星月夜④
魔女はお酒を飲んでいた。
テーブルに上質なラベルのビン。グラスの中に紅の液体。ワインだろう。
小さな皿にはスライスされた色とりどりのチーズがあった。
ふと展望ルームから見える風景は瞬く星々と暗くたゆたう水面だけ。
思えばこの世界で初めて見る光景だ。
前世の記憶だと夜の海で似たようなのを見た。
暗く何も見えずにゆらめく夜の海は波音も相まって恐怖しかない。
魔女の頬は軽く上気して瞳が潤んでいる。
狐耳は片方がピンっと立って片方はふにゃッとしている。
三つの尻尾は魔女が尻に敷いていた。
艶やかな銀の髪を軽く手で撫でて流す。
黒いスケスケのドレスは相変わらずネグリジェみたいだ。
「こんばんは。魔女も眠れないんですか」
「うんうん。そうだねえ。でもでも、これは昼間寝てしまったからだねえ」
悪戯っぽい笑みを浮かべる。魔女、昼間は爆睡していたからなぁ。
昼食もとっていない。起きたのは餃子パーティーの1時間前だ。
だから魔女にしてはかなり食べていた。
ふと魔女は隣の席を手でポンポンっと叩く。
僕はそこに座った。
「星……すごいですね」
前面からの眺めに感想を呟く。この世界の星空は好きだ。
そして誰かと見る星空はかけがえのない。
「ねえねえ、ウォフ少年。今回の旅はどうだねえ。気に入ってくれたかねえ」
魔女はワイングラスを揺らして尋ねる。
僕は苦笑した。
「色々ありましたね」
「ふむふむ。色々とあったねえ」
あり過ぎたというかなんというか。
その大半がアガロさんたちとの即席狼団第2弾の裏話的なヤツだったけど。
しかもハイゼンでも尾を引きそうな気配がするんだよなあ。
剣の女神の娘は手強いだろう。
「これからもきっと色々あると思います」
「ふむふむ。そうだねえ。色々色々とねえ」
魔女はワインを口にする。彼女の唇が赤くなる。
僕はコツコツ。トントン。少しプラスなスローライフを送ろうと決めていた。
決心というほどは全くなく、ぼんやりと決めていた。
前世の記憶があっても4つのレリックがあっても僕自身は特別じゃない。
いやそれは今も思っているけど、どうも僕の人生そうならないらしい。
それはまあ自業自得な面もあるし、今の生活が嫌かというとそんなことは全くない。
僕は独りで長く生きると思っていた。
それはまあ大人になったら誰か良い人と結婚ぐらいはしたいとは考えていた。
それも難しそうだけど人並みの幸せは得たい。そんな風に思っていた。
「魔女。ありがとうございます」
「おやおや、急に礼なんてどうしたのかねえ」
「魔女と出会って本当に良かったです」
僕は本心を素直に言った。
魔女は口を半開きに目をおおきく見開いて驚いた後、微笑む。
「それはそれは、ふうむ。コンもウォフ少年に出会えて本当に良かったねえ」
「そうですか?」
「ふふっ、ふふっ、コンはね。色々とあって人が嫌いになったんだねえ。だからなるべく人と会わないよう森の奥に住むようになった。たまに頼まれた仕事をして、後はずっと引き籠もる生活。寂しくはあるけれど、それでもいいと思ったねえ。だけどコン以上に……人が嫌いなウォフ少年と出会った」
「僕は、いや、まあ、確かに」
僕が、その人が嫌いというのは、まあ、間違ってはいない。
だけど魔女が人が嫌いというのは―――魔女はクスクスっと口元に手をあてて笑う。
「今は今は、とてもとても幸せだねえ。ミネハ。ジューシイ。パキラ。リヴ。ルピナス。ビッド。ムニエカ。チャイブ。シロ。シャルディナ。アンナクロイツェン。アリスロッテ。マイカホリー。セイスランディラ。ポートドリュー。ノインメネア。アンスタンシルー。アキンドゥラ。アリファ。ナーシセス。ドヴァ。シェシュ。スュウ。セディチ。エミー。メガディア。ルリハ。ゼレナ―――こんなにも絆を深めることが出来たねえ」
「えっと、それは」
魔女は早口で捲し立てたからビックリする。
人の名前だな。聞いたことがある名前ばかりだ。
大半にブレスレットを贈っているともいう。
「うんうん。コンのお風呂仲間だねえ」
「お風呂……な、なるほど……」
だから並んだ名前が全員女性なのか。
魔女の家とタサン家別邸とラボには転移ゲートが設置されている。
僕の家を中継点にルートが形成されていた。
それにしてもこんなに沢山のひとが入浴していたのか。
やっぱり魔女は人が嫌いになったんじゃない。
《《人を嫌いになりたかった》》だけだ。
「とてもとても、有意義な交流だとコンは感じているねえ。だからこういう旅も出来るようになって、だからハイゼンにいる知り合いにも会いに行こうと思えたねえ」
「知り合いですか……」
そういえば居るって言っていたのを思い出す。
「むかしむかしの……知り合いだねえ。少し前のコンなら、ウォフ少年に出会う前のコンなら会いたいなんて思うことすらしなかった」
「どういうひとなんですか」
「ふーむふーむ。どういう……そうだねえ。ふふっふふっ、それは会ってみてのお楽しみだねえ」
「……わかりました。楽しみにしてます」
いずれ会えるけど、でも魔女の知り合いなんだよな。
不安しかない。
僕は前々からずっと思っていたことがある。魔女のことだ。
魔女は何かあって人を嫌おうとした。そういう出来事があったんだろう。
でも彼女は、魔女は優しいひとだ。
だから人を嫌いになろうとしても結局は人を嫌いになれなかった。
それが悔しくて認められなくて、だから人嫌いと自分に言い聞かせていたんだろう。
それほどまでに人を嫌いになりたかったんだろう。
しかしそれはメッキだ。メッキはすぐに剥がれる。
そして憶測だけど魔女は心の底では待っていたんだと思う。
人をまた好きになる理由を何処か願っていた―――そう感じる。
そのきっかけが僕だったのかも知れない。
「ところでところでウォフ少年。もっとしっかり星の夜を観たいと思わないかねえ」
「もっとしっかり、ですか」
確かに展望ルームは前面しか見えない。
星空がちゃんと見えているかというと、そうではない。
バルコニーに出ればしっかり見えるという意味かな。
魔女はスッと腕を上に伸ばし、指を鳴らした。
すると両壁と天井がフッと消えた。
「!?」
えっ、無くなったっ!
いや、よく見ると両壁と天井はガラスになっていた。
ビックリして焦った。でも。
「……うわぁっっ…………」
思わず感嘆する。満天の星空が一気に広がっていた。
数え切れないほどの瞬き輝く光の奔流が、星の光の海が僕の視界を埋め尽くす。
そして正面では見えなかった月が天井に現れた。
娘たちを引き連れた夜の女王だ。
「ほうほう。これは見事な景色だねえ」
魔女もこの神秘的な絶景には魅入っているようだ。
「魔女。星が綺麗ですね」
僕は言った。
「あぁあぁ……そうだねえ。ウォフ少年と見る星空は綺麗だねえ」
魔女は僕に囁いた。
「…………」
「…………」
僕たちはしばらく何も言わず同じ星の空の夜を眺めていた。
気付くと魔女は僕の手を握って寄り添う。
ほんのり甘くワインの匂いがして、柔らかく暖かい肌の感触がする。
僕は何も言わずそのまま―――魔女が握る手の指を絡めた。
僕と魔女。
ふたりがひとつになった気がした。




