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メイドの返事は『はい!よろこんで!』

メンフィスの所業にイラつきそうな方は回れ右をお願い致します

「と言うわけで大変申し訳ないのですがお家賃を待って頂けないでしょうか?」


 ミリアネアは玄関で深々と頭を下げた。

 話の途中から幾度も頭を下げているのですっかりメンフィスの靴のデザインが頭にこびり付いているくらいだ。

 

 大男のメンフィスは微動だにせずその背中を見つめている。

 威圧感のある無表情だが心の中まで不機嫌とは限らない。

 

 (美しい顔をしてるのだな。それに細い腰だ……)と現に不埒な妄想でぼんやりしている。

 何度目かのお辞儀を見ているうちに意識を取り戻しメンフィスはその感情を押さえ込む。


 やがて大きなため息と共に静かな声で話した。

「本来ならダメだ。

 家賃は待たないと初めに言っただろう。だが………

 状況は分かった。真面目な兄妹のお前たちを信じて3ヶ月なら待ってやろう。貯金をおろせば払えるんだな…だがそれ以上は…………その――――困る」

 (この若い女をタダで住まわせていると知れたら、世間はミリアネアを愛人だと誤解しそうだ)

 メンフィスはミリアネアを直視できずに視線を少しずらし、仕方ないなと肩をすくめた。

 「事情はわかったから遅延金の割増はしない。お前たち兄妹は家賃を滞納したことはないからな。しかし……条件はある」

 ミリアネアはホッと息を吐き出したが条件と聞いてビクリと肩を震わせた。


「条件とは何でしょう?私に出来ることでしたら頑張ります!」

 モーガンが帰るまではなにが何でも住処を守らねば!とミリアネアは必死であった。

 両親からこの家に直接手紙が来るかもしれない、もっと言えば訪ねてきてくれる可能性だってある唯一の手段をみすみす手放すことは出来なかった。

 

 必死に涙を堪えながらメンフィスを見上げる。


 するとメンフィスは暫し考え込んだあとチッと小さく舌打ちをし話し始めた。

「実は今日ロンが怪我をした。自宅で階段を踏み外して骨折したそうだ。復活まで4ヶ月掛かると言われてな。俺の世話をする人間が居なくなったんだ。新しく人を雇うには探す時間が足りない…俺は他人を家に入れるのが何より嫌いだ」


 早朝、ロンの妻が慌てて訪ねてきたから何かと思えば、ロンが足の骨を折ったと言う。

 幸い頭を打ったりといった怪我はなかったが、医者が言うには歩けるようになるまでは四ヶ月と言われたそうだ。

 ロンの妻が食事を運んだり、洗濯などは引き続き仕事としてする。しかし、家の中での小さな雑事はロンのような手がどうしても必要である。

 簡単に言えば手紙を書いたり、衣類を綺麗に畳んだり体を洗ったり。そして果物の皮を剥いたり、卵の殻を剥くことも。右手がないということは字が美しく書けず、タンスの整理一つまともに出来ない。

 ロンは平民ではあったが字が書け、軍人上がりで身の回りのことが出来る人間であった為一番最後に雇い入れたが気も張らず、安心して多くのことを任せていた。

 何よりロンは片腕がない状態を自分と置き換えて接してくれる。それが気楽であった。

 腕を無くして七年経つが小さな作業はメンフィスにとっては難しい。大きなものを掴んだり、力を奮うことは出来るのだが、細かな作業は義手では限界があるのだ。

 ロンが通えなくなった今、全くの赤の他人に自分の世話を頼むのはメンフィスの性格から受け入れられない。自分の姿を他人から嘲笑うように見られるのが耐えられないのだ。

 背に腹は変えられないと女中や下男を実家に頼もうとしたが、やはり納得がいかずちょうど悩み抜いていたときにミリアネアが現れた。

 (この兄妹は空気のように溶け込む。決して自分に害を及ぼすものではないだろう)

 弱みに漬け込む気はなかったが、全く知らない仲でもなく、人間性にも問題を感じず、安心のできる人柄であるこの娘に頼むのは良策のように思えた。

 

 「お前さえ良ければ…………その………何だ。俺の手伝いをしてくれ。掃除と料理の補助。その他ちょっとしたことだ。い、嫌なら断ってくれても良いんだが「やります!!」」

 ミリアネアはガバリと顔をあげ勢いよく返事をした。

 (それくらいきっとできる!やらなきゃ!!今追い出されるわけにはいかないわ!!)

 ミリアネアは必死であった。

 メンフィスはその顔を見ると気圧されたように頷いた。

「そ、そうか……じゃあ、今の仕事の回数を減らして俺を手伝ってくれ。住み込みで働くような感じだから食費は俺が持つ。家賃は俺の世話をしている期間は払わなくていい……じゃあ、後でな」


 それだけ言うとバタンとドアを閉めた。


 ミリアネアはホッと肩の力を抜いた。

 だがそれ以上にメンフィスは久しぶりの若い女との会話に緊張していて背中にビッショリと汗を掻いていた。


 ドア一枚挟んでドキドキしていた二人であるがそんなことは分かっていない。

 ミリアネアはなにをお願いされるのか不安で呼吸が止まりそうになっていたが(何だそんなこと)と今は胸を撫で下ろしていた。


 水魔法が少し使えるミリアネアは掃除は得意である。

 平民になって初めの頃は訳が分からず色んなものを水浸しにしていたが今や慣れたもの。

 家事において平民で魔力がない者達にとって家事の大部分は水にまつわることだ。


 洗濯、掃除、食器洗い…

 貴族で魔法持ちの自分が想像以上に楽ができることを知ったのはミディー王国に来てからだ。

 平民は魔法持ちが少ない。

 皆が水源に何往復もしないといけない時間をミリアネアは魔法で解決できる。


 風呂一つ水を溜めるのに市井の人間は一苦労であるがミリアネアは呪文を唱えるだけで5分と掛からず大盥に湯を満たせた。


 勿論魔力は減るので何度も使うことは出来ないが大家のメンフィスと自分の分くらいは問題ない。


 ミリアネアは塾の校長に事情を説明し今までよりも勤務を減らすように変更してもらう。


 白い髭を撫でながら校長も良かった良かったと微笑んだ。


「シールド様なら悪いようにはされないでしょう。

 こちらのことは気にせずお屋敷で勤められたら良いですよ。ミリアネア先生は人気がありますから私としては今の勤務を続けてもらいたいところですが、お給料はこれ以上出せませんから」


 イタズラっぽく笑い、顔に深い皺を作るおじいちゃん先生にミリアネアは何度もお礼を言い、屋敷に戻る。

 メンフィスのお世話はいつから始めるのだろうかと考えながら玄関のドアを今度は満面の笑みでノックした。






 _______________


 (やっぱり男の人が掃除していてはとちょっと残念な場所が多いわね………)

 ミリアネアはモップに凭れながら3部屋を掃除し終わったところで体力の限界を感じた。


 メンフィスは簡潔に言った。


『掃除を頼む。そしてロンの嫁が運んでくれた料理を昼と夜出してくれ。二日に一度で良いから……その…………風呂の介助を頼む」


 ミリアネアはハッとなる。


 (そうだメンフィス様は手がお悪いのだからお風呂の介助が必要だったわ)


「二日に一度ではこの気温が高い時期はお辛いでしょう?毎日ご用意しますよ?」

 ミリアネアは親切心から申し出たのにメンフィスはカッと顔を赤らめ

『要らん』と即座に断った。

 


 (まあ、我慢できなかったら仰るわよね。私が少し水魔法が使えることをお伝えすれば大丈夫かしら?)


 ミリアネアが逡巡している間にメンフィスは納戸を開ける。

「掃除用具は此処だ。好きなように使ってくれ」


 それだけ言うとサッサと執務室に引き篭もってしまった。

 冷たいような態度ではあるがそれは気にしても仕方ない。

(あまり好かれていない私にメンフィス様が口をきいてくれていることがそもそもありがたい。今までで一番話してくれるくらいだもの)


 ミリアネアは勘違いが継続していた。

 ここに越してきた日のメンフィスから受けた冷たい雰囲気に当てられたまま、彼を苦手としてきたかいつも兄の背に隠れて交流を避けてきたからだ。

 【男の人は自分に優しい】

 それは侯爵令嬢として生きてきた中では当たり前の感覚であったが、平民になればその感情はもっとシンプルでわかりやすくなった。

 見た目が良いミリアネアは少しだけズルくそれを活用して生きてきたが、母親からはいつも釘を刺された。

「年齢を重ねたときにそれが通用するものではないし、寧ろ悪手になることもあるのよ。自分の美しさで男性に媚びていれば美しさが衰えたときに飽きられてしまうし、中身ばかりに囚われていては本当に好きな人に振り向いて貰いたい時に容姿の良い子に攫われてしまう。バランスよく何方も大切にね」

 娘の目から見ても美しい母親の言葉はミリアネアはよく理解できた。

 貴族としての順風満帆だった時を振り返ると胃の辺りがギュッと切なく痛むが、ミリアネアは頭を振ると早速掃除に取り掛かった。


 ロンは毎日欠かさず掃除はしていたようだが、細かな部分に関しては<大らか>であった。


 そう。メイドのように細かな部分を丁寧に仕上げることは行なっていなかったのである。

『勿体無いわ』

 メンフィス・シールドは普段は粗野な服装で、ざっくばらんで平民と変わらないようではあるが、家は貴族だとミリアネアは家の奥に入ると益々感心した。

 本邸の一部屋一部屋を見る機会は今回が初めてであったが屋敷は小さくとも造りは全て凝っている。

 調度品は貴族専用の職人が作っている高級品。

 大きな絵などは無かったが、美術品一つずつもそれなりのものであったし、何より食器類が高価である。


 飾り彫が入ったドアを開くとどの部屋も綺麗に片付けられた状態であった。

 しかし床は磨き上げられている状態とは言えない。


『私の本領発揮ね』

 そう言うとミリアネアはたっぷりの水を含ませて床をしっかりと磨き始めた。

 汚れをしっかりと浮かせて擦りあげれば床はドンドン綺麗になっていった。

 

 水拭きが終わると乾拭き、そしてワックス磨き。


 少々力仕事になって来た為三部屋仕上げた時にはヘトヘトだった。


「…………どうやったんだ?床がピカピカじゃ無いか………」

 夕刻にメンフィスが目を丸くした時はミリアネアは自分のガチガチに張った二の腕の疲労が報われた気がした。


 メンフィスはロンの妻にミリアネアの食事も頼んでいたのだろう。


 日が暮れる前にタップリのシチューと白パンが夕食として届いていた。


 二人は食堂でテーブルを挟むことになる。

 ミリアネアは

『私はメンフィス様のお食事が終わった後で台所で戴きます』と遠慮したのだがメンフィスがそれを許さなかった。


「離れに帰る時間が遅くなってはいけない。一緒に食事してサッサと片付けろ。ソレともこんな片腕の男と食事するのは嫌か?」


 とんでもありません!と首をふりミリアネアはメンフィスの瞳を見つめた。

(こう言うところが気難しいのかもしれないわね)

 悪い人間では無いのだろうが、使用人との線引きは貴族らしくなかったりもする。


 ミリアネアのことを嫌っているかと思えば効率を重視して食事の席に誘うことも平然とする。

 自分のことを<片腕の男>と卑下するくせに、注意深く覗けば瞳の奥は少し怯えているようでもあった。


(信頼して頂くには私が歩み寄らなくてはね…)

 そう決心するとニッコリと微笑んだ。

「働かせていただいている身ですがお言葉に甘えます」

 一瞬メンフィスの首元に朱色がさしたような気もしたが(そんハズないわよね)と直ぐに思い直す。



 そして夕食は始まった。


 温めた食事と綺麗に洗ったサラダを盛り付けてミリアネアは食器をサクサクと並べていった。

 メンフィスはワゴンを出してきて

「これを使うと良いぞ」とぶっきらぼうに告げテーブルに着いた。

 

 金糸を編み込んだテーブルランナーに溜息を溢しながらミリアネアは温かな食事を口に運ぶ。

(我が家にあった物と遜色がないくらい高価な食器だわ)

 昔のように品数は多くないが口にしたシチューは貴族向けの食事であった。上品な味付けで添えられたサラダ。下町の濃い味付けとは違うシチュー。

 シールド家の台所には高級品の冷蔵箱が設置してあった。食料を保存することができる魔道具は高価で一般家庭には無いものだ。

 以前フォリスト侯爵家にもあったその懐かしい魔道具には冷やしたドレッシングと果実水が瓶で綺麗に並べてあった。


 ミリアネアは久しぶりの貴族の食事を心から楽しんだ。

 会話は殆どなかったがミリアネアは貴族らしく目上のメンフィスを無粋に見ることなく、気配を配慮しながら同じペースで食事を進めた。


 メンフィスは大きな体に見合った量をドンドン平らげていく。

 パンの山が減っているのを確認し一度だけ声を掛けた。

「お代わりをお持ちいたしましょうか?」

「いや、もう十分だ。ミリアネアも食べ終わったら片付けて帰ったらいい。

 明日の午前中は塾へ行くんだろう?」

「はい、午前中は塾へ。その後こちらに参ります。

 ですが朝の食事をお手伝いいたしますよ?」そう申し出たが素気無く断られた。


「朝はゆっくりすると思う。昼前に起きるからそれは心配するな」

 そう言うとメンフィスは肉の塊を最後に口に放り込んだ。


「ではおやすみ。ミリアネア」


 メンフィスはそう言うと食器を自ら洗い場に運んでそのまま寝室に行ってしまった。


「おやすみなさいませ、メンフィス様」

 頭を上げたときは既にドアが閉まる瞬間である。

 早っ!?とミリアネアが目を見開いているうちに1日目が終了した。


 ミリアネアはその後水魔法で食器を綺麗に洗い上げ乾かすための桶に丁寧に並べた。


 (あら?戸締りどうなさったのかしら?)そう気がついたのは離れで湯船に浸かった後であった。





********


「ふぅ〜矢張り若い女と喋るのは緊張するな……」

 メンフィスは離れに向かうミリアネアの背中を見つめ続けていた。


 濃い蜂蜜色の金髪が月光に照らされ柔らかな光を放っているのを見ながら

 『妖精のようだな』と独言を呟く。

 実際にはミリアネアは妖精でもないし、この2年の生活でしっかり一般市民と同じように僅かに日焼けもし、性格も図太くなった。

 であるから『あぁ、伯爵家のご子息様……素敵……』などと脳内にお花が咲くことは無かった。

 寧ろ切り詰めていた食費の心配がなくなって、ガッツリ食事を平らげ、お腹を摩りながら帰宅した。

 窓辺に佇む年頃の男のことなど思い出しもぜず、一度も振り返ることなく真っ直ぐ離れに向かう。

 月光を浴びる後ろ姿は美しいが、現実は『お風呂入って爆睡よ!!』とルンルンしたままドアに手をかける。メンフィスの切ない視線など届くことなくガチャリと施錠音が聞こえ、三十路男も窓辺から静かに離れた。


 寝台に寝転がるとメンフィスは夢のような夕食風景を思い出していた。

 

 (貴族なのだろうな……)


 間近で見るとミリアネアは本当に上品で綺麗であった。

 久しく拝んでいなかった年若い女が美人のミリアネアであったからメンフィスの心は掻き乱される。

 大家として近くにはいるものの、貴族の邸宅など広くて滅多に間近で顔を合わすことなどない。

 モーガンが全てを取り仕切っていたから、正面から彼女を捉えたのは実に二年ぶりであった。

 

********** 

 メンフィス・シールドは七年前まで第二王子を警護する近衛騎士団の出世頭として城に上がっていた。

 シールド家は伯爵位。長兄が継ぐことは決まっていたが第二王子と学友であり悪友でもあったメンフィスも何不自由なく将来が開けた男であった。

 二十五歳になる時には婚約者も実家から宛てがわれ、王家からも目を掛けられる存在に成長していた。

 背が高く大柄ではあったが垂れ目で甘い顔立ち。それに加え明るい性格の伯爵家の男がモテないはずはない。

 若い頃は随分と遊び歩いていた。


 貴族の令嬢から娼婦まで幅広く相手にしつつ第二王子と一緒に楽しみながら育った男に挫折は無かった。


 伯爵家の母親も『そろそろお遊びも控えなさいな』と苦笑いを溢す程度で特に咎められた記憶もない。


 そんなメンフィスの運命がある日大きく変わった。


 王宮に届けられる贈答品は全て厳しいチェックが行われ中身まで検査が済んだものが殆どだ。


 第二王子は執務室に置かれていたプレゼントの箱に婚約者の侯爵家のサインを見つけて微笑んだ。


「へぇ!マリエンヌが私に面白い物を送って来たようだよ。バスク王国のガラス製の遊戯盤だって」


 一瞬の違和感だった。


「殿下!!!!開けるな!!!!」

 叫ぶと同時にメンフィスは王子を突き飛ばしその両手サイズの箱の上に魔法陣を展開した。

 目一杯腕を広げて抱え込もうとしたが爆発は起こった。


 その後の記憶は曖昧だ。


 意識が戻った時、メンフィスの右腕は肘から下が無く、左手の薬指と小指も無くなっていた。


 母と妹は意識を取り戻したメンフィスに縋って病室で泣き崩れ、兄は痛ましそうに弟である男の頭を撫でた。

 爆発物の送り主は第二王子に捨てられた元恋仲の令嬢からのものであった。

 イソップ王子の怪我は殆どなく、爆発の影響はメンフィスが全て受けた状態であった。王家はシールド伯爵にメンフィスの治療は最高のものを受けさせると約束してくれたそうだ。


 メンフィスも夜会に出ては大概女性を食い散らかしていたが、第二王子イソップは生粋の女好きであった。

 タチが悪かったのは遊び慣れた女性よりも無垢で他人の手がついていない女性を陥落させることに快感を覚えるタイプであったという点である。

 愛を囁いては処女を奪い、その所業は陛下にも王太子にも幾度も苦言を呈されていた。

 この事件は起こるべくして起こった事なのかもしれない。

 処女を奪われ傷物となった場合、平民に嫁ぐか貴族の後添いになるしかない。汚れを知らなかった今までの令嬢は内に篭るか親にも言えず修道院に身を隠していたことが殆ど。しかしこの令嬢は愛が深かった故に反動も大きく『二人で天上の国で結ばれましょう』と明後日の方向に気持ちを募らせたらしい。賢く優秀であったからこそ作ることができた愛を込めて贈った爆発物。

 死を覚悟の上で令嬢は第二王子の殺害を企てたのだ。

 勿論一家はそれなりに罰されたが第二王子の行った行為も明るみになり王宮と社交界は騒然となった。

 令嬢の家族は爵位剥奪となったが令嬢の両親は刺し違える覚悟もあったと法廷で証言した。

その言葉に『子を持つ親なら当然の怒りである』と王妃が涙した。それが王家の判断であった。現に貴族社会では裁判が進むにつれ令嬢への同情が集まりメンフィスとイソップ王子には非難の視線が送られた。


『命までは奪いきれなかった』と第二王子はメンフィスに告げた。

 その顔には

『すまない……俺のせいだ』とハッキリ書かれていたが片腕を失ったメンフィスは魂が抜けたような状態でその時の友の顔を真面に見ることができなかった。


 近衛騎士団からは当然のように名誉退職金が支払われたが、要は除籍が決定しただけ。そこからは下り坂である。

 退院の日に髭を剃ろうと鏡を覗き込むとそこには、醜い火傷後が目立つ垂れ目の男が立っていた。額と眉毛の部分には目を覆いたくなるような引き攣れがあり顎と首の場所は赤黒く変色していた。

 メンフィスは自分の見た目を理解していた分落胆も大きかった。

 妹に支えられ病院を出ると伯爵家には元婚約者からの別離の手紙が届いていた。

『このタイミングでお話しするのは申し訳ないのですが……』

 令嬢の手紙の内容はそんな書き出しであった。

 

 <自分は貴方さまの女性に対する考え方にどうしても結婚生活に幸せを見出せそうに無いのです。今までも散々仲を深めたいとお伝えして来ましたがメンフィス様にそのつもりがない事に疲れてしまいました。夜会でもすぐに居なくなってしまう婚約者である貴方の怪我の具合を私は全く心配することが出来なかった。これが全ての答えであると気がついたのです。今なら分かります。貴方のような煌びやかな人に当てられて私は最初に舞い上がってしまっただけ。愛が有ったわけではないのだと。婚約を解消しましょう>



 婚約者に誠意を見せていたわけではない。


 婚約後も娼館に平気な顔をして通っていたし、他の令嬢とも遊んでいた。

 婚約者の親から、お忙しいとは思いますが結婚するのだから愛を育む時間も必要ですよ、と詰られた時もあった。

 (だからそれは当然の結果であるわけで…)

 いくら自分の態度が婚約解消の引き金であったと理解していても

 (こんな体になったから婚約者は俺を捨てたんだ)

 という思考は拭いきれなかった。


 王子の計らいで最新の義手が届けられ、顔に負った火傷もかなり治療してもらった。

 しかし心は決して晴れることはなく、1年間は酒に溺れた。


 自分を見ては涙を流す母親を鬱陶しく思い、実家を離れて、死んだ叔父の家を貰い受けた。

 片手の自分が住みやすいように改装を行い本邸を幾分生活しやすくすると、使用人をどんどん減らした。


『旦那様ってお気の毒よね』『でも散々遊んでいらしたからバチが当たったって言うわよ』『因果応報ってやつね。王子を庇ったって聞いてた時は同情したけどやってたことが最低だわ』

 そう噂されたことが耳に入り益々周囲の人が嫌いになる。


 そして遂に使用人はロン一人だけになった。


 意外だったのは『兄様は軽薄で嫌い』と文句ばかりだった妹が世話係を買ってでてくれたことである。


 子爵家の次男坊と結婚した妹は騎士爵位となったのだが、それを理由にメンフィスの屋敷に夫と一緒に生活を始めた。

「お家賃タダだからね!」と笑っていたが、要するに妹夫婦がメンフィスを心配した結果である。


 使用人も殆ど雇わず、掃除婦たちは通いの人間を使い、伯爵家で何不自由なく育ったお嬢様育ちの妹はかなり奮闘した。

 すっかり人嫌いになった兄の心を偏に癒そうとしたのだ。


 だがその妹も遂に双子の赤子が産まれ、屋敷が手狭になる。


「俺のことはもういい。お前たち世話になったな」


 赤子の鳴き声とミルクの匂いに

(自分はこの当たり前の幸せはもう手に入らないのだな)と諦念して妹夫婦を送り出した。


 近所に屋敷を構えた妹は偶に様子を見には来るが手のかかる赤子が傍にいるのだ。以前ほどはゆっくりと時間は取れなくなった。


 <離れの屋敷を放っておくのも家が傷む>

 ロン一人では手が回らないから使用人を増やすか、貸し出すか決めろ……そう父親に言われて渋々貸し出すことにした。


 使用人をロンしか認められない自分には仕方のない選択であった。


 義手にも慣れ、静かに枯れた生活を送り、社交も辞めた5年目の春であった。


 暫くして街の老舗の下宿宿の翁が兄妹が部屋を探していると連絡してきた。


 伯爵家にその昔勤めていた男は街中で始めた下宿宿に半年も兄妹を住まわせていたらしい。

『とても良い方達ですので』

 そう勧められたが若い男女を屋敷に入れるなんてとんでも無く嫌だった。


 引き下がらない翁の顔を立てて渋々面談をひき受けたが、当日メンフィスはその二人に驚いた。


 上品な外国人の兄妹は二人とも美しく、そして明らかに貴族であった。


 兄のモーガンは自分たちは借金で首が回らなくなった没落下級貴族だと言っていたが、どう見ても教育が行き届いておりそんな風には見えなかった。

 妹のミリアネアは流れるようなサラサラとした金髪が鎖骨で綺麗に切り揃えられた人形のような容姿。

 これは男が放っておくまいと考えたが『結婚を考えるような相手はおりません』とサラリと躱された。


 年齢はミリアネアは17歳でモーガンは23歳。

 30歳を超える自分より若く眩しかった。


 断ろうと意気込んでいたメンフィスであったが、いつの間にか飄々としたモーガンの話術にハマり、家賃も引き下げて契約書を交わしていた。


 二人はメンフィスに踏み込みすぎることなく静かに生活を始めた。


 モーガンは仕事柄、家を空けることも多いようでその時は必ずメンフィスに妹を頼みに来た。


「すみません3日間ほど家を空けるので少しだけ気にかけて頂けると助かります」


 『少しだけ』という言葉には多くの意味が含まれている。


 美しいミリアネアは誘拐されそうになったり、貴族の男に追い回されていると使用人だった翁は教えてくれていた。


 確りしているようでどこか危ういお嬢様にメンフィスはその後いつも振り回せれるようになった。


 (あの兄貴はとんだ食わせ物だ)


 ミリアネアはどんな男にも穏やかに微笑み、礼を言う。

 街でその美しさと優しさに惹き寄せられる男どもは後を絶たなかった。

 思い込みの激しい男など、フラフラと蜜に誘われる蜂のように屋敷までついてるのは日常茶飯事。

 モーガンは自分がいる時は対処していたが不在時のそのお守りをメンフィスに丸投げしてくるのだ。

 

 メンフィスは騎士団のころから火魔法の名手である。

 腕を無くしたとはいえその辺りの平民よりずっと腕っぷしには自信があった。


 危ない輩にはその場で退場願い、貴族の強引な男たちは実家の名前を出して力で追い払った。


 メンフィスの苦労も知らずミリアネアはいつも微笑んでいる。


 (また男に尾行されて来やがった)

 メンフィスは溜息を吐きながらもついつい後始末に走り回った。


 引き篭もりの男は知らず知らずミリアネアの為に奔走するようになっており、それは不思議な関係でもあった。


 ミリアネアが『おはようございます』と挨拶をするときも

 (俺の苦労も知らないくせに!!)と怒鳴りたくなり、それを堪えると眉間に皺が寄った。


 一回りも下のその令嬢にすっかり振り回されているメンフィスは、何かのドツボに確実にハマっていたのだがそれを認めることは出来なかった。

 

 

すれ違いってこういうことかな?っておもいます笑

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