心からのブレスレット⑦・ミネハとルリハ。
次の日の朝。僕の部屋のベッド。
どこか薄っすらと意識があって、それでいて半分以上寝ている感覚。
それに遠慮なく包まれていると、どこからか声がした。
かなり近くで声がする。
「だから……」
「入れすぎじゃ……」
「そう?……」
「次にこれを……」
「じゃあ、あれを切って……」
なんだ。なんだろう。
声がする。それもふたりの声。なんとも楽しそうな掛け合い。
薄く目を開ける。なにか見える。僕は横向きに寝ているから天井じゃない。
そのなにかはゆっくりとゆさゆさと動いていた。
なにかは大きく綺麗で魅力的な丸みを帯びていた。しかもふたつもある。
右に白で左が黒だ。
そのふたつは横に揺れ、突き出し、横に揺れ、突き出しを繰り返していた。
そのたびにとても柔らかくとっても気持ち良さそうだと感じた。
無性に触れたい。揉みたい。そんな欲にかられる。
これはいったいなんだろう。
ぼんやりと思いながら欲に素直に従い、そっと左の黒い方に触れてみた。
「きゃああっっ!?」
可愛い悲鳴があがった。
えっ、うわっ思った以上に滑らか柔らかいと思った矢先だったので吃驚する。
そして僕の意識が完全に起きた。思わず飛び起きる。
くるりと振り向いて顔を真っ赤にしたミネハさんが僕を睨んでいた。
本能で分かる。あっこれはま、まずい。
「あらあら、朝から大胆ね」
その真横でもうひとつの尻の持ち主のルリハさんがくすくすと笑っている。
そう僕が触れたのは尻だった。それもミネハさんのオシリだ。
ミネハさんとルリハさんは朝食をつくっていた。
フェアリアルではなく大きくなった状態だ。
僕の部屋にはベッドとひとつ隙間を空けたところに台所があった。
だからそこに立つと自然とベッドからオシリがよく見える。
前にもふたり立ったときがあった。
ミネハさんとパキラさん。あの絶景は忘れられない。
そのときは触らなかったけど。
「ウォフっっっ!!!」
ミネハさんが吼えた。
「は、はい! ごめんなさい。ついミネハさんのオシリに触って」
「言わなくていいっ! いきなりなにすんのよもうっ」
「ご、ごめんなさい!」
「まったくもう……びっくりするじゃない」
「すみませんっ!」
「あら、まるでいきなりじゃなかったら良いみたいな言い草ね」
「な、なにいって!? お母さんは黙ってて!!」
「あらあら怖い。そしてウォフさん。おはよう」
「お、おはようございます」
にこやかに何事も無かったようにルリハさんは挨拶してから続ける。
何故か白いスカートのおしりを強調させる。なんで?
「良かったらワタシのおしりも触る?」
「えっ……え?」
「ミネハほど張りはないけど柔らかさと大きさには自信があるわよ」
「えっ、いやでも」
白いスカートに張り付いたルリハさんのおしりは見事な大きさだった。
丸くて柔らかいというのも見るだけで分かる。
おおっ、これが桃尻かと納得して感嘆する。
ぶっちゃけ。触りたい。触れるならば揉みたい。
「お母さんっっ!! いい加減にしてよっっ!」
ミネハさんが恥ずかしそうに怒鳴った。
それでもルリハさんは愉快に笑う。
「半分は冗談よ」
それってつまり半分は本気だったのか。
するとルリハさんは僕に秘かにウインクする。苦笑する僕。
「……改めてミネハさん。ルリハさん。おはようございます」
「おはよう」
「おはよう」
「朝食ですか。この匂いは」
独特なスパイスの香り。カレーだ。間違いない。おお、カレー……。
「前に朝食でつくるって言ったでしょう」
「ありましたね」
「プロの味も美味しいけど、どうせなら我が家の味を食べさせたかったの」
「初めて習うし、久しぶりにアタシも食べるのよね」
どこか嬉しそうに鍋を温める。
フライパンではパン豆を炒めていた。ナンの代わりか。
「ライスで食べないんですか」
「ライス?」
「カリィルにライス?」
カリィルっていうのか。
ひょっとしてカレーライスをご存じない?
そういえば前に御馳走になったときもライスは無かった。
パン豆か数種類の煮込み豆かチキンだった。
そのときも妙だとは思ったけどあえて本場にしていると思った。
だからライスは別であると思っていた。思い込んでいた。
カレーにライスは当たり前という前世の記憶の先入観だ。
フェアリアルのカレー料理にはライスが無かった。
それならば、確か格安で買ったタイ米っぽいのがあったはず。
僕はちょっと失礼と台所の下にある壺を取った。
壺を空けると袋がある。袋の中に細長いタイ米に似た米がある。
「これをどうするの? アタシやるけど、三人は無理だから」
「じゃあ、すみません。水を入れた鍋にこれを入れて蓋をして熱してください。煮立ったら混ぜて、水気が無くなるまで炊いてください。時々味見をしてください。ふかふかほかほかしたら出来上がりです」
「わかった。やってみる」
「あらあら、素直ね」
「なによ」
むうっと頬を朱に染めながら母親をじろっと睨む。
ルリハさんは苦笑した。
お母様と呼んでいた頃から随分と自然体になったなぁと思う。
タイ米っぽいのが出来上がる前。
ここはちょうどいいタイミングだった。
「あの、ふたりに渡したいモノがあるんです」
「なに?」
「あら」
「ふたりとも目を閉じて腕を差し出してくれますか」
「目を閉じて? いいけど」
「あらあら、なにかしら」
ミネハさんは堂々と、ルリハさんはちょっとだけ恥ずかしそうだった。
母と娘が僕に腕を差し出す。
ふたりとも蜂蜜色なんだよな。あっそうだ。
僕はベッド脇に置いてあるポーチからブレスレットを出す。
黄色い輪に琥珀の宝石が嵌ったブレスレット。
琥珀の輪に黄色い宝石が嵌ったブレスレット。
それぞれふたりの腕に丁寧に通す。
「眼を開けていいですよ」
「ん。へえー……」
「あらあらまあまあ」
ふたりとも腕にあるブレスレットを見て感嘆の息を漏らした。
「ミネハさんにはいつもお世話になっている感謝の気持ちです」
「ふーん。悪くないわ」
「あらあら、それならウォフさん。ワタシは? お世話してないわよ」
「その、感謝です」
ミネハさんに渡すのにルリハさんに渡さないのはどうかなと思った。
ルリハさんと僕は……なんていうかこう色々とあった。
出逢った期間はとても短い。実際1週間あるかないか。
でもその短さに匹敵するほど急速に急激に濃密になった……気がする。
だから渡すのは自然と決めていた。
「ウォフさん」
「わっ」
いきなりルリハさんがベッドに腰を下ろして僕に迫る。
「ちょっ、お母さんっ!?」
ルリハさんは、うふふっと笑って僕に抱きつくと頬にチュッと接吻する。
その頬に当たる深々とした彼女の唇の感触にあのときを思い出す。
抱き締めたときのキス。スッとルリハさんはあっさり離れてウインクする。
「お・か・え・し、よ」
「お母さんっ!?」
「ミネハ。あなたはどうするの」
「どうするって―――あっ!」
そのとき鍋が噴いた。慌ててミネハさんは火を止める。
タイ米っぽいのが出来てカレーもといカリィルも出来た。
ついでにナン代わりの炒めたパン豆もできた。
深皿によそったご飯にカレールーをかける。
やや黒いドロっとしたカレールーだ。スプーンですくい、食べる。
うん。美味い。独特な深い味。そしてカレーライスだ。
米が違うけどこれはまさしくカレーライスだ。
ジャガイモと人参と肉も塊で入っている。何の肉だろう。
ふたりは僕を見て不思議そうにしている。
怪訝に顔を見合わせて、ミネハさんが尋ねた。
「本当にライス美味しいの?」
「食べればわかりますよ。食べなければわかりません」
僕は悪戯っぽく笑って食べる。
タイ米っぽいのもちゃんとした炊き方をしたからカレーによく合う。
「それもそうね」
ルリハさんは僕のスプーンをひょいと簡単に取った。そしてすくって食べる。
「あら、イケる」
「ちょっとなにやってんのよっ!?」
「……」
さすがにこれには僕も唖然とする。
「あら、美味しいわよ。これならもう少し辛くてもいいわね」
「そういうことじゃなく、もういいわよ。ウォフ。ちょっと貰うわね」
「どうぞ」
ミネハさんは手にしたいたスプーンで僕のカレーライスをすくって食べた。
「へえ、悪くないわね」
「気に入りました?」
「ええ、これなら確かにもう少し辛くても、うん。パン豆とは別の味だわ」
気に入ったのか。僕の皿から遠慮なく食べていく。ああ。
「ミネハ。ウォフさんのが無くなるわよ」
「あっ、ごめん。ウォフ。まだライス残ってる?」
「ありますよ。それとこれもどうぞ」
「ありがと」
僕の差し出した皿を手にしてウインクする。
「ミネハ。ワタシの分もお願い」
「はいはい」
ふたりともカレーライスにした。タイ米っぽいのがあっという間に無くなる。
僕は余ったパン豆にカレールー。カリィルーをつけて食べた。
うまい。これも悪くない。うん。悪くない。
「本当にこれ美味しいわね。ワタシ。こっちのほうが好きだわ」
「アタシも。シェフルに教えないと」
「ウォフ。よく知っていたわね」
「カリィルーがかけるものなら合うかなと思ったんですよ」
「良い着眼点ね」
ふたりとも気に入ってくれて良かった。
そう僕は炒めたパン豆をカリィルーにつけて食べる。
うん。うまい。もぐもぐ。うまい。
食べ終わって片付けて少しする。
ふたりはお風呂に行ってくると転移ゲートで魔女の家へ。
さて僕はベッドに寝転がった。
見慣れた天井を眺めながら今日はどうしようかなと考える。
そうだな。街のダンジョン。せっかく解放されたんだから行ってみようかな。
12階から下は行ったことがない。
コンコン。壁がノックされた。
「ねえ」
「ミネハさん?」
見るとミネハさんが部屋を尋ねて来た。
湯あがり直後、蜂蜜色の髪からうっすらと湯気が出ている。
薄着で腕のブレスレットを見せる。
「これ、ありがとう」
「日頃からお世話になってますから」
「お世話になっているのはこっちもそうだけど」
ミネハさんはよそよそしくベッドに座る。
僕は慌てて起き上がった。顔が近くなってドキッとした。
それを誤魔化すように僕は言った。
「それでも、感謝している何かを送りたかったんです」
「それってアタシとお母さんだけじゃないでしょ」
「えっ、は、はい。感謝しているひとには渡しています」
「あんたのことだから、だと思った」
ミネハさんは微笑して指で僕の額、左頬、右頬、首筋と示す。
「ミネハさん?」
「ついているわよ。首にキスマーク」
「えっ?」
咄嗟に首筋に手を当てたそのときだった。
ミネハさんの顔が急接近して。
僕の唇にふわっと柔らかいのが一瞬だけ触れて当たった。
「——————っ」
スッと素早くミネハさんは顔を引いて立ち上がる。
「感謝だから」
そうぼそっと呟き、部屋から出て行った。
「…………」
僕はしばし呆然とする。
唇には微かに甘い蜜の香りが残っている。
でもすぐに消えた。




