36、
朝の光が柔らかく天蓋の布越しに差し込み、俺はゆっくりと目を開けた。
……見慣れたはずの天井じゃない。
ここは、自分の部屋じゃない。
そうだ……昨夜は、キースの部屋で眠ったんだ。あのまま──。
「起きたかい?」
ふいに聞こえた柔らかな声に顔を向けると、キースが小さなトレイを手にして立っていた。
湯気の立つカップと、控えめに盛られた菓子。
彼の手の中は相変わらず完璧だった。
「……兄様……」
声が掠れて、自分でも驚く。
まだ昨夜の疲れが抜けていないらしい。起き上がろうとすると、キースがそっと肩に手を添えた。
「無理はしなくていい。今はまだ、休む時間が必要だよ」
温かくも静かな声に逆らう気力もなく、俺は背をヘッドボードに預けた。
キースがトレイを傍らに置き、ミルクのカップを手渡してくれる。
「……熱いから気をつけて。アンが届けてくれたんだ」
「ありがとうございます……兄様。……あの、昨日は……色々と、すみません」
深く頭を下げる俺に、キースは目を伏せて言葉を返した。
「……謝ることじゃない。僕のほうこそ……あんな目にあわせてしまって、本当に……」
声には後悔が滲んでいた。
けれど、俺は思わず首を振る。
「違います……兄様はすぐに駆けつけてくれたじゃないですか。それだけで……」
「でも、レジナルド殿下の方が、早かった」
彼は静かに、俺の言葉を遮った。
一瞬、空気が揺れる。
ほんのわずかに笑みを浮かべたキースの横顔には、いつもとは異なる影が宿っていた。
昨夜を思い出す。
「兄様……?」
「……君が怖い思いをしたのは事実だ。僕がもっと早く動けていれば……いや、君のそばを離れなければ、きっと……」
その自責に満ちた声が胸を締めつける。
でも、それは違う。兄様のせいなんかじゃない。
「兄様、気にしすぎです。それ、昨日も……僕、兄様にはずっと感謝してます。気にかけてくれて、守ってくれて……」
そう言うと、キースは少しだけ目を細めた。
静かに伸ばされた指が俺の髪を撫でる。
「本当に……優しいね、リアムは。……だからこそ、もっと守りたいと、思うんだ」
その言葉に、胸がざわついた。
守られたい気持ちはある。けれど、それが重く感じてしまうのは──気のせいか?いや、これは……違和感?
「でも……兄様も無理はしないでください。僕ばかり心配されるのは、ちょっと落ち着かなくて……」
そう言った途端、キースは少し目を見開き、それからふっと柔らかく微笑んだ。
「……分かった。君がそう言うなら、少しは僕も甘えてみるよ」
その笑顔に、安堵する──はずだった。
だが次の瞬間、キースの指が俺の顎を捉え、唇が重なった。
そっと、何度か啄むようなキス。……けれど、その温もりの奥に冷たい鋭さを感じたのは、なぜだろう。
キースが顔を離しながら、微笑む。
「もう……これくらいじゃ動じなくなったね?」
「……兄様、よくしますから……だから……」
恥ずかしさが込み上げて、俺は目を逸らした。
──けれど、頭を撫でられながらも、やはり胸の中には小さな棘が刺さったままだった。
※
レジナルドが屋敷に訪ねてきたのは、それから間もなくのことだった。
ソファ越しに微笑むその姿は、昨夜の助けを思い出せば感謝しかなかったけれど……どこか、俺の中に罪悪感にも似た感情が生まれていた。
「君は……本当に、キースを好きなのか?」
不意に向けられた問い。
思わず息を呑んだ。
──その問いには、きっと俺自身がまだ答えを出せていない。
「……僕、は……」
咄嗟に言葉が出てこない俺に、レジナルドは真っ直ぐに告げる。
「私は……君を縛るつもりはない。ただ、君が本当に自分の意思で選んでほしいと思っている。それが、私じゃなくても……いい」
誠実な眼差し。その熱に、俺は目を伏せるしかなかった。
※
レジナルドが帰った後、俺はぐったりと廊下に出た。
そのまま部屋へ戻ろうとして──ふと、視線の先にキースの姿があった。
廊下の奥に、佇む兄。
光の加減で表情はよく見えないけれど、動かないその背中に、何か張り詰めたものを感じた。
「……兄様?」
声をかけると、ゆっくりとこちらを振り向いた。
「レジナルド殿下と……話していたのかい?」
「あ、ええ……少しだけ……」
答えた瞬間、キースは何も言わずに歩み寄ってきて──
俺を、強く抱きしめた。
「……リアム。君が、無事で……本当に良かった……」
その声は、苦しげに震えていた。
「兄様……?」
「君が……他の誰かと話しているのが、怖いんだ。……遠くへ行ってしまいそうで」
その言葉が終わるよりも早く、キースの唇が俺のそれに重なった。
廊下だというのに、構うことなく、強く。
「……っん、ん……!」
舌が、咥内へ侵入してくる。
何度も触れ、絡め取るように俺を飲み込むような口づけだった。
熱を帯びたその動きの裏にあるのは、確かに──独占欲だった。
そして、俺はようやく気づく。
これはきっと、レジナルドの言っていたことと……無関係ではない。
キースの愛情が、ただの優しさや兄としてのものを超えていることに──今さら、気づいてしまった。
そして、自分の曖昧さにも。
これは、ちゃんと……伝えなければならない。
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