グレイトオブラウンズ④
なんとか満腹から復帰して、どうにかエキシビジョンマッチに間に合った。
第Ⅰ級VIPエリアは、昨日よりも空席が目立つ。
魔女は仕事。ムニエカさんはタサンの別邸。
チャイブさんは朝のことがあってから会っていない。
おや、セレストさんと『剣の剣』が居た。
セレストさんは僕を見て、それから両肩に驚く。
ここに来るまでの僕たちを見た人たちの反応とほぼ同じで苦笑する。
僕の両肩にはルリハさんとミネハさんが座っているからだ。
両手に花ではなく両肩に花だった。
あまりにも珍しいのか。
客席で偶然出会った以前、世話になった受付嬢のフェアリアルにも驚かれていた。
『剣の剣』は珍しく席におすわりしていて、僕を一瞥する。
席の傍らに大剣が置いてあった。とりま隣の席に座るセストさんに挨拶する。
「こんにちは。セレストさん」
「はい。あ、あの」
「元気そうね。セレスト」
「ご、ご無沙汰してます。ルリハさん。あの」
「あらでも珍しいわね。あなたがここにいるなんて、『剣の剣』」
何か言いたそうにしていたセレストさんは二度阻止されて諦めたらしい。
溜息交じりに言う。
「それはアクスさんが出るからです。アクスさん。お師匠様に剣を習っていたので」
お師匠様って呼んでいるのか。弟子だから当然だとして、名前無いのかな。
「まあ、相変わらず弟子には甘いのね。それを言うとエンスもそうね」
あー、そうか。師弟対決になるのか。
「……本当に犬……なんだ」
ぽつりとミネハさんが呟く。僕は囁いた。
「魔女曰く第Ⅰ級の最古参らしいですよ」
「えっ、それって」
その正体は犬の姿をしているナニカだ。
ただ元人間とはそういうビックリ箱は無く、本物の犬なのは証明されているとか。
どうやってとかは知らない。
「ルリハ。ミネハ」
二人を呼ぶのはエミーさんだ。
途端にミネハさんは気まずそうにする。
「エミー。久しぶりね」
「ええ、何年ぶり、ね」
僕はエミーさんの方を向く。
彼女は自分の隣を勧めてきたので座ることにした。
ルリハさんはエミーさんを見て視線をやや下に向けた。
溜息をつく。
「あなたねえ。ミネハに話は聞いたけど、呆れるわよ」
「それはもう色々なひとに言われたわよ……でもしょうがないじゃない。ルリハも旦那さんがもしも戻ってきたら……気持ちがわかるわよ」
「それは否定できないところがあるわね」
「お母様!?」
あるのか。いやまあ言及は絶対にしないけど。
ふとエミーさんが僕を見る。
「それにしても、あなたが誰かの肩に座るの。珍しい」
「楽なのよね。それにミネハが気に入っているからつい、ね。そうしたら思った以上に居心地良くて、もうすっかりお気に入りよ」
「お母様?」
「いいんじゃない。ルリハ。あなた。まだ若いんだから」
「え?」
「あらウォフさん。なにか?」
「い、いえ、なんでもないです」
ルリハさん。笑っていたけど笑っていなかった。
あと顔が近いのですっごい怖い。
「ダメよ。そういうのは頷かないと」
エミーさんがくすくすっと笑う。
「す、すみません」
「あらあら、なにを謝っているのかしらね?」
「えっと、その」
なんで僕の顎に手を添えているんですか。撫でているんですか。
それで頬染めてうっとりしているのはなぜなんですか。
「お母様。やめてください。ウォフが可哀相です」
「あら、ごめんなさい」
「もう」
「楽しそうね。あなたたち」
エミーさんがそんなことを言う。
僕は楽しくな―――ミネハさんが敬語使ったりするのは楽しいかな。
それにルリハさんが座っているとなんだか安心する。
そんなことをしているとついに始まった。
闘技場の真ん中にアクスさんとエンスさんが対峙する。
そういえばVIPエリアにレルさんとホッスさんの姿がない。
だけど闘技場のどこかに居るはずだ。
「アクスちゃん。大きくなったわね。エンスそっくり」
「そういえばルリハが会ったのは幼い頃だったわね」
「ええ、赤ん坊のアクスちゃんを抱いたことは今も覚えているわ」
赤ん坊のアクスさんか。
そういえば魔女も抱いたことあるって言っていたな。
「オシメも替えたことあるわ。そんな子がこんなに大きくなって」
感慨深く言いながら何故か僕の頬に寄り添うルリハさん。
『エキシビジョンマッチ。『深淵の底渡り』エンス=ハイラント・対・『雷撃の牙』アクスの勝負を始める。勝敗は降参するか。気絶するか。相手を殺すようなことは禁止とする。よいか?』
「おう。あっ、はい」
「うん」
『では始め!』
合図と共に両者は剣を抜く。
そしてアクスさんは一気にエンスさんとの距離をゼロにした。
あれはワン・ステップ! いきなりか。だけどそれから更に驚いたことをする。
アクスさんはエンスさんの眼前で剣を振り上げ、振り下ろすフリをして落とした。
「っ!」
「くらえぇぇっっっ!」
あまりの出来事にほんの一瞬だけどエンスさんに隙が生まれる。
アクスさんは見逃さずおもいっきり彼を殴り飛ばした。
「おお、やった!」
「やるわね。アクス」
「熱いわ」
「でもアクス。剣捨てちゃって、それからどうするの」
「一発殴ることしか考えてないって言っていましたからね」
「それは知っているけど、これで終わりってさすがにそれはどうかと思うわ」
「「そうよねえ」」
エンスさんはペッと血を吐き捨てる。
「いいね。痛かった」
頬を少し腫らしたエンスさんは笑う。
アクスさんはさっぱりした感じで言った。
「『剣の剣』に教わった奇襲だ。殴るだけなら成功するってな。どうだ」
まさかの『剣の剣』の奇策。
「お師匠さま。こんなこと教えたんですか」
セレストさんが尋ねても『剣の剣』は答えない。
元々犬だから答えられないけど。
エンスさんは苦笑してアクスさんの剣を拾う。
「良い剣だ。スタンダードだね」
「ああ。気に入っている」
「奇遇だね。僕の剣も同じ刀匠の作だ。ただしこちらはプレミアム。スタンダードが1000本にひとつの名作ならプレミアムは10000本にひとつの傑作だよ」
そう言ってアクスさんに剣を投げ渡す。掴んで怪訝にした。
「何の真似だ?」
「殴ったからそれで良いっていうのは、さすがに興冷めだと思ってね。せっかくだからアクスに見せておこう。僕の剣」
エンスさんは構えた。顔の前に刀身がくるようにした儀礼みたいな構え。
アクスさんも構えた。まっすぐ相手に剣を向けた基本のような構え。
「行くぜ。うおおおぉっっ!」
アクスさんがまた攻めた。ワン・ステップで急接近する。
エンスさんは動かない。アクスさんが剣を振るう。エンスさんは動かない。
振り下ろす。エンスさんは動かない。なのにアクスさんの剣が弾かれた。
「っ!?」
「良い太刀筋だ」
エンスさんはゆらりと透けるように離れた。なんだあの回避歩法。
アクスさんは警戒し、剣を腰溜めに構え、またワン・ステップで接近する。
「うおおおおおおぉぉっっっだらああぁっっっ」
今度は猛攻する。エクスさんは防戦状態になった。
観客が湧く。力強くそれでいて正確な剣撃の嵐。僕なら捌き切れない。
「強くなったわね。アクス」
エミーさんが呟く。
「あいつ。この日の為に火のダンジョンに潜って特訓したのよ」
「そうなんですか」
「ホッスとレルが大変だったって言っていたわ」
それは知らなかった。
特訓の成果があらわれているのは、経験者として見ていて興奮する。
「うおおおぉおおおおぉぉっっっっ」
上下左右斜め。あらゆる箇所から隙間なく降り注ぐ剣打の豪雨。
エンスさんはなんとか受け切っているが苦戦は明らかだ。
凄い。第Ⅰ級探索者を追い詰めている。
「本当に良い太刀筋……防ぐので精一杯だ。ムっ!」
エンスさんが目を見張った。
それもそのはずだ。アクスさんは不意にあの技を放った。
「一刀断魔ぁぁっっっ!!」
エンスさんの剣が切断され、切っ先が空を舞った。
カランっと音を立てて落ちると大歓声が巻き起こった。
ワアアアアアアアアァァァァァァァッッッッ!!!
「アクス。見事ね」
「あらまあ、アクスちゃん。あの技を扱えるのね」
「あれはアガロさんの」
何故かギムネマさんの一刀断魔だと感じなかった。
セレストさんが感心する。
「あの力強い一刀断魔。火牙流ですか」
「? セレストさん。火牙流って?」
「知らないのですか。一刀断魔という剣技は九つの流派それぞれにあるのです。だから同じ技でも違うのですよ」
「へえぇー」
「それにしても格上のプレミアムを切るとは、やりますね。彼」
九つか。火というと、ひょっとして属性ごとに沿った剣の流派があるのか。
そうするとギムネマさんのは水の属性の流派の一刀断魔かな。でも九つ?
聞いていたミネハさんもそう思ったんだろう。
「それだと、ひとつ多くない?」
「源流があるんです。八つに別れる前の源流です」
「あー、元祖」
あるいは本家。
なるほどなあ。
「どうだ。やるもんだろう。俺も」
アクスさんはへっと不敵に笑った。
エンスさんは満面の笑顔になる。
「凄いね。アクス。驚いたよ……本当に吃驚した」
「そう言われると恥ずかしいな」
「うん。それなら―――知ってもいいかも知れないね」
「あぁ?」
エンスさんは切っ先が欠けた剣で構えた。
それは片手のしかも逆手。それを上げて拳で顔が隠れるようにする。
剣の構えとしては奇妙だ。
「アクス。よく覚えておくんだ。レリックが無いからこその力がある」
「なんだと……」
「レリックがあるからこそ、使えない魂の力。この世にはね。あるんだよ」
なんだ。エンスさんの体から薄く白い光がみえる。
それが刀身に集まって、彼の持つ剣が白く輝いた。
「あれを使うのね。あなた」
どこか心配するようにエミーさんは言った。
ルリハさんがすかさず応じる。
「エミー。アクスちゃんなら大丈夫」
「そうね……あれほどの技を見せたのだから」
エミーさんは小さく頷いた。
「お母様。あれはいったいなんですか」
「魂の器。レリックはその表面に刻まれているというわ」
「はい。それは存じております」
「それなら器の中には何が入っているのかしら」
「それは……」
「力ですか」
僕が答える。
ルリハさんは頷いた。
「そうよ。レリックはその力を使って発動している。一部のレリックにはクールタイムという使用できないときがあるでしょう。それは魂の器にある力を使い果たしたからといわれているのよね。そしてクールタイムが終わると魂の器は満杯になる。これが大昔から伝わっているレリックの仕組み。それにレリックが無ければ器の中の力は使えないともいわれていた。でもね。もしも魂の器の中の力を直接、レリックが無いからこそ扱うことが出来たのだとすれば、どうかしら?」
「…………あの白い光が魂の器の力なのですか」
「どうかしら、ね」
レリックで消費される魂の力を直接、使う。
おそらくその力は凄まじいエネルギーだろう。
人が扱えるのか。そもそも扱っていいのか。レリックに使わなくて。
「なんだ。それはよぉ。ヘタな手品か」
「牙無き羊の牙。レリック無き者の足掻きだよ」
「……」
「こういう力もあるんだ。アクス」
「……そいつは知らなかったなぁ……だからってよぉ、ここで引けるかよおおおぉぉぉっっっっ!!!」
アクスさんはワン・ステップで―――アクスさんの前にエンスさんが現れた。
ワン・ステップだ。
アクスさんが使う前にエンスさんがワン・ステップで距離をゼロにした。
それでもアクスさんは怯まず剣を素早く振り上げる。
「一刀断魔ぁぁっっ!!」
「プシュケーファング」
トンっとアクスさんの胸に白い光の刃が突き立てられた。
それはまるで牙のようで、アクスさんは崩れ落ちるようにダウンした。
『そこまで! 勝者。『深淵の底渡り』エンス=ハイラントっ!』
シーンと静まりかえる闘技場。
あまりの呆気無さと衝撃的な結末にしばし静寂に包まれた。
「いっ、いっててて……」
アクスさんがゆっくりと目を覚ました。
えっと胸刺されたのに……?
見上げた先にエンスさん。それで悟ったみたいだ。
「…………次は勝つからな」
エンスさんが手を差し伸べる。
「期待している」
アクスさんはエンスさんの手を握った。
闘技場は万雷の拍手に包まれる。




