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41、

俺はキースの部屋の前、壁にもたれながら窓の外をぼんやりと眺めていた。

空は低く曇り、鈍色の雲が厚く広がっている。まるで、胸の奥に渦巻くこのもやの重さを、写し取ったかのようだった。


──ディマスが、消えた。


レジナルドのあの表情を見ても、それが軽々しく済まされるような事態ではないことは明白だ。

そして、それが自分のためだったと思えば思うほど、胸が軋む。


「俺のために……」


小さく呟いた言葉は、空に飲まれていった。

キースを信じている。彼が俺を大切に思ってくれていることも、愛情の深さも……今では痛いほどに理解している。

けれど、それがどこか過剰だと感じる瞬間があるのも、また事実だった。


──愛と執着。その境界は、一体どこにあるのだろう。


そんな問いが脳裏をよぎった刹那、背後で扉が開く音がした。


「リアム」


耳に馴染んだ声。優しさを帯びた低音。

俺は咄嗟に背筋を正し、「今戻りました」と返す。

キースは変わらぬ穏やかさを湛えたまま、俺の手を取って引き寄せた。その所作はいつも通りで──けれど、どこか空気が違っていた。


「……レジナルド殿下は、君に何を?」

「え、あ……ディマスのことを、少し」


迷いのある声で答えると、キースの目がわずかに細められる。

穏やかに見えるその瞳に、どこか探るような光が宿っているのを感じて、俺は無意識に視線を逸らした。


「君のために、話をしに来たのかい?」

「……多分。そんなところだと思う」


言葉を濁す俺に、キースは柔らかい口調で続けた。


「リアム。もし君が不安を感じているのなら、何でも話してくれ」


その言葉の優しさに、胸が締めつけられる。

逃げ場を与えてくれているようでいて、どこか追いつめられていくような不思議な感覚。

俺は目を伏せ、息をひとつ整えてから、ゆっくりとキースの瞳を見据えた。


「……兄様、聞きたいことがあるんです」

「何だい?」

「ディマスのこと……あの時、兄様は……」


言葉が詰まる。けれど、目の前の男はただ静かに、何一つ表情を崩さず、俺を見ていた。

その沈黙が、返って答えを導くように思えた。


「僕を守るために……兄様は、ディマスを……消したんですか?」


息を呑むような沈黙が落ちる。

時間が止まったように、空気がひやりと冷えた。やがて──キースは穏やかな声で答えた。


「リアム。君を守るためなら、僕は何だってするよ。それが君にとって、どんなに重いことであったとしても」


その言葉は、否定でも肯定でもない。けれど、核心は語らずとも伝わる。

言葉の裏にある真実を、俺は痛いほどに感じ取っていた。


「……兄様」


胸が苦しい。彼の愛情は深く、温かく、時に息苦しいほどだ。

けれど、それが俺を守ってくれているのもまた事実だった。


キースは静かに視線を外し、呟く。


「……恐らく、レジナルド殿下が気にしているのは、ディマスが“消えた”ことで隣国とどう向き合うか……だろうね。それを、君に伝えに来た。違うかな?」


その言葉に、俺は思わず目を見開く。


「疑われているのは……無論、僕だろう。君に探りを入れるのは想定の範囲内だったが……あまり気持ちのいいものではないね」

「兄様……」


それ以上、言葉が出なかった。

キースは俺の手を握り、その指先に軽く力を込めた。


「大丈夫だよ、リアム。安心して。僕が全部、片をつけるから」


──その声音には確かに優しさがあった。けれど同時に、どこか底の見えない闇のような決意が滲んでいた。


「君が何も知らずに済むように、僕がすべてを引き受ける」


……本当に、それでいいのだろうか。


キースの愛情は、確かに俺を守る盾でもある。けれど時に、その愛は世界を覆い隠すほどに深く、濃い。

俺の指先に、キースがそっと口づけた。その温もりに、胸の内のどこかが小さく軋んだ。


「兄様……」


呼んだ声は掠れていた。

言葉にならない想いが、溢れそうで、喉元でせき止められる。


キースはそっと俺の頬に唇を重ね、やがてそのまま、静かにキスを落とした。


「君は、僕のすべてだよ。リアム」


その言葉に、俺は──ただ、頷くことしかできなかった。

拒む理由も、逃げる場所も、どこにも見つけられない。

それでも、胸の中の葛藤だけは消えなかった。

曇天の空はまだ、晴れぬまま。



その夜、眠れずにいた俺は、暗い部屋の中、ベッドの端に腰かけたまま、静かに思考を巡らせていた。

キースの言葉、レジナルドの言葉、そして……ディマスの最後の姿。


「俺を守るために……」


思わず、呟いた言葉に胸が痛んだ。

あの光景が脳裏から消えない。消えてほしくても、残ってしまう。


そこへ、静かなノックの音が響いた。


「リアム、入るよ」


キースの声だった。


「……どうぞ」


扉が開く音と共に、彼の姿が現れる。

一目見るだけで、胸が締めつけられた。


「眠れないのかい?」


問いかけに、小さく笑ってうなずく。


「……少し、考え事をしてて」


キースは何も言わず、隣に腰かけ、そっと俺の肩に手を置く。


「君は、考えすぎる傾向があるよ。……全部、僕に任せてくれればいい」


彼の声は優しく、けれど芯を持っていた。

その真っ直ぐな眼差しに、俺は思わず見つめ返してしまう。


──ああ、そうだ。


ノエルの言葉が蘇る。


『色々抱え込むのもいいけど、さっさと動いたほうがいいと思うよ。悩みなんて、結局答えなんか出ないんだからさ』


そうだ、俺はあのとき、キースに思いを告げようとして部屋を出たのだ。

何も変えられないとしても、伝えることだけはできるはず。

ベッドの上で、俺は身を寄せて、そっとキースの口元に口づけた。


「……兄様、好きです。僕、兄様と……ずっと一緒にいたい。添い遂げたいって、思って……て」


最後の言葉は照れ隠しに小さくなってしまった。

それでも、俺の想いはすべて込めたつもりだった。


キースは驚いたように目を見開き、すぐに微笑む。そして、そっと俺を抱きしめ、優しくベッドへと押し倒す。


「リアム……うれしいよ。リアム……」


頬に、額に、唇に。次々に降り注ぐキスが、彼の喜びを雄弁に語っていた。

その熱に触れるたび、俺の胸も少しずつほぐれていく。


──もっと早く、伝えればよかった。

悩んでいる間に、何かが手遅れになっていたのかもしれない。

逃げていたのは俺だ。もう、逃げない。


これからのことは……これから、考えればいい。

今だけは、このぬくもりを、少しだけ抱きしめさせてほしい。

俺はそっと目を閉じ、キースの胸に身を預けた。



「リアム……リアム……!」


熱を帯びた声が、俺の名を呼ぶ。その声が胸の奥まで届いて、心が震えた。

触れるたびに、体の奥が熱を帯び、涙がにじみそうになる。


──初めて知る、この感覚。


キースの唇が何度も重なり、俺の中の不安を一つずつ溶かしていく。


「……リアム、愛しているよ」


月明かりが差し込む夜、耳元に響くその囁きに、俺はそっとうなずいた。


──これが、愛なのだとするならば。

もう何も、怖くはない。

ただ、この人と共にある未来だけを、静かに願った。


読んでいただいてありがとうございます!

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