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37、

朝の光が薄いカーテン越しに差し込み、部屋の空気が少しずつ温もりを帯びてゆく。

俺はキースの横に座りながら、整然と並べられた朝食の皿を、ぼんやりと眺めていた。


誘拐事件から二日。

俺は体調不良を理由に学園を休んでいて、キースも付き添うように仕事を休んでいる。

……けれど、それは本当に大丈夫なんだろうか。立場的にも、責任的にも。


彼の過保護な行動には、ありがたさよりも、わずかな不安がよぎる。

俺のせいで兄様の評判が損なわれるなんてことになったら、それは本意じゃない。


「……リアム、何を考えているの?」


柔らかな声が、思考の淵から俺を引き戻した。

顔を上げると、キースが穏やかな眼差しで俺を見つめていた。

そのまっすぐな視線に心の奥が見透かされそうで、思わず目を逸らす。


「いや……明日は学園に行こうかな、って。兄様は気にしすぎですよ」


努めて軽い口調で笑ってみせると、キースは眉をわずかに寄せたものの、それ以上は何も言わず、代わりに俺の髪をそっと撫でた。


その手の温もりは、あたたかくて、心地よいはずなのに――

どうしてだろう。

胸の奥に、ふわりと不穏なざわめきが立つ。


……たぶん、兄様は俺の動揺に気づいてる。

けれど、それを問いただすことはない。そういう人だ。


朝食のテーブルには、両親が和やかに談笑している。

俺は黙って、皿の上のパンをちぎった。

隣に座るキースが、さりげなく皿にパンを足してくれる。

その細やかな優しさが、ありがたいはずなのに、息が詰まるような感覚すら覚えてしまうのはなぜだろう。


『流されているだけじゃないのか?』


レジナルドの言葉が、ふいに脳裏を過った。


キースの想いが真剣なのは、分かってる。

でも、俺は──?

昨夜こそ気持ちを伝えるべきだったのに、また迷ってる。

キースを想うこの感情が「恋」なのか、それともただ甘えたくなるだけの「依存」なのか、自分でもよくわからない。


美味しいはずの食事が、どうにも喉を通らなかった。

俺はそっと、椅子から立ち上がる。


「……兄様、少し部屋で休んできますね」



窓際の椅子に腰を下ろすと、朝の風がレースのカーテンをふわりと揺らした。

外は雲ひとつない晴天。けれど俺の胸の中には、曇ったようなもやが残っている。


「レジナルド先輩……あの人は、本当に……」


思わず、言葉が零れる。


彼が想っているのは、俺じゃない。

『俺がここに来る前のリアム』に向けられた愛情だ。

その違いをわかっているくせに、彼のまっすぐな優しさに触れるたび、申し訳なさと、逃げたくなるような息苦しさが混じる。


一方で、キースの想いは、今の俺と共に積み重ねたものだ。

過去の記憶があってもなくても、日々を通じて育まれた、確かなもの。


……でも。

肝心の「俺の気持ち」はどうなんだ?


頭の中が絡まりすぎて、解けない。

自分の心さえ、見失いそうになる。


「……俺を愛してくれている。俺も、たぶん……好きなんだと思う……」


独り言のように呟いてみる。

けれど、その言葉が心の底から湧いてきたものかどうか──その確信が持てない。


……思い込もうとしてるだけなんじゃないか?

そんな疑念が、また新たなざわつきを生む。


思わず溜息を吐いたとき、ノックの音が響いた。


「リアム様」


振り返ると、そこにはアン……ではなくナイジェルが立っていた。

珍しいなと思っていると、その背後から勢いよく顔を出す影がある。


「リーアム!」


元気な声とともにノエルが飛び込んできた。


「お休みしてるから来ちゃった! 一応、一部始終、報告はお兄さんから来てるけどねー」


駆け寄ってきたノエルは、俺の腕を取って強引にソファへと腰を下ろさせた。

勢いに押されながらも、俺は思わず聞き返す。


「兄様が……?」

「そう。あのあと私が戻ったら誰もいなくてさ。おかしいなーと思って辺りを探してたら、お兄さんが来て、リアムがさらわれたって」


「え、それってどれくらい後の話だよ?」

「えー? 小一時間くらいじゃない?」


ずいぶん早いな……いや、そうか。

レジナルドが『密偵』をどうとか言ってたっけ。

キースもその辺の事情を掴んでたのかもしれない。


「で、お前はどうしてたの?」

「私? 一緒に行こうとしたら『危ないから家に戻ってなさい』って。必ず助けるし、報告するからこのことは内緒、だって」


「なるほど……」


侯爵家の子息が誘拐されたなんて騒ぎになれば、大事になるに決まってる。

そして、ディマスの名前がそこにある以上、慎重にもなるだろう。


「でさーお兄」

「うん?」

「どうもね、どうも……お兄さんが引っかかる」


「え?」

「いや、お兄がお兄さんに既に落とされ気味なのはもういいとしてさ」

「いや、お前さ……」


「とにかくよ? それはいいんだよ。たぶん“思い出せないエンド”的にも、そういうの必要なんじゃないって? ゲーム的に思うし。お兄が主人公ポジなら、もうキースルートだと私は思うからさ」


「…………待ってくれ。俺、そんなにお前にあけすけに話したか……?」

「ま、それなりに。それに……ナイジェルをお忘れで?」


ノエルはニヤッと口元を吊り上げた。

……ああ、そこか。

思わぬ情報源に、俺は溜息を吐く。


「でよ? このゲームって、今はもうルート通りではないとは思うけど、基本は変わらないと思うんだよね」


「と、言うと……?」


「お兄さーまた色々と悩んでない?」

「い、いやそんなことは……」


ノエルはじっと俺を見つめてきた。

その視線が鋭くて、目を逸らしたくなる。


「まあ、いいけどさ。お兄、悩んでる暇あるなら行動したら?」


唐突に言われて、俺は目を丸くした。


「悩むって……別にそんなこと……」

「嘘だね。お兄の顔見たら分かるよ」


ノエルは小さくため息を吐き、俺の肩に手を置いた。


「色々抱え込むのもいいけど、さっさと動いたほうがいいと思うよ。悩みなんて、結局答えなんか出ないんだからさ」


軽い調子のその声に、なぜか妙な説得力があった。

きっとノエルなりに、本気で言ってくれてる。


「行動、か……」


俺が呟くと、ノエルはぽんぽんと俺の肩を叩く。


「尻の穴の一つや二つくれてやれよ! で、好きだよー!って叫んだら……良いと私は直感で思った」


「お、お前…………」


「こういうのってノリと勢い大事じゃん? そして行動は早め! だよ!」


めちゃくちゃな理論なのに、なぜだろう。

一理あるような気がしてしまう。

ほんと、こいつには敵わない。


そう思っていると、ナイジェルがタイミングよくお茶を運んできた。

するとノエルが彼の背後に回り、何かやらかしはじめる。


「ちょっ……ノエルたん⁈ やめ……!」


ナイジェルが慌てて顔を真っ赤に染めた。

……なにやってんだ妹よ。

それにしても、“ノエルたん”って……。


あまりにも想定外な光景に、思わず笑いが込み上げてくる。


「ま、私らみたいな人もいるんだから、お兄も、もうちょっと気楽にしなよ」


ノエルは最後にそう言って、くしゃりと笑った。


「気楽に、ね……」


呟きながら、俺は窓の外へ視線を向ける。

青空の下、風が木々を揺らしている。


悩んでばかりでは、きっと何も変わらない。

なら、まずは動いてみるしかない。


「よし……キースと話してみよう」


俺は立ち上がり、扉へと歩み寄る。


「よぉし! お兄! がんばってこーい!」


ノエルの声が、背中を軽く押してくれたような気がした。


読んでいただいてありがとうございます!

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