星月夜③
それは永遠の決して明けることがない星と月の夜。
いつも見るジューシイさんと違うのは寝巻き姿だったからか。
ジューシイさんの寝巻き姿はシャツ一枚に白いネグリジェだった。
下はちゃんと半ズボンみたいなのを穿いている。
それとも深夜だからか。
造り物でも見事な星空を眺める城のバルコニーだからか。
とにかくいつもの彼女じゃなかった。
少なくとも僕にはそう見えた。
「あの、ウォフ様……?」
「こんばんは」
「あのあの、こんばんはです」
輝く笑顔で挨拶する。こういう表情はいつものジューシイさんだ。
バルコニーから空を見上げる。僕も見上げた。
紫に青く光る空に浮かぶ銀色の満月と姉妹たち。
あの夜景が造り物だなんてとても思えない。
だけど自然に出来たものじゃないと実感もする。
あの永遠の夜空もかつてどこかの地上にあったものだ。
どこにあったんだろうか。
「今日は疲れましたね」
「あの、あたくしはとっても楽しかったです。久しぶりにウォフ様とダンジョン散歩できました。即席狼団もできました。干し肉も食べられました。運動もたくさんできました。満足ですっ!」
「それは、よかった。僕も久しぶりにジューシイさんたちと探索できて嬉しいです」
ダンジョン散歩。散歩か。運動か。
間違っているような無いような。
「ナーシセスさんはどうですか」
少し気になった。
いやジューシイさん。ナーシセスさんに対してどこか塩対応だった。
ジューシイさんの性格からあんなに塩対応は妙だなと。
「わふ? あの、彼女。『ジェネラスの再来』は怖いって聞いてました。エッダでしかも神様です。でも実際に会ったら優しく面白いひとで、どこか妹たちみたいです」
「あー……なるほど」
なんとなく分かってしまった。しかも姉じゃないんだなっていう。
じゃあ、あの塩対応は妹たちに対しての普段の対応なんだろうか。
まあそれ以上はいいか。それから僕たちは今日の出来事を話す。
僕の色々な噂について、ジューシイさんも多少は知っていたみたいだ。
事実だし悪い意味に捉えられなかったのでむしろ誇らしさすら感じていたという。
まぁ……そう言われたらなんともいえない。
嫌がっているのは僕だけかもなぁ。
だけどなあ。変なのが来るのはハイヤーンで充分なんだよな。
だから頼むぞ。『ケルベロスターン』。
「あのあの、でも、わん。あの、ひとつだけ不満があります」
ふいにジューシイさんは僕の胸にぽすっと頭を寄せた。
大きい狼耳を動かし、くんくんっと僕を嗅ぐ。
「ジューシイさん……?」
「あの、やっぱり……ウォフ様。他のメスの匂いがします。それも多いです」
「それは」
「あのあの、多いです。ウォフ様」
上目遣いでジト目するジューシイさん。
なにかの当てすけのように僕の胸にグリグリと頭を擦り付ける。
まるで自分の匂いをつけているようだ。
そして僕をジト目で見る。それを繰り返し、尻尾で僕の足をパタパタッと叩く。
更に薄いネグリジェ越しに彼女のふくよかな胸の感触がしっかり伝わってくる。
ジューシイさんはミネハさん程じゃないけど大きい部類だ。
僕は4回目で観念した。
「———感謝の証を送っていたんです」
「あの、わん。感謝です?」
「はい。僕がアルヴェルドに勝てたのは皆の応援と協力があったからです。それと日頃の感謝の気持ちを込めて、ジューシイさん。手を差し出してもらえますか」
「あのあの、あの、はい……?」
素直に差し出されたジューシイさんの腕にブレスレットを付ける。
薄い黒の輪と真っ黒い宝石のブレスレット。
ジューシイさんのテンションが一気に上がった。
尻尾の振りが強烈で瞳もらんらんと輝いている。
ジューシイさんはしきりにブレスレットを眺めていた。
「それと、ジューシイさん。誕生日は」
「あの、もう過ぎました」
「そうですか」
「あの、わん。誕生日プレゼント。わん。嬉しいです」
「それは違いますよ。そのブレスレットは感謝の証です」
「わふ?」
「誕生日のプレゼントはこちらです」
僕はジューシイさんに青いリボンを渡した。
ナイフを買ったときの雑貨店で見つけたものだ。
なんとなくジューシイさんの黒髪に映えると思った。
リボンを見てジューシイさんは首を僅かに傾げた。
「あの、わふん……首輪じゃないん……ですか」
「え?」
「あのあの、とっても嬉しいです! ありがとうございます!」
今……ま、まあ、喜んでくれて嬉しい。うん。
僕から離れてジューシイさんはさっそく青いリボンを付けた。
くるっと回ってポーズをとる。うん。かわいい。
「似合っていますよ」
これで彼女は14歳か。ひとつ年上か。
うーん。複雑な気分は正直ある。でも、追いつく。
「あの、わん。ウォフ様……」
潤んだ瞳で僕を見つめるジューシイさん。彼女の瞳に映る僕。
それは、あの前夜祭の夜を思い出す。
ジューシイさんは出会ったときから輝いて可愛くて綺麗だ。
明るく太陽みたいな性格で、前世の記憶にある実家の犬に似ている。
実家の犬が転生してきたのかというほど、実家の犬だ。
「わんっ! わわん。わぉーんっっ!」
咆哮するといきなり抱き着いてきた。
まるで我慢できないと犬が飛び込むように抱きつき、危うく倒れそうになる。
ジューシイさんは抱き着いたまま僕をジッと間近でみつめた。
「じ、ジューシイさん……?」
「あのあの、あの、わん……ウォフ様…………ちゅっ、れろ」
僕の左頬にキスして舐める。べろべろ。
「ジューシイさん……?」
「あの、ウォフ様……れろっ、ちゅっ」
僕の右頬を舐めて接吻する。べろべろ。
生暖かく甘い舌ざわりを感じる。
そしてゆっくりと離れた。
「あの、もっと、わん。したいんですけど、それは、あの、はしたないのです」
どこか蠱惑的に淡く笑う。僕は驚いた。
それはいつものような太陽の笑みではない。
静かで月のような笑みだった。
少女じゃない。ドキっとするぐらい夜の女性の笑顔だ。
僕はまた【フェンリル】になるかと思った。
ならなかったのは、今のジューシイさんには余裕があるからだろう。
まあここで為るのは色々な意味で困る。
ここはダンジョンの中だ。
明日、何かあるかもしれない。
場合には思わぬ敵と遭遇して為ってしまうかも知れない。
そうしないと勝てないかもしれない。
僕はダンジョンの探索はほぼ素人みたいなものだ。
それでもダンジョンは危険だと分かる。
ダンジョンは摩訶不思議だ。
なにが起きるか分からないのもよく分かる。
でも、それでもジューシイさんが【フェンリル】に為ったら。
僕は迷わず【ジェネラス】に為るだろう。
あのときのように彼女を全力で受け止める。
「ジューシイさん……」
「あの、ウォフ様?」
僕はスッと近付いて彼女の額に唇を軽くあてた。
ジューシイさんの眼が見開き耳と尻尾が総毛立つ。
間近で僕は微笑む。
「誕生日おめでとう」
「あの、ありがとう、ございます」
ジューシイさんは耳先まで真っ赤になっていた。
僕は思わず呟いた。
「星が綺麗ですね」
見上げるジューシイさんは小さく頷く。
それが例え造り物でも、あの紫と青い光の瞬く夜空は綺麗だった。
「あの、あのあの、ウォフ様。あたくし。わん。とっても幸せです!」
ジューシイさんはそう言ってから―――ここにも匂いがあります。
囁いて僕の唇にキスをした。
少しだけ唇を重ね、舌で舐めて、名残り惜しそうに離す。
「…………ジューシイさん……?」
「わん。おやすみなさい。ウォフ様」
ジューシイさんは笑顔で小さく手を振ってバルコニーを出た。
僕は見送ってしばらく、その場に佇んだ。
永遠に明けることがない星と月と夜の世界。
僕はそっと想った。
忘れられない星月夜。




