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プロローグ

自殺は選択

死んであなたになにか遺せるのなら

わたしは本望です

 正面に座る中年のサラリーマンは、ひどくくたびれた様子で、先程から何度も欠伸を噛み殺している。ずり落ちそうな大きな金縁の丸眼鏡は、その赤みがかったシックなブラウンのスーツに上手く調和していた。数分前まで彼の膝の上にあったゴルフ雑誌は、今は足元の鞄に無造作に入れられている。普段であれば、巨大なリュックサックを背負った女子学生達の話し声が、この陰鬱とした電車内の空気を少しばかり好転させてくれただろうが、生憎彼女らもいない今、車内で揺られているのは、中年のサラリーマンと秋元明美だけであった。特段珍しいことではない。日曜の早朝はこんなものだろう。学生時代を地方で過ごし、そのまま地元の民間企業に入社した明美にとっては普段通りの光景だった。

 ふと窓の外を見ると、先ほどまでポツポツと降っていた雨が勢いを増し、より強く電車の窓を打っていた。明美は既に濡れているズボンの裾の感触を思い出し、小さくため息をついた。なんだって雨というものは、こうも憂鬱な気持ちを掻き立てるのだろう。そもそも日曜日は全員にとっての休日であるべきなのに。明美が勤務している地元のデパートの化粧品店は、基本的に土日は全員出社する決まりとなっていた。平日に比べ多くなる、週末の客足に対して対応するためであるのだが、そのせいで明美は、毎回地元の友人との予定を合わせることができていなかった。

 窓の外の雨は、だんだんと激しさを増す。車内の揺れも、それに合わせて大きくなっているようだった。ふと、明美は先程から完全に眠りに落ちてしまっているサラリーマンの左上の辺りに、この陰鬱とした雰囲気のもう一つの原因となっているものの存在に気づいた。


『自死支援制度をご存知ですか? 一人で悩まないで、まずはご相談を。』

 

 ポスターの中で、掲載内容と対象的に涼しげな笑顔をこちらに向けているのは、最近テレビでよく見る実力派の若手女優だ。名前は倉橋みゆきだったかみづきだったか。彼女の着ている、襟にリボンの付いたワンピースは、最近公開された映画のヒロインが着ていたものと似ている気がする。ポスターの右下、ちょうど彼女の腰辺りには「私の兄も自死を選択できました」という一文が添えられていた。

 生きやすい、いや、死にやすい世の中になったというべきか。政府の言う「基本的人権」に、新たに「死ぬ権利」が認められてから3年が経とうとしている。もともとは、重篤な患者の延命措置を、患者自身またはその家族が拒否するもの。人としての尊厳死を認めるためのものだったのだが、今では制度としての形を変え、国民全員が持つべき権利として瞬く間に広がっていった。初めこそ、いきすぎた人権擁護だとする批判も多かったのだが、芸能人や著名な文化人も制度を利用し初めた頃から世に浸透し、反対派の声は早くも1年が経つ頃には聞こえなくなっていった。

 とはいえ、近頃の学生を中心とした若年層の間では『選択死』と呼ばれ、SNSを通じてまたたく間に身近な存在となったこの制度に、今でも違和感と不快感を覚える層も少なくなく、明美もその一人であった。

 国が認める自殺なんて気味が悪い、本当にどうかしているわ。明美は目だけでポスターの中の女の笑顔を睨みつけ、また小さく息を吐いた。中年のサラリーマンはいつの間にか乗降口の前に立っている。明美も早めに鞄を肩にかけ直し立ち上がった。ズボンの裾はまだ冷たさを残しており、床には明美のビニール傘の先端が、小さな水たまりを作っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルにひかれて新着から読みにきました。 あらすじの「他人を理由にしたほうが死にやすいでしょう?」にぞっとしました。 明美がこれからどんな選択をするのか楽しみです。
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