四肢を備えた雪だるまの並ぶ温泉街
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
旅行支援割引制度を活用して訪れた温泉街は、雪化粧に覆われた見事な白銀の世界だった。
同じ近畿地方でも日本海側の山間部ならば、これ程までに降雪量が多いのか。
宿の付近を散策していて、改めてそう思い知らされた次第だ。
「見て、春暁さん。この雪質なら雪だるまを作るのにちょうど良さそうよ。」
新婚間もない新妻は、弾んだ声を上げながら雪質を確かめていた。
僕達の住む堺県堺市は近畿地方の中でも温暖な地域だから、これだけの降雪には滅多に御目にかかれない。
秋葉さんが雪だるまを作りたがるのも、無理はないだろうね。
「せっかくの温泉旅行で疲れてもつまらないから、赤ちゃんサイズの小振りな雪だるまで良いかな。」
「良いんじゃない、それで。手足まで作ってある大型の雪だるまが道端に並んでいるのを見たら、そこまで凝る気にはならないもの。」
秋葉さんが言う通り、この地域の雪だるまは何故か手足まで作ってあったんだ。
木の枝に手袋を差して腕に見立てるまでは普通だけど、ゴム長靴を配置して足を投げ出しているように見立てるなんて手が込み過ぎているよ。
地元の人ならともかく、僕達は所詮は観光客。
そこまで力を入れる事はないと考え、大きな雪玉二つを重ねただけのシンプルな雪だるまで満足したんだ。
この行動が後々になって思わぬトラブルの原因になるだなんて、この時は思いもよらなかったよ。
奇岩の見事な露天風呂は泉質の良い温泉がかけ流しで、オマケに水着さえ着用すれば混浴も出来るのが喜ばしい限りだったよ。
濛々と立ち上る湯気の合間から眺める若くて美しい新妻の水着姿は、素晴らしいの一言だ。
そして一風呂浴びた後には、郷土料理を肴に地酒の純米吟醸を傾けて。
これぞ正しく、この世の極楽だよ。
ところが日付けが変わるか変わらないかのタイミングで、この楽しい温泉旅行の空気を一変する恐ろしい出来事が起きてしまったんだ。
そのキッカケは、隣の布団に潜った妻の不快そうな寝言だった。
「んっ…何なのよ、この生臭い臭いは…?」
「えっ、生臭い?」
言われてみれば、確かに生臭い悪臭が枕元から漂ってくる気がする。
眠気の覚めた僕は、何気なく上体を起こして悪臭の漂ってくる方向に視線を向けたんだ。
「ひっ?!」
不幸にも、僕はソイツと目があってしまった。
手足を根元から切り落とされて全身血だらけの無惨な姿になった幼児の、光を失って白濁してしまった瞳と。
頭と胴体だけで虚ろに笑う彼の背恰好は、偶然にも昼間に僕達が作った雪だるまと大体同じ位だった。
あまりの光景に、僕はそのまま卒倒してしまったんだ…
翌朝になって秋葉さんに揺り起こされた時には、あの深夜の恐ろしい光景を思い起こさせる物は何も残っていなかった。
しかし新妻に尋ねてみた所、あの生臭い悪臭に関しては確かに嗅いだとの事だ。
訝しがりながらも朝風呂へ行った妻を見送ると、僕は布団を片付けに来た中居さんに話を聞いてみる事にしたんだ。
「和歌浦さん…貴方、雪だるまを作ったでしょ?しかも手足の無い雪だるまを。それが良くなかったんですよ…」
僕から話を聞いた中居さんは、深い溜め息をつきながら静かに語り始めたんだ。
今から四百年以上昔の江戸時代中期。
冷害と害虫の大量発生による記録的不作に起因する大飢饉は、約一万二千人の餓死者や治安の悪化といった甚大な被害を西日本の諸国にもたらし、当時の人々を大いに震撼させた。
この地域も大飢饉とは無縁ではいられなかったらしく、飢えや病気で沢山の人が亡くなったらしい。
そして飢えの苦しみから逃れようとした人々は、ありとあらゆる物を口にしたんだ。
田畑を食い尽くしたイナゴの死骸は勿論、野鳥や野鼠といった動物性タンパク質に、雑草や木の皮といった植物由来の物まで食べ尽くしたんだ。
そしていよいよ土壇場まで追いやられた人々の中には、遂に禁忌である人肉食にまで手を出す者もいたそうだ。
その中でも輪をかけて悲惨だったのは、冬の寒さと飢えで死んだ幼子を食べてしまった若い母親の話だった。
既に夫と死に別れてしまった彼女は、死んで間もない我が子の手足を切断して食べてしまい、残った首と胴体は雪だるまの芯にする事で冷蔵保存していたそうだ。
だけど翌日になって残りの死体を雪だるまから掘り返した所で我に返り、我が子を食べてしまった罪悪感と絶望で発狂して井戸へ身投げしてしまったんだ…
こうした西国諸国の悲惨な状況を重く見た江戸幕府は、米の買占め禁止令の発令や薩摩芋の栽培推奨といった様々な手段を講じ、これが見事に功を奏する事で飢饉は徐々に収束していったんだ。
だけど我が子の肉を食らった挙げ句に狂死した母親の無念の思いは余りにも大きかったらしく、飢饉が収束した直後から怪しい事件が相次ぐようになったらしい。
身投げした母親の霊が井戸から這い出てきたり、何処からともなく幼子の泣き声が聞こえてきたり。
中でも輪をかけて恐ろしいのは雪だるまに纏わる言い伝えで、この地域で手足のない雪だるまを作った人は実母に食われた幼子の悪夢に魘されてしまうんだ。
僕達の夢に現れたのも、飢饉で死んだ幼子の霊だったんだね。
「そうした事情もあって、この地域では雪だるまに手や足もつけているのですよ。手足を食われた幼子を、少しでも慰められるように。」
そう言うと中居さんは、ゴム長靴とゴム手袋を私達に手渡してくれたんだ。
手渡された品で雪だるまに四肢を付け足し、五穀を備えて合掌する。
そうして誠意を示す事で許して貰えたのか、あの奇妙な夢を見る事は二度となかったんだ。
しかしながら、もし仮に今また食糧危機が発生したならば、あの飢饉と同じかそれ以上の悲劇が再び起きる事になる。
悲劇を繰り返さない為にも、僕達一人一人が出来る事をしなくてはいけない。
きっとそれが、あの母子を始めとする飢饉で死んだ大勢の人々への何よりの供養になるはずだ。