静かなる者⑥
それは黒い四角い板だった。
赤い線が横に入っている。それだけだ。
「隠し部屋にあったのにハズレね」
「初めて見たなそんな板」
「……」
ハズレ? いいや。
この黒い板は【フォーチューンの輪】で、しっかり青い光を放っている。
あのエリクサー無限湧きの卵と同じ青い光だ。
恐る恐ると手にする。冷たく柔らかい。
「やわらかい? うッ!?」
そのときだ。頭の中に文字が浮かんだ。
レリックのときと同じで強い。
【レリックプレート:このプレートを使用するとレリックを例外なく使用者はひとつ得る。使用するとレリックプレートは消費される】
こ、これは―――本当なのか。
いいや本当だ。分かる。何故か分かる。
確信的に分かってしまう。
なんて代物だ……なんでこんなときに。
なんでこんなものが―――僕は思わず膝を崩した。
「おい。だいじょうぶか」
「ウォフ。どうしたの?」
「…………アクスさん。大事な話があります」
「なんだ急に」
僕は立ち上がると真剣な眼差しを彼に向ける。
これは分水領だ。僕じゃない。アクスさんの……運命だ。
「これを差し上げます」
僕はレリックプレートを差し出す。
「は? いやそれはおまえのだろう」
「だからです。これは、このレリックプレートはアクスさんの分水嶺です」
「分水……?」
「レリックプレート?」
「分水嶺。人生の岐路。選択です」
「ウォフ。なにを言っているんだ?」
「ねえ。それなんなの。レガシー?」
「レガシー……レジェンダリーです。ただし使用回数は1回だけです」
「は? レジェンダリー!? あんた。言っている意味わかっているの?」
ミネハさんの言葉が鋭くなる。
僕はハッキリ言った。
「はい。これはレリックプレートと言います。使用した者にレリックをひとつ与えるることができます」
「…………は……はあ?」
「ウォフ。さすがにその冗談は笑えないぞ」
「冗談じゃないんです」
僕は表情を一切崩さない。
「そんなレジェンダリーあるわけないでしょっっ!」
ミネハさんが吠えた。狼狽えつつ怒る。
彼女にとってレリックは神聖なモノだからその反応は当然だろう。
僕は冷静にレリックプレートをアクスさんに差し出す。
「触れば分かります」
「……ウォフ」
「触れてください」
「…………」
アクスさんは恐るおそる触れた。
そして理解してくれた。その表情が示している。
ミネハさんもムッとしながら触れた。表情が固まる。
「こ、こんなモノが本当にあるっていうの……?」
「…………だがどうして俺に渡そうとするんだ」
「それは、ミネハさん」
ここだ。正念場だ。
「…………………なに? アタシは認めないわ」
ミネハさんの反応が嫌悪だ。
僕は恐れず尋ねた。
「10年前。なにがあったんですか」
「え……あんた……」
「10年前? どういうことだ?」
「あんた。ど、どうして」
ミネハさんは動揺している。
「10年前。アクスさんは誘拐されました。そうですよね」
「あ、ああ……だがそれがなんだというんだ」
「誘拐されたとき母親じゃない別の探索者が助けた。母親は依頼で居なかった。戻ってきたのは1か月後だった。そうですよね」
「ああ、そうだ。だからそれがどうしたというんだ」
アクスさんは機嫌が悪くなる。それはそうだろう。
だがとても大切なことだ。
「その出来事とミネハさんの10年前が……無関係じゃない気がするんです」
「ミネハの10年前? 10年前ってまだ生まれて……無関係じゃない?」
アクスさんはミネハさんを見た。
ミネハさんは小さく頷く。観念したように語った。
「…………アクス。あなたは10年前。師匠が、あなたのお母さんが受けた依頼を知っているかしら」
「知るわけねえだろ。おふくろは何も話してくれなかった」
「その依頼。それはアタシに関係があるの」
「お、おまえに?」
「ええ、10年前。アタシを身籠っていた母様が死にそうになっていたの。このままだと母子共に命を落とす。そんな危険な状態だった」
「な…………!?」
「……」
愕然とするアクスさん。
僕は黙る。
「母様は呪われていたの。どんな方法も試したわ。レリックも秘薬もレガシーもレジェンダリーも何もかも試した。たったひとつだけを除いて」
「……」
「……」
「たったひとつだけ助かる方法はあった。それはあるレジェンダリー。ふたりともエリクサーって知ってるわよね」
「あ、ああ」
「はい」
僕はドキっとした。心臓が止まるかと思ったほど吃驚した。
ここでまさか。
「ある極寒の山の頂。そこにもはや廃墟となった寺院があるの。その寺院の最奥にエリクサーの入った聖卵が納められている。そういう伝承があったの。それを手に入れるのは里の誰もが不可能。知る限り当時……第Ⅰ級探索者の相方をしていて最も第Ⅰ級に近いと呼ばれた師匠だけだった。その山は極寒の環境に加えて獰猛で強力な魔獣の領域。おまけに寺院はダンジョンになっている。それでも一刻を争う状況だ。母子共にいつ死んでもおかしくない限られた時間での最難関の依頼。師匠は手に入れることが出来た。ただし1ヵ月近く寝たきりになる状態と引き換えにね」
ミネハさんは淡く笑った。
アクスさんはふるえている。
聖卵か。
「…………そ、それが真相か……だからおふくろは俺を助けられなくて、帰ってくるのに一か月近く……それが………」
アクスさんは低く呻く。
ミネハさんは静かに言った。
「そうよ。アタシと母様の命が掛かっていた。だから、あなたを助けることが出来なかった。恨むのは師匠じゃない。アタシを恨みなさい」
「恨むなんて…………」
ミネハさんの言葉にアクスさんは複雑な表情をする。
絞り出すように声を発した。
「おふくろは自分が悪いと何も話してくれなかった。重傷だった事は知っていた。でも俺より依頼が大切で、レリックを持っていない俺だから依頼を優先したんだと思い込んだ。俺が本当に大切なら、依頼なんか放って駆けつけてくれる。そう思っていた。そうして欲しかった。俺が大切なら……その証拠が証明が欲しかったんだ」
レリックが無くても息子として愛してくれていたのかどうか。
それをなによりも信じられなかったのはアクスさん自身だった。
「だけど俺は今もその依頼が命に関わることなんて微塵も考えていなかった!!」
思わず声を張り上げる。
これは心の叫びだ。ミネハさんは首を小さく横に振る。
「話さなかったんだから分からないのも当然よ。それに、この依頼は話すことが出来なかったの。エリクサーという機密事項が絡んでいたから余計によ」
「機密事項?」
僕は初めて知った単語に首を傾げる。
ミネハさんは僕に溜息をつく。
「あんたねえ。それぐらい知っておきなさい。国を揺るがしかねないレリック。オーパーツ。レジェンダリー……それらが絡むことは機密事項なのよ」
「そ、そうなんですか……」
僕は内心でゾッとした。
オーパーツは無いがそれに該当するレリックとレジェンダリーは持っている。
それが原因で戦争が起きるとかは予想していたし思っていた。
でも改めて誰かに重要性を説かれると現実味が増して怖くなる。
「それを話していいのか?」
「ええ、調査団が派遣され、寺院にはエリクサーが他に無いことは確認されたわ」
つまり聖卵のエリクサーは尽きたってことか。
「そうか―――」
アクスさんは彼にミネハさんに真っ直ぐ向き直った。
「申し訳なかった。悪かった。ミネハ」
アクスさんは頭を深く下げて謝った。
ミネハさんは狼狽する。
「な、なにを言っているの。なんであんたが」
「おまえが謝る必要は一切ない。俺は思い込みでおふくろを遠ざけていた。今は俺も探索者だから分かる。例え機密事項じゃなくても、おふくろは言い訳として友人の命が掛かった依頼のことを話さなかっただろう。それは俺も同じことがあったら、おふくろと同じようにしていた。おふくろは何も悪くない。おふくろは―――母さんは立派な探索者だ」
「アクスさん」
「あなた。師匠と絶縁するって聞いたわ」
「その気持ちはもう無い。俺はこの依頼が終わったら今更だが、おふくろとじっくり話をしたいと思っている。そして謝りたい。おふくろは俺の誇りだと伝えたい」
顔を上げたアクスさんの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ええ、話してあげて伝えてあげて。師匠は喜ぶわ」
ミネハさんは涙をこぼした。アクスさんも泣いた。
「…………」
良かった。もう大丈夫だ。
僕は安堵した。




