僕らの旅路:準備編⓪・ウォフのポーチ。
叔父さんからまさかの手紙を貰ったその足で僕は魔女の家へ。
いつもの汚いリビングルーム。
「ふむふむ。ふたつめの隠れ家とは興味深いねえ」
魔女はテーブルの上に黒いカップを置く。
ちらり覗くと血のように真っ赤な液体が気泡を出している。
血の池地獄かな。
「はい。貿易都市ハイゼンにあります」
「ほおほお、あの街ね。それでそれで、ウォフ少年は気になっているのかねえ」
魔女はソファに座りながら僕から渡した手紙に目線を落す。
慣れたように三つの尻尾を巧みに動かしクッションみたいにして座っている。
座るとき胸が揺れたのは愛嬌だろう。
「はい。行こうと思います」
どうしても気になることが書いてあった。
隠れ家で驚くこと……なんだろう。
僕が住んでいる隠れ家も驚くことがあった。
だからきっと言葉通りなんだろう。
「うんうん。決心ついた目をしているからすぐ分かったよ。その報告かねえ」
「はい。しばらく留守になります」
「ふむふむ。それでどうやって行くのかねえ」
「乗合馬車を使っていこうと思ってます。それで港町リーズから船に乗ります」
貿易都市ハイゼンは地形的にこちらからでは陸路で着くことは難しい。
だからリーヴ河の港町リーズから船に乗る。約12日間の旅路だ。
そう伝えると、魔女は顎に手を当てて唇に指を軽く当てて思案にふける。
ブツブツと呟く。
「ふむふむ。そうそう。あれはあれは、あれであれで。こうしてこうして。そうしてそうして。ほうほう。うんうん。いけるいける。よしよし。やるぞやるぞ。コンはやれるやれるねえ……やれるねえねえ……」
「魔女?」
どうしたんだろう。すると顔を上げる。
「ねえねえ、ウォフ少年。出発を4日後にしてくれないかねえ」
「いいですけど……」
それくらいなら別に。それに焦ってはいない。
「ではでは、それで頼むねえ」
「は、はい」
「ああ、ああ、そうだそうだ。他にも行くひとは居るのかねえ」
「ミネハさんです。他はまだ僕は話していません」
「ふうむふうむ。ルリハと帰ったわけじゃなかったんだねえ」
「最初はそのつもりだったらしいですけど、会ってスッキリしたらしいです。それとミネハさんはビッドさんに話をしたと言ってました」
「ほうほう。ビッドは兎の娘だねえ。風呂場でよく遭遇するよ。いい子だねえ」
顔見知りになっている。そりゃあそうか。
「返事はまだですけど、たぶん。ビッドさんなら来るだろうと」
「なるほどなるほどねえ。ウォフ少年は誰か誘うつもりかねえ」
「うーん。そこはまだ決めていません」
誰かひとり誘えればなぁ。出来れば同性がいい。
「ああ、ああ、そうだそうだ。話は変わるけど、ウォフ少年。もう少しで籠手の方が完成するねえ」
「本当ですか!」
思わず僕は立ち上がった。おお、ついに。
魔女は微苦笑する。
「うんうん。すまなかったねえ。かなり時間が掛かったけど、とても良いモノになっているよ。まだ微調整が終わってないから出発の日に渡すねえ」
「は、はい。楽しみです」
今渡されるんじゃないのか。ちょっと落ち込むように座る。
どんな風になっているのか知るのが少しだけ怖い。
だけど頑丈にはなっているだろう。不気味だけど僕はあの籠手を気に入っている。
魔女は立ち上がった。三つの尻尾を丁寧に振る。
「さてさて、仕事の前にちょっと身体を動かしたい気分だ。ウォフ少年。久しぶりにコンと一緒に激しく気持ち良い運動でもしようかねえ?」
「……いいですね」
言い方は悪いが、僕は同意して再び立ち上がった。
運動とは模擬戦だ。魔女はこう見えても護身術の達人。
並大抵では相手にならない。僕も魔女にはⅠ回も勝ったことがない。
だが僕はあのアルヴェルド=フォン=ルートベルトに勝った男だ。今までとは違う。
「ほほうほほう。なんだかいい顔をしているねえ。ウォフ少年」
「僕は勝ちますよ。魔女」
そうなにせ僕はあのアルヴェルド=フォン=ルートベルトに勝った男だ。
今までとは違う。
ボコボコに負けました。
ズタボロにされました。
負け犬精神のまま汗を掻いたので風呂に入ってから帰ることにした。
なんなの。なんであんなヒラヒラした格好であんな動きが出来るんだ?
それにあんな細腕で指で脚で凄まじい威力だ。
「まだまだ。僕は、まだまだだなぁ……」
ちょっと調子にのってました。壺湯に入って反省する。
ふう。壺湯はいい。
「あっ……おおっ」
天井を見上げて吃驚した。
いつの間にか全ての天井に星空が投影されていた。魔女が何かしたんだろう。
しばし楽しむ。
風呂から上がると魔女はリビングに居なかった。仕事だろう。
挨拶したかったが邪魔になるのでそのまま転移ゲートで家に帰った。
部屋に戻りベッドの上に寝転が……座る。
思い出した。腰のポーチを手にする。
ちょうどいい機会だ。ポーチの中身を整理しよう。
色々と詰め込んだままだったからなあ。
「前にやったのはいつだったか……」
覚えていない。ただ、微苦笑する。
魔女に貰ったときは何も入って無かったな。
まず探索者タグ。エンブレムともいう。
僕が第Ⅴ級探索者という証だ。身分証明にもなっている。
もちろんこれは必要だ。
ええっとエリクサーが入った小瓶が13個。
入っていない小瓶が6個———また補充するか。
次はハーブの束が3つ。
赤・青・白のハーブで三日月の器で水かお湯で調合すると柑橘系のお茶が出来る。
それと関連して魔女から貰った薬草ノート。
ちなみにアンブロジウスさんから交換してもらった薬草図鑑はベッドの棚にある。
その次が無地のブレスレット沢山。
あと指輪が入ったケース。これらについてはノーコメント。
お次は獣脂蝋燭の欠片。それと何かの鉱石の破片がいくつか。
この辺は覚えていない。
「しかも腐っている」
獣脂蝋燭の欠片はカビていた。もう長い間、使っていない。
不用品はレリック【バニッシュ】で消す。というわけで、はい。消去。
鉱石の欠片はよく分からない。消去。
「あっ、これ」
青銅製の細長いお守りが出てきた。売ろうとして忘れていたモノだ。
細長い棒に点が4つ付いている。四つ目信仰。ダンジョンの魔物にもたまにいる。
そういえば【ジェネラス】も四つ目なんだっけ。どうだったっけ?
まぁーいいや。とっておこう。
「んん?」
なんだこの木の根っこ……? 前世の記憶が言っている。ゴボウ?
さすがにもう食えないだろう。消去。
「……この瓶……?」
なんか入っているけど色が凄い。魔女のハーブティーみたいだ。
開けたくない。消去。
何かの切れ端。消去。おっ、光球だ。全部で六つもある。
そういえばハイヤーンが商会を立てて光球を売り始めたんだよな。
予想通りに爆売れなのは、通り掛かった唯一の販売店の行列を見て分かった。
さすがにラボを本店にするわけにはいかない。
だから保管場所の倉庫街の倉庫に本店がある。行ったことないけど。
「タサン家の全面バックアップだったよなぁ」
タサン御用達の商会から秘書が派遣されたり、メノスドールが従業員になったり。
至れり尽くせりだ。よっぽどのことが無ければ失敗しないだろうけど。
「あのハイヤーンだからなぁ」
成功する未来が見えない。
まあ無一文になって露店で食材として売れていたら。
ほんのちょっとだけ優しくしよう。
「さてポーチの掃除を続けるか」
黒いカードが出てきた。これはタサンエンブレムカードだったか。
これは取って置こう。
小さな布の袋が出てきた。汚れていて中身は空だ。
ああ、報酬の硬貨とか入っていたやつか。
こういうのも使い捨てだと分かるけど、勿体なくてつい残しちゃうんだよな。消去。
昼夜石。ダンジョンで昼か夜か分かる石。
古の懐中時計。ムニエカさんから貰った貴重品で時間が正確に分かる。
うわっ、あぶなっ、火石と水石そのまんま入っていた。
水はともかく火は割れたらどうすんだ。ポーチが燃えるぞ。
実際、火石は雑に扱っての火事が多い。なにせ割れたら燃えるから。
ゴミとガラクタが出て来て消去消去———殆どそんなのばっかだなあ。
この木炭の端とか布切れとか。
「これは……」
箱だ。大きく立派な樹が精巧に描かれている。
これは……『エリクサー神聖卵』が入っていた箱だ。
「とっておいたんだっけ」
忘れていた。まあ、捨てるのも消すのも勿体ない。
そのまま残しておくか。おっとポーションがふたつ出てきた。
ひとつは魔女から貰った。もうひとつは市販品。
純度を比べる為のポーションだ。
「元々は沢山つくって売るとか安易に考えていたっけ」
馬鹿だったなと自嘲する。
しかしこれらは消すのが勿体ない……どうしよう。
じゃあ飲んでみるか。まずは市販。あっ、賞味期限とか大丈夫なんだろうか。
蓋を開けて匂いを嗅ぐ。だいじょうぶっぽい? おそるおそる飲む。
「うん。まずい」
だけど回復したっていう感じはする。
次に魔女のポーションを飲む。
「あれ、味が違う」
美味しいというほどじゃないけど不味くもない。
不思議だ。こんなにも違うのか。
「うぷっ、飲み過ぎた」
2本分でお腹がタプタプだ。
瓶は洗って残しておく。何かに使えるだろう。
最後に『エリクサーの神聖卵』を取り出す。
ふとなんで容器が『卵』なんだろうと今更の疑問をもった。
タリスマンもフェニックスも卵の容器だ。
「……製作者が卵好きだとか?」
アホみたいな理由が浮かんで後悔する。
まあいいか。深い考えはない。ちょっと疑問に思った程度だ。
これでポーチは空になる。
タオルを敷くとポーチを逆さまにして揺さぶった。
奥底に溜まった埃とか塵とかを落していく。
すると―――ナイフがゴトっと何の前触れもなく落ちて来た。
「? ナイフ?」
なんで? なんでナイフ? え? いや底はしっかり見たぞ。
何も無かったぞ。知らないぞ。
しかもフジツボとかサンゴとか貝とか海産物が付着している。
まるで難破船に置いてあったかのようだ。
「なんだこのナイフ……」
見覚えが全くない。初めて見るナイフ。
黒い革の鞘で鍔は楕円形———シンプルだ。とてもシンプルだ。
全く知らん。
そもそも奥底はしっかり何も無いのは確認している。
なのに出てきた。
怖い話みたいになってきて背筋がサァーと冷える。
「…………と、とりあえず」
とりあえずこのナイフは置いといて。
残ったモノをポーチに入れていく。
火石と水石は分けて別の布の袋に入れて納めた。
チマチマと慎重に整理するように入れていく。
「ふう。終わった」
全部入れた。疲れた。ポーションがぶ飲みしたのに疲れた。
でも旅立つ前にしっかりポーチの整頓が出来て良かったな。
予想外な事は起きたけど、腰に付けたポーチは気のせいか軽くなった気がした。
「お腹空いたな……」
そろそろお昼だ。今日はミネハさんとダガアは依頼でいない。
「この時間帯。混んでいるだろうけど、まぁ一応」
『シードル亭』へ僕は向かった。




