第一話 人探し
覗いて頂き、ありがとうございます。
お前達は、己の足元を見たことがあるか?
ふざけるな。何が悠久院だ。
何万年かかったっていい。滅ぼしてやる。
——クリスタ。
————
パチンと、何かが弾ける音がだだっ広い倉庫に木霊した。少し間を置いてまた一度、もう一度と何度も同じ音が喧しく鳴り続ける。
とにかく不気味な場所だった。鬱屈な雰囲気が漂っている。空気そのものが濁っていると言ってもいい。
白を基調とした近未来風の内装、広さも棚の幅も十二分、規則的に並んだ照明はむしろ眩しいくらいに輝いていて、ホコリの一つさえ落ちていない——ここまで揃えば良い印象を与えられそうなものだが、こればっかりは収められたものが悪いと言うより他ない。
そんな倉庫だから、人が立ち入ることは年に数日あるかないかだが、今日はちょうどその日だった。
「よっと……」
抱えていた自分より二回りも大きい置き時計を棚の下に置いて、女性——リオナは汗を拭う。
ゆらゆらと揺れる腰あたりまで奔放に伸びた赤の髪に、晴れ渡った空色の瞳。年齢よりもやや幼く見える顔つきで、綺麗というよりは愛嬌のある、夏空の下が似合うような快活な容姿だが——
「はぁー……だっるいなぁ……」
——ふとした拍子にまるで別人のような、どこか冷めた雰囲気が顔を覗かせることもある。
「……ん?」
バチン、と一際大きな音が鳴る。それでようやく彼女は音の存在に気づいたのか、辺りの様子を慎重に探り始める。
「あっ」
とある棚を曲がった時、リオナは思わず声を上げた。物置の端の端、乱雑に積み上げられた荷物の森の中で、この暖かい時期には不釣り合いな煤けた灰色のコートを着た長身の男性がだらんと立っている。
よくよく見れば、彼は器用にも立ったまま木箱を両手に抱えた状態で、呑気に鼻提灯まで膨らませて眠っていた。
「——やっと見つけた! 先輩! 起きて下さいよ! せーんーぱーいー!」
数十回身体を強く揺らされても男は全く起きる気配がない。業を煮やしたリオナは、息を目一杯吸い込んで耳元で思いっきり吐き出した。
「起きろぉっ! ぐーたらレイバンッ!!」
「……ん」
彼——レイバンは、それでようやく目を覚ます。それからゆらりと木箱を地面に置き、ボサボサの黒髪をかき上げて呑気に伸びをした。
「起きましたか!?」
「おはよう。あー……良く寝た! ひょっとして、起こしに来てくれたのかな?」
「モーニングコールじゃありません! いつまで寝ぼけてるんですか! 仕事中ですよ!?」
「あれ……そうだったっけ?」
「そうですよ!」
あまりにおとぼけた態度が続いたものだから、リオナはますます不機嫌そうに顔を赤くして、声を荒らげる。
「ほら、片付け! 広くて面倒だから、手分けしてやろうって話だった言ったじゃないですかっ!」
「あー……? あー……!」
「思い出しましたか!?」
「……まあね。取り敢えず、今から働くから許してくれないかな?」
その辺にあった木箱をヒョイっと持ち上げて、レイバンは棚の一番上にあげる。が、モチロンこれだけで納得する筈もなく、頬が一層大きく膨らんだ。
「ダメです! もうこれで終わりですよ! ほとんど一人でやったんですから!」
「いやぁ……でも、ほら! 一人の仕事は皆の仕事って標語も……」
「いくらなんでも限度ってものがあるでしょう! 今日という今日は、絶対に許しませんからねぇ!」
「……そっか、駄目かぁ。あ、そういえば冷蔵庫にオブシディのチョコケーキ入ってるんだけど——」
「——全てを許しましょう」
この都市一の洋菓子屋の威光を前に、後輩の膨れっ面が満面の笑みへと変わる。この危機を小狡く切り抜けた先輩の笑顔が少し引き攣って見えたのは、十時間の行列を思い出してのことだろう。
「そういえばさ」
思い出したように、レイバンが顔を上げる。
「……今度はなんです? まさか、本当はケーキ無いとか?」
「違う、違うよ違うから、そんな顔しないで。仕事の話だよ。俺が寝てる間に、何かヤバいものとか出たりしなかった?」
「ヤバい……もの?」
怪訝そうにリオナが尋ね返すと、レイバンは手をだらんと突き出し、ペロっと舌を出して見せた。
「これだよこれ。何しろこの倉庫、あの音に聞こえし悠久院が色んなものを溜め込んでる場所だからさ、災害級の曰く付きのブツが山程あるって話なんだ。怖ーい噂もいっぱいある。ほら、見てない?」
「んー……そこまでやばいのは見てないですよ。見たのは——」
音もなく、リオナが今にも飛び立とうとしていた小さな半透明の竜のようなものを鷲掴んで、口の中に放り込んだ。
「こんなやつばっかりでした。ちょっとだけ、お腹がもたれ気味です」
「……さっすが」
口からはみ出たピロピロと動く尻尾を飲み込んで、彼女はそのまま自身の数倍をあろうかという紫水晶を軽々と持ち上げる。
その時、リオナの肘が棚にぶつかった。衝撃で棚の上の不安定な場所に置かれていた重そうな結晶が傾くが、下を見ている彼女は全く気がつかない。そうしている間にも、結晶は頭目掛けて真っ直ぐに落ちていって——
「よっと、危ないね」
——手を叩く、音がする。次の瞬間には空中の結晶が消えて、いつの間にかレイバンの手の中にあった。
「あ! ありがとうございます。全然気づきませんでした」
「これ、戻しちゃって良いかな?」
「元より少し奥にお願いします。危ないですから」
「了解」
結晶が何事もなく棚の上へと戻る。残っていた作業もすぐに終わって、レイバンはやれやれと息を吐く。
「あー、疲れた。これで終わりかな?」
「そうですね。後は報告したら終わりですけど……一応、他のところも見ます?」
「いいよ。依頼主様からは、最低限整理出来てればいいって言われてるし……うちの新人は優秀だからね。何の問題も無いでしょ」
「……なんか、嬉しくない」
「ははは。ま、行こうか」
そうして、二人が物置を出ようとすると、鎧姿の護衛らしき人物を連れた少女と鉢合わせる。
身に纏っている誰がどう見ても大変な高級品だと分かるような純白のローブも目立つが、何よりこの都市で知らないものは居ない顔を前に、一瞬の空白が生まれる。
「おおっと、これはこれは……」
「どうして……!」
おどけたように一歩引くレイバンと、睨みつけるリオナ。そんな二人を一瞥し、少女は深紅の瞳で倉庫を見渡す。一通り見終わると、肩にかかった艶やかな茶髪を払って、満足そうに笑った。
「随分と、綺麗になったものだ。良い新人が入ったな、シーカー。ご苦労だった」
それから、その可憐な容姿とは到底結びつかない威圧感のある声でそう告げると、レイバンの表情がやや強張る。
「……本題は何かな? そんなことを言う為にわざわざ来た訳じゃないよね」
「相変わらず、察しが良くて助かる。実はな、お前達にもう一つ追加で依頼をしたいのだ」
「成る程。やけに金払いの良い依頼だと思ったけど、最初からそうするつもりだったんだねぇ? 悠久院院長、アイオーン」
何も言わず、少女——アイオーンはただ口角だけを上げて見せる。
「それで依頼の内容はなんだい? ものによっては、金貨十五枚くらいじゃすまないよ?」
「人探しだ。とある少女を探している。おい、あれを渡してやれ」
「かしこまりました。こちらになります」
その少女の容姿が描かれた紙がそれぞれに手渡されるなり、レイバンは上から下までの項目全てに素早く目を通す。
あどけなさが残る顔立ちに、短く切られた茶髪。左腕が竜のような鱗に覆われ、右目が黄金、左目が群青を堪えたオッドアイ。羽の耳を持ち、左翼が欠けた片翼の少女——それから付随する注釈をいくつか読んだ末に、僅かにその銀の目を細めた。
「……ふーん。で、期限は?」
「設けん。出来るだけ早く、とだけ言っておこう」
「生死は?」
「殺すな。多少の傷は許容するが、それ以上は許さん」
「——それで、報酬は?」
レイバンが僅かに目を見開くと、アイオーンも待っていたと言わんばかりにその目を正面から見据えた。
「依頼料として、まず前払いで金貨三百枚を出す」
「さん、びゃく……!?」
常人なら人生全てを遊んで暮らせるだろうという額を前に、断末魔のそれに近い驚きの声が上がる。
「それに加え、有力な情報なら百枚、身代なら四百枚を追加で支払う。不満ならば悠久院秘蔵の宝物や人的支援は勿論、お前達の願いに沿った形での払いも視野に入れよう。どうだ? 決して悪い話ではあるまい」
「そうだね。まるで詐欺みたいだ」
「そ……そう、ですよ……先……輩……!」
苦しそうに胸を押さえ、呼吸すらもままならない様子のリオナが、必死にレイバンに縋り付く。
「三百枚、ですよ! 悠久院……です、よ! こんなの、絶対……だから断っ——わぶっ!?」
小さな子供のように震えながら言葉を紡ぐ後輩にコートを被せ、レイバンは今日一番の不敵な笑みを浮かべて見せる。
「——でもね。たとえちょっと胡散臭くても、罠っぽくても、陰謀が見え隠れしてても……割の良い依頼ならなんでもオーケーなのが願い屋シーカーのモットー。人探し、確かに承ったよ」
「そうでなくてはな。良い知らせを期待している」
異様に小さな麻袋と巻物を放り投げて、アイオーンが物置を去る。その姿が見えなくなってから、レイバンはそれぞれの中身を確かめて腰に提げる。
それからまだ動けそうにない後輩を背負って、淡い日光の降る長い長い螺旋階段を下り始めた。
「すみ、ません……先輩……」
今にも消え入りそうな声が、階段に響く。
「いいよ。謝るのはむしろ俺の方。正直、約束違反ギリギリだったし」
「でも……これじゃ……」
「まあ、おいおい乗り越えて行けば良いと思うよ。それまでは俺がやるから、心配しないで。というか……俺にやらせて下さい。新人にあんまり無理ばっかさせてるのがバレると屋長に殺される。最低限持ちつ持たれつの形でないと……ね?」
「……ふふっ。いくらサボり魔の先輩でも、永遠の暇は貰いたくないんですね。なんか、笑ったら落ち着きました。ありがとうございます」
満足そうに笑う後輩を下ろして、先輩はやれやれと息を吐く。それから一度肩を回して、未だ遠く霞む地上の方を見た。
「しっかしまあ……相変わらず無駄に静かで広いね。俺らの声、塔中に響いてるんじゃないかな?」
「別に構いやしませんよ。あいつらどうせ、凡人の話なんかこれっぽっちも聞いてませんから」
目はまた鋭く、声は冷たく。隠しきれない憎悪の念が、露わになる。
「……ごめん。そういうつもりじゃなかった」
「その心を『幻想使い』に聞かせてやりたいですよ。幻想術はそういうものなんだって分かんない馬鹿共に」
リオナの手が、正確にはそれを覆うように広がる半透明の膜のようなものが眩く輝く。そしてまるで人のようにその形を変えて、天窓から覗けた空へと消えていった。
炎を吐く竜、意思を持つ岩石の森、自然の意思そのものたる精霊——遥か昔から、世界は神秘に溢れていた。
その中で何一つ持たずに生まれた人という生命は、長い苦境の果てに自らの内に宿る生命力を神秘に変える術理、『幻想術』を編み出した。
自然を操り、理を捻じ曲げ、ついには人ならざるものにさえ勝ち得る。そんな誰もが一度は夢に見た幻想が誰の内にもある。幻想術はようやく人を世界と対等にした史上最大の発見であり——皮肉にも、争いを加速させた要因でもあった。
「……そっか。それなのに、ここまでわざわざ手伝いに来てくれたんだ。ありがとう」
「いや……別に。先輩と一緒なら……」
「ん? 今、なんて——」
「なんでもありません! あ、そうだ! それなら先輩! 今日の夜はヴォルフんところにでも食べに行きましょうよ! モチロン、先輩の奢りで!」
「おっ、良いねぇ。久々に、パーっと行きますか!」
「はい! その袋空っぽにしてやりますよ!」
「ははは。流石に今日は大丈夫……大丈夫だよね?」
そうしているうちに、あれだけ長かった階段もとうとう終わりを迎えた。立派な髭を蓄えた老人の像が立つ一層目を抜けて外に出ると、他に七つの煉瓦造りの塔が立ち並んだ広間に出る。
高い塀に囲まれた周りはいやに静かで、吹き下ろす微かな風の音が、少し遠くのさざなみが、遥か遠くの羽ばたきさえが耳に届くくらいだ。
「あー……空気だけは美味しい。違う世界の味がする……」
仰反るくらい大きく息を吸うと、今日も視界の端に透き通った青い空に走る亀裂と、巨大な灰がかった壁のようなものが見える。
それは、この環樹都市パライオンを混沌たらしめる元凶。願望を求め続ける者はやがて行き着くと謳われる、数多の神秘を内包した大樹の残骸。
その名を無辺樹キャンバス。夢を見る数多の生物が押し寄せ、踏み込み——そして儚く散る。まるで子供が描いたような神秘がそこら中に転る、世界に唯一残された未知の眠る地である。
「さぁて、それじゃ集合はいつもの通り。それまでは適当に情報集めながら自由行動ってことで、ヨロシクねー!」
「あ、ちょっと! 先輩! ねぇ! 待って——」
「はいはいっと」
話半分に返事をして、レイバンが悠久院の外へと駆け出す。取り残されたリオナは、どんどん遠くなっていく背中に溜息をつく。
「……はぁ、まぁたサボりだよ。困った人だなぁ」
それから人相書を片手に、彼女も外に出た。先輩を追うようなことはせず、人混みの中で目的の人物が居ないかどうか目を皿にして探し始める。
だが、この都市は雑多な場所だ。終わりない夢や果てしない願望、希望を抱いた様々なもの達が世界中から際限なく集まってくる。
街道を行き交う者は格好から種族、職種におそらく出身まで見事にバラバラ。言語や身分の壁もある。そもそもの話、目的の人物がそこまで簡単に見つかる筈もなく、すぐにお手上げといった様子で人相書を眺め出す。
「まあ……居ないよなぁ。でも、この子の為には見つからない方が……んん? 身長はあくまで予想……容姿にもズレが、だぁ? 待てよ、なんだこの人相書。名前もねぇとか適当も良いところだぞ。舐めてんのかゴミ風情が——」
瞬間的に、リオナの精神が沸騰する。人相書を握り潰し、空き手の指が首元の傷に伸びていって、それが丁度首に巻いている古い黒のチョーカーに触れる。その感触を確かめるように首回りを何度も何度も指でなぞると、彼女は両の頬を思いっきり叩いた。
「あぁ……! 駄目だ、駄目だ! こんなの私じゃない。私は……お淑やかに穏やかに、それで角が立たないように……でしたね、先輩。さて! 考えるのは見つけてから! 終わったら先輩と飲みです! 頑張れ私! 負けるな私! 手当たり次第にゴーゴー!」
元のように快活に、リオナは行く。くしゃくしゃになった人相書に、赤い光が電流のように迸ったのにも気づかずに。
「——いよっと……」
その頃、レイバンは雑踏を抜けた先の路地の裏に居た。壁に空いた穴を器用に潜って、廃墟の下に埋もれた薄暗い穴へと入っていく。
明らかに誰かが何かの目的で掘ったであろう、洞窟というよりは地下通路と言うべき空間。色とりどりの小さな結晶が仄暗く輝き、蟻の巣のように広がる無数の別れ道には、一切の規則性も見当たらない。
下手に入れば二度と出てこられないだろうそこを、レイバンは青白い結晶の灯りだけを頼りに慣れた足取りで進む。
しばらく行くと、木々に混じって同じく仄青い結晶がそこら中から伸びた、箱庭のような場所へと出る。
ここは彼のお気に入りの一つ。この都市のど真ん中にありながら騒がし過ぎず、かといって厳か過ぎる訳でもなく、太陽も風も伸び伸びと在るオアシスのような場所。
擦れたような跡がついた木の下に着くなり、レイバンは手を叩く。それから目を閉じて、いつもようにすぐ眠りにつく——その筈だった。
「——おっ、奇遇だねぇ! 私のレイバン!」
珍しく、レイバンが目を丸くする。
まるで気の置けない友人にするような、砕けた口調の声。その主はパライオンに陣取る一大勢力の一角である悠久院において、現在七人しか名乗ることを許されていない最高位『幻想使い』の筆頭であり、今回の仕事の依頼人でもある人物。
いつもの重苦しいローブと威圧感をどこかへ投げ捨て、無数の傷が刻まれた腕を無邪気に振るう少女、アイオーンだった。
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