嘆きの聖女
領主を継いだばかりのその男が
妻として聖女を買うことになったのは隠居した父親の命令だった。
隠居先で聞きかじった、どこぞの領主が数年前に聖女を娶ってから恩恵を得て
災害は減り作物は豊かに実り 領地は目覚ましい発展を遂げている、という噂を信じ込んだらしい。
男は結婚などまだ先だと思っていた。
今、隣で妻のように振舞っている女にもそれほどの情はない。
親の代までの働きで領地は整い、家令は優秀で忠実だ。
自分は財産を食いつぶさない程度に気楽に生きていくつもりだった。
聖女との結婚を、隣の女は嫌がったが適当に言いくるめて
聖女に屋敷の隅の部屋をあてがった。
女の牽制もあり 聖女と接する機会はほぼ無い。
いずれは子を成す必要にも迫られるだろうが
棒切れのような体に、子供のような表情を浮かべる聖女を女としては見れなかった。
「本当は聖女様と一緒に居たいのではないですか?」
寝台で甘えるように女が聞いてくる。
「俺を幼女趣味にする気か?」
と答えると
うふふ、と笑った女は
「女は変わる生き物ですのよ?」
と、窺うような視線を向ける。
「アレがか?」
と嘲るように言えばようやく満足したように呟いた。
「あんな地味な子じゃあね。」
聖女の姿を思い浮かべる。
薄茶色の髪に茶色の瞳。
どこまでも凡庸で貧相だ。
だがその佇まいには他の女には感じられない清廉さがあった。
さすがに聖女と言うべきか、周りの空気まで浄化されるような雰囲気が有る。
「ね」
と女が男の肌に指を滑らせた。
「私に子供が出来たら私を妻にしてくれる?」
甘えた声で聞いてくる女に
「ああ」
と答えながら男は心の中で悪態をつく。
立場も弁えず図々しい女だ。
そして嘲笑った。
この女が妊娠することは無い。
毎日の食事にも茶にも避妊薬を仕込んでいるのだから。
聖女が来てから四六時中べったりと付いてくるようになった女に
男は多少辟易してきていた。
平民の女ならすぐに捨てるところだが、下位ではあるが貴族のこの女を捨てるのには多少手間がかかる。
「あら」
執務室にまで張り付いてきて退屈そうにしていた女が
窓の外を見てにたりと笑った。
「子供同士お似合いですこと」
見ると花盛りの庭のベンチに腰かけた聖女の前に若い庭師がいた。
庭師が差し出す花に笑顔を見せる聖女は幾分肉付きが良くなって
青白かった肌はほの紅く輝くように見える。
知らず、息を呑んだ男の横顔を女はじっと見ていた。
日を追うごとに女の言動は苛烈になっていく。
男のそばに居ないときは聖女を監視しているらしい。
いつの間にか聖女の味方についていた家令が進言してくる。
「このままでは聖女様に危害を加えかねません。
とにかく距離を置かせるべきです。」
さりげなく別の屋敷で暮らそうかと話してみると女はたちまち激高した。
「私にここから出て行けって言うの?!
出ていくならあの女のほうでしょう!」
さすがに本邸から正式な妻を追い出すわけにはいかないだろう。
こんな厄介な女とは思わなかった、と内心うんざりする。
別れを切り出そうものなら逆上して何をしでかすか分からない。
なだめすかしてようやく、旅行に連れ出すことに成功した。
旅先で機嫌を取りながら別邸での生活を約束させるつもりだった。
だがその旅の途中で思わぬ事故に巻き込まれ、女は命を落とし男は重傷を負うことになった。
長く続く、尖った石だらけの道を歩かされているような苦しさが少しずつ和らいで
その意識が苦しみから解放されると、男の手を包む熱を感じる。
その熱は温かで穏やかな潮流となって男の体を巡っているようだ。
重い瞼を開けると、男の手を握り目を閉じ一心に祈っている聖女の姿が有った。
目を開けた男に気付くと大きく見開いた聖女の目からは涙が溢れだす。
良かった、と微笑んだ聖女の姿は男の胸に深く深く焼き付いて消えることはなかった。
「奇跡です!」
と、感極まったように家令が話す。
「意識が戻っても、もう歩くことも起き上がることさえかなわないだろうと言われていたのですよ!聖女様のお力です!」
すっかり元の生活に戻った男に家令は懇々と語る。
「先代様がおっしゃられていたことは本当だったのですよ!」
「だがあの聖女は力が弱まって払い下げられたはず」
言いながらも理解していた。
それが聖女の恩恵だということを。
聖女に感謝を告げ、表面上は今までと変わらない距離感ですごす。
だが男の視線はいつも聖女を探して彷徨うようになった。
その日、聖女の姿を見つけた庭では庭師が花を切り取ろうとしていた。
花の棘に突かれた庭師の指先に赤い粒が膨らむのを見つけた聖女が庭師の手を両手で包みこむ。
頬を赤らめる庭師に聖女は優しく微笑みかけた。
今までにない激情に突き動かされて、男は庭師を森の狩猟小屋に呼び出した。
解雇を言い渡すと庭師はみっともなく床に手をつく。
理由をお聞かせくださいと叫ぶ庭師の手に剣を突き立てた。
「我が妻に触れたのはその手か」
悲鳴を上げる庭師に罵倒を続けると、やがて庭師の瞳には憎悪が宿っていった。
「何が我が妻だよ!
アンタ夫らしいことしたことがあるのかよ!」
その後は夢中で庭師を斬りつけていた。
動かなくなってなお過去の自分ごと切り刻むように。
死体を小屋ごと焼き払い、近くの川で血染めの服を洗い流す。
何食わぬ顔で屋敷に戻った男は 少しずつ聖女との距離を詰めていった。
初恋にも似た感情を聖女との間に育てながら、聖女の穏やかな気質に感化されていく。
時折聖女の口からは庭師との思い出話がこぼれた。
もう少しお金が貯まったら故郷に帰って幼馴染と結婚するのだと言っていた、
幼馴染が恋しいからってお別れの挨拶もしないで帰るなんて、と笑う。
使用人なんてそんなものさと言いながら男は
言い知れぬものが胸を覆いつくしていくのを感じていた。
穏やかな生活の中で、男は悪夢に苛まれるようになった。
少しづつ力を取り戻していっていた聖女は、ある夜男の悪夢を覗いてしまう。
こと切れた庭師を見下ろす血塗れの剣を持った男の姿。
全てを知った聖女は屋敷を抜け出し狩猟小屋の焼け跡に蹲った。
殺されてしまった。殺させてしまった。
わたしのせいで?
あふれ出した感情はやがて黒い渦となりその地を飲み込んでいった。




