死の墓⑤・ウォフ13歳⑪
誰かが呼んでいる。
「ウォフ! おい。ウォフ!」
前にもこんなことあったな。あれはいつだったろう。
「わんわん。わわん。ウォフ様! あの、わん。ウォフ様! わん。ウォフ様!」
ああ、犬の鳴き声がする。犬? ジョン? ジェシー? アイン? 花子?
「ナ! ナ! ナ! ナ! ナ!」
ナ? どうでもいいけど床が冷たい。ああ、冷たい。
「ウォフ少年! ウォフ少年! ウォフ少年しっかりするんだねえ! ウォフ少年! 聞こえているなら返事をするんだねえ。ウォフ少年! ウォフっ!」
「……………は、はい……聞こえて……ます」
僕は無意識に返事をして、眼をうっすらと開けた。
涙を溜めた魔女の顔と無邪気なダガアの顔。
そしてホットするアガロさんの顔が見えた。
「ウォフ。気が付いたか」
「ウォフ少年。ウォフ少年。良かった良かった。起きたんだねえ」
「…………ここは……?」
上半身をゆっくりと起こすと魔女とダガアは自然に退く。
その隙間にジューシイさんが飛び込んで僕をおもいっきり抱き締めた。
「わんわんっ、わわんっ、あのあの、ウォフ様っ! ウォフ様っウォフ様っ! ウォフ様! ウォフ様っ! ウォフ様っ! ウォフ様っ!」
僕の名前を連呼して強い力で抱き締めてくる。柔らかく痛い。
「ジュ、ジューシイさん。あの、だいじょうぶです。その無事ですっ」
そう言うとジューシイさんは僕から身体を離す。彼女は泣いていた。
僕はドキっとする。
「ひっぐ、うっぐ、ひぐっ、うっぐ、ウォフ様……」
「ジューシイさん……」
「……うぐっ、ひぐっ、よかった。よかったです。よかった。わん。わわん。わぉーん。わんわん。わんっ、本当に良かった……良かったです……」
「ごめんなさい。心配をかけてしまって」
「わん。ひっぐ、わわん。うぐっひぐっっ、あのあの、あの、ウォフ様―――」
「なんですか。ジューシイさ」
パンッ。
甲高い音が鳴り響いた。
ジューシイさんは僕の頬を引っ叩いた。
耳鳴りが木霊して、呆然とする。
「…………?」
これにはアガロさんも魔女も驚いていた。
僕もなにがなんだかわからない。
ジューシイさんが僕を叩いた。
叩くとかそんなこと全く考えたことも無かった。
ジューシイさんは涙で濡れた鋭い目つきのまま謝った。
「あのあの、あの、ウォフ様。叩いてしまって、ごめんなさい。でも叩かないといけないと思ったんです」
いつにない真剣な表情。
僕はそっと頬に手をあてる。じんじんと心に痛んだ。
「…………」
「おう。ウォフ。おまえを見つけたとき、瀕死といってもいいくらいヤバかった。手足がよぉ……片方ずつ千切れる寸前で腹にも穴が空いていた。正直、今こうして生きているのが不思議だったぐらいだ」
「……っ?」
アガロさんの軽い口調と内容の差に思わず絶句する。
「それを魔女が回復させたんだ。驚いたことに全回復だ。まったく酔い過ぎてたまに見る悪い夢のような気分だったぜ……」
たぶんエリクサーを使ったんだ。
しかしゾッとする。そんな絶体絶命の状態になっていたのか僕。
やっぱり【サイレントムーヴ】は使いどころが難しいな。ヘタしたら死んでいた。
死んでもおかしくなかった
「さてさて、ウォフ少年。なぜジューシイ少女がどうして怒ったのか、なんで叩かれたのか。よくよく、考えるんだねえ」
魔女が笑っていない笑顔でそんなことを言った。
彼女も怒っていた。空気が重い。僕はぽつりと言う。
「怒られたのは、勝手に行動したことです」
「うんうん。それもあるねえ」
「か、身体が気付いたら勝手に動いて」
「おう。それも分かる」
「あのあの、わかります。わん。わかりますけど、分かるからといって、それをやっていいわけないじゃないですかっ!」
ジューシイさんが怒鳴ってガルルルっと唸る。
僕は俯いた。
「は、はい。すみません。ごめんなさい」
そうだ。そうだからといって、勝手に飛び出していいはずがない。
身体が勝手に動いたなんて、いいわけにもならない。
僕ひとりの独断的な行動で、皆に大きな迷惑をかけることを忘れちゃいけない。
団体行動か。
んん。あれ、なんかジューシイさん。ぜんぜん納得していない。
本気の呆れ果てた怒り顔だ。
「あのあの、ウォフ様。わん。まだわからないんですか」
「え?」
「あのあの、わん! あたくしが怒っているのは独断専行もそれによって皆を危険に晒すこともそうです。でも一番は、なによりも最初に反省しないといけないのは、自分の命を粗末にすることです! 自分の命を大切にしないウォフ様は嫌いです!」
「…………」
「あのあの、わん。あの、ゴミ場のときも思ったのですが、なんであたくし達を頼ってくれなかったんですか。何かをするのなら、あたくしたちに一言や二言、相談してください。あのあの、あたくしたちはウォフ様の味方です。独りでやるより皆で立ち向かったほうが良い結果になると思います」
「……」
「あの、わん。昔ドヴァ姉さまが言っていました。『ああ、うん。独りでなんでもしようとするといずれ壊れてしまいます。それに皆が悲しみますよ。頼ってください。その為に居ます』―――ウォフ様は独りじゃないです。あたくしも魔女様もアガロさんも居ます」
「……」
僕は。
「そうだぞ。子供なんだ。大人に頼ってもいいんだ。パーティーなんだ。頼れよ」
アガロさんが優しくぶっきらぼうに言う。
「まあまあ、独りでずっとやってきたからこういうときに頼る癖が付いてないのも分かるねえ。コンもそうだからねえ」
「……」
「まったくまったく、ダメな人見知りの師弟だねえ。だからウォフ少年。コンと一緒に頼ることを覚えようねえ」
魔女は笑う。
「いや魔女は頼る必要ないだろ。でも悪いことじゃねえな」
「ふふ、ふふ、コンも皆を頼りにしたいからねえ。甘えたいときもあるんだねえ」
「あ? 魔女が甘えるとか何の冗談だ? いっででででつっっっぐるじっ」
魔女は悪戯っぽく笑った。笑いながらアガロさんにチョークスリーパーをかける。
外しているので苦しいだけだ。はははははは。
「あのあの、あの、わん。ウォフ様」
ジューシイさん。悲しそうな顔を僕にみせている。
そんな顔させたくないのに、させちゃいけないのに……僕のせいだ。
僕が、僕は。僕は、ぼくは……吐露する。
「……ごめんなさい。その、そういうのも分かってなくて、自分の命を粗末にしているつもりもなくて、だけど言われるとあまり大切に思ってないのも……それと確かに皆に相談すれば良かった。相談していいのか。相談することも考えてなくて、信用や信頼してないわけじゃなくて、ただ、そういう風に誰かを頼っていいとか、そういうことも分かっていませんでした」
独りでどうにかすることだけしか考えていなかった。
言う前に反対されるとか、勝手に思い込んでいた。
そうだよな。一言ぐらい相談する事も出来た。話すことも出来た。
なんでそれをしなかったのか。
それと……命か。自分の命か。
投げ出すわけじゃないけど、でも投げ捨てていいって思うときはある。
誰かが助かるならそれでいい。誰かを助ける為なら犠牲になってもいい。
僕にはそういうのがある。
それが前世の記憶の所為かどうか分からない。
「あのあの、ウォフ様。魔女様が言うとおり、わん。これから学べばいいのです」
そっとジューシイさんが僕の頭を撫でて優しく言う。
「は、はい」
ジューシイさんの手は優しくて柔らかくて、なんだか気恥ずかしかった。




