どこか柔らかさを帯びていた。まるで、別人みたいだ。
レジナルドが彼の背後に立ち、口を開く。
「ディマスは、昨夜郊外の空き家で見つかった。幸い、怪我はなかったが……少し、記憶があいまいなんだ」
「そう……なんですか……」
目の前にいる彼からは、あの頃の敵意は感じられなかった。
視線が合うと、ゆっくりと息を吐き出して口を開いた。
「……君には済まないことをしたと思っている。どうしてだろう……ずっと君が敵だと思い込んでいた。今ならそうでないと分かる。……申し訳なかった」
そう言って、ディマスは頭を下げた。
王族なのに……その仕草は、とても謙虚で、素直だった。
俺がレジナルドに視線を向けると、彼も小さく笑って頷いていた。
慌てて、俺はディマスに手を振る。
「だ、大丈夫ですから! 頭を上げてください。僕も、特に何もなかったんですし」
すべてを許せるかは……すぐに答えを出せることじゃない。
けれど、あのときのディマスは、闇の力に呑まれていただけなんだと思う。
それが俺にでも分かるほどに、今の彼の様子は変わっていた。
元々、気が強かったり高慢だったりはあったとしても──
これが彼の“素”だとしたら、以前レジナルドが言っていたように、きっと根は悪い人じゃないのだろう。
「あの……闇の力は、どうなったんですか……?」
俺が遠慮がちに尋ねると、ディマスは「ああ」と短く息を吐いた。
「あの時に、消失したようだ。……今は、もうないのだと思う。使おうとしても、まったく力が湧かない。……レジナルド、リアム。私は、国に帰ろうと思う」
ディマスの静かな言葉に、レジナルドが一瞬驚いたように瞬きをしたが、すぐに穏やかに頷いた。
「……そうか。君の選択を尊重する」
「……リアム」
ディマスが俺の名を呼ぶ。
「私は……君が嫌いだった。本当に、邪魔な存在だと思っていた。……でも、今なら分かる。私は、君に嫉妬していたんだ。君はいつも、君自身でいられた。……私には、それがどうしても出来なかった。……私は、君のようになりたかったのかもしれない」
ぽつぽつと語られる言葉には、弱さと、滲むような痛みがあった。
その声に乗せられた、孤独や葛藤──ほんの少しだけど、それが伝わってくる気がした。
俺はただ、生きることで精一杯だった。
まさか、そんなふうに思われていたなんて……想像すら、していなかった。
「……今更かもしれないが、どうすれば自分の力を人のために使えるのか、それを考えながら歩いてみたいと思う。レジナルド、君にも迷惑をかけた。また……私と……いや、私がそうして少しでも変われたら、その時は話をしてもらえるだろうか?」
ディマスの問いかけに、レジナルドはすぐに頷いた。
「もちろんだ、ディマス。くれぐれも、無理はしないように」
ディマスはふっと微笑み、ありがとう、と小さく呟いた。
その横顔には、彼本来の美しさと、どこか晴れやかな表情が浮かんでいた。
──こうして、ディマスの一件はひとまずの終結を迎えた。
過去に何があったとしても、それが未来を縛るわけじゃない。
いずれ、彼にも幸福が訪れるよう──心から、そう願う。
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