猫と犬⑧
僕は走るジューシイさんに近付く。
「ジューシイさん。ジューシイさん。ジューシイっ!」
つい呼び捨ててで呼ぶとまっしぐらに飛び込んできた。
余裕で押し倒される。なんかデジャヴだ。
「わんわん。くぅーん。ウォフ様。もう、あたくし。あのあの、我慢できませんっ」
「な、なにが」
いきなりなにを言って!?
か、顔が近っ! 可愛くてきれいだけど、走って興奮して息が荒く紅潮している。
なんて色っぽい。
じゃなくて! なんて格好だ。僕を押したまま四つん這いになっている。
まるで犬だ。いや犬だ。いや犬じゃない。狼人族の女の子だ。
その女の子がしていい体勢じゃない。
まずいパキラさんに―――気付いていない。良かった。
じゃなくてっ! これもう13歳の少女がしていい顔じゃない。
女の表情だ。
「あのあの、あの、わん。あの、ウォフ様……くぅーん。なって、いいですか……」
「な、なるって……?」
いつもキラキラしたジューシイさんの星の瞳が今はミラミラと妖星の瞳に潤む。
とても13歳がしていい目線じゃない。女の眼差しだ。
「あのあの、あの、くうぅーん。わんわん。ウォフ様。あたくし、わんわん。きゃん。もう……【フェンリル】になりたいです」
「絶対ダメだあっっ!!」
「きゃんっ!?」
僕はジューシイさんの両肩を掴んでガバッと勢いよく起き上がった。
「ジューシイさん。絶対にダメです」
恐ろしい。興奮したらなにするか分からないぞこの犬。
「あの」
「ジューシイ。絶対にダメだ。いいな。それだけはダメだ」
僕はちょっと強い口調で彼女の瞳をまっすぐみつめて言った。
自然と僕の声も低くなる。
「あのあの、あの、はい。わかりました。すみません。つい嬉しくて楽しくて、我を忘れてました。わんわん。ウォフ様。ごめんなさいです」
ちょっとキツく言ったら、しゅんっとなるジューシイさん。
どうやら落ち着いたようだ。
それにしても我を忘れるって―――怖い。コワ過ぎる。
彼女と一緒にいるときは注意しないといけない。
疑似化神レリック【フェンリル】は間違いなくタサン侯爵家の機密だ。
ヘタすると僕の首が物理的に飛ぶ。
「それじゃあ戻りましょう」
「あの、わん。は、はい。あの、モノケロスさんたちは大丈夫でしょうか」
「え?」
そこで気付く。周囲にモノケロスが何体も倒れていた。
息も絶え絶えで、群れの大半が力尽きていた。
「…………大丈夫だと思います」
息をしているから平気だろう。でも申し訳ないな。
ダンジョンの魔物とはいえこちらの都合で群れを掻き回してしまった。
それにあの親子……ダンジョンの魔物で親子か。
パキラさんのところに戻るとき、あれこれ成功したことをジューシイさんに教える。
合流して、ぐったりしているダガアのことを気にしたので説明した。
説明しているとダガアがパキラさんの胸元から飛び、途中でナイフになる。
草原に刺さり、僕は拾ってベルトに仕舞う。なんだかおかしくて僕達は笑った。
そして休憩だ。近くにちょうど丸太があったので座って休む。
お腹が空いたので僕はポーチから干し肉を取り出した。
ふたりも携帯食を持ってきていて食べている。
パキラさんは乾パンとペースト。ジューシイさんは僕と同じ干し肉だ。
するとふたりとも僕の干し肉をジッと見る。
せっかくなのでナイフで切って渡す。
「うまいのう。この干し肉」
「あのあの、あの、わん。ウォフ様。美味し過ぎます! もっと欲しいです!」
「おぬしなあ。遠慮を知らぬのか」
「あのあの、わん。パキラさんは要らないんですか。こんなに美味しくて、美味しいんですよ。わんわん。美味しいです! パキラさんの分もください!」
「なぬっ、いらぬと言っておらんじゃろ」
「ガルルルルルルッッ」
「ミャアアアアァァ」
「ふ、ふたりとも落ち着いて。まだありますから」
そんな全身を総毛立って威嚇するほどか。
ダガアの為にちょっと多めに持って来て良かった。
対峙するふたりに干し肉を全部あげた。
本物の犬や猫みたいにペロ舐めするふたり。ホシホシと食べている。
僕はパキラさんから貰った乾パンとジューシイさんの干し肉を食う。
これパン豆だ。素朴な塩味。水分を抜いて干すとこうなるのか。
ペーストを……このペースト……血の匂いがする。まさかこれ血のペーストか。
あーパキラさん。ブラッドソーセージ大好きだからな。うん。血の味だ。
そっとペーストの蓋を閉める。黒豆茶で口の中を洗う。
さてジューシイさんの干し肉は、うん。おいしい。どこなく上品な味がする。
たぶん。これ高級品だ。干し肉の色も綺麗でツヤツヤしている。
でも……フッ、僕の干し肉の方が美味いな。ちょっと勝った気がして嬉しい。
まだふたりはホシホシとホシホシと食べていた。
休憩後。三つ目ウサギの襲撃を退け、一つ目シカと戦い。二つ目コウモリを見送る。
待て、二つ目コウモリってただのコウモリでは?
そんな感じでようやく次の群れを見つけた。
今度の群れは数えてみた。約20頭か。
しかしなんと緑の光が3頭もいた。黄色の光は居なかった。
ジューシイさんが囮になるのはとても危険なのでそれはやめる。
あれこれ考え、結局パキラさんが2頭の角をウインドエッジで狩り取る。
お見事。フォーチューンの眼を除きながらは、まるでスナイパーみたいだった。
それにしてもあっさりと終わった。もう一頭は見逃す。
角が切れ、モノケロスが倒れると群れは散り散りに逃げた。
逃げるのか。そりゃそうだな。逃げるよな。
「こうなるのじゃな」
「……なるほど」
「あのあの、あの、あっさりです」
「そうじゃのう」
まぁあれはイレギュラー過ぎた。
親子で、しかもレリックまで使うなんて思ってもみなかった。
うーん。親子か。
「パキラさん。ダンジョンの魔物って親子とかいるんですか」
「妙なことを聞くのう。わらわは知らぬが、おそらく親子とかそういう関係は無いと思うぞ」
「そうですか」
でもあの2体のモノケロスは親子だった。魔女に聞いてみるか。
パキラさんは長く太い角を2本分、腰のポーチに入れる。
易々と入っていく。そう。レジェンダリーの収納室ポーチだ。
宿の部屋ひとつ分入るという。というと四畳半くらいか。
異世界系ではお馴染みだけど、やっぱり便利だな。僕もいずれ欲しい。
これで4本のモノケロスの角が獲れた。
「終わりましたね」
「そうじゃった。ほれ。ウォフ。落とし物じゃぞ」
そう言ってパキラさんは布に包んだ物を僕に差し出す。
受け取って包みを解くと、あっ僕のナイフの刃。
「パキラさん。これは」
「そのまま捨てるには勿体ないぞ。柄は造ってもらえば良いじゃろう」
「……ありがとうございます」
わざわざ拾ってくれたのか。
そうだよな。刀身が無事なら新しく柄とか造ってもらえばいいんだよな。
そんなことも考えられないほど、僕は怒りで頭に血がのぼっていた。
パキラさんは照れたように微笑む。
「では、ふたりとも戻ろうかのう」
「はい」
「あのあの、長かったような短かったような、あの、いっぱいたくさん走れました。あたしはとっても幸せです! 楽しかったです!」
「僕も楽しかったですよ」
「そうじゃのう。トルクエタムとは違う面白いパーティーじゃったぞ」
「ナ……!」
うん。ハプニングはあったが依頼は無事に終わった。
僕達はハイドランジアへ。探索者ギルドへと帰還する。




