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スズはギンペーの隣に立ち、ベヒモスの食事風景を眺めている。
「……この子はいい子なの?」
「あぁ。冒険者に殺されかけたんだろうな。最初は怯えてたけど、今じゃこんなにやんちゃなんだよ」
「……人は食べる? 動物は?」
「人は分からないな。糞にはそれっぽい布が混じってたが、襲ってきた冒険者の物じゃないか? 何だよ。お前もこいつを悪者扱いするのか?」
スズは苦しそうに俯く。
「……モンチョスは……ベヒモス。ダンジョンから逃げ出した、魔物」
ギンペーはスズの言葉にも驚くことは無く、笑って頷く。
「知ってるよ。こいつの存在は本でしか知らなかったんだが、実在したんだな。始めて見た時は驚いたよ」
「……モンチョスの怪我が治ったらどうするの?」
「森の中で暮らしてもらうさ」
「……それで言う事は聞いてくれ――」
「なんだよ! お前は結局こいつを倒したいだけなんだろ!?」
スズは懸命に言葉を紡いで俺達が納得するまでベヒモスの安全性を確かめようとしていた。
だが、それがギンペーの癇に障ったらしく、いきなり怒鳴られる。
「……わ、私は……」
「俺の友達は……家族は魔物しかいない。こいつも家族だ。考えてみろ。自分の親に、兄弟に殴りかかって来る奴がいたらどうする? 守ろうと戦うだろう? それと同じだ。俺だって容赦はしないぞ」
ギンペーは最初に会った時よりも更に目つきを険しくしてスズを睨む。
スズはそれにも動じず首を横に振った。
「……私はただ守りたいだけ。勘違いしないで」
「勘違い!? おい! モンチョス! やっちま――ぐふっ!」
ギンペーがモンチョスに指示を出し切る前にスズの拳がギンペーの横腹にヒット。
ギンペーは少しだけ飛んで、地面に這いつくばった。
それでもモンチョスは食事に夢中だ。
「……モンチョスを巻き込みたくないなら大人しく教えて。安全なの?」
スズはギンペーの胸倉を掴んで尋ねる。手荒に見えるが、ギンペーがモンチョスを使役する事を防いでいるし、スズはまだ信じているのだろう。モンチョスと戦わずに済む未来があると。
「うるせぇ! お前らには何も教える訳ねぇだろ!」
だが、ギンペーはそれを突っぱねた。
「……分かった」
胸倉から手を離したスズはギンペーの顔を殴りつける。
「ぐほっ!」
「……ごめんなさい。ギンペーには見せたくない」
スズも覚悟を決めたようだ。それでも、ギンペーには配慮をして一度気を失わせた。
地面でうつぶせに倒れたギンペーはピクリとも動かない。
それを見届けたスズは俺の方をみて頷いた。
「……ヨウム、やろ――っ!」
「スズ!」
スズが俺の方を向いた瞬間、馬をゆっくりと味わっていたモンチョスがいきなりスズに牙を剥いた。
だが、スズは自慢の馬鹿力でモンチョスの攻撃を防いだ。ゼツが慌てて大剣を持ってスズの元へ走り寄る。
俺も急いで雷魔法を発動。モンチョスの四肢の動きを封じる。
「ギャオオオオオ!」
「なっ……お、おい! やめてくれ! 頼む!」
モンチョスの絶叫でギンペーが起き上がったようだ。
状況を察したのか、すぐに俺達に向かって懇願してくる。
「こいつは今スズを食おうとした。いずれ事故が起こってからじゃ遅いんだ。分かってくれ!」
俺がそう叫ぶとギンペーは立ち上がってフラフラと興奮しているモンチョスの前に向かう。
「そ、そんな訳ないだろ……なぁ、モンチョス。俺だよ。分かるだろ? 毎日傷口に軟膏を塗ったよな? 飯だって一緒に食ったろ? 怪我が治ったら一緒に森の中を探検しようって話したよな? なぁ?」
人間の握りこぶしほどありそうなモンチョスの双眸がギンペーを向く。
ギンペーは両手を広げ、モンチョスの顔の目の前にまで行く。
二人は見つめ合い、しばしの沈黙が訪れる。
「ギャオオオオオオ!」
だが、ギンペーの想いもむなしく、モンチョスは口を大きく開けてギンペーに噛みつく。
その瞬間、俺は目を逸らす。
そして、ガキン! と鋼鉄のような硬いものがぶつかる音がした。
恐る恐る目を開けると、モンチョスの口にスズが大剣を当て込んで、ギンペーが食われるのを防いでいた。
「も、モンチョス……う、嘘だろ……俺を食おうとしたのか?」
「ギャオオオオオオオ!」
モンチョスはダンジョンの守護者の風格を見せつけるようにその場で暴れ狂う。
「スズ! 俺が動きを止める!」
「……分かった」
俺はモンチョスの脳天に向かって雷魔法を一点に集中させ、一気に雷を放つ。
バツッ! と音がした次の瞬間、モンチョスは地面に倒れ込んだ。
そこにゼツとスズが左右から切りかかり、モンチョスの太い首を一気に斬り落とす。
「あ……あ……」
目の前でモンチョスが絶命するところを見届けたギンペーはその場で失神してしまった。
慌ててレヨンが駆け寄って脈をとる。
俺の方を見て頷いたのでひとまず生きてはいそうだ。
モンチョス、もといベヒモスは本来はここに居るべき存在ではない。だから、絶命した瞬間に粉々の灰になっていった。
僅かに洞穴の入り口から吹き込む風に乗って灰が舞う姿を俺達はじっと見続けたのだった。
◆
失神したギンペーを連れて小屋へと戻ってきた。
ここまでは良いのだが、森から出るにはギンペーの案内がいる。
そんな訳で、小屋の中でレヨンとゼツが介抱をしている中、暗い顔をしていたスズが小屋から出て行ってしまった。
俺は慌ててスズを追いかける。
「スズ! 迷うからあまり遠くに行くなよ!」
「……ならここでいい」
スズは小屋から目と鼻の先にある切り株に背中を預けて座った。
「……隣、来て」
スズの言った通りに俺も隣に行って腰掛ける。
「スズ……今回は疲れたな」
「……そうだね」
「いつもならもっと無なのに、やけに今回は入れ込んでるんだな」
「……そうかも」
スズは俺と目を合わせずにボーっと遠くを見ながらそう言う。
そして、しばらくの沈黙の後、スズは自分から口を開いた。
「……私も魔物扱いされていたから」
どうやら湖の王を食らいつくした赤い魔物と呼ばれている事を気にしていたらしい。
「公爵の言ってたやつか? 気にするなって。俺が後で説明しといてやるよ」
スズは俺の言葉に対して首を横に振る。
「……それだけじゃない。小さい頃から力が強かった。でも、強すぎたの。だから魔物、化け物って呼ばれてた」
「そうなのか……」
「……だから友達はいなかった。魔物も友達になってくれなかった」
「でも……今は違うだろ?」
俺がそう言って笑うとスズはハッとした顔で俺を見る。
やがて、じんわりとスズの目頭に雫が溜まる。それが零れる前にスズは手で拭った。
「……そう、だね。サカモトもノイヤーもレヨンも……それにヨウムもいる」
「そうだぞ」
俺が過剰なまでに笑顔を作ると、スズも「……変な顔」と言ってニッと笑う。
そして、俺の方へ寄って座り直すと肩に頭を預けてきた。
「……ヨウム。頭、撫でて」
「はいよ」
俺は言われた通りにスズの頭を撫でる。
「……ん。いい感じ」
「ビリビリも付けるか?」
「……不要」
「はいよ」
鳥のさえずりと木々が風で揺れる音だけが聞こえる。本当にいずれはこういう静かな場所で隠居生活を送るのも悪くないと思わされる。
「……私、間違ったかな? ……正解を言えていたら皆助かっていた?」
スズはまだ今日起こった全部の事を飲み込み切れていないようで苦しそうに唇を震わせている。
「何も間違ってないさ。モンチョスを見逃したとして、今はそれで良いかもしれない。40年くらいはな。だけど、問題はギンペーが爺さんになって死んだ後だよ。森に餌が無くなって、外からも持って来てくれる人がいなくなったら確実にあいつは森から出て村を襲う。その時に死ぬはずだった誰かを俺達は助けたんだ。だから何も間違ってない。スズは正しい事をしたよ」
スズはしばらく考えたのち「……そうだね」と呟いた。
もしギンペーが最後に食われかける前、俺達がモンチョスを興奮させていなかったらどうだったのか。
もしその時、ギンペーとモンチョスの心が通じたとしても、やはり寿命の違いはネックになる。ベヒモスが何年生きるのかは知らないが、少なくとも人間よりは長いだろう。
スズは気が楽になったのか、少しだけ切り株にかける体重を増やすようにもたれかかった。
「40年後か……私もお婆さんになってるかも」
「そうだな。『かも』じゃなくて、絶対になってるよ」
「……お爺さんになったヨウムと一緒に暮らしてるかな? 静かな村でスローライフ?」
「なっ……なんだよ急に」
俺がドギマギしていると、スズは俺の手に指を絡め「……じょーだん」と言ってまた俺の肩に頭を載せてきたのだった。
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